3話 呪縛の乙女


 那由多は何回か叫んだあと、縁によって捕獲された。縁に脇腹を持って猫のように持ち上げられた那由多は枢坂の元まで連行された。

「那由多、挨拶もしないで逃げ出すなんて失礼でしょ!それに、か、『彼氏』なんて…。」

 縁は言葉を言いかけて頬を染めた。一方、那由多はふいっと顔を枢坂からそむけて不機嫌そうな顔をした。

「もう、仕方ない子ね。枢坂さん、この子はの弟の那由多です。ほら、那由多、ご・あ・い・さ・つ!」

 縁に肩を持たれて、那由多は仕方ないように枢坂の顔を見た。いや、睨んだという方が正しいか。

「どーも!」

 那由多は大げさに口を動かして、姉の背中に抱き着いた。。縁はため息をついて那由多の頭を軽くたたいた。

「もう、この子は!すみませんね、枢坂さん。本当は賢くて礼儀正しい子なんですよ。」

「あ、ああ、別に構わん。子供は人見知りするもんだからな。」

 枢坂は苦笑して、那由多に目配せしたが変わらず猫のように威嚇された。終いには口パクで「姉さんに近付くな」と言ってきた。

 これは人見知りというより姉への執着に見える…。枢坂は口に出しそうになったが、危うく留まった。

 その時、障子の向こうから黒髪の美人な着物の女性が歩いてきた。女性は落ち着いた雰囲気で三人の元に来た。

「まぁまぁどうしたんです?縁が恋人を連れてきたって那由多が....。」

「そうですお母さん!この男図々しく家に上がり込んで、絶対姉さんに何かするつもりです!」

 さすがに那由多の暴論に黙ってはおれず、枢坂は口を開いた。

「ご、誤解です!縁さんとは昨日知り合いになったばかりです!」

「そうだよ、お母さん!枢坂さんは昨日の旧公民館で助けてもらったの!」

「それじゃあ、この人が....」

 縁の母は糸目気味の瞳を開き、枢坂を見つめた。枢坂は背筋がゾクッとした。彼女の目に全てを見透かされているように感じたのだ。が、次の瞬間には縁の母は笑顔になっていた。

「はじめまして、枢坂さん、縁と那由多の母の唯です。うちの子供達がご迷惑をかけましたね。お詫びにと言ってはなんですが....」

 唯は部屋の奥に手を差し出した。

「どうぞ、昼餉でも食べていって下さい。」





***********************

 



 まだ午後の仕事までは時間があったのと、神崎家(主に縁と唯)からの押しが強かったのとで、枢坂は昼食をとらせてもらうことにした。

 立派な台所に面した居間に通された彼は木目のある机に席をとった。流石に手伝おうとしたが、那由多に舌打ち混じりで「客人は座っていろ」と追いやられた。大人しく神崎邸の居間でくつろぐことにした枢坂だったが、あるものに興味を惹かれた。

 それは鴨井の上に飾られた写真だった。被写体は白髪の眉目秀麗の男性で、どこか気品と気高さが感じ取れた。那由多と縁の面影を感じるところから、恐らく二人の父親だろう。やはり神社の人間には神聖な雰囲気が感じられる。まぁ、”昔”の自分も神社と関係があったが。

 その瞬間、こめかみに痛みを感じた。どうやらまた厄介なこと、”過去”のことを思い出してしまったらしい。枢坂は首を振って、邪念を振り払った。その時、縁がお味噌汁を運んできた。彼女は枢坂の様子を訝しげに見た。

「大丈夫ですか?具合悪そうでしたけど…。」

「ん?ああいや何でもない。それより美味そうだな。」

「そうでしょう?うちの母の手腕を舐めてはいけないですからね。」

 エッヘンと縁が鼻息を荒くした時、右側のふすまからピシャリと神主姿の老人が出てきた。老人は目が見えないぐらいの眉毛の長さで同時に仙人と同等の髭を蓄えていた。新聞を片手に老人はどてっと座布団に座った。

「縁や、今日の献立は何じゃ?」

「鯖の味噌煮だよ、おじいちゃん!」

「ほうかほうか、してこの若造は誰じゃ?」

 縁の祖父はじろりと枢坂を見た。いや、眉毛のせいで本当に見ているかは分からなかったが…。枢坂は慌ててお辞儀をした。

「はじめまして、縁さんの知り合いの枢坂連之助です。」

「はん?ぱるるさか?」

「くるるさか、だよ、おじいちゃん!」

「ああ、そうか。俺はこの家の大黒柱の圭司けいじじゃ。よろしくな、リクルート坂君。」

 やれやれと縁が頭を抱え、枢坂が苦笑すると唯と那由多が鯖の味噌煮と熱々の白米を持ってやってきた。

「皆揃いましたね、それじゃあお食事にしましょう。」


 それぞれに「いただきます。」を言い、昼食が始まった。枢坂はいつの間にか配膳されていた料理の品々に感嘆の声を漏らした。

「おお、こりゃ立派だな。」

 料亭の如く鮮やかに盛られた漬物、白く光る白米、そして鼻腔をくすぐられる鯖の味噌煮。何といっても具沢山の味噌汁には強く唾液線を刺激された。

「遠慮なく食べてくださいね。」

「おい、枢坂、残したら承知しないぞ。」

 優し気な唯とは対照的に、那由多は「がるる」と来客に威嚇した。が、次に姉と顔を合わせた瞬間に人懐っこい笑顔に戻っていた。全く、恐ろしい子だ。

 神崎家での昼食は意外にというのは失礼だが、充実したものだった。まず、唯と圭司には昨夜のことを非常に感謝された。その他にも、自身の職業や呪縛解きについても少し語った。あとは神崎神社の歴史などもちょこっと。少し詳しく言えば、神崎神社は300年前に建てられたものらしく、代々商売繁盛や学業の神を祀ってきたという話だ。

 喋っていればもう食事を終えていた。枢坂も手伝って、皆で食器をタイルの水場まで運んだ。やがてひと段落し、那由多は「勉強をする」といって二階に上がっていった。もう用も済んだなと思ったとき、後ろから唯と圭司に声をかけられた。そのそばには縁が控えていた。

「どうしたんですか?」

「少し、お話があるのですが、よろしいですか?」

 枢坂は少し悩んだが、三人とも深刻そうな表情をしているのでなんとなく首を縦に振った。





****************



「枢坂さんや、神社は呪縛解きの上位の存在というのは認知しておるな?」


 居間へと戻った枢坂は唯に茶を用意されて腰を下ろした。全員が腰掛け、最初に口を開いたのは圭司だった。


「はい。神社の人間は浄化の御手と異能を併せ持って産まれてくる者が多いからとか、呪縛にかからない体だからとか。」

「そうです。ですが、稀に異能も持たずに誕生したり、呪縛にかかってしまう人間もいるのです。」

 唯の言葉に、枢坂は一瞬頭痛がした。畜生、また“過去”を思い出してしまった。枢坂は急いで平静を装い、相槌を打った。

「へぇ、どうして俺にその話を?」

「私がそうだからなんです。」

「!」 

 途端、縁が重そうにを口を開いた。枢坂は目を丸くした。しばらくもじもじしていた縁だったが、やがて意を決したように頷いた。そして巫女服に手をかけ、右肩を出した。枢坂は一瞬目をそらしそうになったが、着物の次に現れたものに目を奪われた。


 少女の右肩にあったものは刺青にも似た黒の模様だった。その模様は背中から続いているようで、蛇、または蛭のシルエットをした黒い影みたいだった。何といっても、その模様からは異様な”呪い”が感じ取れた。

「これは…。」

「数か月前、発現しました。最初は、お風呂上りにほくろのようなものがあるって気づいて、それから日が経つごとにこの痣は広がっていったのです。」

「一体、これほどまでに強い呪縛をどこで…。」

「それが、長いこと神主をしておるわしにも見当がつかんのです。」

 圭司は悔しそうに肩をすぼめた。続いて唯が口を開いた。

「呪縛の主も分からない、どこで呪縛を受けたかも分からない。ですが、この痣は間違いなく娘の命を脅かすことになるでしょう。」

「…ほかの神社からの支援は?」

 枢坂は少し黙ってそういった。瞬間、空気がますます重くなった。

「もちろん、相談しました。」

 縁が暗い口調でつづけた。

「けど、殆ど首を振られて、あろうことか絶縁を要求するところもありました。仕方ないんです、大半の神社の人間は『呪縛をかからない体』を特権にして偉ぶってるから。それこそ、私みたいな神職家系であるのに呪縛にかかってしまった人間は卑しくてたまらないらしいです。」

「心底腹が立つ、奴らは大事な孫娘を『出来損ない』や『卑しい醜女』などと罵倒してきたのじゃ。」

 圭司は眉を限界まで寄せて、低くうなった。唯はそんな圭司を落ち着かせるように、お茶を手渡した。そして枢坂の方に向き直った。

「枢坂さん、先ほどの話から分かった通り、縁の味方は私たち家族以外誰もいないのです。だけど、縁は何としても呪縛を解かないといけない。私たちとしても手伝いたいのは山々です。しかし、おじいちゃんは老齢ですし、私は体が弱く、呪縛を解くのは難しいです。那由多もまだ小さいので危なっかしいことはさせられません。ですから、」


「俺に呪縛を解く手伝いをしてほしいと?」

 唯は返事の代わりにゆっくり頷いた。枢坂はそんな唯を見つめた。彼女の瞳は我が子を救う意思を強く映し出している。その時、縁が枢坂の横に来た。そして頭を下げた。

「おい、そこまでしなくても_」

「不躾な願いだとは承知しています。でも私、どうしても『生きたい』んです!」

 ばっと縁は顔を上げ、涙でにじんだ目で枢坂を真っすぐ見つめた。



 その時、枢坂の脳裏に閉ざされた己の”過去”の場面が押し寄せた。





*****************





「失敗作」



「お前なんか生まれてくる前に殺しておけばよかった」



「出来損ないは呪い殺されろ」






 自分も縁と同じだった。力も名前もある神社に生まれながら、幼少期に呪縛に侵され母以外の全てから差別を受けた。暴力、嘲笑、拷問と変わらない鍛錬…。母が自分を連れて家を出ていってくれ、”あの人”に呪縛を解いてもらうまでは生き地獄だった。

 正直、途中で生きることを放棄したいような苦行ばかりを受けた。だが、俺は生きて、成長し、ここにいる。なぜならそれぐらい生きたかったから。


 目の前にいる少女は、あの時の自分を同じだ。呪縛に苦しめられ、家族共々迫害されている。少し違うのは味方が圧倒的に少ないこと。

 きっと事務所を建てたとき政府から神崎神社の紹介が来なかったのは、奴らもこの一家を見捨てたからだろう。周りの神社からもほとんど見放されている。

 別にここで酷く見捨てったいい。だが、それじゃあどうにも寝覚めが悪い。それじゃあ自分は何か、とてつもなく恩知らずのようにも思えた。そう思ったときにはもう体は反応していた。



「承ろう。」

 瞬間、縁の顔がぱあっと輝いた。唯と圭司も心底ほっとしたような顔をした。縁は枢坂の両手をブンブン振って、何回も頭を下げた。

「ありがとうございます!ありがとうございます!お代金はいくらでも_」

「必要ない。呪縛と立ち向かう覚悟だけもらっておく。」

 縁は頬を赤くし、更に「ありがとう」と呟いたのだった。





 その後、枢坂は縁と連絡先を交換し、事務所の場所を教えた。これからの計画としてはともに呪縛を解き、縁に呪縛をかけた張本人を見つけ出そうということだった。神崎邸を出たときには、既に昼真っ只中だった。枢坂は、昼餉のお礼にと茶菓子と茶葉を縁に手渡した。そして午後の仕事に赴こうとしたとき、圭司と唯から「縁を頼みます。」ともう一度頭を下げられた。

 小間の街に踏み出した枢坂は明るい空を見上げて、軽く息を吐いたのだった。









******************




 古都の雰囲気を些か感じられる場所、京都。その中心部には、恐らく日本有数であろう格式高い「松宮神社」がそびえたっていた。その姿は見る者すべてがその立派さに感嘆の息を漏らすほどの成りをしており、常人には近寄りがたい空気を醸し出していた。

 そんな松宮神社の最上階には、松宮家現当主である冷たい端正な初老の男が京の町を見下ろしていた。


「雪之丞さま。」


「なんだ?」


 当主、雪之丞は隙間を空けて跪く己の部下を見た。紫の袴を着た部下の男は、膝まづいたまま確かな口調で言った。

「奴が、『涅槃の逆徒』が封印を解き世に出現しました。」


「そうか…。」



 雪之丞は落ち着いて、相槌を打つと前に向き直った。


「醜き呪縛めが。今にもその薄汚い身を、この御手で消し去ってやる。」








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呪縛解き 渋谷滄溟 @rererefa

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