第37話 ペンスケとはもう友達です

 天使は本当に水族館が好きらしい。泰人はなぜか水族館に付き合わされることになった。嫌いじゃないし、いいのだけれど。

 今日はペンギンツアー。すでに一度参加している、天使の横で説明してやる。

 ツアーの最後、ペンギンの水槽にはいる。滅菌済みの防寒ツナギ、靴も長靴に履き替えたうえ、消毒薬の中を歩いてクリア。水槽内はあいかわらずのひどいにおいだ。

 メスのエンペラーペンギンは自分の水族館に帰ったらしい。ペンスケはひとり突っ立っている。天使から離れ、こっそり近寄る。脇に手をいれて水槽の奥に引っ張ってゆく。シャーベットの積った床はすべりやすいから注意が必要だ。このへんがペンギンの肩に当たるだろうとアタリをつけ、なで肩すぎるけど、肩を抱いて顔を寄せる。

「おれのこと覚えてるか。あのときはなんで怒ったんだ」

「ペンギンバカにすんな。そんなすぐ忘れるかい。コアラのマーチなんてもってたからやろ」

 やっぱりそうだったのか。

「食べたかったのか?でも、ペンギンが食べるとお腹をこわしてヒドイことになるんだよ?」

「誰がコアラなんて食うかい。ここは水族館やぞ、コアラが好きなら動物園行けっちゅうこっちゃ」

「なるほど。でも、コアラが好きだからコアラのマーチをもってたわけじゃない。お菓子としておいしいからだよ。コアラなんて見たことないし」

「そんなもん見たってつまらんやろ」

「でも、じっとして動かないってことでは、エンペラーペンギンも同じだと思うけど」

「どこがやねん。パンダと人気を二分するスターやで」

「パンダとくらべるなんて、自信があるんだな。体の模様が似てるだけで、全然違うと思うけど」

「なんや、やっぱりケンカ売りにきたんか」

「ちがうよ。ちょっとお願いがあって」

「なんでわいがお願いきかなかんねん」

「なにかおれにできることある?」

 お願いを聞いてもらいたいときは相手のお願いも聞いてやらなければならない。世の中の仕組みというのはそういうものだ。そんなことくらい知っている。

「うん?そやな、マグロが食べたい」

 食欲なさげにしていたけど、食べたいものがあるんだ。

「マグロなら久保田オジサンに言えばどうにかしてくれるんじゃないの?」

「恥ずかしいやろ。よういわん」

「恥ずかしいの?マグロ食べたいが?」

「せやかて、口にはいりきらんやろ」

「ああ、丸ごとか。丸ごとははいらないよね」

「恥ずかしいやんけ」

 丸のみできない魚を食べたがるのは恥ずかしいことらしい。ペンギンはわからない。よくわからないけれど、ペンスケが食べたがっているということは隠しつつ、久保田オジサンにマグロの切り身を頼んでやると約束した。契約成立だ。振り返り、なにげなく天使がいるところへ戻る。

 ペンギンツアーではペンギンと一緒に写真を撮ることができる。

「天使、一緒に写真撮ってもらおうよ」

「な、なんで、わたしが泰人と写真撮んなくちゃいけないわけ?」

「いけなくはないけど、せっかくふたりできたんだし」

「そ、そう。そうね。うん。泰人が撮りたいというんなら、撮ってあげてもいいかな」

 天使が取り出したのは、なんだか立派なカメラだ。はじめから写真撮る気満々だったんじゃないか。今日カメラを出して撮影しているところを見かけなかった気もするけれど。

 久保田オジサンを引っぱってきて、カメラをかまえてもらう。天使のいいカメラで、ペンスケを間に挟み、ポーズをかえて二枚。今度は泰人が持ってきたコンパクトカメラで。

 ハイチーズで、ペンスケがぶっ叩く。

 泰人は天使に横から抱きつく。

 フラッシュが瞬く。

「ぎゃー、なに抱きついてきてんの!信じらんない。変態」

 くぎぎぎぎ。両手で顔を押して引きはがされてしまった。

「イッテー」

 叩かれた腕をなでる。ペンスケにナイスと目で合図を送った。マグロは頼んだでと合図を送り返してきた。久保田オジサンがニヤニヤ見ている。嫌いだ。


 水族館を出て、天使が無言で手を引いてゆく。嫌な予感が全身を駆け巡っている。脳内でパトランプが回転し、ブー、ブーとブザーが鳴り響く。危険だ。避難だ。けど、天使は手を離してくれない。

 予想どおり、観覧車に乗せられてしまう。なにがそんなに面白いのだろう、観覧車なんて、上にあがって降りてくるだけじゃないか。

「写真撮るよ」

「こんなところで撮らなくても」

「景色がいいんだから、撮るに決まってるでしょ」

 そんな決まりがあったとは、早く教えてほしかった。

「ヴヮー。こっちくんな」

 天使が睨んでくる。

「そういう意味じゃなくて。かた、傾いてるだろ」

「傾いたって大丈夫。落ちたりしないから」

「なんでわかるんだよ」

「ほら」

 左右の手の指で輪っかを作って、からんだ輪っかを動かす。手首の角度が変わるだけで、もちろん輪っかどうしははずれない。本当にそういうことだろうか。力の加減なんじゃないだろうか。天使は説得に成功したと満足顔だ。

「海の方をバックに撮るんだから、こっち」

 手すりにつかまっている手をはずされてしまう。不安だ。落ちそうだ。つかまるところ。

「あのね、わたしにつかまっても、落ちるときは一緒なんだけど」

「しかたないだろ、なにかにつかまらないことには」

「いってることわからないけど。ほら、こっちだってば」

 すわっていた端から、もう一方の端にひっぱられ、手すりがやってきたおかげで、天使の背中越しにつかまることができる。ふう。

「泰人、そっちもって」

 カメラが重くて、片手で持ちながらシャッターを切ることができないらしい。写真一枚とるのに大騒ぎだな。誰が騒いでいるのかは知らない。手を添えてカメラを下からささえる。

「ほらー、もたもたしてるから、テッペンすぎちゃってた」

 写真を撮ったあとまで文句をいわれてしまうのは悲しい。

「もう三回目なんだからいいかげん慣れてほしい」

 何回乗ったってダメだ。籠の外側に骨組みをつくって、籠がはずれても大丈夫みたいにならないかぎり。

 なんやかや、アトラクションに乗って、遊園地で遊んでしまった。駅で久保田オジサンがお見送りのために待っていてくれた。約束を果たすべき時がきたのだ。

「久保田オジサン」

「なんだい」

「ペンスケって、食欲なさそうだよね」

「そうなんだ。エサを口に突っ込んでやって、やっと嫌々食べるって感じだね」

「ぼく思ったんだけど、マグロをあげたらどうかなって」

「マグロ?野生のペンギンはマグロとって食べたりしないよ?」

「でも、グンマの水族館のペンギンでしょ?マグロのお刺身あげたらよろこんで食べるよ、きっと」

「そうかな。でも、マグロは高いぞ」

「いいんだよ。マグロばっかりあげなくても。猫も、カリカリだけじゃなくて、たまにはおいしいネコ缶をあげるとよろこぶんだよ」

「ま、そうかもな。うん、ためにしマグロをやってみようか」

「恥ずかしがるかもしれないけど、無視して食べさせてあげて。あと、タイトからだよっていってあげてね。きっとよろこぶから」

「なんだそりゃ。いや、いわなくていい。いいんだ。そうするよ」

 バイバイと手を振る。

「さっきのはなに?」

 天使が目を細めて不信感があらわだ。小学二年生でこんな表情をするのはやめてもらいたい。

「うん。ペンスケともぐもぐ。もう友達だよ」

 手で押さえたから、言葉が出ていくのを防ぐことができた。火事は初期消火が大切だ。男の約束を果たせてよかった。

「ちょっと待って、カードにチャージしなくちゃ」

 肩にかけたポシェットから財布を取りだそうとしている。

「バッヂ、つけたんだな」

 頭をさげて、帽子につけたバッヂを、たぶんこの辺という感覚で指さす。

「おそろいなんて聞いてないんだけど」

 カードのチャージをする。

「こっちは久保田オジサンにもらったんだ。そっちのあげたほうは、それより前に買ってもってたやつ。ほかのがよかった?」

「ふん、おそろいと思われると恥ずかしいから、離れて歩いてよね」

「ごめん」

 改札をとおる。水族館、動物園、遊園地とあるし、季節もよい、帰りの客が多い。天使がほかの客にまぎれて見えなくなってしまう。

「ちょっと、どこまで離れる気?はぐれるでしょうが」

 距離感がむづかしい。服の袖をつかまれて、はぐれることはなくなった。うん、これなら安心だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ショタト・ワタシ A shot at what I see 九乃カナ @kyuno-kana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ