「明日と魔術師と」

 とある山間部の中腹にある小さな村。主要な交通路からも遠く、わざわざ立ち寄るような人間も皆無の、俗世から隔離されたような寒村。

 そんな村の外れにある、藁葺き屋根の古風な外観の家。元の家主はであった老人が息を引き取り、空き家になっていたところを間借りしている。

 縁側に俺は腰を下ろし、何をするわけでもなくぼうっと空を眺めていた。

 頭を過ぎるのは、この世界に召喚されてから今日までの出来事。

 思い返してみればたかが二年程の月日。

 しかし、その間に起こったこと。見聞きしたこと。感じたこと。

 それらは忘れることの出来ない記憶として魂に刻み込まれている。

 そして、その中心にいたのは、エリカ・カーティス。

 俺の召喚主。

 常に俺の横に、いや、アイツの横に俺はいた。

 今、俺の隣にエリカはいない。なぜなら――

「ただいま~」

 その時、玄関の方から間の抜けた声が届く。声の主は家の中をパタパタと俺の姿を探し回った後、縁側にひょこっと顔を出した。

「あ、いたいた。ただいま、ヴァル君」

「おう」

 声の主――エリカに俺は短く応じる。

「どうだった、村長ンとこのジジィは」

 茶を注いだ湯呑を手渡すと、湯呑を受け取りながら隣に腰掛けるエリカ。

「うん。今は大分回復に向かってる。この調子なら来週には一人でも歩けるようになるわ、きっと」

 エリカは今、この村で治癒術師の真似事をしている。この村唯一の治癒術師(そしてこの家の前の主)が先日ぽっくりと逝ったばかりであり、成り行きでその代わりを務めることになった。

 この村の大半を占める老人相手に、割りかし忙しい毎日を送っている。

「にしても随分帰りが遅かったな」

「途中でイシダのおじいちゃんたちにも往診を頼まれちゃって」

「またあいつらか。もう無視しろよ。あいつらいつも元気じゃねぇか。どうせ若い娘に相手してもらいたいだけだろ」

「あら。そんなことないわよ。最近眠れないって相談されたわ。『眠れないから添い寝して~』なんて言っちゃって」

「はっはっは。そうかそうか。じゃあちょっと行って、俺が眠らせてきてやる。永遠に」

「こらこら」

 そんな他愛のない話の後に訪れた束の間の沈黙。遠くで鳥が鳴く声だけが長閑に響く。

 穏やかで、平和な時間。

 いつまでもこんな日々が続けばいいと思うが、それはありえない。

「それで……」

 俺は何気ない口調で切り出す。

「そろそろ見つかったか?お前なりの“償い”ってやつは」

 問いかけに、エリカは顔を上げ遠い目をする。

 思い返すは、ひと月前のマルレーンでの顛末。


 *


 閃光は同時に放たれた。

 片方は全てを照らす白光の光。もう片方は全てを飲み込む赤黒い禍々しい光。

 迷っている時間は無い。

 俺は決意すると、キュルグレインと同調するために意識をさらに緩めていった。

 限界のラインはとっくに越えている。俺の自我は、限りなく曖昧になる。

 そんな中、俺は意識をすぐ間近に伸ばし、おぼろげな意識の中、そいつに命令を送る。

 そいつ――ベルゼルはびくりと、わずかに身震いする。

 ベルゼルも取り込まれた肉体の一つ。ならばキュルグレインと同じ魂を持つ俺なら、操れるのでは?

 俺がキュルグレインと同化した際、悪魔たちの統率が乱れた時に「もしや」と思った。ただそれだけで、確証があったわけじゃない。

 しかしその予感は当たった。

 自由自在という訳にはいかないが、それでも腕一本が動けばそれで十分だ。ベルゼルはうな垂れたまま指示通り右腕だけを動かすと、手近に突き立った一振りの剣を掴む。

 その剣は魔導師が突き刺し、一度はキュルグレインの身を吹き飛ばした、神聖魔法を施した剣だ。

 双子天使が悪戯に突き立てたものが、まさかここに来て役に立つとは。

「そいつをぶん投げろ!」

 俺の命令に従い、力任せに真上へ投げつける。

 強化されている今のベルゼルは人間とは比較にならない腕力を発揮。銀の軌跡が一直線に駆け上り、そしてキュルグレインの下顎へと直撃した。

 その勢いたるや、突き刺さった剣が肉体に完全に埋没するほどであった。無論、キュルグレインには微々たるダメージにもならない。

 それでも、その衝撃で奴の顎を持ち上げることはできた。

 思わぬ下からの攻撃で顎を反らせるキュルグレイン。直後、放たれた光線が、街の上空を過っていった。

 その余波だけで建物を押し潰し、大気を激しく揺さぶりながら、ついには結界の内面をも破壊するに至った。それでもなお威力は減衰することなく、割れ目から遥か向こうに覗く山の頂に直撃し、その上半分を一瞬で消失させた。その秘められた破壊力を目の当たりにしてぞっとなる。

 とはいえ二撃目は、無い。

 光線とすれ違うように放たれた一条の光。『セイクリッド・ペネレイト』の矢が、全てを飲み込む眩い光を放ちながら突き進む。

 直前に離脱した俺の眼前を一筋の光が過り、寸分の狂いもなく標的――ベルゼルを捉えた。

 その瞬間のエリカの表情は、形容しがたいものであった。決別の覚悟とも、永遠の別れの悲しみにも見えた。

 そしてエリカの口がわずかに動き、何かを告げたようであったが、呟きに等しいその声は誰に耳にも届かなかった。

 光の矢は音も無くベルゼルを射抜き、そのままキュルグレインの肉体奥深くまで侵徹していった。

 そして、静寂。

 時間が止まったかのような錯覚を覚えたのも一瞬のこと。

 目をかっと見開き、身体を強張らせたキュルグレイン。

 その巨躯を震わせ、苦しげなうめき声を上げる。見れば、肉体に綻びが生じていた。

 魂との結合が途切れたことでその膨大な肉体を維持できなくなり、崩壊が始まっていた。剥がれるように落ちていく肉片は、血の一滴すら滴ることなく、粒子となって宙に溶け消えていく。

 ついには身を起こしていることすらできず、大地に倒れ伏すキュルグレイン。

 魔力の供給が無くなった今、この世界で奴の生命を繋ぎ止めるものはない。魂だけの存在になったキュルグレインはこの世界の理によって存在を否定され、滅びゆく。

「許さん……許さんぞォ!脆弱な人間ごときが余を滅するなど!必ずや輪廻転生し、貴様を侵し、嬲り、煉獄すら生ぬるい地獄を見せてくれるぞ!」

 這いつくばりながら怨敵であるエリカを睨みつけ、怨嗟の声をあげて届かぬ手を精一杯伸ばす。

 その手前にいる俺など、眼中にもなかった。

「じゃあな。クソ親父……」

 消えゆく孤独な王に小さく呟く。

 悲願を達成した歓喜も、親を失う悲壮も、全くない。

 もう少し感情が揺れるものと思っていたが、こんなものかという冷静な自分がいた。

 そしてついにその魔神はこの世界から消え去った。それに伴い、天を覆っていた結界も消滅する。

 彩を取り戻した世界は、海の向こうにその身を半分近く隠した夕日により、オレンジ一色に染め上げられていた。

 時はすでに夕刻。夕暮れに沈む破壊された街並みが、得も言われぬ寂寥感を醸し出していた。

「なんとか終わったな、エリ――」

 俺は瓦礫と化した道を踏みしめながら呼びかけた言葉を飲み込む。エリカは呆然と空を仰ぎ見ながら静かに佇んでいた。夕日によってその姿がシルエットになっている。背を向けているため、その表情は窺い知れない。

 師を自らの手で殺めたその胸中は、エリカ本人にしか分からない。

「辛かったな。でも、お前のおかげで守られたものは多い。だから……」

「ありがとう、ヴァル君。私は大丈夫だよ」

 慰めようと言葉を紡ぐ俺に、努めて明るい声で振り返るエリカ。夕日に照らされたその眩しい笑顔に思わず見惚れてしまう。

 その表情は儚く、痛々しくも見えた。

「なんとか倒したようですね、先輩」

 そう言いながら歩み寄ってきたのはオリン。満身創痍の上、限界まで魔力を使い果たしたのか、双子天使に肩を借りている。

「これもオリン君が助けてくれたからよ。ありがとう」

「戦ったのは彼女らです。僕は何の力にもなれませんでした」

「謙遜の使いどころを間違えていますわよ」

 横から口を挟んでくるのはメリッサ。

「そこの悪魔も、エリカさんも、オリンと私達がいなければやられていましたわ。だからオリンはただ胸を張って頷けばいいんですのよ」

「そうだよ、オリン。こういう時は男らしく堂々としてるとモテるんだから。かっこいいとこ見せ所!」

 左右から好き勝手言われ、苦笑いを浮かべる。王国捜査官エージェントも形無しだ。

「それで先輩。今後のことについてですが……」

 オリンは言いづらそうにそう切り出す。

 残る問題はただ一つ。

「これで私のやるべきことは済んだわ。もう心残りはない……さぁオリン君。私を逮捕して」

 清々しい表情とは対象的に、オリンは表情を曇らせる。

「僕からも出来る限りの弁護はしますし、本来であれば自首することで情状酌量の余地もあります。ですが、その、それでも恐らく……」

 オリンが言わんとすることは、エリカも十分に理解している。

 どれだけ真実を述べようと、それを示す証拠は残っていない。何より、真犯人であるベルゼルはもうこの世にいない。

 ただ唯一、エリカが人命を糧に悪魔を召喚したという事実が残るだけだ。

 こうなった今、もはやエリカに無罪を証明する手立てはない。そのエリカに国がどんな裁きを下すか、概ね予想はつく。

「もう私が成すべきこと事は済んだ。次は自身の罪に私が向き合う番よ。だから私は法に従い、裁きを受ける」

 自分を憂いてくれるオリンに優しい笑みで返す。

 (ついにこの時が来たか……)

 俺はもう何も言わない。例え極刑が待っていたとしても、エリカはそれを望んでいる。

 だから俺に言葉はない。不本意であろうと、従うのみだ。

「本当にこれでいいんですか?先輩はベルゼルに騙されただけです。そして奴の暴走を阻止までした。なのに、こんな結末は、あんまりです」

「これはもう答えが出たことなの。私は納得しているわ」

 言いながら両手を差し出すエリカ。

 しかし、その手が震えていることに、果たしてオリンは気付いただろか。

「僕は納得できません。先輩が命を差し出さねばならないほどの罪を犯したとは、僕には思えません」

「法の問題じゃない。この手で命を奪った罪は消えない。仮に法が許したとしても、私は自分を許せない。罪悪感に苛まれ、きっと、長くは生きていけないわ。だから、これでいいの」

 その一言に、何かを見出したようにオリンの目つきが変わった。

「……甘ったれるな」

 唐突なその一言に、「え?」とエリカ。

「あなたの命一つで、償えると思うな!あなた一つの命を代償にしても、失われた命は一つだって戻りはしない!」

 オリンの叫びが広場に木霊する。

「法や誰かが罰してくれるなら、悩まなくていい。こんな楽なことはない。でも、そうやって罪に向き合う、その実、考えることから逃げてるだけだ!それが先輩の言う“気高い魔術師”の姿とは思えません」

 まさかここに来て、そんな事をオリンから指摘されるとは思っても見なかっただろう。エリカの口からすぐに否定や反論が出ないのも、そこに少なからず的を射ていたからに他ならない。

 そしてその言葉には、俺までもがハッとさせられた。

 人間の生死観は悪魔の俺には理解できない。

 だからエリカが死による裁きを望むのであれば仕方ない、とも考えた。

 しかし、その望みの本質にまでは考えが至っていなかった。

 罪悪感から逃れようと死を望むことが本当の意味での償いになるのか。

 その点で言えばオリンはよりエリカに近い視点に立ち、エリカ自身も気付かなかった内心を見抜いていた。

 「わ、私だって必死に考えた!どれだけ考えても、これ以外の選択はなかった!それだって、苦しみ抜いた上での決断よ!」

「いいや。これだけは断言できます。“これしかない”などと思いこんでいる内は、人はそれ以外の選択肢があっても気付けない。それはかつて、あなたが僕に教えてくれたことだ」

 その言葉には、一際強い熱を帯びているのがわかった。

 認めざるをえない指摘に、ついに反論を諦めたエリカは、

「なんで今、このタイミングでそんな事言うのよ……」

 と、悲痛な声で顔を両手で覆い、しゃがみ込んでしまう。

「だったら、私はどうすればいいの……?命を奪った罪悪感を背負って、自分を責め続けて生きていけっていうの?」

 ふさぎこむエリカに、「はい。そうです」とオリンは間髪入れず答える。そして続ける。

「悩み、苦しみ、自分を責めながら、どんなに無様だろうと、それでも生き続けろ!そうやって自分を許せる償いを見い出せ!贖罪とはそういうものでしょう!?」

「そんな事言われたって、私にはどうしたらいいかわからないわ……」

「あなたは何者だ?高位魔術師なのでしょう?叡智と理性を司る魔術師なら、人にはできないあらゆる事が可能なはずだ。それこそ失われた命以上に、多くの人を救う術を持っているんじゃないんですか」

 それでも尚、表情を曇らせ迷いを見せるエリカに、オリンは言い放つ。

「“魔法は人の望みを叶え幸せにする”。まだその信念を失っていないなら、それを生涯かけて、それこそ命を賭けてでも全うしてください」

 その言葉に、エリカはハッとなって顔を上げる。

 これまで何度も口にした己の信条を突きつけられ、悲嘆に暮れる表情に生気が戻る。

 頑なだったエリカの心が、動き出した瞬間だった。

「少なくとも、それを試す時間はある。それでも裁きを国に委ねたいと言うなら僕の元を訪ねてください。その時は僕が直接、手を下します」

 そう言いながら、見上げるエリカに手を差し出すオリン。

「……わかった。もう少しだけ、考えてみるわ。私の“償い”を」

 オリンの手を取り、立ち上がるエリカの面はけして晴れやかとは言い難いが、それでも強い覚悟を決めた者の凛々しい表情であった。

 この予期せぬ展開に、俺はただただ呆然とするしか無かった。

 俺はこの小僧を少し見くびっていたかかもしれない。

「さ、わかったら、ここは僕たちに任せて、先輩は街を出てください。あなたは今日ここで死んだことになるんですから」

 軽く手を叩いて気を取り直し、促すように言うオリン。

「この状況です。先輩の生死を確認している者は僕以外にいません。死体も残さず消滅したと報告しても信じるでしょう」

 光線によって形を変えた山を指さしながら、法を守る立場である王国捜査官エージェントの言葉とは思えないことをさらっと言ってのける。

「オリン君はそれでいいの?」

「……僕は法と正義を司る王国捜査官エージェントです。でも、善悪の判断を委ねたわけじゃない。正しいと思うことは、常に自分の意思で実行します」

「でも」と心配げなエリカを遮り、続けて言う。

「だから今日、この判断をしたことを後悔させないでください。あなたの償いの先に救われる人が多いことを、僕は期待します」

 そう告げ、微笑むオリン。見てくれこそ幼さを残すも、この上なく頼もしいものに見えた。

「最初は小童だと思っていたが、いっちょ前に抜かすじゃねぇか」

 茶化した物言いの俺に、オリンは一変して厳しい眼差しを向けてくる。

「先輩はお前に託す。――だから、もし彼女に何かあってみろ。たとえ神界に逃げ帰っても追いかけて殺す。必ず殺す。ゆめゆめ忘れるな」

「へいへい。できるだけ覚えとくよ」と、オリンの肩を叩く。

 最大の敬意と、感謝を込めて。

 と、その向こうで憮然とするメリッサを目にする。

 視線を投げかけ、暗に「いいのか?」と問いかける。

「オリンが言っているのですから、今回は見逃して差し上げます。気が変わらないうちに、せいぜい悪魔らしくこそこそと逃げるといいですわ」

「ま、ここでこれ以上戦うとオリンの魔力がなくなっちゃうしね」

「余計なことは言わなくていいの!」

 と、アリッサを睨むメリッサ。まぁそれはこっちも同じなのだが、それは黙っておく。

「そうかい。ま、俺はここで決着つけてもいいんだけどな。だがな……」

 真剣な表情で向き直ると、何を勘違いしたのかメリッサが剣呑な表情で警戒に身構える。

「あの時、エリカを助けてくれたことだけは礼を言っておく。ありがとう」

 俺は本心からそう口にし、頭を下げる。これにはさすがの双子天使も予想していなかったのか、ポカンと間抜け面を晒している。恐らく今まで怨敵の魔属に礼を言われたことなど、ただの一度も無いのだろう。

「か、勘違いしないことね。私たちはあくまで主の意思を汲み取り、エリカさんを助けたまでよ」

「だから、それに対して礼を言ってるんじゃねぇか。人の話を聞けよ」

 俺の至極まっとうな指摘に、メリッサのこめかみがひくつく。

「あ。もう一つ礼に、俺がありがたいアドバイスをしてやろう。その天使のくせにキレやすい性格はなんとかした方がいいぞ。戦闘中なら絶好の隙になる。あと嫁の貰い手もいなくなるな。まぁ、そっちはもう手遅れだとは思うが」

「よし。気が変わりました。やっぱりここでブッ殺しておきましょう」

「姉さん!武器出さないで!オリンが死んじゃう!お前もさっさとどっか行け!!」

 武器を手にする姉を必死に静止する妹が叫ぶ。

 人の善意を無碍にするとは、失礼な奴らだ。

 そんな自分たちの盟約者のやりとりに苦笑いしていると、遠くから近づく無数の気配に気付く。

「オリン。魔道部隊の別働隊、それと港湾警察がこっちに向かってるよ」

 奴らに姿を見られたら、オリンの気遣いも無駄になってしまう。

 別れの時だ。

「さぁ、行ってください……もう会うことは無いでしょうが、どうかお元気で」

 少し寂しそうなオリンの言葉に、しかしエリカは首を横に振る。そして、力強い口調で、

「必ず罪を償うわ。今はまだその方法はわからないし、どれだけ時間がかかるかもわからない。いつか絶対……絶対また会いに行くわ。自分の罪を償えたと心から思えたら、必ず!」

 宣言するように声高に言い放った。

 その言葉に感極まったのか、オリンは黙ってエリカに背を向けた。

 もう言葉はない。

 その背に手を小さく振り「バイバイ」という寂しそうな声を投げかけると、それを最後に俺たちはマルレーンを後にした。


 *


「まだあれからひと月だもん。そんな簡単には見つからないわよ」

 視線を戻し、エリカが答える。

 そして膝の上で湯飲みを両手で包むように持ちながら、口もつけずにただ視線を落として黙り込む。

 以前より、こうしてふと考え込むことが多くなった気がする。

「それでも、なんかあんだろ?茶請けに聞かせろよ」

 迷いは口にするとスッキリすることもある。やや強引に促すと、エリカはぽつぽつと語りだす。

「そもそも"人を幸せにするのが魔法"だなんて偉そうに言ってきたけど、今となってはそれもわからなくなってきちゃってね。ヴァル君の言う通り、私は魔法しか取り柄がない魔法オタクよ。だから魔法にすがっていただけなのかもしれない。周りと馴染めない私でも、魔法で何かを成せれば認められるんじゃないかって……」

「らしくないこと言ってんじゃねぇよ」

 良くない方向に思考が向く前に口を挟む。

「すがろうがなんだろうが、それが今日までのお前を形作ってきたんだ。だからあの時だって、オリンに言われてお前も考え直したんだろ?そういうのは“生き様”って言うんだよ。今更どうこうできるもんじゃねぇんだから、そいつをただ貫けよ」

「……オリン君もヴァル君も、厳しいなぁ」

 エリカは困ったような笑みを浮かべるが、それで吹っ切れた様子だ。

「こんな山奥に籠もったのは、ンなことを悩んでたからか?」

「ううん。それはまた別よ。まぁ悩んでたのは事実だけど……」

 この村は、人目を避けながらマルレーンから離れる道中にあり、通り過ぎるだけのはずだった。

 しかし、たまたま村長が発作で倒れ、治癒術師もいないということで見かねたエリカが治療を施した。そこまでは良かったのだが、経過観察で逗留しているうちに噂を聞きつけた老人どもが押し寄せ、自分の持病も診てくれとエリカを訪ねてくるようになってしまったのだ。

「私がこの村で治癒術師さんみたいなことをしているのも、安直だけど、誰かを救うことで償いを見いだせるかもしれないと思ったから。それに、過疎の村の治癒術師不足は深刻だからね」

「そうなのか?俺はてっきり……」

「あ、もしかして私が断りきれなくて、発つタイミングを見失ってたとか思ってた?」

「思ってたも何も、違うのか?」

「そんなわけないでしょ。もぅ」

 むくれるエリカ。どうやら俺の読みは外れていたらしい。

「でもやっぱり、この“償い”には明確な終わりも、答えも無いと思うの。これは私が生涯を通して背負っていかなくちゃいけない宿命――私が歳を取って、おばあちゃんになって、死ぬ間際になっても下ろすことは許されない。それほど、私の犯した罪は重いわ。罪の無い人と、そして師を殺めた罪は」

「何度も言ったが、あれで助けられた人間も多い。俺は誇っていいとすら思う。そうは考えられないか?」

 別に励ましたり慰めるつもりは無く、事実として俺は言ったつもりだが、エリカは首を横に振る。やはりどうあっても自分を許すことは出来ないのだろう。簡単に自分の罪を許せるような奴ならこんなに悩み、苦しみはしない。

「だからこうやって償いの形を模索していくことが、今後の旅、いや人生の目的になると思うわ」

「そうか。まぁ答えがないってのも一つの答えだろ。せいぜい頑張れや」

 俺はぶっきらぼうに言い、湯飲みに口をつける。

 冷たいようにも見えるが、こればかりはエリカが答えを見出せねばならないことだ。

「うん。ありがとう……それでね、ヴァル君」

 と、呼びかけたエリカ。しかし、どうしたのかその後に言葉が続かない。湯飲みを口に当てたまま横目で見遣ると、何やら様子がおかしい。

 何度も何か言おうとしては言葉に詰まり、「あー」「えっとぉ」などと切り出そうとしては失敗して押し黙る。

 何か言いたいが言葉にできないといった様子に、俺は訝しげに片眉を吊り上げる。

「なんだよ?気持ち悪ィな。言いにくい事か?」

「いや……あの、うん。そのね、ヴァル君のおかげで目的は果たせたし、それに私はもう追われる身じゃなくなった。本当に感謝してる。私に出来ることならなんでもするつもりよ。それでね……」

 ――なるほど。言いたいことは読めた。

 何を言い出すかと思えば、こいつらしい、なんともつまらない事を言おうとしてんな。

 案の定、エリカは予想通りの言葉を口にする。

「ヴァル君が望むなら、契約を解除して神界に送還しようと思ってるの。もう盟約に縛られることは無いわ」

「やっぱりかよ」

 あまりに予想通りすぎて、つい口を衝いて出てしまった。一方、思わぬ反応にエリカは「え?」と聞き返す。

「俺は一度だって盟約に縛られた覚えは無い。俺はいつだって自分の意思で行動してきたんだ。もちろん、これからもそうだ。その俺様を勝手に送還なんて、テメェは何様だ?あぁ?」

 茶化した態度で指先をエリカの鼻先に突きつける。

「だって、ここは生まれ育った世界じゃないし、人間しかいない。ヴァル君からすれば縁もゆかりもない異世界だし、やっぱり元の世界に……故郷に帰りたいんじゃないの?」

「確かに、キュルグレインを葬った今、神界に俺を脅かすものはいない。でもそもそも、あんな退屈なとこに執着なんかこれっぽっちもねぇよ。戻ったところで、大してすることも無いしな」

 ――それに神界に戻れば、俺は一人だ。

 召喚前なら平気だった。

 でも今は、耐えられそうにない。

「それなら暇つぶしにお前が“償い”とやらを終えるまで見届けてやる。覚悟しやがれ」

「で、でも、いつ終わるかわからないわよ?おばぁちゃんになっちゃうかもしれないよ?」

「はは!そりゃいい!むしろお前がボケた姿を見るのを今から楽しみにしてるぜ」

 エリカの心配を鼻で笑い一蹴する。エリカの余命なんてどれだけ長くても百年に満たないだろう。俺の寿命からすればその程度の時間、それこそ暇つぶしだ。

 一頻り笑うと、口調を真剣なものに戻して言う。

「俺がその命題とやらを一緒に背負う事はできない。でも、そんなお前を横で支えてやることくらいはできるつもりだ……それじゃだめか?」

 偉そうに宣ったものの、もし罪の具現である俺の存在が少しでも重荷になるようであれば話は別。その時は、大人しく神界に戻る。

 エリカの枷にはなりたくないからな。

 瞳の奥の真意を見抜くように、エリカを正面から見据える。

 数秒の沈黙。

 ただ、それが思案したり、迷っている類の間ではない事はすぐにわかった。その後に続く言葉はただ一言、

「ありがとう……」

 震える声でそう呟いた。そしてくしゃりと顔を歪め、滂沱の涙を流して大声で泣き始めた。

「馬鹿。なんで泣くんだよ」

「だっでぇ、嬉じぐでぇぇぇ。ぞれに内心、ずっごく不安だったんだもん!「あ、そっすか。じゃ、お言葉に甘えて」なんてあっさり言われたらどうじようがっでぇぇ!」

 嗚咽混じりの汚い声で泣いてるのか笑っているのかわからない表情。鼻水まで流して見るに耐えないので、持っていた手拭いを顔面に押し付けてやる。

「あの時言っただろ。俺はどこにも行かないって」

「ふふっ。あの時のヴァル君、かっこよかったねぇ」

 俺が言うやいなや、今の今まで泣き顔だったくせに、急に気色悪いニヤニヤ顔を浮かべだす。

「……覚えてねぇな。もう忘れたから、お前も忘れろ」

「はい残念。私、記憶力いいから簡単には忘れませ~ん。あ、そうだ!魔法で記録しときたいから、あの時のセリフもう一度言ってくれない?『悲しいこと言わないでくれ』のあたりから、3,2,1……はい!」

「はっ倒すぞテメェ!」

 人が真面目に話してるっていうのに、調子乗りやがって。ムカつくな、コイツ!

 しかしまぁ、少なくともエリカが俺の存在を疎んではいないようだ。

 どうやら杞憂だったことに内心で安堵する。


 ――この償いの旅は、楽なものではないのだろう。

 それは己で罪に向き合い贖い続け、己を許せるかを見出す旅でもある。

 その末に、必ずしも救済が待っているとは限らない。

 後悔と懺悔に圧し潰され、自責の念に苛まれたまま生涯を終えることもあり得る。

 オリンが言ったように、誰かが罪相応の罰を与えてくれる方が、確かに楽だったろう。

 願わくばこの旅路の中で、自身を許せるきっかけがあること祈るばかりだ――


 と、そんなことに考えを巡らせていたからだろう。

 エリカは身を乗り出し、顔を目の前まで近づけさせていて、驚きに思わず仰け反ってしまう。

 眼鏡の奥のぱっちりと開いた目で俺を見据えると、

「そういうことなら、これからもずっといっしょだね。よろしく頼むよぅ、ヴァル君」

 そう言ってにかっと笑うエリカ。

 出会った頃と何も変わらない、人懐っこい笑み。

 出会ってから、色々な事があった。

 悲壮な経験を経て、それでも己のやるべき事に向き合い、歩み続ける強さを持つに至った。

 変わらないように見えて、その笑みはあの頃とは全く別物だ。

 ならば、まだ見ぬ未来をそう悲観するものではないのかもしれないな。

「ま、しょうがねぇから、せいぜい付き合ってやるさ」

 俺もまた、笑みで答える。

 俺たちの逃避行は、まだ終わらない。


<終>

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逃避行は悪魔と共に 黒砂糖デニーロ @sugar_De_Niro

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