落ちていた腕時計を、拾った。
晩白柚
第1話
「ようやく……金曜日が終わった……」
スーツを着た男がふらふらと夜道を歩いている。
「明日はようやく休みか……良かった……」
男は金曜日の仕事を終え、明日から休日の二日間が始まろうとしている。
一刻も早く家に帰って寝たい気持ちと、明日思いっきり寝倒してその後何をしようかと考える時間を楽しみたいという気持ちがせめぎ合い、男はゆっくりと歩いて帰っているのであった。
「何しようかな……。ってか俺就職してから休みの日って何してたんだっけ……」
思い返してみたものの、何一つ思い出せない。辛うじて先月は床屋に行ったという事を思い出すことが出来た。
男の目がすうっと遠くなる。
元来男は自由な性格であった。学生時代は思い立ったらすぐ行動する男だったため、世界のあちこちにリュックを背負い旅行に行っていた。移動距離の総合計ではおそらく地球一周以上は確実にしているだろう。
「……久々に旅行でも良いな。こう、周りに人のいない、何か癒やされるような場所に行きたい。寂れた温泉街なんかでも良いかもしれない」
たまの休みだ。若い頃なら確実に海外に行っていた男であるが、悲しいかな、金はあれど海外に出る活力と時間は無いのだ。
「あー、自由な時間が欲しい」
何もしなくて良い時間を過ごす事が出来れば、休日に何かをやろうという気力も湧いてくるというものだ。
男はそんなことを考えながら歩いていると、家の近くの神社の鳥居の前にさしかかった。
普段も良く通る道なので、鳥居は何十回何百回と見ながら生活している。しかし、男はそういえばこの神社にお参りをしたことがない事に気がついた。
「……まあ家の近くだし、また今度でも良いけどなあ」
男はそう言いつつも言葉とは裏腹に鳥居をくぐり、神社に入った。
小さい神社だ。参拝時間外でもお参りできないなんて事は無い。
御手洗で手を清め、奥の方の神社でお参りをした。
参る気も無いのに入ってしまった男は、何を祈るかは全く考えていなかったので、目を閉じてとりあえず無病息災を祈っておく。
そして目を開いた。
すると、祈りを終えた男の目に飛び込んできたのは、やけに古めかしい腕時計だった。
革のベルトに金色の縁取り、ローマ数字の文字盤が下の歯車を透かしてみせており、とてもおしゃれな腕時計だ。
地面に落ちているのはさすがにかわいそうだ。男はそう思い、腕時計を拾って持ち上げる。
その途端、ぴかっと神殿の方から光が放たれ、腕時計がその光を吸い込んでいく。
全ての光を吸い込んだとき、腕時計はキラッと一際輝き、そして光が消えた。
男は時計の文字盤をのぞき込む。
すると先ほどとは打って変わり、ローマ数字の部分が青く鮮やかに光っていた。
男は何とはなしに腕時計を装着する。
ベルトの穴は一つしか空いておらず、そしてその穴の位置は男の手首のサイズにぴったりであった。
男は直感的に思った。
この腕時計は自分のための腕時計だと。
男はおもむろにカバンを放り投げた。
バサバサと音がして、中身の書類や重電コードなどが辺りにまき散らされる。カバンや書類には泥が付き、今から拾ったとしても泥だらけになること必至である。
男は悠々と左手の腕時計に手をやり、ぽんぽんと軽く2回タップする。
キュルキュルキュルと音がしてカバンが浮き上がり、散らばった書類や重電コードなどがひとりでにカバンに集まり、そしてカバンは男の手の中へと戻った。
「ふふ……くふふ……」
真夜中の神社で男は一人、こみ上げてくる笑いを抑えきれず、笑っていた。
それからというもの、男の腕にはいつもその腕時計があった。
男は何かまずいことが起きると時計をタップし、時間を巻き戻すことが出来る。どれだけ巻き戻すことが出来るかも自由自在だ。
設定し、2回タップするだけで戻ることが出来る。しかも未来の記憶を持ったままでだ。
これがあれば時間を無駄にすることは無い。
今やこの力は男にとって無くてはならないものになっていた。
男は腕時計に触っていると、頭のもやが全て晴れて爽やかな気持ちになるのを感じていた。
未来を知り、望む未来を引き寄せることが出来る。
何でもだ。何でも出来る。
自分は神に選ばれたのだ。
先の見えない暗い道を、この腕時計が明るく照らしてくれていると感じていた。
いつしか男の休日は、時計を眺めてはあれが出来る、これが出来ると想像し、その全能感に陶酔するという休日になっていた。
時間を巻き戻すだけでは無く、止めることも出来るのでは?自分だけ時間が早く流れ、周りが遅く流れるというのも可能か?巻き戻すのでは無く早送りは出来ないのか?
こういったことを考えるだけで男は心が満たされていくのを感じた。
今まで人よりも勝るものを持っていなかった男だ。神に選ばれた男、その響きだけで何もかも忘れることが出来た。
男はいつしか時計に依存し、腕時計を外すことすら嫌がるようになった。
そんなある日、男が会社から帰っていると、神社の横の山から嫌な気配を感じた。
男は巻き戻し地点を2時間前に設定し、見に行くことにした。
山を登り、嫌な気配のする方へ歩いて行くと、そこにはうずたかく積まれたカラスの死体があった。
男はこみ上げる吐き気を何とか押さえ、周囲を観察する。
カラスの死体は上の方はまだ新しいのか、羽毛もきちんと生えているが、下の方はもはや原形すらとどめていない。そして、カラスの死体であると認識した途端、ものすごい悪臭が鼻をついた。
ここにいてはいけない。そういう気配をビンビンと感じる。
男は腕時計をタップしようとした。
しかし、慌ててしまったのか、何やら紐のようなものに触れてしまう。
バシュッ!!
「ぐうっ……」
恐る恐る男が自分の身体を見ると、右の脇腹に矢が刺さっていた。
途端、脇腹から走る激痛が男を襲う。
「あっ……がはっ……」
男は息をうまく吸うことが出来なくなっていた。
絶え間なく脇腹が爆発するような痛みを感じ、頭では腕時計をタップしろ!という命令が出ているが、身体がそれを理解できていない。
パチパチと目の前に火花がはじけるようなものを感じる。
――あれ、ちょっとまずいな。
男は左腕に付けた時計をにらみつけた。
タップしたいが右手が無い。
右手は少しでも出血を抑えようと脇腹を押さえているためだ。
巻き戻せ……!巻き戻せば……!!
男は右手を手放そうとするも、話そうとした瞬間に走る激痛に負け、右手を離すことが出来ない。
――これ助けられなくね?さすがに罠の毒弓にひっかかるのはまずかったな。
力尽き、仰向けに倒れ込んだ男。力なく倒れたその身体は、ぴくっぴくっとけいれんするだけになってしまった。
そしてその後、最後まで地面に付けなかった左腕もついに力尽き、どうっと音を立てて地面に落ちた。身体はそれ以降、ピクリとも動かなくなってしまった。
――え、あっ、死んだわこれ。
――この後も何も思いつかないし。
――もう無理。ボツだボツ。こんなもの。
男は目を覚ました。
白い、白い空間だった。
天井はどこにあるか分からず、壁もどこにあるのかわからない。
自分の身体を見ると、うっすらと透けている。服装はスーツを着てカバンを持っているので、記憶の最後と同じ格好だ。矢は刺さっていない。勿論腕時計も付いている。
男は腕時計をタップした。
だが、時間は巻き戻らない。
いや、もしかしたら巻き戻っているのかもしれないが、周りの空間に何の変化も無いため、巻き戻っているかどうかが確認できないというのが本当だろうか。
巻き戻しは11時間59分前までしか巻き戻すことが出来ない。それ以上はアナログ時計の仕様上巻き戻せないのだ。
男は最大で巻き戻し、変わらず白い空間にいることを認識した。
「……死んだのかな」
男がそうぽつりとつぶやいたときだった。
「アイヤー、お兄さんもここ来たアルカ?」
「えっ?」
声がした方を見ると、そこにはチャイナ服を着た、左右の目の色が違う女が立っていた。いわゆるオッドアイというやつである。
「お兄さん元気アルカ?」
「お前は……?」
そう聞くと、チャイナ服の女はくるりと一回転して答えた。
「私の名前、麗花(リーファ)って言うアル。よろしくアルネ。お兄さんとっても美味しそうな声アルネ」
「美味しそうな声……?」
「私、共感覚アルネ。いろんな音が美味しそうとか辛そうとか甘そうに聞こえたりするアル」
「そうなんだ……」
男にはその感覚はさっぱり分からなかった。
麗花はその紫と黄色の眼をパチパチとしながら男に聞いた。
「お兄さん元気ないアルネ」
「え?ああ、まあ、そうだな」
死んだ直後だ。男に元気が無いのも無理は無い。
麗花が男の隣に座る。
ふわっと良い匂いが男の鼻をくすぐった。
「お兄さんはどうやってここに来たアルカ?」
こちらをじっと見上げる麗花の視線から男はつい目をそらした。
「ま、まあどうやってかはわからないけどな。ここの脇腹に矢が刺さって、動けなくて、助けも呼べなくて、それで死んで……みたいな?」
「……よくそんな話笑いながら出来るアルネ」
男が麗花の顔を見ると、若干引き気味な顔をしていた。
「そっちは?」
「私もよくわからんアルヨ。友達と遊んでただけで、気づいたらここにいたアル」
「へえー」
「最初は不安だったアル。でも何日ももうお腹空かないアル。多分食べなくても死なないアル」
「そ、そうか」
お腹が空かないって事はもうこれは死んだって事なのだろうか。
男はため息をついた。
ふと見ると、麗花の頭に花の髪飾りが突いているのを見つけた。
一輪の花に細い銀色のチェーンが四、五本垂れ下がっている。一見なんてことの無い髪飾りだが、男は自分の腕時計と似たような雰囲気を感じた。
「……その髪飾りってさ」
少し言いよどんだ男。
自分の腕時計と同じか?と聞くことは出来なかった。
自分と同様に、こいつも神に選ばれたと認めることは自分のプライドが許さなかったのである。
しかし、その男の抵抗も意味の無いものとなってしまった。
麗花が髪飾りを外し、自分の手元に置いた。
「この髪飾りは特別な髪飾りアル。ちょっと前に神社で何となく買ったアルヨ。これ付けてから私、この話し方しか出来なくなったアル。でもこれのおかげで小さいときから友達のいなかった私が沢山友達出来たアル。周りの人も優しくしてくれるアルヨ。このチャイナ服もこれに合わせて着てるアル」
「そうなんだ」
「私の……人生を変えてくれた髪飾りアルヨ」
しゃらりと音を立てる銀色のチェーン。
男は自分の腕時計と同様、これが特別な髪飾りであることを認めざるを得なかった。
「あ、お兄さんもその時計……」
「ああ」
男は時計を外し、手に持った。
時計はこの空間に来ても、毎秒毎秒時間を刻み続けている。
「俺もこの時計のおかげでちょっとは人生変わった……かな」
あの日、神社で拾った時計。
神殿から放たれる光を吸い込み、輝いた時計。
「人生変えてくれたって、思ってたんだけどな……」
男は腕時計をしばらく眺め、左手に付けなおした。
麗花も髪飾りを付けなおす。
「どこなんだろうな、ここ……」
再度ため息をつく男。
しばらく静寂が流れ、麗花がそれを破った。
「……実はほかにも話せそうな人はいるアルヨ」
「そうなのか?」
「何となく怖そうだから行かなかったアルヨ。でもお兄さんもいるなら大丈夫アル!」
麗花は立ち上がり、男の返事も待たずに歩き始めた。
男も慌てて立ち上がり、麗花について行く。
歩きながら周りを見ると、何やらぼやっとした影のようなものが周囲に浮いているのに気づいた。
よく見ると、ゴテゴテと飾りが付いている大剣や、シンプルな二丁の拳銃、大きなハンマーなどの形をしている。
「これは?」
「わからないアル」
「そうか……」
少し遠くの方には異様なほど滑らかで正確な立方体や、天まで届こうかというほど高いねじれた白い塔のような影もあった。
どんどんと進んでいた麗花は少し立ち止まり、大きな逆三角形のピラミッドの下の方を指し示した。
「あの辺りにいるアルヨ」
男も目をこらして見た。
確かにその辺りに黒い人影が二つほど見える。
一人はおそらく座っており、もう一人はそれに付き添うように立っていた。
まるで何かを待ち構えるような雰囲気を感じる。
「……よし、じゃあ行くか」
男と麗花は連れだって人影の前に出た。
「待っていたぞ。二人とも」
座っている方が口を開いた。
「私の名は皇尊人(すめらぎみこと)だ。よろしく頼む。こっちは秘書の早乙女だ」
立っている方の女性が頭を下げた。
黒地に豪奢な金の飾りの付いたロングコートを着た皇は、ソファに悠然と腰掛けており、早乙女と呼ばれた女性は黒スーツを着て眼鏡をかけ、一切口を開かず横に立っていた。
「見たところ、二人とも最近この世界に来たと見えるな。違うか?」
「……まあ俺はさっき来たばかりだな」
「私はもう少し前アルヨ」
「私はこの世界に来てから毎秒、忘れること無くカウントを続けている。それによると1万495年2ヶ月と13日、8時間32分18秒経っているな」
皇はこともなげにそう言った。
「私は何でも出来るし、何でも知っている。それが私の能力、黒き神の御衣(トゥニカ・デル・ディオス・ネグロ)だ。二人はこの世界のことが聞きたくてここに来た。そうだろう?」
「……そうだ」
「ならば教えてやろう。この世界はな」
皇は一度言葉を切り、そして続けた。
「墓場だ」
「墓場……?」
「神によって選ばれ、作り上げられ、そして捨てられたものは全てここに来る。そういう場所だ」
「何だって……?」
男は思わず腕時計を見た。
「その腕時計、貴様はそれを付けることで神によって選ばれ、神の創作の一部となった。そして神の思い通りに動かされ、その後貴様ごとこの世界に捨てた、とそういうわけだ」
「神の、創作?」
「そうだ。ここにあるものは全てそうだ。この上のねじくれた白い塔、あそこの刀、この椅子も神によって作り上げられ、そして捨てられたものだ」
男はにわかには信じられなかった。神に選ばれた、それ自体は間違っていなかった。
「私のこのコート、早乙女のペン、その腕時計、そっちの髪飾り。本質は皆同じだ。身につけることで神の創作の一部となり、神に操られることとなる」
しかし、その後捨てられるというのは?何故そうなるのか?
「何故、我々は捨てられたんだ?」
「……神のやることだ。我々には思いもよらん。だが、お前も神の言葉を聞かなかったか?」
「言葉?」
「『ボツ』という言葉だ。これが我々の知るボツと同じ意味であるならば、神は我々を用いて創るストーリーに満足されなかったということだ」
男はそれを聞き、拳をぐっと握りしめた。
「……要は勝手に巻き込んで面白くなかったらまとめて捨てるって事だろ?そんなことが許されて良いっていうのか?」
皇は口を閉ざした。
しかし、男は言葉を止めることが出来なかった。
「確かに俺も時計をもらった。それで良い思いもした。でも俺は最後、罠にかかって毒矢で殺されたんだぞ!それも神の創作だっていうのか?」
皇はゆっくりと首を縦に振った。
「ふざけるんじゃねえ!人の人生を弄びやがって!」
「お兄さん落ち着くアル……」
「落ち着いていられるか!ようやく、ようやく俺も少し人生が楽しくなってきたと、そう思ってたんだぞ……」
男はうなだれてその場に座り込んだ。
「一生、ここから出れないっていうのか……?」
「……実は出る方法は1個だけある」
「何?」
皇が口を開く。
「ここは神の創作を貯めておく場所だ。神の道具、私の場合はこのコート。君の場合はその腕時計だな。これがある限り、我々は神の創作の一部としてこの世界に存在が許される。つまりこの道具を壊した場合、神の創作から外れて現世に戻ることが出来る」
「ならこれを壊せば――」
「だが、本当に出来るか?」
「……どういうことだ?」
皇はゆっくりと手を広げた。
「今の我々の個性はこの道具に依存しているのは間違いない。いわば我々のアイデンティティとも言えるこの道具を捨て、一生を無個性のつまらない人間で終える覚悟はあるか?とそう聞いているんだ」
男の頭に様々な光景がフラッシュバックした。いくら勉強しても成績が中の上より上がらなかった学生時代。強豪校との試合でボコボコにやられた部活。一緒に頑張ろうと誓った同期が早々と出世し、もう言葉を交わすことも無くなったサラリーマン生活。
「私もかつてはつまらない男だった。無個性で平凡で何の取り柄も無かった。だがこのコートのおかげでひとときでも主役になれたんだ。それなのにこのコートを捨てて、その他大勢のモブキャラその1として生きることは出来るか?私には……できない」
皇の顔がゆがんだ。
「私はいつも端っこで生きてきた。隅の方で、目立たず、ひっそりとだ。だがもううんざりなんだ!私の人生なんだ。私が主役だ。私は理想を体現せねばならない!そのために、このコートは、絶対に必要なんだ……っ!」
拳を作り、息を荒くする皇。
早乙女がすっと紅茶を差し出し、皇はそれを一息に飲み干した。
「……私はね、いつまでも待っているよ。この世界に神が来て、再び私を主人公とするストーリーを紡ぐ日が来ることをね」
皇はかちゃりと音を立て、紅茶のカップをソーサーに置いた。
男は立ち上がり、言った。
「くだらないな」
「何だって?」
「てめえの都合で勝手に巻き込んで、勝手にボツにする神のどこを信じるっていうんだ?そんなもののために俺は一万年も二万年も待てねえんだよ」
男は時計を取り外し、右手でつかんだ。
「こちらには義理もへったくれも無いんだ。いくらでも捨ててやるよ、こんなもの」
「……お前は怖くないのか?」
「怖くないね。こんな道具一つで俺のアイデンティティは無くなったりしない。確かに突出したものじゃない。けど、それがどうした。これが俺の個性だと、胸張って言えるもんを作っていくのが人生ってものじゃないのか?」
男は皇に背を向けた。
「じゃあな。もう会うことも無いだろう。……元気でな」
「……私はお前がうらやましいよ」
男は皇の最後の言葉を聞く前に、皇から離れてしまった。
麗花が慌てて後を追う。
皇はそれを見て長いため息をついた。
意気消沈した皇を見て、早乙女は皇に話しかけた。
「尊人様……」
「早乙女、もう一杯紅茶を」
「かしこまりました」
早乙女は新たに紅茶を差し出す。
皇は立ち上る香りを胸いっぱいに吸い込んだ。茶葉の匂いが皇の鼻腔を満たす。
「……なあ早乙女」
「はい」
「私は、どこかで間違ったのだろうか」
「尊人様がそうお思いでしたら、あるいは」
「そうか……」
早乙女の返答を聞き、目を閉じた皇。
「……いつまでも私に付き合う必要は無いぞ」
「いえ、私が付き従うのは尊人様だけと決めましたので」
「……そうか」
皇は何かぼそぼそとつぶやいたが、声量が小さく、それを聞き取れたものは誰もいなかった。
男はしばらく歩き、遠くに見える皇の姿が豆粒よりも小さくなるほど離れた。
後ろには麗花も付いてきている。
「お兄さん、どこまで行くアルカ?」
「何だ?別に付いてこなくても良かったんだぞ?」
「……私もいい加減ここ出たいアルヨ。一人じゃ寂しいからほかに出る人を待ってたアル」
「そうか」
男は右手に持った腕時計を確認した。麗花も髪飾りを外し、左手に持つ。
「お兄さん、私お兄さんの事好きアルヨ。戻っても会えたら良いアルネ」
「……まあそういう小説みたいなことが起きない世界に戻るんだけどな」
「ふふっ、それもそうネ」
男は手を振り上げた。
「行くぞ。1,2の……」
3、で地面にたたきつける二人。
腕時計も髪飾りもはじけ飛び、跡形も無く消えてしまった。
途端、自分の影が足下から徐々に光の粒子に変わり、宙へと消えていく。
「お兄さん、またね」
麗花がニコッと笑い、完全に消えた。
男もすぐに全てが消える、そのときだった。
――ごめんね。僕にもっと才能があれば……。
男は直接脳内に話しかけられたように感じた。その声は暖かく、まるで男を大きく包み込むかのような声だった。
男は目を覚ました。
日付は金曜日。時計を拾った日の朝だった。
「やっべ、遅刻する!」
男は急いで着替え、部屋を出た。
そして仕事も終わり、ふらふらになりながら家路につく男。
「ああ……。明日は休みか。良かった~」
帰り道の神社も通り過ぎ、もう少しで家に着くという時だった。
角を曲がった瞬間、目の前から来ている人に気づかず、衝突しかけてしまった。
「あっ、すみません」
「すみませ……え?この味」
「味?」
「……また、会ったね。お兄さん」
男がその人を見ると、その人はオッドアイの眼を輝かせながらそう言うのであった。
落ちていた腕時計を、拾った。 晩白柚 @Banpeijunos
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