変われないから生きていく


 三月十二日 天気 晴れ

 高校を卒業した。卒業証書授与式が無事に終わってホッとしてる。親父は来なかった。一応聞いてみたけど仕事が忙しいとかで来れないと返事がきた。むしゃくしゃしたしムカついたけど、今更期待なんてしていなかったからいいんだ。

 そういえば、なんだかんだで、合唱曲楽しかったな。上下の声のパートに分かれて、みんなで歌うことなんて、きっと高校を卒業したら殆どないことなんだろうし。そういや小学生の頃の運動会で裸足でソーラン節を踊ったな。懐かしい。

 一通りの式典が終わってから、教室に戻ってクラスで集合写真を撮ったり、卒業アルバムのフリースペースにメッセージを書き合ったりした。そこからネクタイや、制服の第二ボタンを欲しいって色んな子から言われてビビった。けど、渡したい人は決まっているからあげなかった。そもそも俺のなんか貰ってどうすんだって話。俺だったら欲しいとも思わないんだけど。

 この三年間、色々あった。濃密だったし振り返るとしょうもない間違いばかり起こしてたなともおもう。でも、俺の人生をまるきり変えてくれる子に出逢えたから、高校をここに選んで本当に良かった。

 教室で友達と写真とか撮っていたら、玲に呼ばれた。教室内ではなくて廊下から。一体なにがあるのか、よく分からないまま行ったら、そのまま手を掴まれ引っ張られた。グラウンド近くまで連れてかれてビックリ。こういう強引な真似を、彼女がするとは思ってなかった。

「冬本くんのことが、好きです。」

 最初、この子は何を言っているんだろう。誰に好きって告白したんだろう、って、バカみたいなこと考えて我に返った。めちゃくちゃ嬉しくて、そりゃ今までの人生で一番幸せだと感じるほど、嬉しくてうれしくてたまらなかった。好きだって、本当は言いたかったけれど言葉は出なかった。

 玲に酷いことばっかり言った。

 もうきっと取り返しはつかないと思う。

 それでも、怖くて、仕方なかった。

 お母さんの笑顔が浮かんで、亡くなった日の写真が、まざまざと記憶の淵から呼び起こされて脳内再生されていくんだ。

 嫌だ。喪いたくない。

 好きだって、玲に言って、そんでまた。いなくなっちゃったら、俺は。

 本当の意味で死ぬと思う。

 好きってこたえたかった。

 告白されて初めて、嬉しいとおもった。

 玲ごめんなさい。

 「大丈夫。」



 十一月八日

 高校卒業ぶりに玲に会った。目を見張るほど、美しい女性になっていた。デパートで声を掛けられた時、俺は無視しようとしたんだけど、名字を呼ばれたら、従うほかなかった。会いたかった、すんげえあいたくて。演技続けてる自分が、虚勢ばかりで取り繕ってることが馬鹿馬鹿しく思えた。

 玲、好きだ。

 すっげえ好き。

 俺の高校生活で、おまえと出逢えたのは奇跡だなって思ってる。

 卒業してからも一度だって忘れた日はなかった。

 今どんな生活してんのかな、とか。高校の頃の思い出に浸ったりして過ごしてた。これからも変わらずそうなんだろうなって勝手に想像してたけど。

 ちがったや。



 中学三年生の十一月九日から始まった彼の日記はそこで途切れていた。

 毎日綴られている部分もあれば随分長い期間抜けている個所もあったけれど、私はようやく読み終えた。何度も涙を流したし、自己嫌悪と非力さを痛感する場面もあった。けれど、彼の気持ちを垣間見ることができたことは、とても嬉しかった。

 日記帳をバッグに入れ、冬本家を目指した。インターホンを押すと彼が直ぐに玄関ドアを開けて、ほほ笑みかけてくれた。導かれるように一直線、歩みを進め、彼が大切におもう家へと踏み込んだ。

 コートを着たまま、先を行こうとする彼の洋服の端っこを掴む。すると彼がこちらを振り向き、不思議そうに私を見つめた。シルバーのピアス、黒髪、覗く瞳。日記帳を取り出し、両手で差し出した。


「ありがとう。」

「…読んでくれたんだ。」

「うん、ちゃんと全部。」


 唇を噛み締め、ひっくり返りそうになる感情をどうにかセーブすることに努めた。映る彼の輪郭が滲んでいくけれど、ここで泣きたくはなかった。この日記帳には、泣きたくてもなけなかった彼の想いがぎっしりと詰め込まれていた。

 書き殴られたような荒々しい文章もあったし、弱々しい言葉たちも沢山並んでいた。私が知らない空白の時間、彼の考え、それらを全て見せてもらったとき、私達は多分隙間なく恋に溶けあえていく。今が、そのときだった。


「私を好きになってくれて、ありがとう。」


 ちゃんと笑えているだろうか。美しいとは程遠い笑顔だろうか。それでも、にっこりと唇が三日月のかたちになっている気がした。

 日記帳を片手に、もう一方の手のひらを頬に添えて、彼がキスをする。触れた個所が熱を宿して、私の温度と混ざっていった。

 リップノイズが耳をくすぐる。離れたくない、もっと一緒に居たい。こうして、キスをするたびに強くおもうことだった。この心を表す言葉を当て込むとしたならば、と。


「澪、愛してる。」


 彼の瞳が、満月のかたちになって、じくじくと大粒の涙をたたえていった。

 あなたと一緒にいる期間が増えていけばいくほど、好きは募るばかりだ。ひたむきにこの恋は、あなたのことだけを目指していた。


「愛してるよ。」

「なんで、いま、それ言うの…っ。」


 ずりぃだろ。

 鼻水をすするあなたが、手の甲で涙を拭う。

 私はなさけない笑顔を携えて、もういちど、あなたとキスがしたくなって、目を閉じた。


「ちゅー、したい。」


 私達の影は夜の中で眠っていた。静かに規則正しい寝息を立てている。何度もなんどもキスをした。ちゅ、ちゅ、と唇が重なるたびにまともな思考は削ぎ落されていった。


「だいすき。」


 愛している、ともう一度伝えたかったのだけれど、今度は恥ずかしいと思う理性が勝ってしまい、言葉にはならなかった。だから私は、彼にキスをした。

 言葉にならない愛がきちんと届けばいい。それだけでいい。見返りなど求めてはいなかった。

 今、二人きりで、世界のはじっこでもど真ん中でも、愛を確かめ合えるのならば、これ以上の幸せなど、絶対に有り得ないと信じ切っていた。

 馬鹿馬鹿しいと傍から見た人は笑うのだろう。阿保だと罵られるかもしれない。恋に盲目になっているだけ、目を覚ましなさいと言われてもおかしくはない。けれども、そんなちっぽけな名台詞は、痛くもかゆくもない。無に等しかった。



 高校生になったら、私は紺色のハイソックスを履こうと決めていた。スカートは膝丈にして、それからローファーを履いて放課後の街を練り歩く。美味しいパンケーキやタピオカなんか飲んじゃって、写真映えのするカフェに連日繰り出しては友達と撮影会ごっこをしたかった。けれど、現実は早々上手くはいかなかった。

 まず、勉強に躓いた。次に、クラスに馴染んでいるのかそうでないのか、中途半端な立ち位置にしかつけなかった。コミュニケーション能力の乏しさに、凹んだ。それから、恋をした。一番のおどろきだった。

 ローファーもブレザーもスカートも、全身がずぶ濡れになっても笑っていられた高校生の頃は色んなことにタフで居られたけれど、年齢を重ねるごとに、自分の過去の行いに苛まれ、悔い、どうしても償いたいと思うこともあった。雨降って地固まる、そんな恋をした。

 雨は私にとって奇跡を作る、まじないの証となった。


 大丈夫ではじまってだいじょうぶで終わって、好きから紡がれた恋は、愛しているに結ばれた。私がキスをしても、好きと言っても、愛していると伝えても、彼は顔を顰めることもない。そんなつもりはなかったのだ、と謝られることもなくなった。

 ずっと好きですきでたまらない。

 どうして彼のことがこんなに好きなのか。

 その答えは、分からないけれど、絶対に揺るぎないものだと証明することは出来る。

 大丈夫、もう離れるなんて、ない。



「今どきの高校生って、ハイソックスじゃないんだよ。」


 項垂れる私を他所に彼は真剣な眼差しでペンを握っていた。書店に寄った際、購入したクロスワードパズルを必死になって解答してる。なんでも懸賞付きらしく、狙いはアロマディフューザーだそうだ。女子力高っ、という私の反応は悉くスルーされ、ご覧のとおり誌面に夢中になっていた。


「うーん。」


 彼が器用にペン回しをしながら、唸り始めた。私がそうっと覗き込むと、視線がかち合う。格好良い。


「っ、な、なに。」

「ん、いいや。」


 首を横に振るが、口の両端が持ち上がっていた。何かを企んでいる悪戯っ子のような表情に、眉間に皺が寄っていった。


「怪しい。」

「だからなんでもないんだって。」


 それでもなおクスクスと笑う彼。

 いじわるで、いとしい。


「いやさ、高校生の頃と逆だなって思っただけ。」

「高校?」

「そ、おまえが今の俺みたいに数学の問題集にかじりついてて、俺はおまえのように見守ってたなあって思って。そしたら懐かしくなったんだよ。」

「そうだね。たしかに逆さまだ。」


 教室の机で、私が数学の問題集に立ち向かっている間、彼は私のことをじっと見て、動きが止まる度に内容を見て解き方を教えてくれていた。

 彼の説明は的確で、非常に分かりやすかったから、すらすらと答えが導き出せた。高校生の私にとって彼と過ごす時間、そのすべてがきらきらと煌めいて、揺らめいて、好きだった。

 成績が上がれば逐一報告したし、惨敗してしまった時もごめんなさいと報告をした。突き放されてしまった思い出もあるけれど、でもやっぱり、一番最初に思い出すのは楽しくて心が豊かになることばかりだ。

 冬本くんと呼んでいた高校生の私、澪くんと名を呼ぶ現在の私。変わることもあれば、変われないことだってある。そう、人生は単純明快で、だからこそ難儀にできている。


「澪くんはあの頃と全然変わらない。」

「そうか。老けてるけど。」

「そうかな。今でも、ずっと格好良いよ。」


 あなたと付き合って分かったことがある。一つ、私は想像以上にあなたのことが好きだということ。もう一つ、あなたと日々を重ねる度に、物事を諦めずに前へ進めようと頑張れるようになれたこと。


「おまえさあ。」

「な、なによ。」

「やっぱり、こわいわ。おまえ。」


 クロスワードパズルの雑誌をそっと閉じて彼はアイスコーヒーを飲んだ。私も釣られて、ミルクココアを一口、柔らかな甘みが舌を包んで、熱と共に喉の奥へ流れ込んでいった。

 テラス席に座ってもちょうどいい、温かな季節がやってきた。

 桜の花は満開を迎え、アスファルトには薄紅色の花弁がひらひらと降り注いでいる。行き交う人々が時折桜を愛で、頬を緩ませている。やさしい世界が色づいていく。心がぽかぽかして、こちらまで嬉しい気持ちに擬態した。


「桜、綺麗だね。」


 指とゆびを絡め、しっかりと手を繋いだ。彼が私の歩幅に合わせてくれる。霞んだ青色に染まる空には、薄い雲が広がっていた。陽光は途方が暮れるほど温もりに溢れていて、どうしてだろうか胸にこみ上げる想いがあった。ぎゅう、と力を強くした。


「花見でもするか。」

「いいね。お弁当持って、行こうか。」

「弁当楽しみだな。玲の料理、美味しいし。」

「何がいい?」

「唐揚げ。」

「唐揚げでいいの?」

「唐揚げがいいんだよ。そしたら、俺もおまえも好きだろ。」


 未来の話をする。命は有限だからこそ、尊くて淋しい。彼が抱いていた悲しみ全てを理解し、救ってあげるなんてことはできずとも、私は一緒に居て寄り添っていたい。

 明日も明後日も、その先もずうっと、生きていられる間は支えたい。どれほど苦しいことがあっても、当たって砕けろ。乗り越えるための逞しさは既に十分備わっているのだから。

 彼を見上げ、私は微笑みを落とした。


「そうだ、夜ご飯は何にしようか。」

「たまにはラーメンとか食いに行くか。竜也達も誘ってさ。」

「あ、いいねえ。」


 秋が枯れ冬がやってきて、春が芽吹いた。

 結局私は今でも明確なやりたい仕事が見つからずたまに悩んだりしながらも、彼との日々に充たされて過ごしていた。

 母親は変わらずに私を見守り、淡白な言葉で元気づけてくれる。

 幼馴染の華那ちゃんのお母さんからこの間連絡があって、八月に納骨をすることが決まったそうだ。華那ちゃんは向日葵の花が好きだと、以前向日葵畑に行く際に言っていたから、きっと彼女も喜んでくれると感じた。

 清二くんは店舗の場所を決め、店舗の内装等をセッティングしたりスタッフの募集を検討している。華那ちゃんの納骨には参加すると言っていた。少なくとも今年の夏にはまた会える。

 竜也くんと咲弥くんは頻繁に会っているようで、仲良く遊んでいるよと澪くんが教えてくれた。そんな私の大好きな彼は、ちょっと変わった。求職活動に勤しむようになった。美容師でいこうか、別の仕事にするか、彼なりに考えた挙句出たのはやっぱり美容師としてもう一度頑張り直したいということだった。


「そういえば、なんで美容師を目指したの?」


 今まで一度も訳を聞いてこなかったことに気づき、なんとなく質問してみた。すると何故だか彼は頬を赤くして、視線を逸らす。

 なりたかった理由を聞いているだけなのに、どうして恥ずかしがるのだろうか。小首を傾げる私に、澪くんがぼそぼそと拙く話し始めた。


「玲の髪の毛、綺麗だったから。」

「…へ、わ、私なの。」

「やっぱ今の無し!忘れろ!」


 とんでもないことを聞いてしまった。まさかきっかけが私だったとは夢にも思わなかったからだ。彼は忘れろと言いながらも、言葉を連ねていった。


「高校三年になった最初の日、玲は覚えてるか分かんねぇけど、前髪かなんかに桜の花がついててさ。こんなことあるんだって漫画みたいじゃんとか思ったんだけど、取って。そんとき、綺麗だなあって。なんか、こう、言葉に上手く言えないのがもどかしいんだけど、玲が綺麗だったんだ。だから、俺も美容師になっていろんな人の髪を、綺麗してあげたいって思ったんだ。」

「すごい、夢みたい。」


 彼は耳たぶまで真っ赤にしているが、私も、顔全体が火照っているような感覚があった。


「うれしいよ。」


 彼は頬を赤らめたまま破顔した。釣られて、私も一緒に笑んでしまった。


「私にとって澪くんはずっと遠い存在だったなあ。近くにいるけど、全然手の届かないところにいた。一緒に居るとドキドキしてばかりだったし、卒業式の告白の前なんて緊張しすぎてどうにかなっちゃいそうだった。」

「…ごめん。」

「どうして謝るの。」

「だって、俺。」


 彼が言いたいことは予想がついた。やんわりと頭を振り、彼の言葉を遮る。


「でも今、こうして一緒に居られるから、それだけで十分に幸せだよ。」


 卒業式の日に交わした約束は全てが破られた。連絡先を知っているし、毎日のように会って、名前を呼ぶこともできるようになった。あの日に潰えたものは、長い月日がかかってしまったけれど、傍らにあるのだから、過去を責める気は更々なかった。


「澪くんには沢山の大切なことを教わった。勉強もそうだし、お母さんのこともそう。まだ家族にもなっていないのに、私に、澪くんの大切な家族を教えてくれてありがとうって思っているよ。私はへなちょこだし、頼りない部分もあるだろうけど、澪くんとずっと一緒に居たい。ずっと、ずうっと。」


 アスファルトを歩く私達の靴音が響いて、私の言葉は春の中に吸い込まれていった。吹きすさぶ風、舞い上がる桜の花びら、二人で立ち止まりその光景をただただ見つめた。書店の紙袋を引っ提げて、もう片方は私と繋がって、彼はそうやって日常を歩んでいく。

 ひとりぼっちに怯えそうなときは、私が守ってあげたい。特別な力も何もない、ただの私だけれど、そんな私のことを澪くんが好きだと言ってくれた。一途な想いは花開き、春に散って春に再び夢をみせた。


「あーもう、早く帰って抱き締めたいんだけど。」


 帰るぞ。澪くんは言うや否や足を踏み出し走った。わ、と悲鳴にもとれる声を上げ私は懸命に彼の背を追いかける。繋いだ手はそのままに、彼が進む方に向かって。

 まっすぐ、まっすぐに。



 四月八日 金曜日 天気 晴れ

 彼と書店に行って、色々見て回った。今度二人で旅行に行こうかとか、動物の写真が沢山掲載されている本の表紙を見て動物園もいいかもしれないなんて雑談をした。結局澪くんがクロスワードパズルの雑誌を買っただけで、私はウィンドウショッピング。そのあとに、高校卒業後に再会したときに行ったカフェで休憩。彼はうんうん唸りながらクロスワードパズルを一生懸命にやってた。可愛かったなあ。

 夜は竜也くんと咲弥くんを誘って四人でラーメン屋に行った。なんでもいいという私の言葉はそのまま採用されて、家系ラーメンを食べた。四人とも食べる時無言になるの、面白いけどちょっと気まずかった。それから彼に家まで送ってもらってバイバイした。

 お花見に行く約束をしたの。

 それから、彼が美容師になった理由が、まさかの私だった…!

 あの日のこと覚えててくれた。嬉しかった。

 これから先も、ずっと一緒に生きていたい。好き、澪くんのことが、すき。



 四月八日 金曜日

 玲と本屋に行って、一通り見た後、俺だけクロスワードパズルの本を買った。玲と再会したときに利用したカフェに入って、俺はクロスワードパズル、玲はのんびりと過ごしてた。

 家に一旦帰ろうってなったときに、美容師になったきっかけを聞かれたから馬鹿正直に答えたけど今思い返してもめちゃくちゃ恥ずかしい。まじでドン引きされるか、うわあって顔をされると覚悟してたんだけど、生真面目な玲は、真剣に答えてくれて、嬉しかった。

 花見に行く約束をした。楽しみだな。

 仕事決まる前に、玲と旅行に行きたい。箱根とか伊香保とか、北海道もしくは沖縄も捨てがたいな。一番は温泉旅行がいいけど、玲が行きたい場所を最優先したいな。散々迷惑掛けてばっかりで、家のこととか付き合ってもらったうえに、拗らせてた想いも、彼女が全部解いてくれた。感謝してもしきれない。

 それに玲にはまだ渡せてない物が、ずっと手元に保管してあるまんまだし。了承してくれればいいけど、断られたら地味にショックだな。


 玲のことがすんげえ好きだなって日に日に想いが増していく。際限がないから時々怖くなるくらいだ。

 きっと何年経っても変わらない。変われない。

 俺はずっとずっと、玲が好きだ。



 四月十六日 土曜日 天気 晴れ

 彼と二人でお花見という計画だったが、竜也くんと咲弥くんも行きたいというので四人でお花見することになった。

 私は彼らと過ごすのも、二人で居る時とはまた違う楽しさがあるから好きで、嬉しかった。今年は無理かもしれないけれど、来年とかは二人でお花見出来たらいいな。彼はちょっと不服なのか、二人きりの予定だったのにって拗ねていた。(口尖がらせて、ぶつくさ言ってるのめちゃめちゃ可愛かった。本人に言うと怒られるからここだけの話にしておこうと思う。)

 お弁当作りのために彼とスーパーに行って、食材を大量に買い込んだ。四人分って普段作り慣れないから、大変な部分もあったけれど、今日は彼も食材切ったりお米研いだり、フライパンで炒めたりするの手伝ってくれたので無事完成。

 唐揚げ、卵焼き、ミニハンバーグ、エビフライ、ポテトサラダ、筑前煮、肉巻きのチーズちくわ、おにぎり味四種類にした。ちなみにおにぎりは、梅と鮭とおかかと昆布。運動会みたいなメニューになっちゃったかも。

 鶏の唐揚げだけは多めに作った。平日だからそんなに人いないかなって思ってたけど、そんなことはなく花見の場所は混んでた。

 途中から澪くんと竜也くんと咲弥くんの腕相撲大会が急に始まって、優勝は竜也くんだった。ちなみに彼は二位でとても悔しそうだったから励ましといた。

 お弁当は大好評。お世辞抜きで美味いって言ってもらえて、自信ついた。



 四月十七日 日曜日 天気 晴れ

 お花見終わってから四人で揃って、澪くんの家に行った。竜也くんと咲弥くんと澪くんは夜な夜なゲームをして遊んでいたみたいだけど私は疲れてソファーで寝ちゃってた。起きた時には、彼が端っこに座りながら寝てたからびっくり。

 水を飲むために物音しないように注意を払って移動したら、服を掴まれて、ときめいた。もう本当に、可愛すぎる。



 四月二十九日 金曜日 天気 晴れ

 彼が家でいきなり真っ白な紙袋を手渡してきた。ちょっと見覚えがあって、記憶を辿ってみたのだけれど、多分去年の十二月に清二くんと一緒に居たところで偶然会った時に持っていたのと同じだと思う。私に渡したい物だというので、中身を確認すると一冊のノートが入っていた。交換日記をしたい、と彼に言われた。

 迷わず、いいよと答えた。だって日記は私達の想いを吐露する拠り所であったし、素直でいられる空間が広がっているからだ。ドラマチックなことをしているねと澪くんに言ったら、そっぽを向いてしまった。照れてるのがすぐ分かる。

 最初はどちらから始めるか悩んで、じゃんけんをした。私がグーで、彼はパー。負けちゃった。



 四月三十日 土曜日 天気 晴れ

 明日から交換日記を始めることになったので、私の日記は一旦これでお休みにしようと思う。流石に二冊書くのは気力が保たないと思う…。



「見て、綺麗な三日月。」


 春が深まり桜花は散った。私達はベランダに出て、夜空を見つめていた。二人してベランダの中央に座り込んでいた。膝を抱え、こてんと頭を彼の肩口に預ける。


「本当だ。すっげえ、肉眼でも意外と星も見えてるし。」

「普段来ないもんね、ベランダに。」

「まあな。用も無いし。」


 この場所で、少し前の彼は弱り切った心を奮い立たせていた。泣きながら、喪った悲しみに暮れていた。十代の頃から変わらぬ痛みが彼を苦しめている。あんなに美しい人もいなくなってしまう世界が、憎くて、煩わしくて、それでも生きるほかないということと闘っていた。

 ベランダに私が出ようとすることすら、怖がっていた姿は痛々しいものだった。そんな彼も、今ではごく自然にクレセント錠を解いてこうしてベランダに出られるようになった。大きな一歩だと思う。


「春もあっという間に終わっちゃうね。」

「花見、四人で行ったきりになっちまったな。本当あいつらが来るって言い出したからビックリしたわ。」

「楽しかったから私は満足。腕相撲大会見てて面白かった。」

「あれはリベンジ確定だな。」

「ふふっ、次こそ優勝しなくちゃね。」

「おう。」

「来年は、二人で行けたらいいね。」

「ああ、絶対行く。」


 紺碧の夜の空に浮かぶ白銀の星々、そして三日月が黄金に光を放っている。


「ねえ、玲。」

「うん。どうしたの。」


 一つ吐息を吐き出した彼が、ゆっくりと私達の次の未来を紡いでいった。


「ずっと一緒に居たい。このまま恋人同士でも、俺は構わない。でも、やっぱり。」

「うん。」

「ちゃんと、玲と家族になりたいんだ。」

「っ、うん。」

「まだ、まだ先のことだと思っててほしいんだけど。俺、ちゃんと伝えておきたいから。玲に変な期待させたりしたくないし、待たせるのはもう嫌なんだ。でも今すぐっていうのは、仕事も決まってないし、お互いまだ安定してるとは言いにくいだろ。玲の仕事が決まって、俺も大体のルーティンが掴めてきたらでいい。」

「うん。」

「結婚、したい。」


 お母さんのことで、家族について、正直ポジティブに考えられないこともあると思う。親父ともぎこちないし、迷惑掛けることだって沢山あると思うんだ。俺、未だにちゃんと玲の旦那になれるか分かんねぇ。不安だらけなんだ。でも、恋人を越えて、もっと責任を持って愛していきたい。守りたい。俺が、玲を。


 私の手をぎゅうと掴んで、彼は三日月を見つめながら告白してくれた。

 耳たぶが赤らんでいた。


「どう、かな。」


 とても弱々しい質問に、思わず声を吹き出してしまった。

 答えはもう決まっている。

 私も彼の手をぎゅうって握り返した。


「私もあなたと、澪と家族になりたい。」


 独り善がりに思えていた恋が実り、誰かを傷つける痛みを知り、そしてこうして共に居られる日々に、新しい未来が生まれていく。

 人は生まれて、いつの日か必ず死んでいく。それでも、青い春は続いている。紺色のハイソックスを履かずとも、雨に濡れずとも、数学の問題集を開かない毎日だとしても、思い出が明日を象っていく。

 私が幸せを覚える場所はいつも彼の隣で、これからもそれはずっと変わらない。

 この場所で、彼のことを抱き締めた日のように、躓いて転んでしまっても、大丈夫だと言い切って傍に居たい。おもいっきり抱き締めて呆れるまで、温もりを分けてあげたい。

 クラスメイトでも、友達でも、赤の他人でも、恋人でもない、私はあなたの家族になりたい。




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【完結】 純文学になれないわたしたち くもの すみれ @kumonosumire

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