ナイフとモーフ

譜久村 火山

ナイフとモーフ

 「おい、拓。お前、優海ちゃんのこと好きなのか?そんなに見つめて」

 前の席の健太がニヤニヤしながら言ってくる。

「別に見つめてねぇーよ。そんなことより、お前は奈々ちゃんとイチャイチャしてろ、馬鹿」

「へぇーへぇー。あー怖っ」

 そう言って、大袈裟に腕を抱えた健太を無視して、俺は席を立つ。

「おい、もう授業始まるぞ」

「馬鹿、俺が伊藤の授業に出るわけねぇーだろ」

「なんだよ、またカッコつけてサボりかよ」

「あ?」

「はいはい、悪かったよ。行ってこい」

 それには反応せずに、俺は教室を出た。

「どこに行く?」

 でかい三角定規とコンパスを抱えた伊藤が廊下で声をかけてきた。

「もう授業始まるぞ」

 俺は答えず、ただ睨みつけて伊藤の脇をすり抜けた。

「おいっ、待て」

 と伊藤の声が後ろから聞こえるが、追ってくる気配はなかった。


 屋上ですることもなく寝そべりながら秋の空を眺めていたら、授業の終わりを告げるチャイムが校内に響き渡った。今日はいつもより雲の流れが早い気がする。俺はため息をつく。またなんとなく時間が過ぎていく。俺の心はまだ満たされてないままだ。

 俺は何をやっても満足できない。

 小学生の頃はサッカーに熱中していた。県大会でも結果を残すほどは強いチームでエースを務めていたときは、今よりもは充実していたはずだ。でも、あの頃の輝きはもう俺のどこにも見当たらない。友達とバカなことをやって、大声をあげて笑っても、心の中はずっと静かだった。

 昔はポケモンやドラえもんの映画でも涙を流していたのに、今はどんな物語でも心動かされることはない。ホラーを見てもなんとも思わないし、アクションを見ても、俳優がかっこいいなくらいにしか思わなくなった。感動を売りにしている映画なんて退屈以外の何ものでもない。

 最近は夜遅くまで、街をぶらぶらするようになった。特に意味はなく、家にいるよりはちょっとマシなだけだ。それでも俺の心の100分の1も満たされない。

 どんなに過激なことをして、刺激を得ようが、俺の心は何も感じなくなってしまった。こういう奴の事を、クズって言うのかもしれない。

「へぇー、屋上ってこんな感じなんだ」

 透き通るような声に、俺は思わず上半身を起こす。そこにいたのは、優海だった。

「何しに来た」

 自分でも驚くほど刺々しい声が喉から発せられた。

「そんなに警戒しないで。伊藤先生が、次に授業に出なかったら単位をあげないって言ってたのを伝えにきたの」

 優海は今回の席替えで俺の後ろの席になった。今まであまり喋ったことはなかったが、良い奴なのは見ていれば分かる。女子高校生らしくきらきらせず、穏やかにただ思いやりを持って日々を過ごしている奴。長い黒髪のロングヘアーはいつも綺麗だった。

「あいつは口だけだ」

「そうかな〜。今日は結構怒ってる感じだったよ」

 彼女は興味深そうに屋上を見回しながら言った。

「ここ、立ち入り禁止って階段のところに書いてあっただろ」

「自分も入ってるくせに」

「たしかに、そうだな」

 俺は笑った。でもこれは心からの笑いなのか?

 優海が屋上見学をやめて、俺のところに歩み寄ってきた。

「戻ろう。次の授業、始まるよ」

「嫌だって言ったら?」

「無理矢理連れてく」

 その言葉通り、優海は今にも俺の腕を引っ張っていこうとしていた。

「ちょっと待て。あんな授業に受ける意味があると思うのか?」

 ここは県内でも有数の進学校だ。入る前は、頭の良い奴がたくさんいて、教師陣も面白い奴らで、刺激の多い高校生活が待っていると思っていた。でも実際には馬鹿ばっかだ。課題を出しとけば仕事をやっていると勘違いしている教師や、生徒のためを装って自分のことしか考えてない教師。青春を捨てて、馬鹿真面目に勉強しているのに、古臭い非効率的な勉強方を変えられずに、成績が伸びない優等生。意味のわからない校則。何もかもつまらなかった。

「面白くないときもあるけど、授業を始めようとしても誰も教室に居なかったら先生がかわいそうでしょ」

「じゃあ、お前がいれば良いだろ」

「だめ。せっかく拓君賢いんだから、授業に出てくれたら私たちの勉強にもなるの」

「俺が賢いんじゃなくて、周りが馬鹿なだけだ」

「レベち」

 唐突に発せられた三文字が、何を意味するのかとっさに俺は分からなかった。

「一回使ってみたかったんだよ、この言葉。かわいいでしょ。拓君はレベちで賢い」

 そんなふうに純粋に褒められれば、嫌な気はしなかった。


 それから俺の日常は少しずつ変わっていった。無理に大きな笑い声を出さずとも、自然と笑みが溢れることが増えた気がする。そして俺は優海に惹かれていった。それでも、俺の心はまだ満たされないままだ。

 家に帰ると、前にも増して一人でいるのが苦しくなった。気がつけば、俺が優海と話せるのは学校だけだ。連絡先すら交換していない。親もまだ帰って来ていなかった。帰ってくるのかも、分からない。

 いつもは勉強を苦と思うことはなかった。知らない事を知るのは、成長につながる。なのに教室では、めんどくさいや大変と言った愚痴が蔓延っている。それもつまらない。

 だが今日は俺も勉強に身が入らなかった。いつもなら数学の問題を解き始めればすぐに没頭して何も考えずに済むのに、今日はいつまで経っても上の空だ。

 それでも2時間くらいは机の前に座り、日をまたごうとしていた頃、ベットの上でなんの気になしにラインを開くと、クラスラインで文化祭の出し物について議論されていた。

 そこにサラッと「射的」とだけ優海が、案を出していた。

 そして俺は無意識に、その漢字でかかれた“優海“の文字を押す。画面に表示された彼女のプロフィールの背景には、イケメン俳優の首から下だけをアンティークな雰囲気で収めたエモい写真があった。メッセージを書き込む欄は、絵文字でさくらんぼがひとつ描かれていただけだ。そこまではなんの問題もなかった。

 だが彼女の設定している音楽を見て、無意識にそれをYouTubeで検索してしまう。ヘッドホンをつけて、そこから流れてくる男性の優しく訴えかけるような声を聞いた瞬間だった。

 窓の外の信号が、赤から青へと移り変わる。

 俺は胸を鋭いナイフで刺されると同時に暖かいモーフで包み込まれたような面白い感覚を味わった。

“もしもまだ命があるのなら、誰かのために死ねるだろうか“

 その歌詞が強く頭と心に響く。そんなこと考えたこともなかった。いや、昔は誰かのためを想って生きていた。しかしいつしか俺は、自分にとって損か得かだけで物事を判断するようになり、忘れていたのだ。この歌はそんな人間が本質的にもつ優しさを、胸の奥底から抉り起こしてくるような詩だった。俺が聞いてきた音楽とは真逆だ。俺はずっと刺激を求め、より過激で暴力的な音楽を求めていた。もちろんときにはそういう音楽も必要だと思う。でも俺が探し求めていたのは、こんな歌だった気がした。

 そしてそんな歌を自然と愛することができる優海に、強く惹かれてしまう。

 途端に胸が苦しくなってくる。今すぐ優海と言葉を交わしたかった。どうしたらそんな風に生きられるのか。誰かのことを想うことができるのか。知りたいことは山ほどあったし、俺のことも知って欲しいと思った。

 辛い。この苦しみは辛いと言いようがなかった。好きすぎて辛いという意味を深い実感とともに初めて理解する。

 俺もこんな想いやりのある人になりたいと思った。それは優海に好かれたいという意図もある。だけど、俺のこの空虚な心を満たすにはそれしかないと確信した。

 そしてこの気持ちを優海に伝えたい。失敗しても良い。挑戦することに価値がある。周りがどんな反応を示そうと、恥ずかしい思いをしたとしても俺はこの想いを優海に伝えなければならない。でも、俺はナイフだ。優海を傷つけるかもしれない。いや、違う。それは今までの俺だ。人は変われる。俺も変われる。絶対に優海だけは傷つけてはならない。全ての人を想いやりという温かいモーフで包んでくれる彼女を、俺は決して切り裂かない。そうやって優海に想いやりを持つうちに、すべての人に同じことができるようになる。俺のやりたいことは決まった。

 まだ何も曲の入っていないプレイリストに、“やさしい歌”がひとつ追加された。


 

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ナイフとモーフ 譜久村 火山 @kazan-hukumura

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