13.空挺騎士は眠れない

 どうやら、第一皇女は無事だったらしい。

 疲労でぐったりしてはいるが、外傷はないとか。


 捕獲ネットから外してもらいながら、ヤコウに聞いた話だ。

 悪ガキだと思ってたけど、手つきが案外丁寧で、なんだかそういうところもシィランに似てるような気がした。

 なんなら、仕事中にぺらぺら喋るのが好きなところも。


「……という状況ですよ。とにかく、第一皇女殿下が御無事でなによりでした」

「ふぅん、貴族のあんたもそういうこと言うんだ」

「バカにしてます? そりゃ言いますよ。超高高度はオレたちのフィールドだ。オレたちが護衛やってるってのに、いくら庶民派で貴族層に人気がない皇族だって、危ない目にはあわせられないですよ」

「なるほど、思ったより仕事熱心なんだね。そういうとこもシィランによく似――」

「――今すぐ殴られたくなきゃ、そのうるさい口閉じてもらえます?」


 どうやら、ケンカっぱやいところは唯一似てないみたい。

 シィランときたら、僕がいくら煽っても本気でキレることなんてなかったし。


 ちょうどいいタイミングで、最後の糸が外れた。

 僕は急いで、脇に止めたリグレットに飛び乗る。


「怖い怖い。黒百合騎士団ヴェンデッタナイツって、そういう熱くなりやすいタイプ、多いの?」

「……お前にだけは言われたくないがなぁ」


 下で、目標を捕獲していたロイがこちらを見上げている。


「僕? 君よりは大人しいでしょ」

「大人しいという言葉を辞書で引いてみるといいぞ。少なくとも、お前が思っているお前とは違うはずだ」

「じゃあ、冷静」

「同じことを二度言わせるな、つまらんから。それより、事務所に戻るならいくつか持って帰ってほしい機材がある」


 がしゃん、と手錠の音がロイの手の中で鳴った。

 目標がゆっくりと顔を上げ、昏い瞳が僕を見上げる。

 僕の視線に気づいて、ロイもまた男の顔にちらりと目を向けた。


「ああ、こっちの捜査は我々に任せておけ。第一皇女の護衛はお前たちの任務だったが、今回の救出は我らの任務。その中で捕獲した犯罪者は我らの管轄だぞ」

「わかってるよ。別に僕は――」

「――テメェら、遊んでられるのは今のうちだぞ。誰も彼も浮かれやがって。どっちの皇女が選ばれようが、どうせ皇族ってヤツらがいる限り変わりゃしない。いずれわかるさ。あいつらどうせ、おれらの金を食いつぶすことしか考えてねぇ。だからあのお偉いさん方に吠え面かかせてやるんだ。シーフォス伯爵は、皇族を捕まえるたびに金を出すと言ったしな」

「ふむ、シーフォス伯爵が関与している件、どうやら証人ができたようだ」


 青ざめた顔で、ロイはだけど、確かに唇を歪めて笑った。

 顔色が変わったのは、その自分勝手な論理にかつての記憶をかき乱されたからだろう。

 自分だけの正義を標榜し、暴力でなにかを変えようとする物言いは、いかにもテロリスト。

 僕も反射で殴りかかりそうになったけど、その手をふと止めたのは、引っかかることがあったからだ。


 跨ったリグレットのアクセルを回すと、はっとした風にロイが顔を上げた。


「おい、幼馴染殿」

「思い出したことがあるんだ。ちょっと行ってくる」

「なにを勝手な。事務所に持って帰ってくれと――おい、聞いておるのか!?」

「じゃあね、ロイ。……色々助かった、ありがと」

「――おい、今なんと言った?」


 面食らったロイの顔を見ないまま、僕はブレーキを離した。

 銃弾のようにその場を飛び去ったリグレットからは、周りがどんな顔をしてたかなんて見えなかったし……たぶん、絶対見なくていいし。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 誘拐犯の手から救われた姫君は、幌騎車キャリッジの窓際で静かに首を垂れていた。

 そちらへリグレットを寄せようとした途端、周囲を警戒していた護衛兵たちが一斉に僕へと銃口を向ける。服装からして、たぶん空挺騎士エアロナイツじゃない、地上で皇族を護衛している近衛騎士プリンセスナイツだろう。


 僕は黙って両手を挙げた。

 騎士の一人が僕を誰何しようとした瞬間、キャリッジの扉が開いて、第一皇女シドレッタ殿下が顔をのぞかせた。


「あなたは、青薔薇騎士団アプローズナイツの……?」

「はい、クラウスです。皇女殿下にお尋ねしたいことがあって」


 顔をおぼえていてもらえたのは幸運だった。

 本人の許可がなければ、近寄ることさえ許されないだろうから。

 まあ、近寄れはしても、周囲のぎすぎすした空気は緩まない。むしろ、僕の正体がわかったことで、騎士たちからは、なお厳しい目が向けられてくるまである。


「……アプローズナイツと言えば、皇女殿下をテロリストたちからお守りすることもできなかった空挺騎士だろう。そいつらの一人が、今頃なにを話しにきたのやら」

「どうせ、守れなかった言い訳かなにかだろう。とりなしてほしいのさ」

「これだから最初から、我々近衛騎士に任せていればよかったんだ」


 聞こえるか聞こえないかの当てこすりを、皇女殿下は苦笑いで聞き流した。

 彼女は僕の味方ではなく、そして――同時にどうやら彼らの味方でもないようだ。

 僕がリグレットの車体を寄せると、シドレッタ殿下は声を抑えてくすくす笑い始めた。


「あなたがここへ来るのは、少し予想外でした」

「誰が来ると思ってましたか?」

「あの、回転の早い隊長さんか、それとも不正を見過ごせない副隊長さんかと」

「僕なんかにはどうせバレないだろうって?」

「いいえ、あなたは……たぶん興味がないのだろうと思っていました。こういった、誰が黒幕だとか、これからどうなるだとか?」


 薔薇色の唇から吐き出された言葉に、僕は曖昧に頷き返す。

 まあ、その評はだいたい間違いじゃないし。


 シィランはアイギスを装備していた。

 それだけで十分に攻撃を防げるだろうと判断されたからだ。

 エクリュ隊長のもともとの指示に加え、皇女が事前に渡した計画を見てさえ、テロリストたちがそれ以上の威力をパレード中のキャリッジにぶつけてくるとは思われていなかった。

 だけど、実際は――こうだ。


 ならばそれは、わざと穴を開けて渡された計画なのだろう。

 皇女ごと騙されたのか、それとも騙されたのは僕らだけか。

 シドレッタ殿下のこの笑みを見る限り、どうやら後者が正解らしい。


 なにもかもわかっていて、この皇女殿下は僕らにわざと失敗させたんだ。


「そんなあなたが、ここへいらしたのは、どうしてかしら?」

「あなたを守ろうとしてシィランが、青薔薇うちの副隊長が片手を失いました」

「存じています。戻ってすぐに、その報告は受けましたから」

「僕はあなたの言うとおり、正義とか悪とかはどうでもいい人間ですが――飛べなくなるのは困ります。だから」


 皇女は、少しだけ痩せて頬がこけたように見える。

 テロリストたちに囲まれた生活は、やはり大変ではあったのだろう。

 ――たとえ、本人がなにもかも企んだものだったとしても。


 僕の視線を受けて、シドレッタ殿下は鷹揚に頷いた。


「安心してください。あなたから空を奪うつもりはありません。どうしても心配だと言うなら、今回の件をきっかけに、この後なにが起こるか、あなたにだけお話しておきましょう」


 その声は、なにもかも見通す巫女の託宣のように確信に満ちている。

 実際、そこまでの道筋が彼女には見えてるに違いないんだろうけど。


「私の身柄を取り返したとは言え、失態は失態。これを機に空挺騎士団は解体されます。ですが、解体されたものは組みなおされるもの。あなた方は以降、近衛騎士の一部門として皇族の管轄におかれます」

「……それが目的だったんですか?」

「ええ、半分は。超高高度の開発が進んできた現在、ここの治安維持を皇族の管理できない別系統に任せておくことは、将来的な危険を生むと考えましたから」

「では、もう半分は?」

「欲しい人材を探していました。超高高度の治安管理をお任せできる、そういう方々を。あなた方青薔薇騎士団アプローズナイツは、私の期待通りの才能をもっています。副隊長さんのことは残念でしたが……」


 一瞬、目を伏せたシドレッタの頬に、昏い影が落ちる。

 その影の正体を僕が見極めるより先に、殿下は、ぱっと花がほころぶように笑った。


「でも、今はいい義手もありますよ。きっとすぐに飛べるようになりますし、それまでの生活は傷痍軍人としてきちんと保証します。空に戻れば、今よりずっといい待遇を受けられるようになりますから」

「あんた、最低ですね」

「よく言われます。でも、こういう性格でなければ、女帝になろうなんて思いませんから」


 笑顔には一分の隙もない。まるで仮面を貼り付けたみたいに。

 シィランのことを思えば絶対に許せないのに、僕にはなにより理解できてしまった。

 生まれたときから彼女には、こうなる以外の道がなかったんだって。


 同じように、ああなる以外の道がなかった男を、僕は知っている。

 侯爵家の三男に生まれたせいで、絶望くらいじゃ自分から死ぬこともできず、けど目の前の悪を見過ごすこともできなくて――結局あいつは、ああして今日も飛び回ってる。


「で、これぜんぶ聞いた僕はどうなるんです。事故を装ってこっそり殺されるんですか?」


 割と覚悟したつもりの質問は、だけど一笑に付されて終わった。


「そんな訳ないでしょう。言ったじゃないですか、必要な人材だと」

「……必要、ねぇ」

「ええ、ぜひとも今後は私の傍で、私を守っていただきたいと思っています」

「あんたが最低の人間だって知ってるのに、僕がそうするとでも?」

「あなたは、他の道を選びませんよ。だって、それ以外に空を飛ぶことができないから」


 皇女の滑らかな指先が、とん、と僕の額を突いた。

 白く美しい肌は、だけどよく見ると黒いインクの染みがいくつもついている。


 大した力でもないけれど、浮遊しているだけのリグレットにとって重さは関係ない。触れた反動で、僕と彼女の間にゆっくりと距離が空いていく。

 僕の目に映った手のひらのインクを、彼女の瞳が確かに捉えた。

 シドレッタ殿下は一瞬頬を赤らめ、そして何事もなかったかのようにキャリッジの扉をガシャンと閉めた。


 キャリッジがエンジンを吹かして出発する。

 プリンセスナイツがその後を追って去ってしまうと、広い広い空に残されたのは、ただ僕とリグレットだけだった。


「……だから、ただ空だけ飛んでたいって言ってるのに」


 微かに額に残った指の感触を、改めてなぞる。

 それはひどく甘やかで、そして苛立たしい。


 彼女の思い通りになるのも嫌だが、空を飛ぶのを諦めることもできない。

 それに、少しだけ――ほんの少しだけ、彼女が生きていてくれてよかったと思う気持ちは変わっていないし。


 となれば、僕にできるのは近衛騎士として働いて――働きながら隙を見て、そう、帝国の転覆でも狙ってやろうか。

 シドレッタが皇女としてあるせいで、あんな風な生き方しかできないのだとしたら、血統なんて関係ない世界になればいいだけだ。


 辺りを見れば、なにもない空は、どこまでも透明で。

 なのに、ちらりと下を見れば、そこにはたくさんの人がそれぞれの欲望を抱いて動き回っている。

 どんなに飛んでも逃れられない重力で、僕らは下へ向かうしかない。


 全開のエンジンで、さあ、僕はどこまで飛べるだろう。

 ああ、今日も――空挺騎士は眠れない。

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空挺騎士は眠らない 狼子 由 @wolf_in_the_bookshelves

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