言の葉の外

「モールス信号、お分かりになるんですね」

 将之が保典に話を振ったのは、臨時に設けられた救護所で応急処置を受け終わったあとだ。嫌味な口調ではなく、別の場所でやはり治療を受けている奏を待つまでの雑談のようなものである。二人のすぐ横を、赤色灯を回した緊急車両が何台か走り去っていった。

 もっとも、騒ぎの大きさに反して大した怪我人は出なかったため、一刻一秒を争うような緊迫感は無い。イルミネーションはすでに全ての電源を落とされ、代わりのように駆けつけたパトカーや救急車が周囲を照らしている。見物人たちの避難誘導も進み、混乱は徐々に収拾へと向かい始めていた。

 保典が他の職員に確認したところ、一連の事件はイベント中の機材トラブルという扱いで、後処理は明留市とイベント会社が請け負う流れになるだろうという話である。

 遠くで瞬く赤色灯を眺めながら、将之の横に並んだ保典は恥ずかしそうに苦笑した。

「一時期、アマチュア無線にはまっていましてね。ですが、あれがモールス信号だとは、伊達さんに指摘されるまでまったく気付かなかった」

 情けない話です、と恐縮して頭を下げる保典に慌てたのは将之だ。

「いや、そんな」

 包帯を巻かれた両腕を振って否定する将之に、保典が柔らかく微笑んで頭を上げた。その表情を保ったまま、話題を変える。

「あの古いイルミネーションですが、修理できないものや安全性が怪しいものを除いて、地元の商店街に寄贈するよう提案するつもりです。汚れが酷くて、それすら憚られるものは、私が引き取ろうかと」

 保典のアイデアに、将之は顔を輝かせて大きく頷いた。

「それはいいですね。大切にしてもらえそうだ」

「本来ならば、市の備品を個人に譲渡するのはご法度ですが……きっと見逃してくれるでしょう」

 悪戯っぽく笑った保典が背後に視線をやる。つられて振り向いた将之も、思わず歯を見せて苦笑した。二人の視線の先には、きりきり舞いしながら若林や市の職員たちに指示を出している速水市長の姿がある。彼にとってはこれからの対応が、市長としての真価を問われる正念場となるだろう。

 なんとなくお互いに口を噤んだ瞬間を見計らったかのように、前方の雑踏から誰か――おそらくは市の職員が、加勢を求めて保典を呼んだ。片手を挙げて応じた保典が将之に向き直る。

「すみません、私も行かなければ。駆除料金の支払いについては後日、改めて連絡を差し上げても? 事後処理関係で、色々と伺わなければならないこともありますし」

「それで構いません。オレたちは勝手に撤収しますので、どうかお気遣いなく」

「ありがとうございます。旭さんにもよろしくお伝えください。感謝の言葉も含めて」

「ええ、必ず」

 将之の返事に安堵したように、古賀は「では」と会釈をして前方へと足を進め。

「――ああ、そうだ」

 二、三歩進んだところで、不意にその歩みを止めた。

「伊達さん。市長に対するあなたの啖呵、痛快でしたよ」

 振り返ってそんなことを言い出す保典に、将之は「え」と目を丸くした。クリスマスツリーの下での、速水とのやりとりのことを言っているらしい。まさか、あの会話を聞かれていたとは思っていなかった。

 彼らの対決場面を思い出しているのだろう。可笑しそうな表情を浮かべながら、なおも保典は思いがけないことを言う。

「どうですか、次の市長選に立候補してみては? あなたならば、真の意味での『未来の街づくり』を実現できそうだ」

 あながち冗談でもなさそうな口調に、将之は困ったように肩をすくめた。

「遠慮しておきますよ。オレは黒糸市民だし、ゼロ票落選でもしようものなら目も当てられませんから」

「またまた、そんな」

 揶揄い混じりに笑う保典に、将之は小さく呟いた。

「前科者ですしね」

 距離があったため聞き取れなかったらしい。保典は目を瞬かせて「何か?」と首を傾げた。

「いえ……連絡、お待ちしています」

 二度は言わず、将之は笑顔で一礼する。保典も深くは追求しなかった。再度深々と礼を返して、今度こそ小走りで同僚たちが集まっている方へと去っていく。

 その背を見送り、将之が小さく息をついたところで。

「マサムネ!」

 斜め後方から聞き慣れた声に呼ばれ、背後を振り返る。

「怪我は大丈夫だった?」

 駆けてくるのは、こちらも治療を終えたらしい奏だ。服の隙間から覗く素肌という素肌が湿布まみれになっていた。

 その姿を見た将之の表情が、突如として厳しいものへと変貌を遂げる。

 ギン、と擬音が飛びそうな眼光で睨まれ、「ひっ」と小さく悲鳴を上げた奏が急ブレーキをかけた。

 将之が無言で一歩距離を詰める。目に見えて怯えた顔をした奏が後じさる。

 不機嫌面のままポケットに手を突っ込んだ将之が取り出したのは、奏のスマートフォンだった。

「ケータイは携帯しろって、いつも言ってるよな?」

 機械側面を摘み、ゆらゆらと揺らしながら将之が発する低音に、奏は「え」と驚いたように声を漏らす。不思議そうに服の上からあちこちのポケットを探り、ようやく思い出したのだろう。今度は「あ」と間の抜けた声を漏らして手を打ち合わせた。

 一連の奏の反応に、将之の声のトーンがさらに低くなる。

「聞けば、あろうことか古賀さんを放り出して走り去ったとか?」

「そ、それは……だって、マサムネに電話しても繋がらないから、居ても立ってもいられなくて」

 慌てたように両手を振って弁解する奏に、将之は怪訝そうに首を傾げた。

「オレに電話? いつ」

 問いはしたものの、自分で確認したほうが早いと気が付いたのだろう。機械音痴の奏が定期的なパスコード変更などしていないことは承知しているため、さっくりとロックを解除して発信履歴を呼び出す。

 勝手に己の端末を操作されても奏が怒ることは無い。むしろ、そわそわと将之の顔色を伺っている様は、怒られる直前の子供のようですらある。だが、しばらく指を動かしていた将之の眉間の皺は無くならず――むしろ深くなった。

「これ、オレが随分前に使ってた携帯の番号だぞ」

「……え?」

 目を丸くする奏の前で、さらに将之は操作を続ける。やがて彼が奏に見せた画面は連絡先の一覧。そこには、「マサムネ」の名前で登録された電話番号が二つ並んでいた。

 硬直する奏。さらに顔が険しくなる将之。冬の冷たい風が一陣、二人の間を吹き抜けた。

 短い沈黙の後、拳を振り上げて怒りも露わに怒鳴ったのは将之だ。

「古い番号は紛らわしいからすぐに消せって、あの時口を酸っぱくして言っただろうが!」

「わぁぁ、ごめん、ごめんってマサムネ!」

 顔の前で手を合わせて必死で頭を下げる奏に、将之もそれ以上は怒る気を無くしたらしい。拳を下げ、「ったく」と呆れたように呟くと、スマホを奏に手渡した。

「一人で勝手に突っ走るなって言ったのに、聞かないし……自分の身も顧みないで無茶するし」

「……ごめん」

「許さん。ちゃんといい子にしていなかった奏は、ケーキもチキンも無しだ」

「う……」

 目に見えてしゅんと項垂れる奏を見下ろし、将之は「だから」と続ける。

「今日はいつもどおり、バーミヨンの中華で我慢しろ」

 地面に目を落としたまま固まっていた奏は、一拍を置いて、「へ?」と顔を上げた。

 その時にはすでに、将之は奏に背を向けてさっさと歩き出している。

「さっさと来ないと置いてくぞ、奏」

 笑いながら言われた言葉に。そこに宿った意図に。呆然としていた奏の表情に、じわじわと喜色が広がっていく。

 慌てて走り出し、すぐに相棒の隣に並んだ奏は無邪気に笑った。

「なあなあ、マサムネ、杏仁豆腐もつけていい?」

「仕方ないなぁ、特別に許可してやるよ」

「さすが所長様、話が分かる! マサムネも食うだろ?」

「そうだなぁ、所長様も食うとするか」

 パトカーや街明かりで煌めく夜景の中に、明るい笑い声が二人分弾けていった。


     *


「オーライ、オーライ。はい、右側オッケー、左側オッケー。信号よし。出てくださーい」

 懐中電灯を振って車を誘導しながら、保典はてきぱきと指示を飛ばす。バックで車道に出た同僚の車が無事に走り去るのを見届け、小さく安堵の息をついた。

 信号が変わり、目の前を幾多のヘッドライトが横切っていく。

 その合間に、見覚えのある二人組が向かいの歩道を歩いているのを見つけ、保典は作業の手を止めた。

 二人の背にある「BMB」のロゴが遠ざかり、雑踏へと飲み込まれていく。

 それを見ていた保典は、ふと、思いついたように傍らの台車へと懐中電灯を向ける。

 積み上げられた段ボール箱の一番上。蓋の隙間から覗くサンタクロースに少しだけ微笑みを浮かべ、保典は電灯のスイッチをカチカチと小刻みに上下させる。


 ――ズットイツショ


 最後に受け取ったのと同じ点滅ことばが、暗闇に瞬いては消えた。

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