奇人③


 秀悟の目論見通り、実験は中止になった。最初は強情に抵抗していたようだが、翌日には落ち着いた様子で「ま、目的は達したから」と大人しく反省文とクラスへの謝罪をこなした。

 事件については口外しないようにと学校側からきつく言われた。誓約書も一筆書かされた。それを破ったとて何があるわけでもないのだが、人間の心理とは不思議なもので効果は覿面てきめんであった。中学生にとって誓約書はあまりに物々しく、深層心理に重石おもしをした。といえばそれらしく聞こえるが、事実は往々にしてもっと複雑だ。例えば人生ノリで生きてる連中にしてみれば、言いふらして回るよりクラスでこの巨大な秘密を共有することを楽しんでいたし、そうでなくても大半は至極ショックを受けていたので、思い出すだに恐ろしくあまり語りたがらなかった。

 クラスメイトはそれぞれ学校でカウンセラーとの面談を数度繰り返し、必要とあればメンタルクリニックの紹介も受けていた。これはだいぶ後になって知ったことだが、治療にかかる費用は十分すぎるほど保護者に渡されていた。資金源はこの街の元市長である秀悟の父親だ。学校が誓約書まで書かせたのもこのことが理由らしい。だが、学校外はいざ知らず、校内では次第に噂が広まっていった。さすがに事件の詳細を話したやつはいないようで、秀悟という奴が何かとんでもなくヤバいことをしたという程度の噂だったが、その曖昧さが裏目に出た。語る人によって色とりどりに脚色され、尾ひれ背びれをふんだんにつけて周る様子はさながら熱帯魚ネオンテトラのようであった。最終的にどんな噂になったのかは知らないが、いつも行動を共にしている様子から、俺と直樹も共犯とする話も出回っていたようだ。おかげで、俺は元々少なかった友人がさらに減り、結果的には秀悟と直樹との仲が深まることになった。


 俺とて修吾は恐ろしかったし、できれば避けたかった。だが、彼らを除けば他にまともな友人などいなかった。

 つまり、元々俺はクラスでも微妙な立ち位置で、いじめられるというほどでもないが遊びに誘われることもない。常に成績は上位だったが、秀悟のような本物の天才に比べれば自慢できるほどでもなく、むしろ劣等感を抱いていた。というのも、人は誰しも物事を習い始めた頃は成長の度合いも早く、獲得した能力に傲慢ごうまんになってしまうものだ。だが物事に本気で取り組んでいればいるほど、その道において自分がいかに未熟であるかを悟っていく。中学の時の俺は丁度その中間とでも言おうか、学校の授業を先取りしていることに得意気でありながら、秀悟のような本物の天才への激しい劣等感に苛まれていた。加えて中学3年生の春である。志望校を決める段になって、数値化された自分の限界に追い詰められていた。それを振り払うかのように、学習塾では試験に関わりのない高校の範囲まで先取りしていたが、当然模試の結果は不調だった。

 そんなわけで仲の良い友人はいなかったし、内心では自分を無視するクラスメイトたちを見下してもいた。だから、奇人・秀悟のお仲間として蔑視され始めたことは、うれしくもあった。彼らの冷たい視線は自分が特別な人間である証左のように感ぜられた。世間には理解されない崇高な何かを秀悟は成そうとしていて、俺は数少ない理解者である、と。だがその何かについて深く考えることもなく、また自分から何かをするでもなく、劣等感を覆い隠すこの都合のいい妄想に俺は夢中になっていた。

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緋乃狐 @6dogs

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