アーミラリ天球儀

 東京・渋谷のとある路地に、妖しいフォントで書かれた表札がある。


『魔法屋』


 そのシンプルかつ直球すぎる名称を見て、本当に魔法を売っていると思う客は果たしているのだろうか? もしいたとして、魔法の販売を期待して入って来られても困るのだが。


「お邪魔するわよ」


 妖艶な雰囲気を身に纏った中年女性が店の扉を開けてやってきた。見知った顔だ。現在店の中には私といつもいる冷やかし客の二人しかいない。私は愛想の良いオカルトグッズ店長の仮面を脱いだ。


「珍しい顔だな。星見ほしみが使うような道具はここにはないぞ」


 星見とは占星術を行う者の異名だが、ここで言う星見は少々意味合いが異なる。魔法屋は占いグッズをメインに扱う店なので星占いの道具は多数取り揃えているが、彼女はそういった道具を利用する占い師ではない。


「あ、お客さんですね。私はこれで」


 冷やかしをしている若い女の客は私の態度から中年女性の素性を察し、店を出ようとした。


 この店には二つの顔がある。表向きは主に若い女性向けの占いグッズなどを販売するオカルトショップだが、彼女達のような特殊な客が現れた時にだけ見せるもう一つの顔、それは店名の通りに魔法使いへ魔法を売る店の顔だ。その店長である私は、魔法使いにとっては魔法の師匠にあたる存在となるため、高圧的な態度を取ることになっている。


 この冷やかし客も魔法使いだが、以前この店で一度魔法を買って以来、何も購入することなくずっと店に入り浸っている。他の魔法使いが客としてやってきた時にはプライバシー保護のために店を出るのが彼女をこの店で遊ばせておく条件の一つでもある。魔法使いが一度に覚えていられる魔法の数には限りがあるため、その者が何の魔法を覚えているのかという情報は命に関わるほど重要なのだ。実際に彼女は以前この店で魔法を買って他の魔法使いと命のやり取りをしているので、これには彼女自身が積極的に動く。


「あら、そこにいていいわよ。今日は魔法使いとしてきたけど魔法を買うつもりはないから」


 そして星見の女は冷やかし娘を呼び止めた。魔法使いが魔法の購入以外の用事で店を訪れることは稀にある。情報の共有や弟子の斡旋などが主な用事で、この女も情報の共有を求めてやってきたようだ。同じ魔法使いである冷やかし娘にも知っておいてもらおうと考えたのだろう。


「それで、今日の用件はなんだ?」


 私が話を促すと、星見はニヤリと笑って口を開いた。


「いま、異世界がアツいのよ。しばらく前から小説や漫画、アニメなんかで異世界という言葉を聞かない日がないほど一般的な言葉になってきているわ」


「……アーミラリ天球儀か」


 彼女の発言から私は何の話かすぐに理解したが、冷やかし娘が口をぽかんと開けているのでこれから長い説明のフェーズがやってくることになる。星見もすぐに彼女へと向き直り、異世界の説明を始めた。


「この世界は四次元時空だと言われているわ。XYZの空間座標に時間の座標も合わせて四つの軸でこの世界のあらゆる場所と時間が表せる。でも私達この世界に住む住民は三次元の存在。XYZ軸は自由に移動できるけど、時間のT軸は移動できない。過去や未来に移動することもできないし、T軸に干渉することもできない」


「だが、我々人間が知る中でも時間に干渉できる力が存在する。重力だ」


「そう、物理学者アインシュタインが提唱した相対性理論――特殊相対性理論および一般相対性理論――によって大質量の物体は時空間を歪め、時間の流れを遅くしているということが分かったの」


「えっと……私は物理学はあんまり……」


 冷やかし娘が普段何をしているのかは知らないが、まあ物理学に明るい人間ではないだろうことは言われなくても分かっている。この話の本題はそこではないので、あまり難しい言葉を使わないようにしてくれと目で星見に伝えた。


「とにかく、重力には時間軸に干渉する効果があるということよ。そして時間の流れを変えてしまうほどの重力を生み出すのはとんでもなく大きな質量を持つ物体、すなわち星しかない」


「その星の位置を観測することで時間軸を自由に変化させられる存在、すなわち四次元の存在があるもう一つ上の次元――五次元世界を通じて別の時間軸上にある、異なる世界線を見ることができる。そのために使う道具がアーミラリ天球儀というわけだ」


「そうなんですかー、よく分からないけど、星を見ると異世界が見えるんですね」


「そんなところね」


 理屈を理解する必要はないので、説明をだいぶ省略した。いま大事なのは、星見がこの話を持ってきた理由の方だ。


「で、アーミラリ天球儀がどうしたんだ?」


「ええ、それを使って一般人に異世界の様子を見せようとしている魔法使いがいるらしいわ。異世界ブームも息が長いからね、いい商売になるでしょうね」


 星見が肩をすくめて皮肉を言う。なるほど、それは対応に困る問題だ。あくまで情報の共有に留めるのも分かる。


「異世界が見えると何か問題があるんですか?」


 不思議そうに言う冷やかし娘。まあ、当然の疑問だろう。


「お前は海外の映像をテレビで見たりしないか?」


「しますします! いいですよね、綺麗な風景だったり日本と全然違う文化だったりして、見てるだけで楽しくなっちゃいます」


「そうね、そういうのを楽しんだ人の中には実際に現地を訪れたいと思う人も多いわね」


「そうですね、海外旅行に行く動機になったり……あっ、じゃあ異世界を見た人は異世界に行きたくなっちゃうんですね」


 さすがにここまで来るとこの娘でも理解できるようだ。そう、一般人がアーミラリ天球儀で異世界の風景を見ると、そこに行きたいという欲が高まる。


「異世界転生って言葉、聞いたことあるかしら? 世の中で流行っている異世界の話には、この世界で命を落とした人が異なる世界に生まれ変わっていい思いをする話がけっこうな割合であるのよ」


「つまり、魔法使いが異世界の様子を見せて異世界の存在を証明することで、自ら命を絶って異世界に生まれ変わろうとする者が増える可能性がある。その上さらに困るのは『異世界に連れていってあげる』と甘い言葉をかけ、財産を奪った上で殺害するという犯罪が想定されることだ」


「それって大問題じゃないですか!」


 冷やかし娘は思わず大声を上げ、慌てて自分の口をふさいだ。この店は何気に私の魔法で完全防音になっているから心配はいらないのだが。


「でもね、異世界を見せるだけなら魔法警察が取り締まる対象にはならないの。それこそテレビで海外の風景を見せるのと何ら変わらないからね」


 ため息をつきながら、星見が話をしめた。そういうことだ。つまり実際に犯罪が行われない限り、魔法使いがアーミラリ天球儀を使うことを止めることは出来ないのだ。


「ここ最近でアーミラリ天球儀を入手した魔法使いは把握しているんだろう?」


「ええ、魔法協会がちゃんと監視してるわ。でも未然に悪事を防ぐことはできない」


「……なんか、モヤモヤしますね」


 一般の警察も同じようなジレンマに苛まれたりするらしい。防犯に力を入れると、今度は何も悪さをしていない人間の人権を侵害してしまうことになりかねないのだ。


「まあ、私に心当たりがなくもない。この場はあくまで情報共有で終わりということにしよう」


「あら、どんな事件にも不干渉を決め込む魔法マスターが珍しいわね」


「もちろん、魔法使いとしては何もしないさ」


 こうして、情報を伝えた星見は帰っていき、冷やかし娘は私が五次元について詳しい解説を始めたら波が引くように店を去っていった。この手は使えるな。




 次の日。私は常連客の占い師がやってくるのを待っていた。


「おはよう、何か面白い商品はないかしら?」


 いつものように彼女はやってきた。近所で自分の店を出しているプロの占い師だ。テレビにも出演している凄腕である。彼女は魔法使いではなく、魔力も持ち合わせていないが占いの腕はいい。何故なら彼女の占いとは鋭い洞察力と豊富な人生経験を基にした人生相談のようなものだからだ。


「アーミラリ天球儀というものがありますよ」


 私はこのために用意した魔力を持たないアーミラリ天球儀を彼女に差し出し、その効果を伝えた。


「異世界ねー、現世から逃げたい人には魅力的すぎる話ね。面白いけど、扱いを間違えると危険ね……いいわ、これを売って頂戴」


 思った通り、彼女はこのレプリカを購入した。仮に魔力のある本物でも、魔力を持たない人間が使ったら大した効果は得られない。どうせ彼女はこれで本当に異世界を見せようとはしない。彼女の占いに、そのような借り物のアトラクションは必要ないのだ。




 それから数日後、彼女によって有名となったアーミラリ天球儀は、『平行世界における、異なる生き方をした未来の自分』を見ることができる道具として知られるようになった。もちろんそんなものをあの占い師が見せたことは一度もないだろう。彼女の最大の武器は、それを心から信じさせる話術である。


 アーミラリ天球儀は有名になりすぎて、だいぶ犯罪に使いにくくなっただろう。あとは魔法協会の監視に任せておけばいい。


「しかし、異世界か……この日本で上手くいかない人間がそんなところに行っても、成功できるはずもないのにな」


 客のいない時間に星見が話題にしていた異世界の小説を読みながら、独り言をつぶやく。確かに読み物としては面白いが、あくまでフィクションだからこそ楽しめるのだ。自分がその立場になっても楽しいことばかりではない。実際に一般人が夢想するような世界に生きる身として、隣の芝生は青く見えるものだと半ば呆れながら本のページをめくるのだった。

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