星に願いを

 夜空の下、すっかり体積の減った寄生体は横倒しになっていた。徐々に透過していく体から、ズタボロになった将之のコートが音を立てて滑り落ちる。露わになった目から発される光に、凶暴なまでの強さはもう無い。

 弱々しく、だが、今なお点滅を続ける赤い灯。乱れた髪も服もそのままに、寄生体を見下ろして身構えたのは奏だ。

「まだ何かするつもりか?」

 その背後から歩み寄った将之が、奏の横に並び立ち、今にも消えそうな寄生体の顔を覗き見た。ぽつぽつと点る光に、はっとする。

「いや、これは――」

 瞬く光には規則性がある。端末をいじって義眼のモードをオフにした将之は、頼りない明滅を注視した。その光と、端末画面とを見比べていたところで。

「お二人とも、大丈夫ですか?」

 不意に発せられた声の主は、将之でも奏でもなかった。

 驚いた二人が揃って背後を振り返れば、息を切らした保典が非常階段を上がってきたところである。

 膝を震わせるほどの疲労困憊は、急な階段だけが原因ではなく、両手で抱えた大きな段ボール箱のせいでもありそうだ。よたよたとこちらに走り寄りながら、保典は面目無さそうに恐縮した。

「申し訳ない、これに空気を入れていたら遅くなってしまって。それで、寄生体は――」

 どうなりましたか、と、尋ねるつもりだったのだろう。二人が無言で視線を向けた先にいる、今にも消えそうなサンタの姿に、保典は言葉を止める。

「これ、は」

 ようやく出てきたのは、たったそれだけの唖然とした呟き。

 無音の空間に、長短だけで訴えられる赤い光が弾けていった。何度も、何度も。

 端末でモールス信号の符丁を調べていた将之が、イヤホンを耳に押し当てていた奏が、同時に顔を上げる。


「ココニイルヨ……」


 重なった二人の声に、保典の顔が泣きそうに歪んだ。眦に涙を膨れあがらせ、彼は絞り出すような声で寄生体へと呼びかける。

「すまなかった……すまなかったなぁ。あんなところに、ずっと置き去りにしてしまって。でもな、忘れてはいなかったよ。忘れるはずがないだろう」

 足元に段ボール箱を置いた保典は、その中に収められていた中身の一つを大事そうに取り出した。

 今しがた膨らませたらしい、片腕で抱えられるほどの大きさの、サンタクロース型のバルーン。

 外見だけならば、それは目の前の寄生体と瓜二つだった。目が合った人々の微笑を誘うような、可愛らしい顔の造形だけが異なっていたが。

 それでもやはり、同じ顔なのだろう。ただ、笑っているか――無表情で泣いているかが、違っているだけで。

 まるで赤ん坊を抱くように、保典はバルーンを左腕の中へと収めた。自然と一歩後ろに下がって、将之と奏は道を譲る。二人の間を通った保典の正面で、もう輪郭もろくに残っていない寄生体が、彼の顔をじっと見つめている。

 その前で立ち止まった保典が、静かに口を開いた。

「人も物も、街も、時代の変化に合わせて新しくなっていく。それは進歩のために仕方のないことで、喜ばしいことでもある。けれどね」

 保典の空いた右手が、自身の左胸にそっと当てられた。

「どれだけ古くなって、いずれ消えて無くなっても、思い出はずっとここにある」

 寄生体の体が、陽炎のように薄くなる。完全に消え去る寸前に浮かべられた表情は、保典の腕にあるサンタと同じ笑顔であるように、二人の目には見えた。

 プログラムの残滓である白い光に混じって、赤い点滅が星のように儚く瞬く。

 将之が端末を軽く操作し、奏も再び片耳を押える。最後に残された言葉を伝えようと二人が口を開くよりも早く、保典は微笑み、深く頷いていた。

「ああ――分かった」

 震える声が、一拍置いて力強く結ばれる。

「約束だ」

 溢れた言葉に安心したように、光は今度こそ聖夜の静けさに溶けていった。


     *


『おーい、こっちだ、こっち。手を貸してくれ』

『はいはい、これを運べばいいんですね? それにしても、これ、本当に市職員の仕事なんですかね?』

『文句を垂れるな、街を活気づかせるのも仕事のうちだ。ああ、そこのコード、あとで張り直しておけよ。これじゃ樹に引っかかって危ないぞ』

『はーい。ちなみに、この飾り、どこに設置するんですか?』

『それは商店街の看板脇と決まっているんだ。主役だからな』

『なるほど。愛嬌ある顔ですよね、このサンタクロース』

『ははは、そうだろう? ……うん、よし、いい具合だぞ。あとは点灯を待つばかりだ。今年もみんな、喜んでくれるといいなぁ』

『古賀さん、本当に好きですよね。このイルミネーション――』

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