第十一章~グレーゾーン

 叫んだら、涙が一気に溢れ出てきて止まらなくなった。あたしのしゃくる音だけが、部屋中を浮遊している。

 光流みつるは暫く黙っていたが、あたしの方に視線を向けると突然、せきを切った様に話し始めた。

「ャ・・・一緒に眠っただけ。一緒に横んなって、想い出話?して。んで、あいつがここからの夜景を愉しむ事がなかったって話した時、優女子が《ゆめこ》『勿体ない』っつってたの思い出して・・・だから、見せてやったの・・・で、眠った。それだけ」

 ずっと彼の口を凝視していたが、彼の唇は左に上がる事はなかった。幾分、気持ちが落ち着いた。

「あいつと付き合ってる時、俺、あんまあいつを大事にしてやってなかったなぁって。ドタキャンとか平気でしてたし。約束自体忘れる事とかも結構あって・・・かなり泣かせちゃってたんだよね。だから・・・なんか急に・・・今夜だけ、こいつを大切にしてやろう、って・・・償いじゃないけどさ」

 そう語っている間も、一度も彼の唇に力は入らなかった。そして、彼の言葉に耳を傾けている内にいつの間にか、あたしも平静を取り戻していた。

「嫌がるあいつに無理矢理窓の外見せてやったら、めちゃくちゃ感動して。急にはしゃぎ始めてさ。『今日は夜景見ながら眠りたい』とか言い出して。正直可愛いと思った。けど、それだけ・・・ま、信じてくれないだろうけど」

「で、その夜の事は光流の中で『無かった夜』にしようと思ったってワケ?」

「あの夜だけ・・・『四年前にワープしてた』・・・みたいな?」

 ずっと真剣な眼差しを向けていた彼が、ふと笑みを漏らした。

「随分と都合のいい話ね」

 あたしも、もう微笑むしかなかった。

「一応、好きだった女だし・・・途中、ちょっとヤバかった瞬間もあったけど・・・なんつうか・・・その・・・あの、窓の外のアレが、突然おまえに見えちゃったんだよね」

「は?」

「ちょっとヤバぃ感じになった時、アレが目に入ってきて・・・なんつーか・・・俺を睨んでる?的な気がしたんだわ」

 言ってから、彼は窓の向こうにいるソレを見やった。

「トっ、トカゲとあたしを一緒にしないでっ!」

「名前付けたいくらい、俺は可愛いと思ってるんだけど?」

「付けなくていいから!」

「てか・・・ごめんな。とはいえ、元カノと一緒に眠るとか、ないよな・・・マジでごめん」

「謝る必要なんてないじゃない・・・その夜だけ、四年前にワープしてたんでしょ?」

「・・・うん、多分・・・」

 そう言った彼の唇が少しだけ左に傾いた。

 瞬間。

 あたしは心の底から彼を愛おしいと、思ってしまった。

「ねぇ・・・食べようよ」

 あたしは、テーブルに散らかった箸を合わせて彼に手渡した。

「・・・さんきゅっ」

 

 彼はいつもの彼に戻り、あたしもいつものあたしに戻った。

 全てが日常に、戻った。

 ただ、一点だけ・・・その日を境に、あの映画スクリーンの様な窓の向こうにずっとへばり付いていた「ソレ」が、突然姿を見せなくなった事を除けば。


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トカゲと口紅と、少しだけの嘘。 山下 巳花 @mikazuki_22

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