勇者と、とても親切な悪魔。

大幸 新

勇者と、とても親切な悪魔。

「勇者さん。俺と契約しないかい?」


 話しかけてきたのは身なりは良いものの、どこか胡散臭い雰囲気の青年だった。

 表情は笑顔だ。笑顔で話しかけてくる奴は必ず何かを企んでいるものだ。


 この国が魔人によって奪い取られ、その力で都市そのものが迷宮化して一年。

 恐るべき魔獣たちが徘徊するこのダンジョンも、ようやく半ばまで攻略できたかと思った矢先。

 数少ない休憩に適したとある一室にて、彼と出会った。


「契約? どんな?」


「勇者さんに水と食料、魔法薬、そしてどんな攻撃にも耐えられる、最高の防具一式をあげようじゃないか」


 御覧よ、と言って青年が見せたのは、漆黒に塗られ金の装飾が施された全身甲冑だった。


「見た目重そうだけど鉄とは違ってずっと軽いんだよ。炭素繊維混ぜたチタン合金、って言っても解んないか。関節や大腿、手足の腱もくまなく防御できて、熱にも酸にも強いし錆びない。裏側に悪意ある魔法を防ぐ魔法陣も刻んであるから、魔法による痛痒を大幅に軽減するし身体精神への異常も受け付けない。見た目はもちろん、通気や、着脱のしやすさにまでこだわった逸品だよ。勇者に相応しいと思わないかい? 今ならオマケで君にぴったり合う鎧下もつけてあげよう」


 青年は澱みなくセールストークを披露した。まるでなにかの演目だ。


「怪しいなあ。何が望みなんだ?」


「なに。見返りとして勇者さんがこのさき手に入れたものの中で、俺が欲しいものを三つ、譲ってもらいたいだけさ」


「それは困る。探索に差し支える」


「大丈夫。必ず代わりのものを用意するから。勇者さんの冒険の邪魔はしないと約束するよ」


「ううむ……」


 実のところこの勇者。勇者と青年に持ち上げられてはいるものの、一介の冒険者に過ぎなかった。

 隣国の王が魔人を倒した者にその国をやると御触れを出したため、それに飛びついただけである。

 王様としては軍隊を出さずに事態を解決させて、討伐者を広告塔に傀儡政権を立てたいのだろう。

 そして冒険者にとっては成り上がる一獲千金のチャンスというわけだ。


 さてこの暫定勇者。仲間、というか寄せ集まっただけというか。

 その一党が彼を除いて全滅してしまい、彼自身もだいぶ装備の損耗が激しい状態にある。

 このままでは進むどころか脱出することすら厳しいかもしれない。

 一応ダンジョンのあちこちに武具が落ちていたり、武具を装備した死体があったりして。

 その都度補充はできている。であるが。

 数打ちの武具では進むたびに強力になってゆく魔獣にどこまで対応できるものか、不安だった。


 この先にもっといい装備があるかもしれない。でも無いかもしれない。

 危険を冒して進むべきか。安定を取って引き返すべきなのか。

 勇者はダンジョン探索経験者なら必ず行き当たるジレンマに揺さぶられ。

 分岐路に立っている真っ最中だったのである。


 そんな折に、怪しい青年からこんな提案が持ち掛けられたのだ。

 人生行き詰まると、占いやら宗教やらに耳を傾けたくなるもの。

 賭場で負けて説教されればコロリと落ちやすい。それを実行した宗教の開祖もいる。

 まして生き死にのかかった状況ではなおのこと。


 そして悩んだ末に、勇者が出した結論は。


「よし分かった。契約しよう」


 背に腹は代えられない。後悔は後回しにできるから後悔なのだ。

 

「契約成立だ。どれ、さらにこいつもサービスしてあげよう」


 勇者はサービス、という初めて聞く言葉の意味を知らなかったが。

 それを聞き返す前に自分の身体がいきなりピカーッと光りだし、それどころではなくなった。

 慌てふためいたが、光は五秒足らずの時間で治まり消えた。


「何をしたんだ!?」


「勇者さんの肉体を最適化させてもらったよ。骨格や筋肉、歯並びなんかも整えて、栄養状態も良好なものにした。身体の調子はどう? 結構動きやすくなってると思うけど」


 言われてみれば冒険で蓄積されていた疲労感が吹き飛んでいる。

 というかこれほど気分が良く清々しく感じたことなど生まれて初めてかもしれない。

 身体が軽い。ボロ鎧を着て、荷物を背負っているのに、軽業師のように宙返りでもできそうだ。


「一体お前、何者なんだ?」


「今更かい? それは聞きっこなしだよ。そいじゃあ、物資はここに置いていくね。また後で会おう」


 青年は勇者が呼び止める間もなく。

 最初からそこにいなかったかのように、目の前から消えてしまった。




 それからの勇者の冒険は、すこぶる順調だった。

 最適化された肉体は疲れ知らずで、そこらで拾った刃こぼれだらけの剣であっても。

 硬い魔獣の頭を力押しで容易くかち割ることができた。

 身に着けた甲冑は魔獣の牙も爪も通さず、宣伝通り、魔獣の魔法もまるで効かなかった。

 水は綺麗で、食料は保存が利いて美味い。

 しかも整頓しやすいように小袋があちこちについている丈夫な背嚢リュックまで用意されているときた。

 鎧のおかげで傷を癒す魔法薬に頼らなくていいのだが、保険として持っていると安心感がある。

 至れり尽くせり。たとえ金満な貴族がスポンサーについていたとしても、ここまで楽にはなるまい。

 それだけに、あの青年の正体が分からないのが不気味でしょうがないのだが。


 考えても仕方のないことは頭の隅に追いやり、勇者はあるものを探すことに集中する。

 それはたおれた遺体の所持していた手記にある、迷宮の深部への扉を開く鍵であった。

 迷宮の主、魔人のもとへ行くには必須のアイテム。あちこちにある部屋の中を片っ端から物色した。

 そしてついに、目的の鍵を手に入れたのである。


「よし。これで迷宮の奥に行ける」


「それなんだけど……」


「!? うおあっ!?」


 勇者は耳元近くでいきなり聞こえてきた声に驚き、思わず剣をその声に向けて振った。

 しかし斬撃は空を切り、そこには誰もいない。すると。


「危ないなあ、勇者さん。俺だよ俺。ほら、少し前に契約した」


 勇者が斬りつけた反対側のほうから、あの青年の声がした。

 振り向いて見ると確かに彼だ。いつの間にそんなところに。


「あんたか……。いきなり近くで声をかけるやつがあるかよ。……何の用なんだ?」


「ああ、だから。その鍵が欲しいんだ。その鍵で開けられる場所に、とあるものがあってね。それを手に入れるために必要なんだよ」


「契約の代償か……。だがそれは困るぞ。これがないと、迷宮の奥に行けない」


「なら代わりにその鍵で開けられる扉を全部開けておいてあげるよ。それならわざわざそれを持ち歩かなくてもいいし、楽だろう?」


「それなら……。まあ、いいか」


 勇者は青年に鍵を譲ることにした。

 青年は受け取り、嬉しそうにじゃあね、と言うと。

 次の瞬間には前と同じように、その場から消えていた。




 再び青年に出会ったのは、迷宮深部の一室内にて。

 彼はなんと、十歳そこそこくらいの、可愛らしい女の子といっしょだった。


「やあ勇者さん。物資は足りてるかい? 追加の食料を用意したけど、どうかな?」


「ああ、貰うが……。どうしたんだ? その子は」


「勇者さんにもらった鍵で開けた扉の先で、囚われていたのを助けたんだ」


 女の子は幼いながらもどこか洗練された品のいい足取りで勇者に近づき、お辞儀をした。


「御機嫌よう」


「ご、ごきげんよう? ……あーその、なんだ。どこかの貴族の娘っ子なのか?」


 青年に問うても、彼はさわやかな笑顔を向けるばかり。


「まあ気にしなくていいよ。勇者さんとはもう関係ない相手だからね」


「?」


 疑問符を浮かべる勇者をよそに、青年は聞き取れないほどの小声でぼそりとつぶやいた。


「もしかしたら、勇者さんがこの子と別の形で出会う未来もあったかもね……」




 勇者の探索はさらに進む。その途中、この国の大臣と思われる者の遺体を見つけ、調べてみた。

 彼の手記によれば、かつて城にはある伝説の武器が眠っていたらしい。

 古の時代に、初代王が振るったとされる聖剣だそうだ。

 魔人は聖剣の力を恐れて、迷宮の地下にそれを封じたらしい。

 手に入れることができれば魔人に対しての強力なアドバンテージを得られるだろう。

 勇者は聖剣を求め、地下への階段を下りて行った。


 そしてなんだかんだで、勇者は封印を物理的に破り、聖剣を手にすることができたのであった。

 最適化された肉体による斬撃なら余裕だった。


「これで魔人を倒せるかもしれない強力な武器が手に入ったわけだ」


「それなんだけど……」


「!? また、お前か……」


 振り返ればあの青年がいる。今度は勇者もそこまで驚かない。


「今度はその聖剣が欲しいんだよね。貰っていくよ」


「いや待った。これがないと魔人と戦うのは厳しい。ほかのものでは駄目なのか?」


「んーじゃあ代わりに俺が勇者さんに相応しい、もっといい剣をあげるよ」


 そう言って、青年は両の手のひらを上にして前に出す。

 するとその手から強い光が輝きだし、勇者は思わず目をつむった。

 数秒して光が消えると、青年は鞘に納まった一振りの片刃の剣をその手に持っていた。


「これが勇者さんのために作った、最高の剣。材質はZ……ゴホンゴホン。とにかくすごく硬いやつで切れ味抜群。なかご、タングの部分に刻まれた魔法陣の効果で魔獣や魔人に対して威力三割増し。勇者さんの体格、体重、筋肉量に合わせて剣身も握りも最適なものに調整してあるよ」


「……両手剣、なんだな」


「まあね。いい鎧あるから盾あんまり使わなくて平気でしょ?」


「そう、だな」


 人によるだろうが、勇者の場合はこれまで盾をそれなりに活用する戦闘スタイルであった。

 だが強大な魔獣の攻撃をまともに食らえば、板金の盾でもひしゃげてしまう。

 人対人では有効な盾も、魔獣相手では障子戸に等しい。

 ならば防御は鎧に任せて、両手剣の長いリーチとそれを振った時の遠心力による威力を取る。

 選択としてはこれが最良であるように思えた。


「わかった。契約だしな。それと交換しよう」


 勇者は聖剣を渡して、勇者の剣を手に入れた。

 青年は小声で、つぶやく。


「まあ、この聖剣じゃないと、できないこともあるんだけどね」


「ん? 今なんか言ったか?」


 勇者には、よく聞き取れない。

 青年は首を横に振ると。


「なんでもないよ。それじゃあね。勇者さんが魔人倒したらまた会いに行くよ」


 また目の前から忽然と消えてしまった。




 勇者の剣の威力は絶大であった。

 魔獣の強靭な毛皮を紙切れのように斬り裂くことができた。

 中には見る見るうちに傷がふさがる超再生能力を持つ個体もいたのに。

 この剣で斬られると再生が阻害されるのか、傷が塞がらない。

 いやむしろ小さな傷でも裂傷したかのように傷口を広げる効果さえもあった。

 威力三割増しといううたい文句は真実のようだ。

 かすり傷でも滝のように血が流れる。

 ならば軽く斬りつけた後は逃げ回っていれば、相手はどんどん弱っていく。

 安全に距離を取りつつ魔獣を仕留めることができた。


 そして迫りくる魔獣たちを退けて、いよいよ勇者は迷宮最奥部にある魔人のもとへとたどり着いた。

 これまでの苦労、未来への展望を胸に。

 勇者は万感の思いを込めて、魔人に挑むべく、その最後の一歩を踏み出したのであった。


 が、割愛……っ!!


 この物語において、彼の奮闘がいかなるものであったのか。それは関係のないこと。

 重要なのは、勇者が大激戦の末、魔人を倒した。これだけである。

 青年と契約して、魔人を討伐した勇者。

 その彼の物語のエピローグにこそ、語るべき本筋が用意されているのだ。


 さて勇者が魔人を倒すと、迷宮化していた都は元の姿に戻った。

 勇者は隣の国に凱旋し、英雄となり、国王は約束通り彼をその国の王にすると宣言した。

 その夜。勇者に用意された部屋にて。


「やあ勇者さん。魔人討伐達成、おめでとう」


「……ありがとよ。まったくお前、どこにでも出てくるよな」


 いい加減慣れたもの。笑顔の青年が誰にもとがめられずに部屋の中にいる。


「今度は何の用……。まさか、王位をよこせって言うんじゃ……!?」


「まさかまさか。そんなそんな。要らないよべつに。面倒くさいし」


「そ、そうか……。まあお前は俺と違って、食うに困ることは無さそうだし。王位なんか興味ないか」


「そうそう。今日来たのはお祝いと、警告のためだよ」


「警告?」


 青年は柔和な表情から無表情へ。

 まるで仮面を外すみたいにかおを切り替えた。


「あと一つだけ、君が手にしたものをもらう。契約は絶対だ。それを忘れないでね」


 勇者は青年の変貌ぶりが空恐ろしく感じて、何事か聞き返そうとしたが。

 何かを言う暇もなく、青年はまた姿を消してしまった。




 それから、二年の月日が流れた。

 王となった勇者は隣国の王の娘をきさき、つまり正室に迎え、隣国主導のもと国を復興させていた。

 立て直しは粗方片付き、少しずつ国民も増えてきていたころ。

 勇者は慣れないながらも日々の公務をこなし、夜に執務室で一息ついていた。


「ふう……。王様稼業も疲れる。今まで戦いと、目端を利かせておいしい依頼なんかを探すことに使っていた頭を、机仕事に向けてやらなくちゃあいけないんだもんな。目の前がくらくらするぜ」


 まったくの畑違いの分野でありながら、勇者はかなり勤勉に王様を頑張っていた。

 まあ勤勉じゃなければ迷宮を踏破し魔人を倒すなどできないのかもしれない。

 怠惰なら途中でさっさとあきらめていただろうから。


「美味いもん食ってあとは寝てりゃいい、なんてことはできねえ。体面もあるし、それに故郷を取り返したことに感謝して泣いてた、うちの民たちの期待を裏切るのは後味が悪い。はあ~。子供に後を任せられるようになるまでは、やるしかないか……。そうだな、もしかしたら今夜あたり……」


「それなんだけど……」


 揺れている蝋燭の火に照らされた暗闇の中に、あの青年がいた。


「!! お前か……。正直すっかり忘れていたぞ。もう来ないかも、と」


「ひどいなあ。言ったじゃないか、あと一つだけもらうって。忘れちゃダメだよ」


「……いったい、何が欲しいというんだ? 俺が王になってから得たもので、望むものなんてあるのか? その気になれば王様以上に、何でも手に入れられそうなお前が」


「そんなことはないさ。君にしか手にできないものが一つだけあるじゃあないか」


 青年は笑った。ほがらかではない、穏やかでもない。

 悪意のにじんだ、歪んだ笑顔で。


「今夜、ね」


「!!!? まさかっ!!」


 青年の姿が掻き消える。勇者は椅子を蹴倒し、放たれた矢のように部屋を飛び出した。

 急ぎ王妃のもとへと駆けてゆく。兵士や召使いが呼び止めるが、気にしてなんていられない。

 全身の細胞がハチドリの羽のように激しく動いているかのような焦燥感。

 それを冒険で培った筋力と混合し、推進力に変える。

 走りきり、身重の王妃のために用意された部屋の扉を激しく開くと。

 すでに出産を終え、取り上げられておくるみに包まれている我が子の姿が目に映った。


「ああ陛下。今お呼びしようとしていたのですが。おめでとうございます! 元気な男子ですよ!」


 世継ぎとなるかもしれない長子の誕生に、産婆たちも嬉しそうに祝辞を述べた。

 王妃もまた、お産で体力を使って声を出すのも大変そうだが。

 大事をやり遂げたことへの安堵からか、夫に精一杯の笑顔を向けてきた。


 勇者は、王は、父親は。待望の我が子が幻でないことを確かめようと、恐る恐る進み出る。

 その丸っこい、まだ石の模様のような顔を見ると。

 気が抜けてしまって、その場に力なくへたり込んでしまった。

 魔獣や魔人にも屈することのなかった英雄に膝をつかせたのは、生まれて間もない彼の息子であった。


「よかった……! 無事に産まれてくれた……!」


「じゃあ、もらっていくね」


 その声が聞こえた瞬間、産婆の腕の中から赤子が消える。

 そしてその子を抱きかかえた、あの青年が部屋の奥に現れた。


「契約だからね。これで三つ目だ」


「や、やめてくれ!! 頼む!! 代わりに差し出せるものは何でもやるから!! 俺の子を奪わないでくれえっ!!」


「子供の代わりになるものなんて、あるのかなあ」


「!!」


 あるわけがない。子供と引き換えにできるものが、あっていいはずがない。

 だからこそ、価値があるのだ。


「そうだね。、今後君の子供はみんな無事に生まれてくるようにしてあげよう。母体の産後の肥立ちも良くなるようにしよう。必ず代わりのものを用意するって約束したんだからね」


「それが代わりになるか!! その子は一人しかいないんだぞ!!」


「安心してよ。この子は俺が大事に育て上げるから。――それじゃあね」


 そう言うと、青年は赤子を抱えたまま、闇に溶けるように姿を消してしまった。

 後にはおろおろする産婆たち、失神する王妃。

 そして体を震わせながら慟哭を上げる、力なき勇者だけが残った。




「おかえりなさい。……その子は? どうなさったんですの?」


「ああ、ただいま。この子は今日からうちの家族になったんだ」


 どこかの国。いずこかの森に囲まれた場所。そこに一軒の緑の屋根の家があった。

 この家で青年はあの迷宮で助けた少女と共に暮らしていた。


「赤ちゃんなんてどう育てるおつもり? この家に乳母なんていなくてよ?」


「ああ、……。君、お姉ちゃんとお母さんと、どっちをやりたい?」


「えええ!?」


 勇者に言ったとおり、青年はこの赤子を育て上げるつもりであった。

 驚いている少女を眺めながら、青年は思う。

 もしも、勇者が自分と契約しなかったなら、彼はどんな未来を歩んでいたのか。


 迷宮深部への鍵を手にした勇者が、その鍵で開けた扉の先でこの少女と出会い、助けていたなら。

 二人は結婚していたかもしれない。今はまだ若いが、数年すれば適齢となる。


 そう。あの国のである彼女と結婚していたなら。

 勇者は王位の正統性から、権力を盤石なものとして、隣国からの干渉をはねのけて。

 傀儡政権ではなく、国の完全な独立を勝ち取っていただろう。


 そして何よりも、魔人の心をかもしれない。

 勇者が王女を守るなら、魔人はこの世に未練を残さないだろうと青年は考えていた。


 なぜ魔獣ひしめく迷宮の奥深くで彼女だけが無事だったのか。

 それは魔人が王女に対して、殺された自分の妹の面影を見ていたからであった。

 魔人が彼女を守っていたのだ。

 そんな裏の事情を知るものは誰もいない。魔人と、この青年を除いては。

 青年の本当の目的からすれば、魔人に消滅されてしまっては困るのである。


 だから、聖剣をもらうことにした。

 勇者は知らないが、あの聖剣には魔に属するものの魂を浄化する力があった。

 魔人の心が浄化され、昇天してしまうのは都合が悪かった。


 最後に、青年は勇者の子供を奪い取った。なぜならば。

 王女が勇者に引き取られずに未練を残し、聖剣によって浄化もされなかった魔人の魂は。

 今、この子の中に宿っているのだ。

 魔人は、己を倒した勇者の中に自分の魂のかけらを潜ませて。

 子供を作るときに、魂を勇者の中から赤子へと移した。

 そうやって産まれた勇者の子は、魔人の転生体なのである。

 

 すべての裏の事情を知っている青年は、何を考えて契約などを持ち掛けたのか。

 再び生まれ落ちた魔人を使って、彼はいったい何を企んでいるのか。


「勇者さん。あんたの物語には、もう十分すぎるほど付き合ってやった。今度は、俺たちの物語を始めていくことにするよ。あんたには関わりのない、別の物語をね」


 青年は虚空に向かって届くことのない、届かせる気もない独り言をつぶやく。

 彼の言うとおり、ここから先のことは、別の物語なのだろう。


 勇者には、多くの選択肢があった。

 だが契約を結んだことにより、その選択は誰かの意図する方向へと捻じ曲げられてしまった。

 勇者が契約により払った真の代償は、差し出すことになった三つのものなどではなく。


 無数にあったはずの、未来の、可能性だったのだろう。


「すべては予定通り。魔人の魂を宿し聖剣を振るう者。次の時代の勇者は、あの子だ」


 このお話は、とても親切な悪魔の手引きにより。

 二人の勇者が誕生するに至るまでの物語だ。



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