第24話 神託伺い委任の儀

 宮廷に行く日は、午後になってディディエの邸宅の前まで王宮からの馬車が迎えにやってきた。

 ディディエと家人ら一同もわざわざ見物しに外へ出てくる。


 馬車に乗り込もうとする2人の僧侶は、袖元に華麗な刺繍帯の縫い付けてある祭祀服の上に、やはり豪華に装飾された絹のケープを身に纏って完全武装している。


「いやはや、2人とも見ていて気が晴れ晴れするね」


 美々しく身を飾る僧侶の姿を見れば、きっと神々も喜ぶことだろう。

 神々が喜べば、世界も治まる。

 そうして、普段はうっかり忘れがちな信心を思い起こさせ、この世界を守る神々の存在を感じさせてくれるのだ。


 フェリクスは器用に髪を編み込んだり絹のリボンで束ねたりして普段より華やかに頭を飾った。

 髪の短いロシェには、頭を結って飾る代わりに、何処で調達したやら、つましさを失わない程度の小さな宝石の嵌った金の指輪を3つも付けさせた。


 ロシェは地元の森人から貰った木のお守りを首から下げる。

 親指ほどの細かい木彫で森人たちの守り神ラシルヴァを象っている。

 目の部分には極小ながら鮮やかな色の翡翠が嵌っており、素朴に見えて非常に繊細だ。


 馬車は正装の僧侶2人を乗せると、朗らかに手をふるディディエに見送られて、王宮たるカストラン宮殿へと常歩なみあしで発進していった。


「良いですか、


 道すがら車中でフェリクスが僧名でロシェに語りかけた。

 その琥珀色の目でロシェの瞳を真っ直ぐ見据える。


「あなたは祭主、いち神殿の最高権力者であり、謂わば一国一城の主です。宮廷の無礼者はあなたの田舎振りを笑うかも知れませんが、身分が上なのはあなたです」

「卑屈になることはない、堂々と、だな」

「あなたは僕の上司ですからね、無様な格好を晒されては困ります」


 この場合の“無様”というのは、ロシェが宮廷人の流儀で振る舞えないことではない。

 宮廷という権威にびくついて萎縮することを指すのだ。


 この僕に相応しい上司でなければなりません、と気位の高さを見せるフェリクス。

 ただでさえ折れた角を見下されがちなのだろう。

 宮廷人たちには絶対に弱みを見せたくないという強い意志を感じる。


 その宮廷人たちの侍る王宮へはまもなく到着した。


 高い柵で囲われた敷地の中に入るのは、ロシェは初めてだった。


 王宮は、正面玄関のある中央棟に左翼棟のみが添加されたような少々不格好な非対称形の建物だ。

 右翼棟はほんの少しだけ石を積んで工事中のまま、明らかに長い間放置されていた。


「王宮って、近付くと意外とボロいんだな……」

「躯体は約250年前に建てられたものですからね。先々王の時に全体を新築するという話が頓挫し、先王の時に右翼の建て増しも中止になりました」


 現在は使う部分だけ折々に改装しているはずだが、現国王が全体を建て直すかどうかはフェリクスは知らないという。


「先王は北郊外に新しく別荘を建て、そこで過ごされることを好みましたので、実質そこが宮廷でしたね」


 国王が代替りした今でも重要な外交や宮廷行事はそちらの離宮、シャゼ宮殿で行われる。

 単純に建物が新しく、室内装飾は絢爛に作られ、設備も充実していて、庭園も整備が行き届いているからだ。


 正式に王宮とされているのはフロルトドールの宮殿だが、なにしろ右翼棟が万年工事中で、むしろ廃墟にすら見える。


 だが交通の便が良いのもあって、今回のように国王の私的な会合などはこちらのカストラン宮が使われることが多いのだ。


「僕はきちんと完成させた方が国の外面的にも良いとは思うのですが、敬虔なウィニタリス神官たちはその費用を神殿建築に使わせたがるでしょうね」


 馬車は石畳が白と黒のモザイク様に敷き詰められただけの広い庭を進み、中央棟ポルティコの階段下に停まった。


「お疲れさん」


 馬車から降りると、上等な三つ揃いをきっちり着込んだ近衛のトロマックが立っていて、階段の上から手を振って迎えてくれた。


「疲れるのはこれからですよ」


 フェリクスは軽く膝を曲げて挨拶を返し、肩を竦めた。


 トロマックに先導されながらいよいよ王宮に入る。


 決して狭くはない玄関ホールには重厚な太い柱が立ち並ぶ。

 中庭からの光と柱に遮られた影とが交叉し、全体としては薄暗い。


 中庭に面した回廊は明るく、豪華だがやや古めかしい装飾に彩られていた。

 そこをぐるりと半周して、さらに向かい側の廊下を進む。


 奥の大きな重量感のある木の扉を開けると屋外に出た。

 そこは列柱回廊に囲われた神殿の前庭だった。

 王宮の中央軸に位置するその神殿は、王のための私的な礼拝堂だ。


 ロシェはトロマックに促されるまま、上品な装飾の施された、しかし何の変哲もない神殿の扉の前に立った。

 傍らに控える従僕が戸をゆっくりと叩いてから開き、声を上げる。


「陛下、オルクス神官団所属スラジア神殿付き祭主ペトルス猊下、同神官団所属一等神官、捻角山羊ネジツノヤギのフェリクス様がお着きです」


 ロシェは自分へのあまりに仰々しい敬称に思わず笑いそうになった。

 猊下と呼ばれる日が来ようとは。

“ペトルス様”でさえ名前負けしている気がしているのに。


 肩を震わせるロシェの足をフェリクスが後ろから軽く蹴った。


 中に入ると、採光の明るいドーム型の天井に、不規則な植物文様の装飾の施された今風の軽快な内装が目に飛び飛んでくる。


 祭壇には、兎を抱き優美な衣紋を翻す女神、愛と生命を司るウィニタリス神が奉安されている。

 これが比較的新しい彫像なのはロシェにも見分けることが出来た。


 その祭壇の前に立っている国王ナスケンティウスは、一見して二十歳かそこそこの若者だった。

 下向きに大きく螺旋を描く野生的な羊の角には、宝石の輝く輪飾りをいくつも嵌めている。

 着衣は当世風の三つ揃いではなく、豪奢な刺繍のある絹の祭服トゥニカを纏っていた。


 ロシェとフェリクスに王の取り巻きたちの目線が無遠慮に投げかけられる。

 ひそひそ耳打ちしあう宮廷人の姿が目に映る。

 時折、『角無し』という単語は聞こえた。

 彼らは男も女も総勢で20人ほどいたが、何故王の側に控えていて何をしているのかはロシェには分からなかった。


 フェリクスは王の前へ、宮廷人たちの間を舞台の花道を通るように堂々と歩みを進めると、極めて優雅に片脚を引いて膝を折る。


「お久しゅうございます、陛下」


 ロシェも多少ぎこちなくそれに倣った。


「お二方、ここまではるばる来てくれて余は嬉しく思う。フェリクス師、怪我の具合はすっかり良くなったのか」


 意外と低姿勢だ、とロシェは思った。

 王位簒奪の疑いありと聞いて、もっと酷薄で威圧的な男を想像していたのだ。

 ロシェにはむしろ素直そうな好青年に思われた。


「ご心配いただき恐悦に存じます。陛下が王位に就いて間もない時に宮廷神官を辞すことになったにも関わらず、いまだにお心に留め下さるとは」


 いつもと変わらず仮面のような微笑を浮かべて謝意を表すフェリクスだが、その実質問には答えていない。

 ロシェは、心に負った傷まで癒えたとは言い切れないのが本音なのかも知れないと何となく想像した。

 だが、ナスケンティウス王も返答そのものには興味がないのだろう、そのまま小さく頷いて今度はトロマックに声をかける。


「大儀であった、トロマック。当初フェリクス師は居場所さえ知れぬとのことだったが、よくここまで招聘してくれた」

「痛み入ります。つてを辿り、プランシュレード公領に赴任中のところを直に説得しに推参してございます」


 トロマックが抜け目なく自ら足を運んで尽力したことを誇示する。


「今はこちらの祭主ペトルスを補佐しております」


 フェリクスが手でロシェを示す。


「スラジア神殿付き祭主のペトルスです」


 自己紹介をするロシェは、実は少し緊張していた。

 目ざとい宮廷人たちには勘付かれるだろうが、なるべく落ち着いて“ペトルス猊下”の名に恥じないよう声だけは裏返らないよう努めた。


「そなたが祭主のペトルス猊下か。……厳めしいご老僧のような名前だから、セスピナ山へ旅行出来るのか実は心配していたが、健脚そうで安心した。むしろ余と歳も変わらぬくらいではないか?」


 王の年齢は知らないが、おそらくそれは見込み違いだろう。

 少なくとも5つは年上だと思われる。


 王周りの宮廷人たちの密めきが聞こえる。

 ロシェの角の無い容姿に対する評価をし合っているといったところだ。


「……よく言われます」


 くすくすと漏れ聞こえる声は嘲笑か歓笑か区別が付かなかった。


 それから、王の隣に立って滅赤けしあか色の華麗な祭服を着た神官がずいと進み出てきた。

 短く前を向いた牛の角に彼もまた豪華な金の装身具を施していた。

 同色のケープは地より金糸の刺繍の面積の方が多く、高位の聖職者であることが分かる。


「此度は我々の占いにより、角の無い神官として師らをお呼びした失礼をまずは心よりお詫び申し上げる」


 国王も同時に深く頷く。


「左様、あまりな悪口あっこうに憤慨する私の横で、自分こそ占いで選ばれた者だと、真っ先に名乗りを上げたのがこのペトルスです」


 彼は古えの大聖ペトルスの名に恥じぬ神官だ、とフェリクスは穏やかな冷たい笑顔のまま答えた。


「師が不快に思うのも当然だ。だが、卜占の結果がそなたを指すことは明白なように思えたのだ」


 フェリクスの邸宅跡で、彼の妻の亡霊が出る。

 そこに冥界の穴も開いてしまった。

 全ては彼に関連するように見えた。


「ペトルス猊下、フェリクス師、神の前でこうしてお願いする。どうか王都の、そしてこの国の安寧のために力を貸して欲しい」


 王が深々と膝を折る。


 ロシェは少々慌てた。

 人から雑に扱われることには慣れていたが、逆に国王のような偉い人物にこれほど敬意を向けられるとは、かえってどう反応して良いか分からない。

 だが、おどおどした態度はいけないとフェリクスにも言われている。

 フェリクスの方は落ち着き払って、軽く姿勢を低くして応じた。


「カラモス祭主、神託板を」


 王の指示で、滅赤の高僧が祭壇の上から一つの小箱を取って王に渡す。

 王はその蓋を開けてから、フェリクスに差し出した。


「拝見します」


 フェリクスは箱の中から、手のひらほどの金属片を取り出す。

 それに少しの間目を落としたあと、ロシェにも渡した。


 それは鉛製で、文字が刻印されていた。


『王都に空きし虚ろ成す秩序の綻びを如何にせむ』


 この神託伺いの鉛板をセスピナの神殿に持って行くのだ。

 無事に神託が下りれば、神からの言葉がこの同じ板に刻まれて返って来る。


 フェリクスがロシェから神託板を取り返し、再び箱に納める。

 王が蓋を閉め、またカラモス祭主に戻す。

 それから、祭主は祈りの言葉と共に蝋で封印を施した。

 それがまた王の手に渡され、そうしてからようやくフェリクスに神託板の小箱が預けられた。


 続いて外に出て、神託伺いの成就と旅路の安寧を祈る犠牲式が行われ、3羽の雉が祭壇に捧げられた。

 しかし血を空けた生け贄の肉は途中まで火で炙られて、どこかに持ち去られてしまった。


 犠牲獣の肉は儀式の参加者で全て食べのが普通の作法だ。

 意味が分からないロシェは、思わずきょろきょろして辺りの人が平然としているのを観察してから、大いに戸惑った顔をフェリクスに向けた。

 フェリクスが事も無げに耳打ちする。


「王宮では生け贄の肉は凝った調理をされて正餐に饗されます」

「宮中晩餐会ってやつか? 参ったな、テーブルマナーなんか知らないぞ」


 料理が出来上がる間に、ロシェは価値の分からない王家の美術コレクションを見たり、踊れもしない舞踏会を体験したりして時間を潰すはめになった。

 まさにフェリクスの予言通り“田舎振りを笑われる”恰好の機会だった。

 ロシェとしてはもう諦めの境地で無知を開き直るしかない。


 たまにフェリクスの態度が何か参考になるかと考えて彼を見遣ると、話し掛けられれば物腰柔らかく気の利いた言葉でにこやかに応じ、いつもの穏やかな表情はそのままなのに、周りを牽制するような冷たい瞳で宮廷人たちを睥睨し、ときどき人と目が合うと傲然と微笑み返す隙のなさだ。

 ロシェには真似できそうになかった。


 日が落ちたころに、ようやく食堂に通された。

 ここは王の個人的な客人たちのために使われる部屋で、威圧するような豪華さは無く、光沢がある薄萌葱色の壁紙が印象的な一室だった。


「もう十分に俺のお育ちの悪さは全員に理解されたとは思うが」


 食事は1番育ちが出る場面だ。


「今更どうしようもないので、気取っても無駄ですよ。普段よりゆっくりめに食べるといいと思います。ペトルス猊下食べるの早いから」

「猊下は止めろ」


 ロシェとフェリクス、王と祭主、加えて家臣たちのための大きな卓上には、綺羅びやかな銀食器と、使い方の分からない器形のエキゾチックな磁器が並んでいた。


 運ばれて来る料理は、いかにも高級そうな発泡酒と、フォアグラと何か知らない茸のパイ包み焼きに始まった。


 楕円形の磁器のスープポットから注がれた牛肉の煮込みはやはり何の食材が使われているか分からない複雑な香りであった。


 子豚を豪快に丸焼きにした派手な料理の後に、赤や緑の色鮮やかな野菜と思しき何かのゼリー寄せを挟んで、続いての皿では見たこともない野菜が中に詰まった雉肉が牛乳とバターのソースに浸っていた。

 これがおそらくは昼間の生け贄だろう。


 最後は陶器人形のように愛らしく象られた砂糖菓子と、干した果物が沢山入ったケーキ、おそらく南国の謎の果物の砂糖漬けが饗された。


 次々運ばれてきた料理に一応説明はあったものの、聞いたことのない食材が多数用いられており、結局最後までよく分からなかった。

 だがどれも美味しかった。

 美味しかったから、この日の宮廷人たちの自分に対する無礼な忍び笑いは帳消しにてやろうとロシェは思った。


「国王陛下、ならびに祭主に1つお願いがございます」


 他愛もない歓談が繰り広げられるなか、フェリクスが頃合いを見計らって静かに口を開いた。


「先日、我が妻の顕れるというベルジュリの私の旧宅に行って参りました。が、立ち入りを規制されていていました。セスピナ出立前に、一度現場を見せて頂けませんでしょうか」


 王都に着いて直ぐ、ロシェとフェリクスは、共に邸宅跡近くまで行ってみてはいた。

 しかし辺りには武装した兵士か神官かが待機していて、近付いて中を窺うと追い返されてしまった。


「なるほど。確かに危険だから市民たちが不用意に侵入しないようにしている。カラモス祭主、師を中に入れてやってくれ」

「御意に。フェリクス師、早速明日ルスキニウスに案内させよう。彼とは宮廷時代の同僚でいらしたな」

「“歌伶の”ルスキニウスですか。特に親しくしてはおりませんでしたが」


 フェリクスが少し苦笑いをする。


「あれにはベルジュリの冥穴の監理を任せておる」

「……承知しました、お願い致します」


 それから、話題は生前のミステリユーズ夫人に関することとなった。


 ロシェには初耳だったのだが、彼女は王族の血を引く高貴な女性で、ウィニタリス神官として王宮に勤めていた。


 オルクス神官の祭祀貴族フェリクスとの結婚は宮廷でも大いに喜ばれ、王族も参列するような厳かな結婚式が、シャゼ離宮に併設されたオルクス神の礼拝堂で執り行われた。

 幼年のナスケンティウス王も出席し、当時の彼女のことを覚えていた。

 まだ祭主でなかったカラモスはその結婚式には参加しなかったが、同じ宗派の神官として共に働いた思い出があった。


 故人の話で少しだけ場が湿った雰囲気になってしまったので、王は音楽家たちを呼び、明るく軽快な曲を所望した。


 最新型の古代琴と素朴な縦笛の穏やかなソナタが奏される。


 亡きミステリユーズ夫人は、かつてウィニタリス神官としてよく儀式用の古式の竪琴を弾いていたのだそうだ。

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2025年1月10日 18:00
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2025年1月24日 18:00

神官ロシェの神秘な冒険 るい万呂 @louismaro

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