弟の婚約者は愛のために婚約を解消したいらしい。

石動なつめ

弟の婚約者は愛のために婚約を解消したいらしい。


 春の半ばの、暖かな日のこと。

 とある国の王太子フォルクハルトと婚約者のレティシアは、二つ年下の侯爵家のご令嬢を呼んでお茶会をしていた。

 彼女の名前はノエルと言い、王太子の弟の婚約者である。

 しかし――――。


「ですから、婚約を解消したいんですの!」


 唐突に彼女はそんな事を言い出した。

 ぐっと両手の拳を握った勢いで、ふわふわとした銀色の髪が揺れる。


「いや婚約解消と言われてもね? それを私達に言ってきちゃう所にお兄さん驚きだよ……ちなみに理由は?」


「アレク様への愛のために!」


「うん、曖昧!」


 抽象的な理由が返ってきてフォルクハルトは頭を抱えた。

 彼の隣に座るレティシアも悲し気に目を細め、頬に手を当てる。


「私もノエルが妹になってくれるのを楽しみにしていましたのに……」


「でも! でも、フォルクハルト様! レティシアお姉様! アレク様がかわいそうですの! だって幼少の頃から婚約者として決められた私がずっと一緒だったせいで、恋もできない……」


「えっ何でレティだけお姉様なの。私もお兄様って呼んで」


「ですが婚約解消をするのですから、お兄様だなんて恐れ多い……」


「どうしてそこは気にするのかなっ」


 そんな話をしていると、ふとフォルクハルトはぞくりと背筋が寒くなった。

 何だこの刺すような寒気は。むしろ寒気を通り越して殺意に近い。

 そう思って部屋を見回すと、それがドアの向こうから向けられている事に気が付いた。


「ドアの外からの殺意がすっごい……」


「さつい?」


 ノエルが首を傾げる。

 するとそのタイミングでドアが、ギギギ、と錆びたような音を立てて開く。

 ここのドアは錆び一つないのに。


 そうして開いたドアの向こうから現れたのは、今まさに婚約解消を打診されている最中のアレクが笑顔で立っていた。

 心なしか背後に黒い影のようなものが漂っている気がする。


「や、やあアレク……オソカッタネ……」


 とりあえずフォルクハルトが声をかけると、アレクは笑顔を深めた。


「ええ。遅くなって申し訳ありません兄上。それからレティシア様。待たせてすみませんでした、ノエル。……ところで私がいない間に、ずいぶん楽しそうなお話をしていますね?」


「アレク様! アレク様からもお口添えをお願いします! どうか婚約解消をしようって!」


「何故」


 アレクは笑顔のままノエルに近づくと、言葉少なくそう返す。

 ずいと近づけられた顔から威圧感を感じてノエルは少し仰け反った。


(こいつ怒ると無意識に圧をかけるからなぁ……)


 ノエルの自業自得ではあるが、フォルクハルトはほんの少し気の毒になった。

 とりあえず何か助け船を出した方が良いかもしれない。そう考えて口を開こうとした時、ノエルが慌てて理由を話し始めた。


「だってアレク様、恋って素晴らしいんですのよ! 私はアレク様と一緒にいるとドキドキして、お優しいお声で呼び掛けて頂けると天にも昇る気持ちになりますの! なのに、なのに……私だけなんてもったいないですの! アレク様だって、そういう方と恋をしたら良いと思いますのよ!」


「…………」


「あら? アレク様、ちょっとお顔が赤いですわ。どうなさいましたの?」


「いえ、何でもないですよ」


 ノエルが不思議そうにそう聞くと、アレクは首を振った。

 相変わらずの笑顔だが、先ほどよりも威圧感が減って機嫌が良さそうである。

 現金だな、なんてフォルクハルトは思ったが飲み込んだ。


「あのね、ノエル。私だって恋をしていますよ?」


「まあ! どなたとですの? 私、応援しますわ!」


「……ぶふっ」


「……兄上?」


「い、いや、ごめんごめん。つい……あっいや、本当悪かったから! そうお兄さんを睨まないでくれるかなっ!?」


「今のはフォルク様が本当に悪いですわ」


「レティにまで言われた……」


 愛しの婚約者にそう言われて、フォルクハルトはがっくりと肩を落とす。

 だがすぐに、こほん、と咳ばらいをすると表情を戻した。


「ねぇノエル。仮にさ、アレクが君じゃない誰かと恋をしたとするだろう? そうするとアレクに恋をしている君は、一体どうするんだい?」


「潔く身を引いて、アレク様の幸せを祈りながら、侯爵家の一員として働いて、一生独身で暮らしますわ!」


「うん、思っていた以上に決意が重くてお兄さんびっくりだよ」


 フォルクハルトがぎょっと目を剥くと、レティシアも困り顔になる。

 突拍子のないノエルの考えだが、アレクへの愛ゆえにというのはしっかり伝わって来た。

 しかも婚約解消しても他の相手と結婚をするつもりはないという意思表示の上だ。

 フォルクハルトがちらりと弟の方を見ると、彼はとても複雑な表情をしていた。ノエルからの愛情を感じて嬉しい気持ちと、婚約を解消したいなんて言われて怒る気持ちが合わさっている。

 しかし――――。


(両想いなのにくっそややこしいんだけど、何だこれ)


 フォルクハルトの心情はそれ一点だった。


「ねぇレティ。もう見守るでいいよね?」


「そうですわね。ええ……大丈夫だと思いますわよ。たぶんそろそろ……」


 フォルクハルトの言葉に、レティシアはそう答える。

 そして目の前に座る、いつか義理の弟妹になるであろう二人に目を向けた。

 

「だってアレク様は素敵なんですもの! 博識ですし、学校だけではなくプライベートの時間でも学ばれている努力家ですし。お顔はもちろん素敵ですし、お声も春風みたいに優しくて大好きですわ! 何よりお優しくて、お出かけの時もどんくさい私を待っていてくださいますの! お忙しいですのに、毎週、一緒に過ごす時間も作ってくださいますのよ? 大好きです!」


「…………」


「アレク様? さっきよりお顔が赤いですわ。どうなさったんですの?」


「いえ、何でもないですよ。ノエル、大好きです。さ、あっちでお菓子を食べましょうね」


「お菓子?」


「今日はフィオーレの菓子を取り寄せてみました」


「まあ! お花を使ったお菓子が特産品の!」


「ノエルもとても博識ですね。さあ行きましょう。兄上、レティシア様。申し訳ありませんが、そういうわけで。失礼致します」


「ああ、いいよいいよ。仲良くね」


 さんざん惚気た二人を見て、フォルクハルトは疲れたように笑って手を振る。

 どうやら婚約解消の話は、お菓子の話で吹っ飛んだらしい。

 お騒がせな奴らめ……なんて思いながらフォルクハルトはドアが閉まるのを見てからため息を吐いた。

 レティシアはくすくすと微笑むと、


「さすが、アレク様はノエルの事をよく分かってらっしゃいますわね」


 と言った。

 実はノエルの考えは割と分かりやすく、興味を引く話題を持ち出すとそちらに思考が行ってしまう。

 ノエルが突拍子のない事を言い出した時、アレクはいつもその手で抑えていた。

 ところで――――。


(あれいいなぁ)


 なんてフォルクハルトは思いながらレティシアを見た。

 あれ、とは、ノエルがアレクへの好意をこれでもかというくらい詰め込んだ言葉である。

 自分もレティシアからあんな風に言われてみたい。けれどそれをお願いして言ってもらうのは違うと思うので我慢である。


 それにしても嵐のような時間だった。

 先ほどのやり取りを思い出して、付き合わされる自分達の身にもなってくれ、とフォルクハルトは苦笑する。


「……ねぇレティ、知っているかい? 父上がさ、たまーに私達をテストしているんだよね」


「陛下が?」


「そ。それで、アレクとノエルの場合は外交」


 話ながらフォルクハルトは香茶を一口飲んだ。

 少し冷めてしまっているが、ふんわりとした花の香りが心地よかった。


「ノエルはね、外交の評価がとても良いんだよ。ちゃんと勉強して行くし、あの調子で本心で褒めまくるし。特にその国で大事にしているものとか、すごく細かい部分まで調べていくから、貴族だけじゃなくて平民にも大人気」


「まあ。確かにあの子は勤勉ですもの。……そう言えば、フィオーレもこの間行ったばかりでは?」


「ああ。さっきアレクが取り寄せたっていうお菓子も、手に入り辛い奴なんだけど『ノエル様にぜひ!』って送ってくれたんだ」


 それで、とフォルクハルトは続ける。


「と、まぁ、人気でね?」


「下心は?」


「大アリ。純粋な好意もあるだろうけどさ。ノエルは頭も良いし、外交も上手い。もし婚約解消なんてなったら、うちの息子の嫁にぜひって打診が確実に、山のように届くだろうね」


「分かりますわ……私も時々、くらっと来てしまいますもの。妹ならと我慢しているのに」


「そうそう……って、待って。今、聞き流しちゃいけない言葉を聞いた気がする」


「あら、気のせいですわ」


 レティシアは「ホホホ」と笑って誤魔化した。

 誤魔化して笑う顔も可愛いなぁなんて思いながら、フォルクハルトは話す。


「だけど外交が上手く行っているのはアレクとノエルが一緒だからだ。あの二人、外交での得意分野が真逆だからね。国の間の思惑やら裏やらをアレクが対処してうちの国を守りつつ、お互いの国を尊重し橋渡しをするのがノエル。だからどちらか欠けても駄目だ。外交に出すなら、あの二人は一緒にしておかないと」


「…………」


 そこまで話すと、ふとレティシアが自分を見て頬を赤くしている事に気が付いた。

 あれ、と思ってフォルクハルトは目を瞬く。


「どうしたの、レティ?」


「あっいえ、その……真面目なお話をしているフォルク様は格好良いなって」


「ぐっ!」


 思いがけず貰った婚約者からの嬉しい言葉に、フォルクハルトは胸を押さえた。


「私、もう明日にでもレティと結婚したい……」


「あら。あと二か月後には結婚するでしょう?」


「そうだけどー……だって私のレティが可愛い」


「まあ」


 フォルクハルトがそう言うと、レティシアの顔がより赤くなる。

 そうして見つめ合う二人。


(あ、何だか良い雰囲気)


 今なら抱きしめるくらいなら許して貰えるのではないだろうか。

 そう思ってフォルクハルトが婚約者に聞きかけた時、


「フォルクハルト様! レティシアお姉様! 婚約解消についてのお話なのですけれど――――!」


 先ほど出て行ったばかりのノエルが勢いよく戻ってきた。


「私思いつきましたの! お試し期間とか設けてみたらどうかと!」


「何で思いついちゃったのかなっ!」


 せっかくのチャンスを消し飛ばされたフォルクハルトは、心なしか涙目になってノエルの方を向く。彼女の背後には二割増しくらいに笑顔を深めたアレクがいた。


「フィオーレには就職する際に試用期間という制度があるらしいんですの! ですからこれは試してみたいと!」


「思いませんからね? 必要ありませんからね? 兄上、急な話ですが、これはもう明日にでも結婚した方が良い気がしてきました。なのでノエル、結婚しましょう」


 熱弁するノエルに、ついにはアレクまでそんな事を言い出した。


「えっちょっとずるいよ!? なら私だって、明日レティと結婚するからね!?」


「話が戻ってしまいましたわ……」


 再び大騒ぎになったお茶会。

 香茶はすっかり冷めてしまったけれど、婚約者達の会話の熱は冷める様子はなく。


「ハッ! そうですわ、明日結婚式を挙げるならば、ノエルとも一緒……。四人並んで結婚式……イイ……」


「どうしたの、レティ?」


「アレク様、お手伝いしますわ! 明日! 四人で結婚式を挙げましょう! あわよくばお揃いの衣装で!」


「レティ!?」


 大騒ぎは、まだまだ続く……。










 後日、話を聞いた王様から「馬鹿言ってないで二カ月待ちなさい」と却下されたとか。

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