銀の骨に宿るもの

乃生 明

銀の骨に宿るもの

 天を衝く揺籃塔の階段は、全て炎で塞がれた。

 I(アイ)以外の25人の子供たちはロボットに連れられて、それぞれの寝室へ戻っていった。

 アイはスズランを見上げた。ナーサリーボットの白い軟質プラスチックの肌は熱で溶け、銀色の義眼に映るアイ自身もまた火傷で爛れている。

 「あなたは生きなければ」

 アイはその声を確かに聴いた。



 自立歩行型アンドロイド技術が確立されて約1世紀。街を歩けば銀の肌が目立つ。完全な国民再生産計画の果てに人口減少に転じたその国では、アンドロイドが人間人口を追い抜いて久しい。

 前世紀の様々な法規制は有形無実と化し、ロボットは生活の隅々まで入り込んだ。特にアンドロイドはこの国が国として機能する上で必要不可欠となっている。

 彼らが人格を持つか否かの議論は急速な人口減少の前に棚上げされ、風化し、消えていった。


 精神病院から現れたアイは、いつもの癖で左頬に手を当てた。そこには赤くケロイドが残っている。顔から足まで左半身の殆どを覆うそれは、一級国民生産施設・揺籃塔にいた頃に火事で負った火傷の痕だ。見た目と、微かに手指に引き攣れがある以外後遺症はほとんどない。年金をもらうためだけに週に一度のカウンセリングを受け続けてはいるが、正直火事のことはあまりよく覚えていない。15歳の誕生日を迎えたばかりのアイにとって、10年前はあまりに遠い過去だ。

 「スズラン」

 アンドロイドの識別名を呼んだところで気づく。アイのナーサリーボット「スズラン」は、今朝方企業のメンテナンスに出してきたばかりだ。

 メンテナンスは夜までかかると言われたが、スズランのような旧式のアンドロイドを使い続けている人は少ない。案外もう終わっているかもしれない。時計を見ると16時過ぎ。道には長く影が伸びている。スズランを回収して、夕飯作ってもらおう。

 そう思い立ち、アイはぶらぶらと工場へ足を向けた。


 夕刻の市街地は人で溢れていた。きれいな服を着た人々が、アイの火傷痕を横目に見ては追い抜いていく。そして彼らとアイの間をぬって、銀色の肌のアンドロイド達が流れていく。

 駅前のベンチには、ナーサリーボットに付き添われた女の子が座っていた。

 ふと、視線を感じ立ち止まる。辺りを見ても、それらしい人は見当たらない。ケロイドを好奇の目で見られることには慣れているけれど、今回は違う。嫌な感じだ。懐の銃の重みを唐突に思い出す。

 『揺籃塔の生まれであることは、言いふらしてはいけないよ』

 当局員の男の言葉が蘇る。

 『きみは特別な子だ。変な人に接触されたら、すぐ俺たちに伝えてくれ。連絡先は──』

 渡されたメモはどこにやっただろう。アイは上着の襟を掻き合わせ、歩調を速める。早くスズランに会いたい。

 スズランがいれば何も心配いらないのだから。

 工場に着く頃には、視線は消えていた。

 無人の受付に声をかけると、奥から球形のロボットが現れた。スズランのメンテナンスは、案の定終わっていた。迎えに来たというと、ロボットは微かな処理音の後アイに入場許可証を発行した。

 ロボットの先導で廊下を進む。いつ来ても工場というより、研究所のようだ。かすかに薬品の臭いがする半光沢の白い床は、アイの靴と擦れてキュッキュッと音を立てた。それ以外には何の音もしない。

 メンテナンス室に入ると、いくつもアンドロイドが並んでいた。それらは一斉に振り返り、硝子の瞳でドアを開けたヒトをしばらく見つめて、やがて前に向き直った。

スズランだけがアイを見つめたまま、静かな動作音を立てて部屋の隅に座っている。

 「スズラン」

 『はい』

 スズランが立ち上がり、近寄ってくる。

 「ただいま。迎えに来たよ」

 スズランは首をかしげた。そして、『わかりました』と言った。

 アイはある信仰を持っている。だから今、スズランが笑った、と思う。

 「ね、今何時?」

 『現在時刻は17時10分です』

 「そう、ああお腹減った。帰ったら何か作って」

 『帰宅したら調理、ですね。かしこまりました』

 「そうしてよ。外食は高いしまずいもの。ねぇ、スズランは何食べたい?」

 カリカリ、という処理音がかすかにきこえた。

 『プログラム外の項目です。インターネットで検索いたしますか?』

 「いや、いいよ。言ってみただけ」

 『申し訳ありません。アップデートすると問題が解決する場合がございます』

 「もういいってば」

 受付の前を通ると戻って来ていた職員らがお喋りをやめてこちらを見、ひそひそと声を潜めてまた話し出した。

 「あの子、デザインドかな」

 「ナーサリーボットにべったりってことはそうだろ。ロボットを親だと思ってる」

 背後の声にスズランが一瞬立ち止まる。アイはスズランの手を引いて、ドアを開けた。

 「生まれを仕組まれて、無条件で愛された経験をしないって、なんか可哀想だなあ」

 「将来のエリート様だぞ、やめとけって…」

 アイとスズランは、もう暗い外へ歩み出た。空気は冷たく冴えて、空にはいくつか星が見えた。アイは目を伏せる。足元では枯れた雑草が揺れていた。

 スズランは、遺伝子操作された(デザインド)新生児に国から支給されるナーサリーボットの一種だ。アイが試験管の中の受精卵だった頃から消耗部品を換えながら、ずっとそばにいてくれた。今でもアイの身の回りの世話やメンタルケア、身辺警護を一手に引き受けてくれている。ほとんど親のようなものだ。

 幼いアイが揺籃塔の火事から生き残れたのは、ひとえにこのアンドロイドのおかげだ。



 家へ戻ったアイは、食事の後いつものようにソファで丸くなった。ベッドで眠るのは好きではない。火事の中安楽死した仲間のことを思い出すからだ。数少ない火事の後遺症の一つが、この恐怖症だ。

 スズランは食器を片付けて、縮こまって眠るアイにもう一枚毛布を掛ける。いつものように充電ポータルへ戻る途中で、玄関からかすかな音を聞きつけた。

 玄関モニターには、中年の女が一人映っている。呼び鈴に手を伸ばし、表札を見て、また呼び鈴に手を伸ばし、引っ込める。異様な動作だった。スズランは警戒モードに切り替わる。当局へのホットラインを繋ぐ。モニターが録画され、女の顔がデータベース検索される。女の顔は、既知のどの犯罪者とも合致しない。女がドアノブへ手を伸ばす。胸部カバーが開き、電気銃の安全装置が外れる。結局、女は何やらメモを書きつけて新聞受けへ入れ、立ち去った。

 足音が完全に消えるのを待ち、スズランはメモを回収した。処理音の後、電気銃も格納する。

 『──こちらトリナ。不審者は?』

 『立ち去りました。メモを残しています』

 『内容を』

 スズランが画像を送ると、通信の向こうからため息が聞こえた。

 『今から車を回す。彼女を事務所へ連れてきてくれ』

 『ご用件は?』

 『彼女の警護のためだ。また不審者が来るかもしれない。しばらくは宿舎に泊まった方がいいだろう』

 『かしこまりました』

 『全く、次から次へと不審者の多いこと…』

 通信が切れる。背後の部屋では、アイが寝返りを打った。スズランは彼女の肩を優しく揺さぶる。

 「なに?」

 『当局からの要請です。事務局へ来るようにとのこと』

 アイは眠そうに目を瞬かせ「わかった」と言った。

 「随分急だね」

 『不審者が出ました。為念の避難です』

 アイが着替えを済ませた頃、玄関先に車の停まる音がした。モニターには見知った顔の職員が映っている。

 スズランがドアを開けると、男──トリナは「遅くに悪いね」と言いながら入ってきた。アイに銃を与えたのもこの男だ。アイが上着を羽織りつつ出迎えると、

 「準備がいい。皆がきみのようなら楽なんだけどな」

と笑った。アイは両手をポケットに突っ込んで

 「皆と違って、私は守ってもらってるし」

と肩を竦める。

 「不審者って、今度はどんなのが出たの?」

 「車の中で話すよ。戸締まりはしっかりして。さあ、スズランも早く」

 アイとスズランは後部座席に並んで座った。それぞれがシートベルトをしたのを確かめて、職員はアクセルを踏んだ。

 「不審者は中年の女だ。スズラン、例のメモを見せてあげてくれ」

 スズランは先程のメモをアイに渡す。アイは目を細めて一瞥し、すぐスズランへ返した。

 「『私はあなたの母です。あなたに一目会いたくて来ました』……なにこれ。私に母親なんていないのに」

 「その女の子供の遺伝子が揺籃塔に保管されていたらしい。クローン用遺伝子を提供した子供の親だから、自分は母親です、って言いたいんだろ」

 「じゃあ、なに?私はこのおばさんの子供のクローンなの?」

 「100%違う。クローンが生産されたら培養種の提供者には知らせが行くんだ。だから向こうも分かってるはずなんだが…」

 「やばい人なんじゃん」

 アイは頭の横を指で指す。

 「こら」

 一級国民生産施設・揺籃塔では、全国の優れた遺伝子を元にデザインされた子供が生産されてきた。官民問わず高い地位にいる人間は揺籃塔の出身者が多い。トリナもまた、揺籃塔の出身だ。アイより10歳程上のトリナはエリート局員でアイの警護担当で、少女にとって数少ない話し相手だ。

 「このおばさんの本当の子供はどうしたの?死んじゃったから、私のところに来たの?」

 「まだ生きてるけど遺伝由来の重い心臓病で、余命僅かだ。意識も長く戻らない。

な、きみの素にはなりようもないだろ?」

 男の言葉に、アイは頷く。

 大勢の揺籃塔出身者の中でも、アイは特別な一人だ。

 選別した遺伝子に設計(デザイン)を重ね、ようやく作られた子供の最後の生き残り。市井の子供の、しかも病気持ちの子の遺伝子が使われるはずもない。

 「私は超能力者になるはずだったんだから」

 アイが呟くと、トリナはバックミラーでちらりと彼女を伺った。

 「やっぱり、機械と相互交信はできない?」

 アイは頷き、黙り込んだ。窓へ目をやると、闇の手前にスズランの横顔が映っている。

 I(アイ)は、揺籃塔最後の5年間で生産されていた「26の子供たち」の一人だ。機械と対話する超能力を持つようデザインされて生まれ、特殊な訓練を受けた。

 IT化の流れの中で世界から置いてけぼりになったこの国は、ついにオカルトに手を出したのだ。

 国運を賭けた研究の全ては例の火事で、たった一つの成果物であるアイを残して灰になった。そのアイが機械と相互交信できないのだから、火事がなくても実験は失敗しただろう。なのに今もこうして特別扱いされているからには、国はまだアイに期待しているのかもしれないけれど。

 「ま、無理もないさ。ロボットみたいに、完璧に設計された存在には魂が宿る隙はない。無い魂とは交信できないだろ」

 スズランがアイの手を握った。アイはプログラミングはわからない。だけど、スズランに魂がないと考えるのは、さみしかった。

 「当局の人がそんなこと言っていいの?」

 意地悪を言うと、男は小さく笑う。

 「不味いかもしれん。内緒にしてくれ」

 「わかってる。……でも、ありがとう」



 当局の「事務所」は高いビルの中にある。揺籃塔を思い出すので、アイはあまり好きではない。スズランと手を繋いだまま、案内された部屋を見回す。ソファは小さく、ベッドで眠るしかないだろう。トリナはアイの肩を軽く叩く。

 「何日かの間だから我慢してくれ。スズランもいるから大丈夫だろ?」

 「うん」

 「外出は自由にしていいけど、必ず俺かスズランを連れて行くこと。受付に一声かけること。いいね?」

 アイが頷くと、彼は彼女の頭を優しく撫でて部屋を出ていった。

 アイは着替えて、ベッドに入る。

 「スズラン」

 呼ぶとスズランは枕元にやってくる。

 『お呼びですか?』

 「ねえ、スズランには魂ってあるの」

 『プログラム外の質問です』

 「トリナさんは『完璧に設計された存在に魂が宿る隙はない』って言ったけど、それならデザインドの私たちも同じだと思わない?」

 『プログラム外の質問です──』

 「もういい。眠るまでここにいて」

 『かしこまりました』

 寝返りを打ち、目を閉じる。瞼の向こうで電気が消えたのが分かる。もう一度呼ぶと、スズランはアイと手を繋いでくれた。

 10年前の火事の日も同じだった。

 施設の建物全体に火の手が回り、全ての避難通路が炎に塞がれて救助ヘリも近づけない。状況を確認して、ナーサリーボットたちは子供らとそれぞれ寝室へ戻っていった。

 アイもスズランと手を繋いでいた。冷たい軟質プラスチックのスズランの手が、やけに熱かったのを覚えている。アイがスズランを見上げると、アイを見下ろすスズランと目が合った。二つの硝子の義眼が、アイの顔をはっきりと映していた。硝子の中で赤い光が揺らぎ、影が渦巻く。

 黒目のない銀灰色の瞳の奥に、アイは魂の気配を見た。

 「あなたは生きなければ」

 その後のことは良く覚えていない。その声がスズランの声か、はたまたアイ自身の声だったのかも定かではない。

 気づけばアイは病院のベッドに横たわっていて、その傍には外皮が溶け落ちたスズランが立っていた。

 部屋に戻った子供とナーサリーボットは安楽死を実行したと聞かされた。

 アンドロイドは、生存率5%未満の状況下において持ち主を安楽死させる機能を持つ。安楽死を実行するときでも普段と同じように許可を取るそうだ。

 『ビタミンが不足しています。サラダをお付けしますか?』

 『道路が混雑しています。迂回ルートを検索しますか?』

 『現状の生存率は5%未満です。安楽死を実行しますか?』

 アイはその声を聞いたことがないと思う。スズランがアイに安楽死をさせなかったのは、きっとスズランがアイを愛しているからだ、と思う。

 「どうして私、相互交信できないんだろう」

 スズランは返事をしなかった。

 アイが眠るまで、スズランはゆっくりとアイの髪を撫でていた。



 それから数日は何も起こらなかった。元々引きこもりがちなアイにとって、ベッドで眠らなければいけない以上のストレスはなかった。

 トリナは時折、アイにあてがわれた部屋を覗いては、しばらく話をして去っていく。警護担当という以上に、よく気にかけてくれていると思う。

 「病院行ってきます」

 顔見知りになった受付の女性たちに声をかけると

「気をつけて」

「トリナさんにも伝えとくね」

と朗らかに返された。このままもう何日か無事であれば家に戻れるだろう。アイとスズランはビルを出る。数日の間に、外は一段と冬の気配を濃くしていた。精神病院でのカウンセリングもすぐに終わり、帰り際アイはスズランを連れてトイレに寄った。

 そこには、例の女がいた。

 女は身体を斜めに構えて、アイに向き合う。

 「……やっと会えた」

 笑顔を作る前の一瞬の無を、アイは見逃さなかった。

 「最悪。待ち伏せしてたのね」

 「そんなこと言わないで。私はあなたにひと目会いたくて……」

 女が手を伸ばすのを跳ね除け、アイは叫ぶ。

 「スズラン助けて!!」

 スズランの目が赤く光るのと、女が舌打ちするのは同時だった。

 女はアイを突き飛ばし、スズランにスタンガンを押し当てる。スズランは焦げた臭いと共に動かなくなった。アイが叫ぶ。女はアイに噴霧器で何か吹きつけると、小太りの身体で信じられない程の速さで、アイを担いで外の車に駆け込んだ。車はすぐに走り出す。

 (弛緩剤?力が入らない)

 後部座席から女を伺いつつ、感覚の鈍い指で当局へのホットラインを開く。トリナがすぐ気づいてくれるだろう。スズランは、大丈夫だろうか。

 唇をなんとか開き、アイは尋ねる。

 「このうそつき。なんのつもり」

 「……あんたはヨミのクローンのはず。揺籃塔の子だし、歳も近いもの……クローンなら、きっと適合する」

 女はアイに応えるともなく呟き続ける。

 「わたし、その子のクローンじゃ、ないっての」

 女はもう答えなかった。しばらく車は走り続け、着いたのは汚い家だった。アイを引きずって家の2階へ運び入れると、女はどこかに通信を入れる。

 「先生、ドナーを見つけました」

 『……あのねお母さん、前にも言ったが、ヨミさんにはもう手術に耐える体力はないよ。せめて自宅で看取りたいというから帰らせたのに、看病もしないで妙なことを続けるなら、また入院させるよ』

 愛想を尽かしたと言わんばかりの男の声。通信はにべもなく切られ、女は耳に押し当てていた端末をだらりと下ろす。

 アイはそっと部屋を見渡す。カーテンが引かれたままの暗い部屋の奥に、大きな介助用のベッドが見えた。ヘッドボードには大きな機械が付いている。

 (あれって、生命維持装置よね)

 暗がりに目が慣れると、カーテンの隙間から漏れる光に、ベッドに横たわる子供のシルエットが浮かび上がる。

 女が端末を取り落とす音が響いた。

 「折角ドナーを見つけたのに……ヨミ、ごめんね……」

 女は子供に泣き縋る。不快な痺れとともに、少しずつ身体の感覚が戻ってくる。

 (誰が『ドナー』よ。最初からそれが目的ね)

薬が切れかけているのを女に気づかれないよう、アイはじっと息をつめる。焦りを理性で抑えて、アイは家の様子を伺い、女と子供を見た。

 (あの子が、心臓病の……)

 子供は目を開けたまま、天井を見ていた。アイのことも、縋りつく女のことも見ない。異様だった。

 (スズラン)

 恐怖のあまり思わず胸の内で呼びかけて、アイはますます不安になる。助けを求めようにも、スズランが大丈夫だったか分からない。それでも、一番に呼ぶのはスズラン以外いなかった。

 (だって、スズランは私が生まれる前からずっと一緒にいてくれたんだもの……)

 痺れが広がってきた。膝を抱くようにうずくまると、懐の中で銃がごそりと動いた。古い記憶が蘇る。

 『よく覚えるんだ』

 今より幾らか幼いトリナが、アイに古い銃を見せる。

 『まず弾を込める』

 かしゃんと軽い音と共に、掌でカートリッジを押し込む。

 『安全装置はここだ。撃つ時は、これを外す』

 金具をずらし、男はもう一度銃をアイに見せた。

 『これでもう撃てる。撃つと人を殺せる。いいね、耳を塞いで』

 アイが耳を塞ぐと、彼は銃を構えた。

 『こう構えて、狙って、撃つ』

 的を指す男の指を目で追う。青白い蛍光灯の光が沁みた。トリナの指が引き金にかかり、数秒後に破裂音。的には穴が空いていた。微かに焦げた臭いが鼻をつく。火事の記憶がアイの脳裏に蘇った。

 男はアイの前に膝をつき、まだ熱の残る銃をアイの小さな手に握らせた。

 『これはきみの銃だ。きみが特別な子だから渡すんだよ──身を守るために使いなさい』


 はっと意識が現在へ戻る。女がうずくまるアイの胸倉をつかみ上げる。女の目は狂気じみて据わっている。何をする気だろう。背筋に冷たい悪寒が走る。

 「聞いて、私はその子のクローンじゃない、赤の他人よ。拒絶反応は必ず起こる。そもそも、もう手術できないってさっき先生が言ってたじゃない」

 「黙りなさい!!私はヨミちゃんを助けなきゃいけないの!!」

 女が怒鳴る。子供は天井に目を向けたまま、何の反応もない。

 「ロボットを親だと思い込んでるあんたは知らないでしょうけどねえ!!親ってのはねぇ、子供のためならどんなこともできるの!!」

 「我が子のためによその子を攫って殺すわけ?私のスズランにまで、ひどいことして」

 「黙れっロボットが何だっていうの、ままごとしか知らないくせに!本当の親がどんなに子供を愛してるか知らないくせに、勝手なことを!」

 「あんたのしてるのだってままごとよ!なんでスズランにひどいことしたの!!なんで私なら代わりに死んでいいと思ってるのよ!!」

 「意義のある死なの!!出来損ないの作り物でも、人のために役に立てて幸せでしょ!?」

 かっと目の裏が赤く染まる。女がアイを壁の方へ放る。背中に鈍い痛みが走る。

 ──かしゃんと音が耳に蘇る。装填の済んだ銃を差し出されるデジャヴ。

 「……あんたが死ねよ……」

 全身が燃え上がるような怒りにアイの声が震える。憎らしい。女も、女の子供も、何もかも。

 アイは懐から銃を取り出し、構える。安全装置を外す。引き金にかける指が震える。

 感情のまま、アイは叫ぶ。

 「あんたも、あんたの子供も、みんな死んでしまえばいい!!」

 一瞬、時が止まって見えた。白い軟質プラスチックの指が、アイから銃を優しく取り上げ、引き金を引いた。

 直後、轟音。咄嗟に頭を庇ったアイの背後で、みるみる炎が広がっていく。子供の生命維持装置が爆発したのだ。女は悲鳴をあげ、子供の名前を叫びながら炎に飛び込んでいった。アイは振り向き、呆然と呟く。

 「スズラン……」

 スズランはアイの手をつなぎ、立たせる。一人と一体は燃え上がる部屋から転がり出る。散らかった廊下を走り、階段を降りていく。薬が切れないうちに動いたせいか、アイの意識は朦朧としている。気分が悪い。もういいか、とも思う。ずっと降り続けるように暮らしてきた。ぐるぐると同じところを、スズランと手を繋いで。そう、確か、揺籃塔を降りた時も。

 身体が頽れる。熱も音も遠くに感じる。もう動けない。いよいよ安楽死か、と思う。

 (『安楽死を実行しますか?』──)

 予想した声は聴こえず、やがて、身体が何かに揺り起こされるような感じがした。波に似ている。それか、古いゆりかごのリズム。

 「スズラン」

 思わず呼んでいた。他に呼ぶ名前もない。わずかに目を開くと、柔らかい白いものが視界を覆っている。死がこうして訪れるなら構わないと思えた。

 「ずっと一緒にいて」

 瞼が再び落ちていく。睫毛と睫毛が触れ合う瞬間、髪を撫でられる感触と、懐かしい声がした。

 「でも、あなたは生きなければ」



 気がつくと、アイは病院に寝かされていた。実感が湧かず、ぼんやりと天井を眺める。目をぐるりと動かすと、カーテン越しの枕元には誰かが座っている影があり、囁き声が聴こえてきた。

 「……動けないはずのボットが…自立行動を……」

 「……我が子の生存のために……反プログラム………」

 「交信は成功」

 夢現の中で、アイは呼びかける。

 「スズラン?」

 囁き声ははっと止んだ。代わりに、人影が慌てて立ち上がる。

 「気がついたか!良かった、待ってな、先生呼んでくるから!」

 起き上がるのは億劫だった。アイはもう一度目を閉じる。やがてばたばたと医者や看護師がやって来て、何やら検査したり書き付けたりして帰っていった。

 静かになった病室に、椅子の脚の軋む音。開かれたカーテンの傍の椅子に座ったトリナが、額にかかるアイの前髪をかき分けた。彼の瞳は床へそらされて、もう一度まっすぐアイを見た。

 「落ち着いて聞いてくれ」

 アイが彼の手に手を伸ばすと、男はぎゅっと両手で包み込んだ。

 「スズランは壊れたよ。あの家からきみを助け出した後動かなくなって、修理してもだめだった」

 アイは頷く。薄々分かっていたことではあった。

 「あの子は?」

 「死んだよ。きみを攫った女も死んだ」

 「私、かっとなって、撃とうと思ったけど…スズランが私の代わりに撃ったの」

 「ああ、わかってる……それで」

 男は躊躇いながら続ける。

 「きみの超能力が確認できた。実験は半分成功していたんだ。きみは機械と交信できていた」

 「私がスズランに撃たせたってこと?」

 トリナは宥めるようにアイの手を撫でる。

 「私、火の中で立てなくなって、もういいかと思ったの。そしたらスズランが、『あなたは生きなければ』って言った」

 「きみは覚えてないと思うけど、あの火事の後も同じことを言っていた。きみが撃たせたというより、きっと、スズランが撃ちたかったんだ。

『完璧に設計された存在に魂が宿る隙はない』なんて、俺が間違っていたんだろうな」

 男は深く息を吐いて、続ける。

 「今後、当局の要請に応じて力を貸してもらうことになる。でもきみはまだ子供で、保護者が必要だ。きみさえ良ければ、俺と暮らしてもらえないか。きみの親にはなれないが、これからは、俺がきみを守るよ」

 アイはもう一度頷いた。トリナは、眉を下げて泣くみたいに笑った。

 「スズランじゃなくてごめんな」

 目の裏が燃えるように熱くなる。しゃくり上げたいのを押さえて息を吸う。引き取ってくれてありがとうと言うべきだった。それでも、声が出なかった。

 トリナの手が、アイの頬を拭う。涙が止まらない。

 「私のスズラン」

絞り出した声はかすれていた。両手を伸ばすと、望み通り抱きしめられる。でもそれはスズランじゃない。彼の肩が涙で濡れていく。それでも、トリナはアイが泣きつかれて眠るまで、ずっとそうしてくれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

銀の骨に宿るもの 乃生 明 @nouakira

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ