異世界からの帰還者

西玉

第1話 

 吸血鬼のドクター・シュテレンは、ようやく完成したパワードスーツを起動させた。

 全身を覆う機械の体は、シュテレンの筋肉の動きに敏感に応え、思いの通りに動いてくれる。その上、服を着ればほとんど目立たなくなるほど小型化に成功した。


「……完成だ」

「おめでとうございます。シュテレン様」


 助手である半精霊のミツコが褒めそやした。


「ああ。これで異世界へ戻り、勇者どもを蹴散らすことができる」


 ドクター・シュテレンは、吸血鬼ではあるが人間の血を飲んだことはない。

 吸血鬼の特徴としての不死の部分だけを活用し、500年の歳月をかけてパワードスーツを開発したのだ。

 500年の歳月がかかったのも、500年前は人間の科学が未発達で、開発そのものが不可能だったことによる。


「長かったですもんね」

「ああ……途中で平源内やエマソンといった特異技能者と知り合わなかったら、不可能だった。いや……このマシンを作ろうとすらしなかっただろう」

「では、これから異世界……シュテレン様にとっての元の世界に戻るのですね」

「ああ。ミツコには世話になった」


 ミツコはこの世界の住人である。長い寿命を持ち、人間社会に溶け込めずに悩んでいる時、同じように寿命を持たないシュテレンと出会ったのだ。

 シュテレンの着たパワードスーツは、電池式で8時間の稼働が可能、しかもソーラー充電で3日もあればフル充電できるという高性能なものだ。


「シュテレン様……これだけの発明をしたのですから、この世界でも成功できるのでは……」


 ミツコは背中の羽を震わせた。半妖精のミツコは背中に羽があり、歳を取らない。それ以上の能力はない。


「そうもいかん。僅か500年で、魔王様と勇者の戦いが集結するはずもない。私の助けを待っている方がいるのだ。いつまでもこの世界には止まれない」

「……あちらの世界には、美しい女性も多いのでしょうね」


「気にしているのはそこか? 世界間の移動は困難だ。戻れば、もう一度くるというわけにはいかないぞ」

「……それでも……気になります」

「ならば、見にくるか?」


 シュテレンの問いかけに、ミツコがはっと顔をあげた。


「で、でも、世界間の移動は難しいのでは……」

「通路を繋げてしまえば、通るのが何人だろうと同じことだ」

「で、では……」

「もう戻れないぞ」

「承知しています」

「準備にどれだけかかる?」

「今すぐにでも行けます。私をこの世界で待っているのは……借金と指名手配だけです」


 ミツコは、シュテレンのために苦労したのだ。

 まだ苦労したりない、というより、借金と指名手配を背負ったまま、この世界で一人になりたくなかったのかもしれない。


「わかった……行こう」

「はい」


 シュテレンは、懐から黒い水晶を取り出した。

 パワードスーツの力を借り、握り砕く。

 異世界の扉が開き、吸血鬼シュテレンと半妖精ミツコが飲み込まれた。



   *



 パワードスーツを着たシュテレンと半妖精のミツコは、予定通り魔王城の玉座の間に出現した。

 巨大な玉座に、見間違うはずもない巨大な魔王が座し、左右には最上位悪魔やダイヤモンドゴーレム、不破壊スケルトンといった最高クラスの魔物が幹部として居並んでいた。


「魔王陛下。吸血鬼シュテレン、ただいま戻りました」

「よく来た」


 魔王に向かって即座に首を垂れたシュテレンに、重々しく重厚な声がかけられた。

 パワードスーツを着ていながら、押しつぶされそうだと、シュテレンは500年ぶりに感ずる魔王の偉大さに感極まってしまった。


「勇者よ」

「はっ?」


 続けて発せられた言葉に、シュテレンは思わず声を裏返して顔をあげた。

 魔王は微動もしない。

 凛々しく雄々しい表情で、ずっと真っ直ぐに前を見ている。

 シュテレンは背後を振り向いた。


「まさか! 勇者がこの魔王城まで!」


 振り向いたシュテレンの目の前で、同じように跪いていた半妖精ミツコが驚いた顔をした。


「あ、あの……シュテレン様?」

「ミツコ、魔王陛下の御前だ。勝手な発言は身を滅ぼすぞ」

「は、はいっ」

「魔王陛下、失礼いたしました。このミツコは、異世界で私が見つけた我が配下です。将来は、妻にしたいと思っています」

「シュ、シュテレン様……」

「しっ」

「はい」


 求婚されたミツコが思わずシュテレンの名前を呼んでしまったが、シュテレンはミツコを黙らせる。迂闊に口を利いてはいけないことは言ってある。

 その時だ。魔王の左右にいた最高位の魔物たちが、腕と足を振り上げ、床に叩きつける動作を繰り返し、騒音を奏でた。


「お、お歴々の皆さま、わ、我が何をいたしましたか?」


 シュテレンは取り乱した。魔王の玉座の間に並ぶ全ての魔物は、パワードスーツを身につけたとしても、決して楽に勝てる相手ではない。それが、集団で怒りをあらわにしているのだ。

 シュテレンに答える者はなく、代わりに遠く背後で扉が開いた。

 広い魔王の玉座の間に出入りするための巨大な両開きの扉が、まさに開いたのだ。


「……おお、正に……魔王陛下がおっしゃったように……勇者が……」


 シュテレンの視力は、人間の基準であれば5.0を超える。

 シュテレンは、はっきりと見た。

 扉が開き、先頭を切ったのは人間のようだ。


 シュテレンは知っていた。

 勇者は常に人間だ。

 先頭を切った人間は、威圧的に旗をかかげ、さらにその背後から人間が続いた。

 シュテレンは知っていた。

 人間は群を作る。

 シュテレンは知っていた。

 総じて、人間以外とは群を作らない。


「よく来た」


 立ち上がったシュテレンの背後で、魔王が声を発した。先程と全く変わらない声である。


「はーい、皆さん。こちらが魔王の間ですよぉ〜」


 先頭で旗を降り、威嚇していた人間が立ち止まる。背後に続く人間たちを指導し始めた。


「勇者よ」


 背後の声に、シュテレンが振り返る。

 魔王は動かない。ただ声だけがする。


「この場所では300年前、勇者ステンレスと魔王アカサビの戦いが繰り広げられたと言われています。もちろん、勝ったのは誰かな~?」

「ステンレス!」


 一団としてまとめられた人間たちが唱和した。


「はっ?」


 シュテレンの声が裏返る。


「ミツコ……聞いたか?」


 ミツコは話さず、こくこくと頷いた。

 シュテレンは、ミツコに迂闊に話さないよう指示したのを思い出した。


「ミツコ、もう話してもいいぞ」

「シュテレン様」

「ああ……」

「プロポーズ、お受けいたします」

「はっ?」


 シュテレンは、思わず聞き返していた。

 今はそれどころではない。だが、勝手に感極まって、魔王に結婚の誓いを立てたのはシュテレン本人である。さすがに覚えている。


「ま、まさか……」

「どうした?」

「私の気持ちを弄んだのですか?」

「違う。だが、今は……そんな場合では……」

「『そんな場合』?」


 ミツコが目を見開く。いつも敬われているシュテレンが、思わずたじろぐ。


「あ……いや……」

「ちょっと、お二人さん」


 遠くにいると思っていた旗を持った人間に、距離を詰められていた。

 その人間だけではない。背後にずらり人間が並んでいる。


「な、なんだ?」

「先客がいるなんて聞いていないんだけど? 今日は私たちのツアーだけのはずよ。どうやって入ったの?」

「まあまあ、お嬢さん」


 旗を持った人間の肩を、やはり人間の、年取った男が叩いた。

 全員が勇者ではないのだろう。腰は曲がり頭髪が減り、肉体に張りはない。


「せっかく盛り上がっておるんじゃ。この場所……縁結びのパワースポットかもしれんぞ」

「わーい。結婚だぁ、結婚だぁ」


 小さな子どもが声をあげて走り回る。


「まあ、シュテレン様……人間たちに祝福されてしまいました」


 ミツコは震えながらシュテレンの影に隠れた。

 ミツコは、外見は羽が生えただけの人間であり、それ故に迫害されてきた。

 戸籍も身分証もなく、借金をするのは真っ当な金融機関では無理だった。人間を恐れているのだ。


「ああ。ミツコ……その前に、まず確認しなければならないことがある」

「……はい」


 ミツコは目を閉ざし、そっと唇を突き出した。


「魔王陛下は……死んだのか?」


 唇を尖らせたままのミツコに待ちぼうけを喰らわせ、シュテレンが人間たちに尋ねた。


「当然でしょ。そうでなきゃ、魔王城見学ツアーなんてできないじゃない」


 旗をもった女が、持っている旗で肩を叩きながら横柄に言った。

 シュテレンはまだパワードスーツを着たままである。軽量化と小型化に成功し、上から服を着ることもできる。

 つまり、現在のシュテレンの見た目は、人間とさほど変わらない。


「我は……この城に入ることを許されている」

「んっ? 入場料はちゃんと払ったの? ガイドなしの見学はお断りしているはずよ」

「めでたい二人じゃ。見学料などサービスして、一緒に回ってもらったらいい」


 先に女を止めた老人の連れ合いだと思われる老婆が進言した。

 女は困ったように旗で自分のひたいを叩いた。


「えーっ……仕方ないなぁ。でも、お客さんがそういうならいいか。じゃあ、説明を始めるわ。今度は邪魔しないでよ」


 女は『キャティ』と書かれた名札を胸に下げていた。

 キャティが見学者およそ20人に説明を始める。

 吸血鬼シュテレンは、自分が仕え、忠誠を誓った魔王が、勇者に討伐されてすでに300年経過していることを、認めざるを得なかった。






 魔王城の展望台に上ることになった。ツアーのコースだからである。

 500年前は展望台という名前ではなかった。

 シュテレンすら上ったこともない。

『天滅殺の塔』と名付けられた、世界一高い塔だった。


 現在では展望台としか呼ばれていない。

 休み休み上る老人たちを、キャティは辛抱強く待っていた。

 パワードスーツを装着し、そもそも疲労など肉体に生じないシュテレンと、老化しない半妖精ミツコはさくさくと上っていた。


「こらっ、先に行かないの。無料で相乗りしているんだから、皆さんを待ちなさいよ。元気なら、あっちの座り込んでいるおばあちゃんをおんぶしてもいいのよ」


 金を払っていないシュテレンとミツコにだけは、キャティは厳しかった。

 シュテレンは、早く展望台を上りたかった。

 500年前も、天滅殺の塔を上ったことはなかった。

 魔王とごく数名の腹心しか、塔を上ることは許されなかった。

 天滅殺の塔を上ることは、シュテレンが異世界に行ってまでパワードスーツの開発を行った目的の一つでもあるのだ。


「わかった。それで早く上れるなら」


 シュテレンは、座り込んだ老女の前に屈み、背中を向けて膝をついた。

 シュテレンの背中に重量が加わる。

 重いとは感じなかった。

 人間一人ぐらいなら、パワードスーツがなくても余裕である。

 さらに重量が加わった。

 さらに増える。


「花嫁さん、あんまり載せると、下のおばあちゃんが潰れちまう。5人ぐらいが限度じゃよ」

「は、はい」


 シュテレンが気づかない間に、ミツコが年寄りをシュテレンの背中に載せていたのだ。

 シュテレンの意図を組み、早く展望台を上らせようとしていたのだろうと、シュテレンはミツコに感謝する。

 振り向くと、『花嫁さん』と呼ばれたミツコは、顔を真っ赤にしていた。

 ちなみに、ミツコの背中には羽があるが、消すことはできない。社会に人間しかいない世界でも羽は出しっ放しだった。この世界の人間たちも、ミツコが人間ではないと気づいた様子はない。


「ミツコ、行くぞ」

「はい」


 ミツコが嬉しそうに答えた。


「あらあら、本当におんぶしてくれるのね。助かるわー」


 気の無い声で呼びかけて、キャティは展望台の階段を再び上り出した。

 シュテレンは5人の老人を背中に、展望台を上りきった。






 魔王城の天滅殺の塔とは、その名の通り、いずれ天をも討ち滅ぼそうという魔王の意気込みを形にした、世界一の塔である。

 魔王に仕えていた時には立ち入りを許されなかった塔に、人間たちをおぶって運ぶという状況に複雑な思いを抱きながらも、シュテレンは上った。

 眼下に、魔物が群れなす地獄の荒野が広がるはずだった。


「……なんだ。これは……」


 天滅殺の塔の正面に、四角い壁がある。

 シュテレンは、思わず腰を伸ばした。背負っていた人間たちがずりおちる。ミツコがフォローして怪我をしないように下ろしたが、シュテレンはそれどころではなかった。

 天滅殺の塔の建造には、多くの犠牲が払われていた。


 建設を決めた途端に、天変地異かと思うような地震や荒天が続き、設計士の魔物は怪死し、魔王すら体調を崩した。

 建設にはより多くの被害が生じ、完成後何年も立ち入り禁止となった。

 初めて魔王が塔の最上階に上ったのは、完成から5年経過した後のことだった。


 その塔より、はるかに高い壁が目の前にある。

 自然にできたのではない。窓があり、意匠がある。

 誰かが作ったのだ。


「あら〜いい反応ね。魔王城に入る前から、見えていたでしょ。勇者の塔よ。観光のメインは、どちらかというとあっちね〜。魔王を討伐した証に立てた塔よ。こっちの魔王城は、魔王に虐げられた苦しさを忘れないように残してあるけど、あっちは勇者の強さと功績を称えるものだもの」


 驚愕するシュテレンの反応を楽しむように、ガイドのキャティは説明した。

 見学者用の説明とは声の張りが違う。シュテレンにだけ語りかけている。


「ここ……展望台なんですよね? 目の前に壁があって、景色悪いですよ」


 キャティの説明とは無関係に、ミツコが述べた。

 ミツコは、この世界の存在ではない。パワードスーツを開発するために転移した異世界で産まれたのだ。

 魔王陛下の偉大さも、天滅殺の塔の意義も知るはずがない。


「目の前に塔があるのはご愛嬌よ。こうしておけば、人間が魔王に勝った証になるでしょ。確かに南側は大きな塔があるし、日当たりも悪いけど、ほかの方角からはちゃんと景色を眺められるもの。お年寄りを運んでくれて助かったわ、吸血鬼さん。はーい、皆さん。目の前にご覧になれますのは、皆さんもよくご存知の勇者の塔でーす」


 キャティはシュテレンに礼を言ってから、解説口調になった。

 シュテレンは呆然と目の前の塔を見つめていた。

 確かに、認めるしかない。魔王は滅んだ。幹部たちもいない。

 勇者との戦いは、300年前に終わったのだ。


「ミツコ……お前を幸せにしてやれるかと思ったが、我が世界も、同様に住みにくいようだ」

「大丈夫です。シュテレン様のパワードスーツが完成して、こっちの世界ではお金がかかりませんし、借金取りもいません。こっちの世界でなら、幸せになれる気がします。でも……どうしてあのガイド、シュテレン様が吸血鬼だって知っていたんですか?」


 説明を続けるガイドと、説明を感心して聴き続ける見学者たちに背を向け、シュテレンは塔を見つめていた。

 そのシュテレンの隣で、ミツコが首を傾げた。


「ああ……それは……なぜだ?」


 いつまでも塔を見つめていてもなにも変わらない。それよりも、ミツコが指摘したように、ガイドはシュテレンに礼を言った。その時、シュテレンに呼びかけた。『吸血鬼さん』と。


 吸血鬼であることを隠しているつもりもない。だが、吸血鬼であることを、周囲の人間が知っているとは思えない。

 魔王が討伐されれば、人間の世界になったはずだ。魔物が普通に生活できる世の中になっていることは想定できない。


「では、皆さんは時間まで見学していてくださーい。あとで記念写真をおとりしますねー」

「おい」


 説明を終え、自由時間を言い渡したガイドのキャティに、シュテレンは声をかけた。


「はーい」


 シュテレンの呼びかけに答え、ガイドのキャティが振り向こうとしていた。

 キャティは緑一色の女性もののスーツとスカート、半円形の帽子を耳の上まで被り、髪を帽子の中に入れていた。

 振り向いたキャティの帽子に、シュテレンは手を伸ばした。

 シュテレンの手が届く寸前、いままでのガイドとしての柔らかな物腰とは一変して、素早くシュテレンの手を跳ね除けた。


「お触りは禁止ですよー。プロポーズしたばかりで、もう浮気ですか〜?」

「我が吸血鬼だと、どうして知った?」


 シュテレンの声は低く、小さかった。

 見学者の老人と子ども達は、それぞれの興味がある景色を求めて散っている。

 それを確認してから、キャティは念のためか帽子を抑えながら言った。


「私のこと、忘れたの?」


 キャティは意外なことを口にした。シュテレンは、この世界に500年ぶりに戻ったばかりだ。

 シュテレンが会ったことがある相手なら、500年以上前だということになる。


「その帽子の中に、どんな角が生えている?」


 魔物の一種だと思ったシュテレンがカマをかけた。キャティは自分の耳元に手を移動させる。帽子の縁に指をかけた。


「失礼ね。角なんか生えていないわ」


 指を持ち上げた。耳の上まで、髪が帽子に隠れている。

 隠れていたのは、髪だけではなかった。キャティが指を上げ、耳を露出する。

 帽子で隠れていた部分に、つまり頭頂に向かって、長く耳が伸びているのが見て取れた。


「……まさか……予言の魔女」

「貴方達魔王軍が、私をそう呼んでいたことは知っているわ。正式には、キャティ・イベリシアス・ゴーランド……エルフ族の正式な王よ」

「……我は……予言を求めた……」


「600年前にね。覚えているわよ。当時、人間に予言を与え、魔王軍から生き残る方法を授けていた私の元に、突然魔王軍の幹部候補がやってきた時は驚いたわ。私を殺しにきたかと思った。私が戦う準備を始めた時に、突然土下座して、魔王を助けてくれと言われた時には、もっと驚いたけどね」

「あの時の言葉に、我は従った……騙していたのか?」


「いいえ。私が予言したとおりに、人間の味方をする勇者が現れ、あなたは勇者に対抗する力を求めて異世界へ向かった。当時、私に見えていたのはそこまでだったのよ」

「その後……なにがあった?」

「あなたの婚約者、放っておいていいの? 向こうの世界で見つけたお相手?」


 キャティが指摘したミツコは、物珍しそうに周囲の景色を眺めていた。

 時々シュテレンに視線を投げてきては、楽しそうに手を振ってくる。

 異世界では、ミツコは苦労しかしなかった。展望台など珍しいのは間違いない。

 唯一できた味方のために、人間に混ざって金策に勤しんでいたのだ。


「ああ……これを開発するために、苦労させた」

「大切にしてあげないとね」

「我が予言の魔女を口説いているみたいな言い方をするな」


「そうね……念のためよ。私は美人らしいから、ミツコさんとの仲を心配しただけ。それに……私にもう、予言の力は残っていないわ。それと、私の仕事は、このおじいちゃんたちを地上に案内すれば、今日はおしまいなの。なにが起きたか知りたければ、時間はとれるわよ」

「……頼む。魔王陛下が身罷られたのは理解した。だが納得がいかん。我が転移してから、たかが200年後になにが起きたのか」

「了解。じゃ、帰りもお願いね。この装備、せっかく500年もかけて開発したんだもの。役に立てなくちゃね」


 キャティは言うと、シュテレンの服の上からパワードスーツを指で弾いた。






 2時間後、吸血鬼シュテレンと半妖精のミツコは、魔王城と天滅殺の塔を見下ろしていた。

 360度ガラス張りの特別展望室は、勇者の塔の最上階、地上から実に200メートルの位置にある。説明したのは、周囲の壁同様の透明のテーブルを挟んで、対面で座る、かつての予言の魔女キャティ・ゴーランドである。


 特別展望室は限られた者しか入室を許されず、ほとんど利用されることがないため、キャティは帽子を脱いでいた。

 黒かったと思われた髪は銀色に輝き、上方に長く伸びた耳が頭頂部と同じ高さまで伸びている。

 キャティがテーブルを指で叩くと、水晶体のモニターが出現した。

 キャティが操作している画面が、シュテレンの側にも映し出されている。


「……魔法か?」

「科学よ」


 キャティが画面を操作し、勇者の塔の構造が次々と映し出される。


「我がこれを開発した異世界より、科学が進んでいるようだが?」

「私は知らないわ。異世界を覗き見る能力を失って、かなりの時間が経過するもの」

「シュテレン様」

「ミツコ、遊んできていい。我は、この世界は知っている。後でゆっくりと見て回ろう」

「はい」


 ミツコは立ち上がり、透明なガラスの建物に戸惑いながらも、手探りで移動していった。


「優しいのね。魔王軍とは思えない」

「異世界では苦労させた。あれがいなければ、この開発はできなかった」


 シュテレンはパワードスーツを指で示した。


「……そう」

「そろそろ話してもらおう。魔王陛下はどうしてお亡くなりになった?」

「そうね。正確に言うと……魔王は勇者に殺されたのではないわ。人間たちがどれだけ勇者を召喚しても、すでに体制を整えていた魔王軍には敵わなかったのよ」

「しかし……永遠にというわけにはいかない。魔王軍の予見士がそう進言し、我は最も先を見ることができる予言の魔女に助けを求めた」


「そうだったわね。勇者では勝てないと判断した人間たちは……異世界から召喚する対象を変えた。呼ばれた人間たちは、弱々しく、頭でっかちだった。それが始まりよ。召喚された人間の科学者は、魔王を倒すために開発した兵器を弾道弾と呼んでいた。私にも理解できないけど、大気圏まで到達し、重力加速度による落下の衝撃はどんな結界を使用しても防ぐことは不可能だった」

「……そんな兵器が? いや……我が訪れた異世界にも存在した。まさか……原子爆弾か?」


 シュテレンは体を震わせた。存在は知っていた。だが、あまりの破壊力の大きさに、手に入れようとも思わなかった兵器だ。


「ええ。そんな名前だったわね」

「……人間どもは使用したのか?」

「ええ。実験もしたわ。魔王城の内部にも落ちた。あなたと会った魔王城の玉座の間は、破壊の後を隠すためにリフォームされた場所よ」


「では……魔王様は……」

「いえ。魔王は死ななかった。幹部たちの多くも死ななかった。でも……人間たちとの戦いは放棄した。戦い続ければ、世界が破壊し尽くされると判断したのだと私は聞いたわ」

「しかし……勇者が魔王を倒したと、お前は言っていたはずだ」


「歴史が改ざんされているのよ。人間たちは、人間の歴史上、魔王が世界を支配していた過去など知らないわ。魔王は……辺境の一部地域の族長で、人間の国に滅ぼされたことになっている」

「なっ……」


 シュテレンが驚いている間に、キャティは立ち上がり、魔王城を見下ろす場所に移動した。手招かれ、シュテレンが隣に並ぶ。


「あの爆弾は一度使われると、植物も生物も生息できないほど汚されるわ。復興までに数百年を要するわね。でも……復興した時には、どうして復興に時間がかかったのか、人間たちは忘れてしまっているわ」

「どうしてそんなことが起こる?」

「それをやったのはね……あなたのボスが挑もうとしていた存在よ」


 キャティは、上に指を向けた。


「それも、あなたのボスが望んだのだと聞いているわ。世界を破壊から守るために、人間の歴史を改ざんしなければならないと……」

「では……魔王陛下のことを覚えている者はいないというのか」

「魔王城も勇者の塔も、ただのテーマパークに過ぎないわ。さっきのガイドも、ああいうキャラ設定だっていうだけよ。でも……誰も魔王のことを知らないわけではないわ」


「……誰がいる?」

「人間たちは忘れてしまった。代替わりすると、記憶は継承されない。そういう呪いみたいね。ということは?」

「まだ生き続けている者たちがいるのか?」


「魔王も幹部たちも、爆弾では死ななかった。たった300年……あなたにとっても、あっちのお嬢ちゃんにとってさえ、短い時間じゃない?」

「では……みなは……どこに……」

「人間たちに隠れ、あるいは人間たちに混ざって社会に貢献しているわ。魔王の存在を残すために、魔王城をテーマパークとして残したのもその一貫よ」

「……我は……異世界で何をしていたのか……」


 まだ当時の記憶を持ったまま、どこからに同僚たちがいる。それは救いではあった。

 だが、500年かけて開発したパワードスーツが無駄になったような気がしていた。


「あらっ、そんなことはないわ。あなたの発明、とっても役に立つわよ」


 キャティがシュテレンの肩に手を置いた。


「どういう意味だ?」

「人間たちは外敵がいなくなってね、人間同士の争いもやめて……現在、高齢化の問題が起きているの。介護する人間もいるけど、力仕事だから若い子しか向かなくてね。これ、小型だし力はあるし、とってもいいわ。これの機能を一部取り出して、介護用品に仕立て直せば当たるわ」

「……人間に協力するのか?」

「そうやって資金を集めて、魔王城を維持しているのよ。魔王城の維持管理、結構かかるのよ」


 キャティが親指と人差し指で輪を作った。


「……そうだな。魔王陛下の偉大さは、残さなければならないな」

「もちろん」


 シュテレンは上着を脱ぎ、パワードスーツを取り外した。

 魔王城が存在する場所がチェルノブイリと呼ぶのだとは、後日知った。

 西暦2200年代のことである。

                         了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界からの帰還者 西玉 @wzdnisi2016

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ