人愛づる虫君

海沈生物

第1話

 今は昔、私こと蚯蚓みみずはある姫君のお付きをしておりました。その名を、百足姫むかでひめと申します。彼女は私などが到底及ばぬほど美しく、人々からもその美貌だけは大変評判を博していました。しかし、そんなにも百足姫にも一つだけ欠点がございました。

 それは、そのぬるりと動く手によって、人間を愛でるのが趣味であることです。当たり前ですが、人間などという生き物は「穢れ」の象徴です。幼体であれど、生きていれば口や鼻やケツから危険な液体を垂らしますし、いくらに乗るサイズといえども、へこへこと手や足を動かす姿はとても気持ち悪いです。正直に申しますとあのようなことさえなされなければ殿方からの恋文は数多、選ぶ選択肢など無限にあります。そのような恋愛などという些事、姫様は気にするはずもないですが。

 ですが、私は人間を弄って遊ぶ時の姫様のお姿がとても好きです。他の芸事をしている時の姫様もお美しいですが、その時の姫様はまるで子どものように触手をぴよぴよと動かします。もしも姫様が結婚してしまえば、私のような役立たずはこのクソったれた屋敷に置いていかれます。数多といる凡百な同僚たちが姫様の手となり足となり、お助けになるのでしょう。それは当然の摂理ではありますが、どこか胸に引っかかりを感じておりました。


 そんなある日のことです。私が使用人部屋で雀ノ蜂クソ上司様に押し付……頼まれた縫い物をしておりますと、突然ドアが開きました。今の時間はちょうど奥様たちがお出かけになっており、私と数人の使用人以外は屋敷にございません。誰かと思って振り返りますと、そこには姫様がおりました。


「姫様、どうかなされたのですか?」


「蚯蚓や。お前は人間が好きか? 正直に申してみよ」


「はぁ……正直に言いますと苦手です。一度私の皮膚に糞尿が触れた時などあまりに臭く、数時間ほど匂いが取れませんでしたので」


「そうか。……どうせ、お父様もおられないのだ。ちょっと来てみよ」


 そういって私の腕を掴みますと、私を部屋へと引っ張っていきました。


 姫様の部屋の中は熱くもなく寒くもなく、とても快適な温度をしております。ですが何匹も人間を飼っているので、匂いもその分強烈です。鼻をひくつかせながら中へ入ると、姫様は数多と積まれた籠の内、一番上にあるものを持ってきました。その中には黒い髭を生やした雄の成体が二匹入っており、二人は忙しなく「はぁ」「……っあ」と性行為を営んでおりました。私がどのような表情をすれば良いのか困っていますと、姫様はその場であぐらをかかれ、はぁと溜息を漏らされました。


「お母様は私のことを純粋無垢であると思うとるようだが、人間を見ていれば、私がこれからどのような道を辿るかなど分かっておる。このままでは、いつまでもこのように人間を飼うなどという行為ができないこともな」


 大人びた言葉に私が驚いていると、突然、姫様が私を押し倒してきました。目上の方ですし、無下に振り払って怪我をさせては大変です。一体何をするのかと思っていますと、姫様は乱雑に私の服を脱がせ、下半身を露出させました。


「あの二匹は雄の個体でな。もちろん、性行為などする必要がない。子を産めぬのでな。しかし、二匹はあのようにして性行為をする。ここからが問題なんじゃが、果たしてそれに”意味”はあるんじゃろうか」


「意味、と申しますと……愚か者の愚見になりますが、享楽の範疇なのではと思います。あの狭い籠の中では私たちのように目まぐるしい日常もありませんし、ただそこに餌を与えられる毎日があるだけです。ただ、姫様のお姿を寝ている間も見られるというだけでも寿命の短い人間にとっては、十分身に余る光栄なことだと思いますが……それがどうなされたのでしょうか?」


「ふむ、おおよそ私もそう思う。同性同士で愛を語り合うなど、所詮は享楽の範疇ではないか……と。しかし、ある時のことじゃ。雌の個体二匹と雄の個体一匹を同じ籠に入れた時、雄が交尾をしようと一匹の雌に迫ってきたことがある。その時、もう一匹の雌が雄の首を絞めて殺し、雌同士で交尾をし合ったのじゃ。の? それだと辻褄が合わぬのじゃ」


 虫だって虫間関係のこじれで殺し合いをすることはある。しかし、そこから交尾し合ったというのは確かに興味深い。私が真面目に考えこんでると、コホンと姫様は咳をする。


「それで、じゃ。どうせなら、自分でもやってみようと思うてな。お主で一度、性行為を試させてもらえぬか」


「ま、待ってくださいまし! そもそも私は性別という概念が曖昧ですし、いくら姫様の頼みといえど、さすがに処女を破られますと、いずれどこかへ嫁ぐ時に破談ということになりかねないのですが……」


「両方あるなら自認する方が性別でいいんじゃよ。それともなにか? お主、結婚するつもりじゃったのか? 一生私と一緒に生きてくれるのかと思っておったが……好きな男でもおるのか?」


 そう言われて思い付くは、確かにいない。父も母も死んでしまったし、私が結婚して喜ぶような人もいない。強いていえば、雀ノ蜂様のいじ……ではなく、お手伝いを卒業できることが嬉し……悲しいことであろうか。


「ないですね、確かに」


「そうじゃろ? 私もちょうどが欲しかったところじゃし、ちょうどいいわ。蚯蚓、お主を私の恋人としようか」


 陰部に触れる数多の手から織りなされる快感に、思考があやふやになってく。


 いつしか絶頂させられると、その場に液体をたらりと漏らしてしまう。私が心地良さの余韻で動けなくなっている一方、彼女は笑っていた。


「なに……笑っているんですか……」


「いやいや、違うんじゃ。私は百足だからいずれ男と結婚するべきだし、それは男との性行為を求める本能があるから……だと思っていたんだけどな。女同士でも楽しいんだなぁーっと」


「楽しい、って……私はめちゃくちゃ疲れましたけど」


「すまんすまん。今度は蚯蚓が攻めを……って、それをしたらさすがにまだあのクソババ……お母様に怒られちゃうよな、すまん」


 一瞬垣間見えたその言葉に、私も思わず頬が緩む。こんなにお美しい人であっても、そんな言葉を使うんだ。そのギャップについつい萌えてしまい、愛おしさが一塩になる。


 それから一カ月後、ついに百足姫様にも婚約者がやってくることになった。あれだけ言われたとはいえ、お家同士のことだ。結婚して家を安定させなければ、生活すらできない。その事実を思いながらも、雀ノ蜂様からの裁縫依頼をこなしていた夜。私が針で皮膚を刺して痛みに怯んでいると、そろりとドアが開く音がした。それと共に、私を呼ぶ声。


「蚯蚓、荷物って何かあるかの?」


「いえ。お給金なども特にありませんし、毎日のご飯を食べさせていただているだけですので、特には。どうかなされました?」


「そう、それは良かったわ。”準備”はもうできているから、そんなくだらない面倒事なんて捨て置いて早く出発するぞ?」


 腕を掴まれたかと思うと、秋の夜空の元へと連れ出される。幼い頃ぶりかもしれない屋敷の前へ来ると、前には人力車が止まっていた。巨大な人間が息をふんふんと散らしている姿を見つつ、私は荷台に乗せられる。


「えっと……姫様、これは?」


「だから、言っただろうに。はもうできている、とな。実はあの結婚するって話、嘘だったんじゃ。あの屋敷の中で信頼できる人を引き抜くための審査で、一人一人に私の結婚についてどう思っているのか聞いて回ったんじゃよ。あのクソババアも私が結婚に馬鹿みたいにはしゃでいるって思ったとか気にしなかったし、上手く計画がバレずにできたわい。あとは、する屋敷を見るだけ」


 姫様がニコニコしている姿に小首を傾げていると、突然、屋敷が爆発した。私が口をぽかんと開けている姿に、「大丈夫よ。ちゃんと死ぬように設置してあるんじゃから」と笑う。確かに、全員死ぬなら良いか。別に思い入れのある人はいなかったし。

 私たちの前方にある大きな山からは、日が昇りはじめている。


「一生お慕いいたします、我が人愛づる虫君」


「……あぁ、私が愛する蚯蚓よ」


 東雲の明るさの中にうっとりとしながら、彼女が差し出された手にキスをして、私も笑った。

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