クロノグラス

 東京・渋谷のとある路地に、妖しいフォントで書かれた表札がある。


『魔法屋』


 そのシンプルかつ直球すぎる名称を見て、本当に魔法を売っていると思う客は果たしているのだろうか? もしいたとして、魔法の販売を期待して入って来られても困るのだが。


「クロノグラス……ですか?」


「ええ、持ち主の過去を見ることができる魔法道具だと聞きまして」


「分かりました。取り寄せておきます」


 客はそう言って連絡先を記入し、店を出ていった。魔法道具といっても、この店で売っているグッズは一般的なオカルトグッズで、特に占いに関係する物が多いのだが……クロノグラスか。


 最近、魔力を宿したアイテムが多く出回っている。グッズに魔力が宿っていても、持ち主が魔力を有していなければ大したことは起こらないのだが、この世には稀に魔力を持って生まれてくる者がいて、そういう者が扱うと本当の魔法が使えてしまうことがあるのだ。


 クロノグラスにも魔力が宿っている本物の魔法道具と魔力が宿っていないただのアクセサリーがある。そして先ほど予約していった客は魔法道具のクロノグラスが持つ力を求めている。だが彼は魔法使いではない一般人だ。魔力も持っていないので、本物を手にしても期待する効果は得られないだろう。


「クロノグラスってどういう道具なんですか?」


 いつものように店で冷やかしを決め込んでいた女性客が質問してきた。彼女はこの店にやってくる多くの一般客とは違い、本物の魔法使いだ。


 この店には二つの顔がある。一般人向けにオカルトグッズを売る雑貨屋としての顔と、彼女のような魔法使いに魔法を伝授するその名の通りの『魔法屋』としての顔だ。この女は最初に魔法を一つ買って以来、一度も魔法の覚え直しをすることなくずっとこの店で冷やかしをしている、冷やかしを極めし者である。


「魔法の砂時計が閉じ込められたガラス瓶だ。所持者の記憶を辿り、過去を見せることができる。あの客は自分の過去を知りたいのだろう」


 相手を魔法使いとして扱う時は魔法の師匠という立場から高圧的な口調で接する。それが相手を一人前と認めている証のようなものなのだ。魔法屋の店主をしている私は客の一挙手一投足からそのニーズを読み取り、最適な魔法を授ける魔法のソムリエでもある。その目から見て、さっきの客はどうやら忘れてしまった過去の記憶を思い出したい様子だった。


「へぇ~、他人の過去を覗き見するわけじゃないんですね」


「そんな他人のプライバシーを侵害するような道具を使うと魔法警察がやってくるぞ」


「えへへ……それで、あの人には本物のクロノグラスを売るんですか?」


 さすがに長いこと私の商売を冷やかしてきただけあって、魔法道具を求める客に私が何を思うかは分かってきているようだ。


「ああ、彼が求めている通りの物を売るさ。だがそれで彼の望みは叶わないことも説明する」


「望みを叶えてあげないんですか?」


「ここはそういう店じゃないからな」


 相手が魔法使いだったら、望みを叶える魔法を売ることができる。だが一般人には魔法を売れないし、売れたとしても使えないから意味がない。たとえ私が彼の望みを叶えたいと思っていたとしても、どうすることもできないというのが実際のところだ。




 次の日、早くも注文したクロノグラスが魔法協会から届いた。仕入れの早さがこの業界のいいところだ。魔力のある本物の他に小型で魔力の無いレプリカをいくつか仕入れたので、さっそく陳列して店を開ける。午前中は常連の占い師ぐらいしか来店しないが、彼女のためにも毎日決まった時間に店を開ける。ごく稀にだが突然魔法使いがやってくることもある。


「今日は雨が酷いわねぇ。あら、可愛いお守り」


「いらっしゃいませ。これはクロノグラスです。所持者の記憶を遡り、過去を見せてくれると言われています」


 常連だけあってすぐに新商品を見つける。彼女はTVにもよく出ている有名な占い師で、この近くに店を出しているのでこの店で占いに使うアイテムを購入していくのだ。魔力を持たない一般人だが、彼女の占いの腕前は魔法使いの私から見ても凄いと認めざるを得ないほどだ。占いといっても専ら彼女自身の鋭い洞察力と豊富な人生経験からくる推理とアドバイスを行っているので、私も世間話にかこつけて彼女に意見を聞くことが少なくない。


「自分の過去を見るの? それは素敵だけど、危うい道具ね」


「危うい……ですか?」


「ええ、人は過去には生きられないでしょ。でも人の心の中にはいつだって過去の一番素晴らしい時間が眠ってるから、未来に目を向けることより思い出に浸ることの方が魅力的に感じてしまうもの。人が占いに頼るのも、未来に不安を持っているからなのよ」


 数えきれないほどの人生を見てきた占い師の言葉は重い。未来を知りたがるということは、不確定な未来に怯えているからとも言える。未来で幸せになりたいからこそ、これからの行動の指針を得ようとして未来を占うのだ。既に確定している過去の幸せな記憶に目を向けてしまえば、不確定な未来はより一層恐ろしいものとなるだろう。


「失われてしまった記憶を知ることができるのは有用ではないですか」


 だがあえて意見してみる。これを求めている客は、過去に浸るためではなく忘れたことを思い出すために依頼してきたと感じたからだ。


「そうね、物忘れの多い人には役立ちそう。ただ、失われているならその記憶が本当に必要なものなのかは分からない。それは未来の代わりに過去を占うようなものかもしれないわね」


 彼女はその行為を肯定はしないが否定もしない。ただ、失われているならそれが必要なものかは分からないという言葉は深く胸に突き刺さった。




 午後になると、すぐに例の客がやってきた。クロノグラスが入荷したと連絡したら昼過ぎに取りに来ると返事があったのだ。今日は平日なのだが、大丈夫なのだろうか。あまり期待されてもこの道具で過去を見ることはできないのだが。


「昨日の今日でもう入荷するなんて、早いですね」


 客は笑顔でそう言い、クロノグラスの代金を懐から取り出した。本物の魔法道具ではあるが、値段はそれほど高くない。小型のレプリカと比べれば倍の値段になるが、サイズの違いで納得できる範囲だ。


「うちは仕入れの早さが売りですから」


 営業スマイルでクロノグラスの入った箱をカウンターに乗せた。男性は箱に目を落とし、しばし黙り込む。私は商品を渡す前に最後の注意事項を述べた。


「これは所持者の記憶を読み取って過去を見せる魔法がかけられた魔法の道具です。ですが、その力を使うためには所持する人自身が魔法を使えないといけません。魔法の使えない人には、これはただのアクセサリーにしかならないでしょう」


 それでも買うか、それともここで購入を思いとどまるか。男性に選択の余地を与える。お前には使えないから売らない、とは言わない。客の中には自分が修行して魔法を使えるようになると思っている者もいて、その夢を壊すようなことをするのはオカルトショップの店主としては好ましくないからだ。客は笑顔で代金をトレーに乗せた。


「私には使えないんですよね、分かっています。それでも、私はこの道具が欲しいのです」


「分かりました。どうぞお受け取り下さい」


 納得の上で購入するというなら、これ以上私から言うことはない。彼には必要なものなのだろう。


「……私の話を聞いてもらえますか?」


「ええ、構いませんよ」


「ありがとうございます。私が中学生の頃、一度だけ顔を合わせた女の子がいました。その子は白血病を患っていて、あまり長くは生きられないと親御さんが言っていました。ただ、本人は笑っていたことを覚えています」


 なるほど、その子のことで何かを思い出したいのか。男性は一度息をつくと、続きを話し始めた。


「それから少しして、その子が亡くなったことを親から聞きました。あんなに元気で笑っていた子が、あっという間に命を落としてしまったと聞いて、私はまるで実感が湧きませんでした。それをきっかけに医師になることを目標にして勉強をし、医学部を目指したのですが力及ばず。経済的な理由もあって医師になることを諦め、代わりに白血病の治療に関わることもある診療放射線技師になりました。骨髄バンクにドナー登録もしました」


 力及ばず医師になれなかったと言うが、恐らく経済的な理由の方が大きいのだろう。それでも国家資格の必要な医療従事者になってまで白血病の治療に関わろうとするのは立派なものだ。


「ある時、骨髄バンクから連絡が来ました。ある白血病患者のドナーになるために検査を受けて欲しいと。私は休みを取って数回ある検査を受けて合格し、コーディネーターとも話して完全にドナーになるつもりでした。ですが、数日後に来た電話で私の骨髄はよくあるタイプなので適合者が何人もいて、他の人にドナーになってもらうことになったと言われました」


 そういうこともあるのか、意外だな。よく聞く話では奇跡的に適合者が見つかって……みたいなケースが多いので適合者はそうそう現れないものだと思っていた。


「何故でしょうね、その時になって初めて、あの白血病で命を落とした女の子のことを思って涙を流したんです。それまでは医療を志すきっかけではあったものの、特に意識もせず悲しいと思ったこともなかったのに。それで、改めて女の子の顔を思い出そうとしたらまるで思い出せないんですよ。笑顔だったことだけは強く覚えているのに」


「そういう事情だったんですね。お力になれず申し訳ありません」


「いえ、いいんです。人間の脳は記憶を忘れてしまうのではなく、どこか奥深くにしまってしまうものだと聞いています。彼女のことを忘れずにいれば、いつか何かの拍子に思い出すかもしれません。このクロノグラスは彼女のことを完全に忘れ去ってしまわないための、意思表明みたいなものです」


 男性はクロノグラスを受け取ると会釈をして店を出ていった。きっとこの店に来ることは二度とないだろう。占い師の彼女が言うように、人は過去には生きられない。彼も過去に囚われている部分があるようだが、前を向いて進むための原動力としているに違いないと話を聞いて思った。


 今回ばかりは占い師の懸念が当たることはない。そう願わずにいられなかった。


「見て見て、クロノグラスだってー」


「きれーい!」


 おっと、もう普段の客層がやってくる時間帯になっていたようだ。新商品を見ながら友達同士で談笑している少女達を見ていると、先ほどの話に出てきた白血病の女の子を意識してしまう。彼はあの女の子に、この客達のように笑って過ごす未来を与えたかったのだろう。


 魔法屋が売る魔法には、奇跡のようなものも数多くある。だが本当に人の世を支えているのは、魔法の力などに頼らず人の幸せを守る、彼のような人々なのだ。

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