別れ


 天に昇っていく彼女は、ひらひら、きらきらと輝いていた。


 一体何百回目になるのだろうか。今日も手立ては見つけられなかった、と、天女に伝えなければならない。手立てを探すのは、なかなかの難航ぶりだった。唐土産の絹のような白い皮衣、蓬莱山の天までの伸びるという白い枝、五色に映る燕の雛の羽—— 噂を聞きつけて様々なものを片っ端から手に入れてみるも、どれも天に繋がる道にはならなかった。とぼとぼと憂鬱な帰路を辿り、視線の先に天女の待つ居が見えたところで、ぱさり、という小さな音が聞こえた。既視感と嫌な予感を覚えて、とっさに音の方向を見やる。なんとそこには、夕陽を飲み込む山間の空にふわふわと白いものが浮かんでいる。白いものに包まれるその後ろ姿は——

「待ってくれ!」

 とっさに追いかける。しかし、天女は少し振り返っただけで、すぐに視線を逸らしてしまった。それでも追いかける足は止められない、けれど、追いつくはずもない。そのうち天女の姿は、沈みゆく陽の光に吸い込まれるように見えなくなってしまった。突然の出来事に、私は状況を飲み込むことができず、呆然とするしかなかった。夕陽が完全に沈んで空に闇が広がり始めても、ただ、その場に立ち尽くしていた。


「おい、お前、ええかげん風邪ひくで」

 背後から乱暴に優しい声がかけられる。振り返ると、それはよく知る狩人仲間であった。彼は、私の顔を見るなり、何だか困ったように笑った。


 天女が帰ることを知っていた彼は、先を読んで、私の住まいで待っていたらしい。待っている間暇だったからと、彼が作ってくれたイノシシ汁を啜る。口にすると体全体に染み入るように、じんわりと温かくなる。そこで初めて、私は随分と長く、冷たい外気に触れていたのだと自覚する。

 彼は、天女から言付をもらっていたようで、言いにくそうに、けれどはっきりと話してくれた。天井裏に隠していたモノを天女が見つけたこと、帰るかどうかすごく迷っていたこと、世話になったと天女が感謝していたこと——

「すまん、引き留められんかったわ」

 彼は、三年前のあの日、言われるがまま私に協力して羽衣を隠したことをずっと気に病んでいたらしい。それは、私と彼女との生活が続けば続くほどに膨れ上がっていったと。

 彼のいうことはもっともである。そして、優しい彼を共犯としてしまったのは、この私だ。

「いや、別にいいんだ。お前は正しいことをしたよ、…話してくれて、ありがとう」

 私は天に行きたかった。だから死に物狂いになって色々な方法を試行錯誤していたのだ。そんな中で、私が彼女の羽衣を羽織ったところで天に行くことはできないことは、三年前に試してみて分かっている。けれど、私の独り善がりな醜い感情で三年も引き留めてしまった。

「他に、何か言っていなかったか。…例えば、私への恨み言とか」

「いいや、特に何も言わずに行ってしもうたわ」

 私とは大違いに寛大な心をもつ天女さまだ。やはり修行年数の違いだろうか。裏切りの代償を払うべき私を、去り際、振り返った彼女は、何故か慈しむような目で見てきた。彼女の真意は分からないままだが、私は羨ましくてたまらない。


 嗚呼、もう五年も前のことになるのか。

 私が水浴びしている間、木にかけていた羽衣は、一体何処へ行ってしまったのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

羽衣の行方 星川 駁 @madara-kiiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ