煌きのクリスタルオーブ
東京・渋谷のとある路地に、妖しいフォントで書かれた表札がある。
『魔法屋』
そのシンプルかつ直球すぎる名称を見て、本当に魔法を売っていると思う客は果たしているのだろうか? もしいたとして、魔法の販売を期待して入って来られても困るのだが。
この店が賑わうのは夕方だ。近所の学校に通う生徒達が放課後にやってくる。多くの客はファッションや話題作りのために占いグッズを買いにくるが、時々本気でオカルトにのめり込んだ客がやってくる。今日も一人、そんな客がやってきたことを相手の様子から察した。
「いらっしゃいませ、何かお探しですか?」
この手の客は放っておくと逃げていくので、こちらから声をかけていく。眼鏡をかけた、三つ編みの、いかにもインドア派な風貌をした少女。魔法の存在を信じている――いや、信じたい人間。この店の客は多くが仲間と一緒にやってくる明るい少女達だが、彼女のような客は一人でやってきて、他の客と自分の違いに戸惑いを見せる。自分の同類がいるような店だと思ったのに、まるで予想と違っていたことに動揺し、すぐに店を出ていってしまうのだ。
「あ、あの……魔法の使い方を知りたいのですが」
この店は魔法屋という名前だが、売っているのは占いの道具などのオカルトグッズであり、魔法ではない。……表向きは。
「どのような魔法を使いたいのですか?」
私は笑顔のまま相手の注文を聞く。常連の客達は三つ編みの子を優しい目で見ている。こういう客は定期的に現れるので、慣れっこなのだ。
「ええっと、どんな魔法ってのはないんですけど……」
俯き、消え入りそうな声になる少女。どうやら魔法を使ってやりたいことがあるわけではなく、魔法使いになりたいという漠然とした願望を持っているようだ。この店で魔法の使い方を聞いてくる客は多くがこのタイプなので、特におかしいことではない。
「ではどんな魔法が向いているのか、魔石に聞いてみましょうか」
そう言って私がカウンターの下から取り出したものを見て、いつも買い物もせずに店に入り浸っている冷やかし客の女が驚きの声を上げた。
「えっ!?」
なるほど、こいつはこれを使ったんだな。私が取り出したものは透明なしずく型の入れ物に色とりどりの石が入った置物だ。
「きれい……これはなんですか?」
「これは『煌きのクリスタルオーブ』と呼ばれる道具です。まだ覚醒していない魔法使いが両手でこのクリスタルオーブを持つと、中にある魔石のうちの一つが共鳴します。それを手にすることで魔法が使えるようになるのですが、魔法を使う才能の無い人には反応しません」
説明を聞いている間、少女は目を輝かせていたが、最後の言葉を聞いたとたんに不安そうな顔になる。察しのいい娘だ。
そう、これで魔石が反応しなかったら自分には魔法を使う才能がないという現実を突きつけられることになる。いかにも自信の無さそうなこの少女にこれを試してみる勇気があるだろうか?
「これを……両手で持てばいいんですね?」
少女はクリスタルオーブに手を伸ばそうとするが、震えてなかなか動かない。夢見る少女に突然の試練を突きつけるのはさすがに可哀想だったかもしれない。そこに珍しく冷やかし娘が口を出してきた。
「勇気が出ないならやめておいた方がいいよ。魔法を使ってやりたいこともないんでしょ?」
彼女の眼は真剣そのものだ。おそらく自分自身の過去と少女の姿を照らし合わせているのだろう。この冷やかし娘は正真正銘の魔法使いだ。この店は占いグッズなどを取り扱う普通のオカルトショップだが、彼女のような魔法使いに対しては本物の魔法を販売する裏の顔も持つ。
この店で魔法を買うには、魔法使いであることに加えて、魔法協会の斡旋業者による紹介が必要である。一般人に素性を知られないように客がいない時に訪れて合言葉を言う必要があるのだが、未熟な彼女は一般客が大勢いる前で合言葉を言い、奇妙な目で見られたりもした。もう既に懐かしい過去の話だ。
今の彼女は非常に強力な、たった一つの魔法だけを覚えている。『
彼女がこんな魔法を覚えるに至った理由を私は知らない。魔法屋は客の事情に立ち入ったりはしないからだ。
なお、このやり取りを見ている他の一般客は煌きのクリスタルオーブの効果を信じてはいない。彼女達の目を見ればわかる。だがこれは本物だ。もし少女に魔法使いの素質があれば本当に魔石が光を放ち、彼女と共鳴するだろう。もちろんそんなことは起こらないがな。彼女には魔力がない。魔法使いになる者は覚醒する前から魔力を持っているのだ。
「……私、小さい頃から魔法に憧れていて」
少女は震えながらも、話しかけてきた女性に答える。冷やかし娘の方は外見的にはスーツを着た二十代のOLに見える。背中まで伸びたストレートの黒髪を首の後ろで束ねた、シンプルなファッションだ。何故この服装で魔法屋に居座っているのか、さすがに一度聞いてみた方がいいような気がしてきた。客の事情に立ち入らないと言っても限度というものがあるだろう。この場合は店の商売にも関わってくる話なので私も無関係ではないのだし。
「私もね、憧れだけで深く考えずにそのオーブを手にしたけど……けっきょく、何も手に入らなかった」
クリスタルオーブに目を向け、寂しげに呟く。彼女の言葉から、誰もが何も起こらなかったのだろうと想像するだろう。実際には彼女は魔法使いとして覚醒し、斡旋業者に紹介されてこの店にやってきた。魔法を覚え、目的を果たしている。
つまり、彼女の目的の先には何もなかった。
生きる目的を見失った彼女は行くあてもなく、魔法マスターである私に仄かな憧れを抱きながら、この店でただ時間を潰している。彼女が魔法の覚え直しをしないのは、覚えたい魔法が無いからなのだろう。
「現実を知るのは大切なことかもしれないけど……それが必ずしも幸せなこととは限らない。憧れは憧れのままにしておいた方がいいこともあるのよ」
彼女の重い口ぶりに、少女は押し黙ってしまう。私はそっとクリスタルオーブをカウンターの下に戻した。
「今はまだ、これが必要な時ではないようですね」
客のニーズを読み取るのに長けた私の目は、最初から見抜いている。この少女も本当は魔法の存在なんて信じていないのだ。だからクリスタルオーブを前にした時、両手で持っても何も起こらないと完全に決めつけていた。彼女が勇気を持てなかったのは、自分に才能がないかもしれないという恐れからではなく、幼い憧れを捨て去ってしまうことに対する未練によるものだ。
その憧れを捨てる必要はない。真実を知る必要もない。答えを出さずに曖昧なままにしておいた方が幸せに生きていられるということもあるのだ。
……店の売り上げも伸びるしな。
少女がささやかなパワーストーンを購入し、客が全て店を出たあとで、最後まで残っていた冷やかし娘が自分のことを語り出した。こちらとしては知りたいとも思わないが、向こうが話したいのなら聞いてやろう。
「私、ここで覚えた魔法で人を殺したんです」
「だろうな」
彼女が買った魔法はそれ以外に使い道がない。目的を果たしたと笑顔でやってきた時点で、言わなくても分かっていることだ。
「相手は親の仇で――後で知ったのですが、私の両親も魔法使いだったようです。しかも、良くない組織に雇われていた闇の魔法使いでした」
危険な組織が魔法使いを雇うことは少なくない。逆に治安を守る側に雇われた魔法使いもいる。この店の常連にもそんな魔法使いがいて、彼は何度か誇張ではなく国を救っている。そうか、こいつに殺された魔法使いも秩序の側の人間だったのか。
「復讐は何も生まないってよく言いますけど、私の場合は知りたくなかった真実を突きつけられました」
そうだな。私もそんな余計な情報は知りたくなかったよ。
「自分が正義……とまでは言いませんけど、少なくとも相手は悪い魔法使いだと思っていたんです。殺してしまうまでは」
「そうか」
「それで、どうしたらいいか分からなくなって……」
やれやれ、私は魔法のソムリエであってカウンセラーではないのだがな。
「魔法使いとして働けばいい」
「えっ?」
「お前が貴重な魔法使いを一人減らしてしまったぶんの埋め合わせをしろ。どちらの勢力に与してもいい、自分好みの仕事をすればいい。良い魔法使いとか悪い魔法使いとか、そんなことは大した問題じゃない」
魔法使いは結局のところ便利な道具でしかない。世の中を回しているのは魔法を使えない大多数の人間だ。道具の良し悪しなんて、よく働くかどうかで決まるものさ。
「……わかりました」
わかってくれたか。
「ではこの店で雇ってください!」
「いやそれは無理」
「えー! やりたいことをしろって言ったじゃないですか」
なんだろう、ずっとこの店にいたからか、ずいぶんと厚かましくなったような……いや、最初からツケで払おうとしたり厚かましかったな。
「いいから、魔法協会に行って仕事くれって言ってこい。喜んで仕事を紹介してくれるだろうさ」
「ぶーぶー!」
その後、不満そうにブーイングをする娘を店から追い出すのに閉店までかかってしまった。まったく、困ったものだ。なんにせよ、これで冷やかし娘がまともな客に変わってくれることを期待しよう。
澄んだ光を放つ煌きのクリスタルオーブを箱にしまいつつ、魔法という力の存在に振り回される人間の儚さに思いをはせるのだった。
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