ブラックデー
東京・渋谷のとある路地に、妖しいフォントで書かれた表札がある。
『魔法屋』
そのシンプルかつ直球すぎる名称を見て、本当に魔法を売っていると思う客は果たしているのだろうか? もしいたとして、魔法の販売を期待して入って来られても困るのだが。
「もうすぐホワイトデーだな」
誰もいない店内で、独り言を口にした。女性客が多いせいか、バレンタインにチョコを渡してくる客も少なくない。なんといつも何も買わない冷やかしマスターすらチョコを持ってきたのだ。
私も伊達に人を見る仕事をしていない。彼女が義理で渡してきたのではない事は解っている。いつも冷やかしに来るのも私に会うためなのも知っている。
だが、彼女の気持ちは愛情とは程遠い。ある種の憧れのようなもので、男性として恋愛対象になっているわけではない。彼女の『好き』はloveではなくlikeといったところだ。
そんな相手から貰ったチョコのお返しに何を贈ればいいのか。客に見合った魔法を選ぶソムリエでも、自分が贈るのに最適なホワイトデーのお返しなどは思い付かないものだ。
「おはよう! ねえねえ知ってる?」
いつにも増して騒がしく入ってきたのは常連の占い師だ。彼女は普通に義理チョコをくれた。噂話の好きなおばさんだが、人気の占い師なだけあって彼女の噂は馬鹿にならない情報源になる。
この店は『魔法屋』という名前だが、主に占いグッズなどを販売するオカルトショップなのである、表向きは。そのため彼女のように占いグッズを買いに来る女性客が多いのだ。
「おはようございます。どんなお話ですか?」
「三月十四日はホワイトデーじゃない? それでね、韓国では四月十四日はブラックデーって言うんだって!」
ブラックデー……ホワイトデーがどんな日か考えたら、あまり楽しいイベントではなさそうだ。
「んふふ、知らないって顔をしてるわね」
彼女は客の顔色を見て事情を察するプロだ。私の考えている事もお見通しなのだろう。これで本物の魔法使いではないのだから、人間というのは不思議なものだ。
「ブラックデーには、バレンタインデーとホワイトデーを一人寂しく過ごした独り身の男女が真っ黒な服を着て、チャジャンミョンっていう黒いジャージャー麺を食べるそうよ」
なんだろう、凄く
「それがね、この日に黒い麺を食べているから独り身だってアピールになって、新たなカップルが誕生したりする日なのよ」
ああ、なるほど。恋人募集中のアピールを堂々と出来る日なのか。なかなか面白い発想だな。
三月十四日。午前中に来た占い師にはクッキーを渡しておいた。早い時間にはあまり客が来ないが、夕方ぐらいになると若い女性客が増えてくる。
「はい、どうぞ」
何と言っていいかわからないので、素っ気なく包みを渡す。最近はマカロンを贈るといいと客のおじさんに聞いたので、近所の洋菓子店で買ってきたのだ。他のチョコをくれた客にもクッキーを渡していく。包みは全てうちの店のものなので、開けなければ中身の違いはわからないだろう。
それにしても店の店主と客がプレゼントのやり取りをするのはどうかと思う。
「ありがとうございますっ!」
どうやら喜んで貰えたようだ。正直面倒くさいので私もブラックデーに参加する側に回りたい。
客の女の子達は誰がチョコをくれたか完璧に覚えている事に驚いていた。もちろん覚えているわけはないが、魔法を使えば簡単だ。
「あれってどんな魔法ですか?」
他の客がいなくなると、冷やかしマスターが質問してきた。
そう、この店は表向きはオカルトショップだが、本物の魔法使いの前でだけ真の姿を見せる。彼女のような魔法使いに必要な魔法を教えるのが魔法屋の商売なのだ。
「あれは『
「私のは義理じゃないですよ」
「はいはい」
そんな主張はいいから、たまにはこの便利な魔法を買ってみようと思わないのだろうか。彼女は『
そんなわけで、魔法を忘れさせる技術も重要な商品になってくる。
冷やかしマスターが帰ると、今度は私にマカロンの事を教えてくれたおじさんがやってきた。彼をおじさんと呼ぶのは、敬意と親愛の現れである。
「今日は『解析』の魔法を売ってください」
彼ほどのベテランになると、自分から欲しい魔法を示す事もある。だがこちらも責任があるので、ある程度事情は聞いて本当にその魔法が最適なのかを確認しておく必要がある。
客の事情に立ち入ってはならないが、必要な魔法を見極めなくてはならない。魔法のソムリエは非常に難しい立場なのだ。
「実は、バレンタインデーにバーチャルチョコを配ったら大量のお菓子が郵送されてきまして。せっかく貰ったのだから、毒物でも入っていなければありがたく頂こうと」
さすが人気のバ美肉おじさんだ。ファンの大半は中身がおじさんだと知っているのだが、それでも人気は衰えない。むしろそれが人気の理由にもなっているぐらいだ。バーチャルチョコというのがなんなのかわからないが、まあバーチャルなチョコなんだろう。
「大変だな」
心からの言葉と共に、彼が求める魔法を教えたのだった。
おじさんが帰ると、今度は青年がやってきた。一日に三人も魔法使いが来るなんて、珍しい事もあるものだ。
「韓国のブラックデーという日をご存知ですか?」
ご存知だ。まさかこの有能男がブラックデーに参加するのか?
いや、この表情からすると観光にいくわけではなさそうだ。
「ああ、知っている。今度はそこで仕事か?」
彼はどこかの組織に雇われて任務をこなす、腕利きの魔法使いだ。ブラックデーを利用して何かをしようとする連中がいるのだろう。
多くの男女が黒い服を着て黒い麺を食べる……ふむ、紛れ込むのにはうってつけだな。
「これも『解析』だな……」
私の呟きを耳にした青年が驚いた顔をする。
「もうわかったんですか!? さすがですね」
常連客ともなれば、単語一つで何をするのかわかる事もある。今回は私が事前にブラックデーの詳細を知っていたから話が早く済んだのだ。やはり噂話は馬鹿に出来ない。
「念のために説明しておくが、この魔法は様々なものを解析する。同じ格好をした集団の中から異質な人物を見つけたり、食べ物に異物が混入されているのを見つけたりも出来る」
「間違いなくそれです!」
こうして青年は意気揚々と『解析』を覚えて帰っていった。
「ねえねえ聞いた?」
いつものように、占い師のおばさんが噂話を持ってきた。もう四月も終わりに近づき、気温も高くなってきている。
「韓国で新興宗教が一斉摘発ですって! 麻薬を使って若い信者を集めようとしていたそうよ」
麻薬か……黒い麺にでも混ぜようとしたのだろうか?
それとも、独り身仲間を装って勧誘していたか?
「今日はどうします? 新商品も入荷しましたよ」
どこで何が起こっていようと、私はただ商品を売っているだけなのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます