12.認めたがらない空挺騎士
右へ左へ、縦横無尽に前を行く
狭い路地を、ワイヤーを使って、壁ぎりぎりをすり抜けていく。
射出と回収のタイミングを間違えた瞬間、ものすごい勢いで壁が迫ってきて、僕は慌ててブーツの踵で蹴った。
一瞬の抵抗ののち、なんとかリグレットの側面を擦っただけで路地を抜けきる。
だが、安堵する間はない。
相手の騎馬操作は、残念ながら現時点の僕より上だ。
絶対に認めたくなかったことを心の中で認めてしまえば――僕の胸の中で、なにかがことりと音を立てて、溶けたような気がした。
本当は溶かしたくなかったなにかは、たぶん怒りとか憎しみとか……あるいは、意地とか言われるものかもしれない。
誰かのせいだと押し付けて、憎んでいたかった。
それこそが僕の戦う理由だったから。
だが、目の前の相手と戦うには、それじゃもう足りない。
意地だけじゃダメだ。
足りないから、そう――増やせばいい。
前方を行く騎馬が、急ブレーキをかけた。
慌てて旋回するヘルメット越しに、行く手を阻む男の姿がある。
黒い騎馬とその
「詰めが甘いぞ、幼馴染殿?」
「残った手は、君が詰めてくれると信じてたんだ」
「ふむ、軽々しく嘘をついた――訳でもないようだな。重畳、重畳」
にやりと笑った車体が、大きく尻を振って男を追う。
「まったく。死にたがりの疑われたがりの譲りたがりめ。お前のようなやつを部下に持つなど、上司は過労死必須だな。同情するぞ」
「なんだよ」
「さっさと行け、ということだよ」
アクセルを開ける瞬間、チェーンオイルに汚れた白い指が、ハンドサインを残していった。
『先回りしろ』――どうやら、自分が囮になってあいつを追ってくれる気のようだ。
いつもなら憎まれ口の一つも叩くところだ。
だが、まあ……もう、ロイは行ってしまった後だし。
今回くらいは、黙って言うことを聞いてやってもいいだろう。
ロイの背中に小さな敬礼を捧げてから、僕は
身体を押し下げる空圧も、
飛び上がり、そして真下を向いた瞬間――僕の目に世界が飛び込んできた。
超高高度から地上まで、人間が生きて生活するすべての場所――僕のフィールドだ。
まっすぐに降下する。
狙うは目標、その真上だ。
目標の騎馬に、僕のリグレットの影がかかる。
遮られた陽光に、ヤツが上を向いた。
バイザー越しに、僕とヤツの目が合う。
後ろから追いすがるロイ。
降下する僕。
両方を振り切ろうと、ヤツがアクセルを回し――そして、その手が途中で止まった。
再びの急旋回。
斜め上から降ってくるネットを避けようとしたせいだ。
上を見上げたヤツの目には、たぶん九時方向に建つビルの上から、睥睨する男の姿が見えているはずだった。
僕に見えているのは、風になびく青みがかった銀の髪と、その横に停車されたメタリックカラーの騎馬。
「――エクリュ隊長!」
真横をすり抜ける瞬間、見下ろす冷ややかな目が僕を刺した。
「煽りたがりで、目立ちたがりで、悔しがりのクラウス。ここまで来たんだ、最後まで落ちてみせろ」
一瞬すぎて不確かだけど――その唇が、微かに緩んだ気がした。
礼を言う暇もない。
あっという間に遠ざかっていく隊長の姿を尻目に、僕は更に目標へ近づいた。
路地の左右には壁が迫っている。
後方をロイに、前方は隊長に、そして上から僕が降下する。
空いた場所は――下。
同時に同じことを思いついたらしい。
エンジンも浮力も切った目標の騎馬が、急降下を始める。
僕の方が既に速度は乗っている。
だが――地上に墜ちるまでに間に合うか……?
少しばかり焦っている。
そう自覚した瞬間に、気持ちを立て直すより早く、騎馬の上から銃口がこちらを向いていた。
――前回も、これで逃げられた。この直後のターンで熱くなって、その隙を突かれた。
だから、今度は別の手を取る。
「――死に逃げなんて許すもんか。受けてみやがれ、クソ野郎が!」
口汚く罵りながら、ワイヤーを射出する。
その先が、目標の騎馬に突き刺さる。
目の前の騎馬の上で男が、バイザーの向こうで目を見開くのを、確かに見た。
僕は、絶対に踏まないと決めていたブレーキを踏んだ。
目標をこの空に留めるためのブレーキを。
二台分の重さがリグレットにかかっている。
繋がっている僕らは、落ちるならば諸共となる。
まるで、地獄に向かってぐいぐい足を引っぱられるみたいだ。
なんとか空へ残ろうと喘ぐエンジンに、僕はありったけの
地上が近づいてくる。
止まらない。
風を切る音がやまない。
どうか――と祈る僕の身体を、真横から吹っ飛んできたなにかが、ビル壁へと貼り付けた。
捕獲ネットだ、と気付いたのは、磔になった自分とリグレットを確かめてからだ。
射出した騎士はロイか、それともエクリュ隊長か――見上げれば、ちょうど外したヘルメットの隙間から色素の薄い癖っ毛がこぼれだしてきたところだった。
「……あんたは、えっと」
「名前くらいおぼえてくださいよ、先輩。ヤコウ――ヴェンデッタのヤコウです」
「ああ、シィランの弟の……」
「そっちの名前は思い出さなくていい」
ぴしゃりと告げたヤコウは、僕をおいて手早く目標に近づいていく。
「こないだはゴミ箱の中から逃げたらしいけど。今回は、さすがに壁からは逃げられないでしょ」
「君、どうしてここへ? さっきまで皇女救出で建物の中に踏み込んでただろ。ヴェンデッタのメンバーは、全員ロイの指示でそうしてたじゃないか」
「……頼まれたことがあったんですよオレに連絡なんて絶対してこない、血しか繋がってない兄さんから」
「頼まれたこと?」
ところで僕は、ねばる糸で壁にくっついたままなんだが、いつ助けてくれるんだろう。
そんな思いを込めてヤコウを見たけれど、彼はただ僕を恨めしげに見ているだけで、手を出してこようとはしない。
問うまで喋らないつもりらしい。
僕はため息をついて、口を開いた。
「それで、シィランはなんて?」
「……あなたを助けてほしいって。あなたはこんなところで死ぬべきじゃない、いつか自分よりよっぽど速く飛べるはずだからって」
唇を噛んで、そっぽを向く。
その仕草を僕は最後まで見守りはしなかった。
だって、僕の方も、空を見上げるのに忙しかったから。
上を見てないと、なんだか無意味に顔が赤くなったり、涙が落ちたりしそうで。
「本当に、あなたってひとは……あんなに兄さんに可愛がられてるのに、隠したがりで、ひねくれもので、そしてなんにも言いたがらないんだから」
「別に、可愛がられてなんかいない」
「じゃあ、兄さんはなんでオレをここに来させたんだよ。この件以外で連絡なんて受けたこと今までなかったぞ」
「絶縁状態の兄上から連絡貰ったからって、命令違反の汚名覚悟でひょいひょい来る方もどうかしてると思うけど?」
「そんなのは、オレにとっては――」
「――大問題だな、ヤコウ。ま、手柄を立てたってことで差し引きゼロにしてはやるが」
無音で背後に寄せたエアロバイクから伸びた手が、ぽん、とヤコウの肩を叩いた。
振り返ってロイの朗らかな笑顔を見たヤコウが、びっくりした猫みたいに飛び上がる。
僕はそれを見て、少しだけ声を立てて笑った。
少しだけ――うん、ほんのちょっと。ちょっとだけだけど。
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