赤く染まるヒマワリ

目目ミミ 手手

第1話 赤く染まるヒマワリ

すぐに分かった。この人生に意味などないということに。だがそれでも生きてしまっている。そう簡単に諦めてしまうことはできなかったから。


俺は王国の第8王子として生まれた。末っ子ってことになる。第7王子とは14歳、第一王子とは22歳の差がある。


父である王にも兄である王子たちにも数えるほどしか会ったことがないし、会話という会話もしたことはない。せいぜい挨拶程度だ。


父はきっと俺なんかはいらなかったのだろう。だが出来てしまった。それだけの理由で俺は産まれ落ちたのだ。母親の記憶は一切ない。母親はどこぞの平民で俺を生んですぐに死んだと聞いた。だがもしかしたら殺されたのかもしれない。俺も一緒に殺されなかったのは保険としての意味合いがあったのだろう。もしかしたら王に若干の愛情があって息子を殺すことができなかったのかもしれないが、それはあまり考えにくい。


5歳の時に初めて会った父の目には何の感情もなく。城に置かれている備品の一つを見るものと変わらなかった。


その後、俺は隠されるように、王都の外れに作られた館に半ば幽閉されることとなる。まあ館というには烏滸がましく、小屋といったほうがいい、そんな場所だった。


家族からさえもないものとされていた俺には生きているという実感が感じられなかった。誰も俺の存在を認めてくれないのだから。それは死ぬということへの関心も薄れさせていった。。ただただこのロウソクが消えるまで、ただ淡々と燃え続けるだけ。燃え上がることも突然吹き消されることもない。誰にも気づかれないような小さな明かりで燃え尽きていく。


だがまあ俺はいないとするがもしものときの保険として残しておきたくはあるらしく、死なないように申し訳程度の侍女が一人派遣された。名前はサリー。


とんだ貧乏くじだろう。生きていているかいないかもわからない名ばかりの王族に仕えるなんて、投獄されたようなものだ。


教養も大してないことから買われてきた町娘だということはすぐに分かった。


「アスラ様!今日の晩御飯は鶏肉ときのこのシチューですよ!」


それなのにサリーは最初からずっと明るくて笑顔を絶やさなかった。普通買われてきた娘なら出来て作り笑いが限界だろう。だがサリーの笑顔にそんな感じはしなかった。


きっと辛いことがあって、今だって辛いことの延長線上に違いないのに。なぜこの娘はこんな風に笑えるんだろう。


サリーは毎日俺に笑いかけた。表情の失われた、いや、表情というものをそもそも知らない俺にだ。笑い返すことなどできなかった。生まれて一度も笑ったことのない俺には笑い方が分からなかったから。



「アスラ様!外に来てください!今日はポラリスの日です!お星さまは凄く明るいですよ!お月様もおっきいです」


満面の笑みで俺を外へ引っ張り出す。星空はとても綺麗だった。夜なのに眩しいほどに輝く星々。だが俺にはサリーの笑顔の方が眩しく思えた。いつかその笑顔の理由を聞いてみようと思った。


「アスラ様!クッキー焼いてみたんです!」


サリーは定期的に配給されるたいして多くもない食料を工夫して毎日いろいろなものを作ってくれた。砂糖など大して貰えないのにサリーはたまにお菓子を作った。


「あ、アスラ様!今笑った!甘いもの好きなんですね!じゃあなんとかして砂糖をもっと手に入れないと!」


サリーは楽しそうに小さな庭に砂糖の元となるらしいカブを植えだした。知り合いの農家に苗を分けてもらって来たらしい。


「待っててくださいよ!アスラ様!砂糖を作って甘いお菓子をいっぱい作りますから!」


本当にこの子は楽しそうに笑うんだ。つられてしまうほどに。


「あ、アスラ様!またちょっと笑った!よかった!楽しみにしててくださいよ」


俺が少し笑っただけでサリーは大金を手に入れたかのように飛び跳ねて喜んだ。なんで自分を苦しめる人間が笑うことがそんなに嬉しいんだろう。


「アスラ様!今日のクッキーは一味違いますよ!真ん中に飴細工を入れてみたんです!」


クッキーの真ん中に紅い飴細工が埋め込まれていてまるで宝石をあしらった装飾品のようだった。


「そう言って貰えるのは嬉しいですけど、私はアスラ様に食べてもらいたくて作ったんです。だからどうか食べてください」


綺麗すぎて食べるのがもったいないというとサリーがクッキーを口に入れて来た。


「どうですか?甘くて美味しいでしょ」


そう言って優しく笑うサリーを見て心が温かくなっていくのを感じた。顔が熱くなってくるのも。


サリーとの生活は楽しかった。生きていたいと思わせてくれた。出来る事ならこのままずっとサリーと一緒に。


そんな生活を何年も過ごしていくうちに、いつの間にか俺は15歳の誕生日を迎えていた。この国では成人とされる歳だ。


「アスラ様!おめでとうございます!」


ずっと二人で暮らしてきた。


「今日はご馳走を沢山作りましたよ!」


サリーは元気に俺の世話をしてくれた。あまりにも健気なサリーが見ていられなくなって、何度も逃げていいと言った。


『父に言ったりしないから、ここから去れ。俺と一緒にいてもなにもいいことはない。君の人生を台無しにしてしまう』


だがサリーの返事はいつも一緒だった。


『ふふふ、嫌ですよ。私はあなた様とずっと一緒にいます』


『頑固者め』


『それだけはアスラ様に命じられても従えません』


そう言ってサリーはいつも可愛らしく笑った。俺はこの笑顔に恋をした。他の女性と比較はできないが、本で読んだことはある。これは恋で愛だ。


「今日のために少しずつ節約してきたんですよ!どうですか?この御馳走は!」


サリーが食堂の扉を開く。そこにはテーブルいっぱいの料理が並んでいた。王族の誕生日にしては質素なものだが、それでも品数は多く、サリーの頑張りが痛いほど伝わって来た。この子はいつだってそうだ。俺のためなら努力を惜しまない。こんな俺のために。


「ありがとう。今日は人生最高の日だ」


心の底からの言葉だった。これ以上に幸せを感じた日は生まれて初めてだった。サリーとの日々は毎日が幸せだったが、今日は特別だ。ああ、今日でよかった。


「よかった!」


そう言って笑ったサリーの笑顔は真冬だというのにヒマワリを連想させた。


「サリーの笑顔はまるでヒマワリみたいだ」


気が付くと口からこぼれていた。


「え?ええ?えええ?」


サリーは真っ赤になりながらアタフタしていた。その姿が何よりも愛おしく感じた。赤く染まったヒマワリを見た者など世界でも俺だけだろう。


「ありがとう」


「な、何をおっしゃいますか!私こそありがとうございますです!!!」


「はははは!」


「えへへへ!」


なぜかおかしくなってしまって二人で笑ってしまった。


この日は二人でご馳走を食べ、二人で初めてのワインを開けた。サリーはすぐに酔っぱらってフラフラになってしまったが最後に誕生日プレゼントをくれた。真っ赤な手編みのマフラーだ。


俺は寝そうだったサリーを部屋まで運んでベッドに寝かせる。


「ありがとう。ごめんな。愛している」


俺はサリーの額にキスして部屋を出た。そして裏口へ向かう。そこには一人の神父が立っていた。


「よく来てくれたありがとう」


「構いません」


彼は俺が毎週ミサに通っている教会の神父だ。


「薬もよく効いた」


「では今サリーは仮死状態ですか?」


「ああ、今のうちに連れて行ってくれ」


「わかりました」


神父は小柄なサリーを抱えて帰って行く。最後に祈りを捧げて。



サリーはこの小屋からあまり外に出ていないし、文字も読めないから知らなかったようだが、三カ月前王が急死した。更に不運にも時期を同じくして第一王子も戦場で死んだという。それから王宮は後継者争いで殺し合いのようになっているらしい。王族だけでなく、貴族や、大臣、将軍、各権力者が入り乱れてだ。


王族の誰かが王になれば問題ないが、かなり劣勢らしい。王族でない誰かが王になろうとした場合、俺の存在が邪魔になる。そしてそれを知るサリーも殺されてしまうだろう。


俺は本当に人生最高の日を彩った残骸たちを愛おしく眺める。キノコと鶏肉のシチュー、肉がたっぷり入ったラザニア、ミートボールとトマトのスパゲティ、こじんまりとしていたが俺の名前が入った可愛らしいケーキ、そして俺の好物だった紅い宝石をはめ込んだクッキー。どれもがほっぺたが落ちるほどおいしかった。最後に空になったワイングラスを眺める。


薬なんかを飲ませてごめん。本当なら君とゆっくりワインを飲みながら朝まで語り合いたかった。俺は瓶に残っていたワインを一気に飲み干し、屋敷中を見て回る。サリーとの思い出がない場所などどこにもない。そこの隅にだってサリーとの思い出が転がってる。


『アスラ様!見てください!この棒に布を巻いてお掃除するとこんなところまでピカピカになりました!』


そこの天井にだって。


『アスラ様!私の背じゃ届かなくて天井を拭けないので椅子を押さえててもらえませんか?あ、でも上は見ちゃだめですよ。だって、その、パンツが見えてしまいますから』


あの壁にも。


『アスラ様!見てください!今月は壁にラベンダーの押し花を飾り付けてみました!来月は何の花にしようかなー。楽しみにしててくださいね』


ゆっくりと思い出をたどりながら、その思い出たちを油で濡らしていく。


一通り屋敷中に油をまき終わったら真っ赤なマフラーを首に巻く。温かかった。まるでサリーが抱きしめてくれているかのように。はぁ、本当に今日は最高の日だ。俺は幸せな気持ちでマッチに火を点け床にそっと落とした。


サリーに飲ませた薬は神父に手に入れてもらったもので、一旦仮死状態になり目が覚めると記憶を失ってしまうというものだ。全ての記憶を奪ってしまうなんてとてもひどいことだとはわかっている。


でも最後に彼女の泣き顔を思い浮かべて死にたくなかった。きっと彼女は俺が死んだら泣いてしまうから。こればっかりは俺の我儘だ。本当にごめん、サリー。愛している。


覚悟を決めて目を閉じるとヒマワリのような笑顔が見えた。そういえばその笑顔の理由を聞くのを忘れたな。






今の王様は元は元帥だった人だと聞いた。王族は権力に目がくらんだ貴族や大臣たちにみんな暗殺されてしまって、その逆賊たちを元帥さんが粛正?をして王になったらしい。


神父様は本当かどうかはわからないと言っていたけど。


私は今神父様が経営する孤児院で働いている。


道に倒れていた私を神父さんが拾ってくれたらしい。目が覚めた私には記憶がなかった。自分の名前もわからなかった私に神父様は『アスリー』という名前をつけてくれた。


「アスリー、ご苦労様。もう夕飯にしよう」


「はい、分かりました」


「そ、そうか」


神父様は私の顔を見るといつも変な顔をする。きっと私に表情がないからだろう。私は記憶だけじゃなく表情も失くしてしまったようだ。楽しいも悲しいもわかる。感情を失くしたわけじゃない。ただ表情が動かない。


記憶はなくても、体が覚えてるのか料理は不思議と作ることができた。孤児院の子供たちのご飯は私が作っている。


今日は鶏肉とキノコのシチュー。


「アスリーお姉ちゃん!すっごくおいしい!」


「ありがとう。いっぱい食べてね」


子供たちは可愛い。でも可愛いという表情をしていないんだろう。子供たちの顔を見ればわかる。それでもこの子たちは私をお姉ちゃんと呼んでくれる。


「アスリーお姉ちゃん!今日はポラリスの日だから星も月もおっきいよ!」


子供たちに連れられて見上げた星空から目が離せなかった。綺麗なのは当たり前なんだが、なんというか目を離すのが嫌だったんだ。


「そういえばアスリー、行商人から砂糖を分けてもらってな。せっかくだから子供たちにお菓子を食べさせてやりたいんだが何か作れるか?」


ある日、神父様が言ってきた。ここに来てからお菓子を作ったことはなかった。でも一つだけ作れる気がした。


「クッキーなら作れると思います」


「では頼む。明日の午後にでも子供たちに食べさせてやって欲しい」


「わかりました」


「私も楽しみにしているよ」


翌日私はクッキーを焼いた。クッキーを作っていると不思議と胸が温かくなった。すごく幸せな時間に感じたのだ。


「お姉ちゃん!すっごくおいしー!」


「甘くて頬っぺた落ちそう!」


子供たちが喜んでくれたのがとても嬉しかった。どこか懐かしい気持ちにもなった。


「これはおいしいなぁ。今度また行商人が来た時に頼んでみるからまた作っておくれ」


「はい、神父様」


翌月、神父様は行商人からまた砂糖を貰って来てくれた。前回よりも少し多めに。だから私は前より少し豪華なクッキーを焼くことにした。


「すごい!アスリーお姉ちゃん!このクッキー、宝石が入ってる!」


「お姉ちゃん!このクッキーの真ん中にあるの宝石みたいで食べるのがもったいないよ!」


「え?」


知ってる。この言葉。


「どうしたの?お姉ちゃん。どこか痛いの?」


「え?」


「だって泣いてるから」


「え?」


ビックリして頬に触れてみると本当に目から涙が流れてきていた。自分には流れないものなのだと思っていたのに。


なぜ流れたわからない涙を焦って拭い、もったいなくて食べられないと言った男の子の口にクッキーを運んであげた。早くそうしなくちゃと思ったから。私は彼の笑顔が早く見たかったんだ。


彼の、、、彼?彼って誰だろう。目の前の男の子、、、のことではない気がする。なにかもっと特別な、、、特別な、、、ダメ、、わからない。


年越しの日、一年間節約してきた食材を使ってご馳走を作った。


「すっごーい!御馳走だー!!!」


はしゃいでる子供たちを見てとても嬉しくなった。でも子供たちの顔を見ればわかる。私はきっと無表情のままなんでしょう。


子供たちはご馳走をお腹いっぱい食べて眠ってしまった。子供たちを寝室に運び、皆が食べ終わった食器を片付ける。


そうしていると神父様がワインボトルを持ってやってくる。


「今日はお疲れ様です。ほらこんな日ぐらい一杯いかがですか?」


神父さんはもう少し酔っているようだった。神父さんの好意を断る理由なんてない。私は神父さんからグラスを貰いワインに口を付ける。


アルコールが体に入ってきて少しフワフワしてくる。


「アスリー、今日はありがとう。子供たちにとっても最高の日になったはずだ」


「ありがとうございます」


神父様からの労いの言葉。なのだが、どこかで聞き覚えがあるような。


そんな時にふと頭のなかで声が響いた。


『ありがとう。今日は人生最高の日だ』


「え?」


知ってる。この言葉も声も。


「アスラ様、、、」


気が付くと言葉が口からこぼれていた。


「アスリー、もしやお前記憶が!」


「え?」


「いやなんでもない」


「え?」


「すまん、余計なことを言った。落ち着け、アスリー」


「アスラ様?、、、アスラ様、、、アスラ様!」


そして霞のかかっていた頭のなかに一人の青年の笑顔が浮かび上がる。この笑顔は私の宝物だった。


気付くと涙があふれていた。なぜ忘れていたんだろう。私にとって世界で一番大事な存在。私に愛をくれた人。私を人にしてくれた人。私の命。私の全て。私の最愛の人。


「うわあああん」


私は声を上げて泣いた。思い出した。全部思い出した。一日一日が宝石のように輝いていた。アスラ様との日々。


死んでしまった王族の一人は、手の届かない方ではない。私を愛してくれたたった一人のお方だ。なぜ私を置いて行ってしまったんですか!私も一緒に連れて行ってほしかった!


、、、でもきっとアスラ様はそんなことしない。本当はわかっています。すべて私のためにしたことなんだって。そして私が泣かないように記憶をもっていってくれたんですね。アスラ様はお優しいから。


でも舐めないでくださいよ、アスラ様。サリーは絶対に忘れません。忘れてあげるもんですか。お忘れですか?私は頑固者なのです。


『ふふふ、嫌ですよ。私はあなた様とずっと一緒にいます』


『頑固者め』


『それだけはアスラ様に命じられても従えません』


泣いたってかまいません。私はこれからきっといっぱいいっぱい悲しみます。それでもどんなにつらくてもアスラ様との思い出を抱きしめて生きて生きます。あの日々は私が生きてきた全てなんです。


それに私にはあの言葉がありますから。


『ありがとう。ごめんな。愛している』


アスラ様、私本当は少し起きてたんですよ。そのあとすぐに眠ってしまいましたが、アスラ様の最後の言葉も額へのキスも覚えてるんです。


『絶対私の方が愛していますよ、アスリー様』


私はあの時こう返したかったんです。こう言って胸を張りたかったんです。そして唇にキスをしたはずです。


いや恥ずかしいからそこまでできたかはわかりませんが。


いいえ、でもきっと言葉だけでは私のこの愛は伝えきれないだろうから、やっぱりキスもしたかもです。


ね、アスラ様。私は大丈夫でしょう?だから安心してください。泣かないでください。なんでかはわからないけどアスラ様が泣いてるように感じたから。


愛していました。愛しています。愛していきます。


「アスリー、大丈夫か!?」


ずっと蹲って泣いていた私を心配して神父様が声をかけてくれる。


「大丈夫です。神父様」


覚悟を決めた私はゆっくりと顔を上げる。


「お前その顔!」


私の顔を見て神父様が驚く。


「えへへ。どうですか?神父様、私笑えてますか?」


涙を流しながらぐちゃぐちゃな顔で私は満面の笑みを浮かべていた。はず。


「ああ、笑えているよ。まるでー


『ヒマワリみたいだ』


アスラ様の声が聞こえた気がした。

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