5分で読める物語『キミを好きなことがバレた』

あお

第1話

 最悪だ。

 何もかもを放り出したい気分だ。

 あぁ――――――――――――――


「絶対バレたよなぁぁぁぁ‼」


 高校からの帰り道。

 茜色に染まった空の下。

 閑静な住宅地を通り抜け、小川にかかった橋の上で西日を眺めている。


「バレたよなぁ……」


 僕は今世紀最大の事件を未だ受けとめきれずにいた。


「顔赤くなってたし。あ~~明日からどんな顔して会えばいいんだよ~」


 お利口にも僕の頭は何度もあの瞬間を映し出してくる。

 よくある日常会話。

 好きな人を言い合うなんて健全な男子高校生であれば日常茶飯事なんだ。

 ただそれは男子間だけの秘め事であって、間違っても女子には聞かれてはいけない。


 まして好きな女の子に聞かれるなんてことが起きたら…………。


「死にてぇ」


 絶望でしかない。

 それが一〇年片想いをしていた幼馴染とくれば、絶望よりももっと深い。

 家は隣だし、家族ぐるみの付き合いだし、家族同然の距離感だったし。

 毎年花火大会は一緒に見るし、クリスマスは家族でディズニーに行くし、テスト勉強という名目で勉強会を互いの家で開催するし。


「好きになるなって方が無理な話だよなぁ」


 それでも僕が彼女を好きなってはいけない。

 だって彼女には、恋人がいる。

 突然紹介されたその男は彼女より三つ年上の大学生。

 通っている塾の先生だそうだ。


「ふざけんな。金稼ぎながら女を作るなんて……ほんとふざけんな」


 ただの逆恨みだとは自覚している。

 それでも今日ぐらいは暴言を吐かせてくれ。

 僕の心が死んでしまう。


「好きになったのは僕の方が早いのになぁ」


 橋の手すりに腕を置き、その上にちょこんと顔を乗せる。

 きっと彼女が見たら「あざといあざとい」と笑いかけてくれるだろう。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………………帰ろ」


 嘆くだけ嘆いて少しはスッキリした。

 帰り道を歩きながら明日からの接し方について考える。

 そんな簡単に妙案なんてものは降ってこなくて、ブツブツ呟いていたらあっという間に家の前だった。


「遅いじゃん」


 そしてどういう訳か、幼馴染の琴歌が玄関前の階段に腰かけている。

 グレーのパーカーと黒のスウェットを合わせた部屋着スタイル。肩まで伸びた黒髪が夜風になびき、そのさまは少しだけ大人っぽく見えた。細めの眉にキリリとした目、弾力性に富んだ小鼻がちょこんと置かれ、その下を桜色の唇が彩る。両手で包みこめるような顔の小ささも相まって、小動物じみた愛らしさを感じさせる顔だ。


「何か言ってよ」


 突然の登場に言葉を失っていた……いや改めて琴歌の可愛さに目を奪われていた僕

に、彼女は棘のある声で言った。


「ごめん。琴歌こそいきなりどうしたんだよ」

「分かってるくせに」


 琴歌は眉をひそめながら、こちらをきつく睨みつける。


「分かんないよ。言ってくれなきゃ何も分かんないって」


 白を切る僕に彼女はため息をついた。


「ずっと変な気持ちでいるのが嫌なの! さっさと言いなさいよ。私のことが好きだって」


 玄関口のランプが影を作り、階段の上に立ち上がった琴歌の表情はよく見えない。

 それでも語気から僕の告白を待ち望んでいる、といった気持ちが一切ないのは明白だった。


「違うよ。それはただの聞き間違いだって」


 だから僕が素直に答えてやる義理だってないはずだ。


「そんな訳ない。ハッキリ聞いたもん。『琴歌が好き』って」

「はぁ……。琴歌には彼氏がいるだろう。彼氏持ちを好きになるほど僕は恋に飢えてないよ」

「彼氏なら昨日別れたけど」

「は?」


 思わず自分の顔面を殴りそうだった。僕は彼女の不幸を聞いて一瞬でも「嬉しい」と思ってしまった。


「なーんてね。ほら、やっぱり動揺してるじゃない。それが動かぬ証拠よ」

「お、おま‼ まじでふざけんなよ⁉」

「え……なに本気でキレちゃってんの」


 感情がぐちゃぐちゃだ。琴歌の顔が引きつっている。僕は相当ブチギレているらしい。

 別に怒りたい訳じゃない。感情のしまい方が分からなくて、知られてしまった絶望を、気づいてしまった己の浅はかさを、嘘で本心を引き出された羞恥心を、どこにぶつければいいか分からないんだ。


「うるさいな。お前のせいだろ。お前が僕の気持ちを踏みにじったから!」


 違う。そんなこと言ったって嫌われるだけ。何の解決にもならないと分かってるのに。

 どうしてこの口は勝手に動いてるんだよ。


「あんたの発言がそもそものきっかけじゃない! 私がどんな気持ちであんたと過ごしてきたか知らないでしょ⁉ それなのに今更になって私を好きだなんて」

「ああ知らないよ。でも琴歌だって僕の気持ちを知らないじゃないかっ‼」

「知る訳ないでしょ⁉ 何も言ってくれないんだから‼」

「言える訳がないだろう⁉ 僕が琴歌のこと――」


 ガチャリと家の扉が開いた。


「あなたたち何してるの!」


 出てきたのは僕の母親だった。


「二人ともご近所に迷惑よ。何があったか知らないけど、もう少し落ち着いて」

「ごめんなさい」


 しおらしく謝る琴歌。

 きっと出てきたのが琴歌の母親だったら僕もそうしていた。

 でも出てきたのは僕の母親だったから、僕は謝れない。


「帰ります。うるさくして本当にごめんなさい」


 そう言って琴歌は僕の横を通って隣の家へと入っていった。


「ほら、悠太も早く入ってきなさい」


 母親が家へと戻る。虫の音が遠くの方で聞こえた。


「……こんなに静かだったんだ。……………………っ!」


 ほんの一瞬で冷静さを取り戻す自分の頭が憎い。

 彼女の言葉に落ち着いて答えられていたら、きっと僕たちはまだ仲良しのままでいられた。

 でも、もう二度、琴歌と笑い合うことはできないだろうな。


***


 一晩経っても胸のわだかまりは一向に消えない。

 朝食も喉に通らず、水をコップ一杯だけ飲んで家を出た。


「あ……」


 視界の左端に琴歌が見切れていった。

 ほんの一〇秒ほど前に家を出たのだろう。

 いつもなら走って追いかけ、くだらない些細な会話を楽しんで学校に向かうところだが……。

 チクリと胸が痛む。

 あんな楽しい毎日が一瞬にして消え去った。

 琴歌と結ばれる未来がなくとも、僕は家族ぐるみの付き合いを続けていければ幸せだった。

 毎年ディズニーで写真を撮って、花火大会の場所取りに奮闘して、大学のテスト勉強だって一緒にする。その家族の中に、たとえ年上彼氏が混ざっても、僕は琴歌と一緒に過ごせるならそれだけで十分幸せだった。

 だけどそんな華やかな未来は決してやってこない。

 断ち切ったのは僕自身。


『私がどんな気持ちであんたと過ごしてきたか知らないでしょ⁉ それなのに今更になって私を好きだなんて』


 ふと昨日の琴歌の言葉が頭をよぎる。


 ――〝今更になって〟ってなんだ……?


 淡い期待に飲み込まれそうになるのを必死にこらえた。

 そうだ。あり得ない。琴歌が僕のことを好きだったなんて、そんなことはあり得ない。

 じゃなきゃ彼氏なんて作らないだろ。

 自分で自分を傷つけてどうする。

 頭を振って僕は考えることをやめた。


 無心を取り繕って学校へと向かう。

 小川にかかった橋の上で、誰かが言い争いをしていた。

 昨日の自分はあんな感じだったのかと、客観的に見れば見るほど恥ずかしくなってくる。


「もう放っておいてよ」

「どうして⁉ いきなり別れようだなんて、意味が分からないよ!」


 そうそう、いつだって取り乱すのは男の方が先で――――って琴歌っ⁉

 言い合うその後ろ姿は紛れもなく琴歌だった。

 彼女が向かい合っているのは例の年上彼氏。


「気持ちってのはそういうものでしょ。突然、意味もなく変わってしまうものだから。始まりも、終わりも」


 背を向けられているので表情は分からないが、琴歌の声はどこか悲しそうに聞こえた。


「だからっていきなり別れようは勝手が過ぎるって! 俺はちゃんと話し合いたい! 琴歌が嫌に思うことがあれば直すし! 俺だってちゃんと伝えるから!」


「そんなことしたってどうにもならないから。これ以上、私を苦しませないで……っ!」


 両手で顔を覆うその姿は、見えなくても泣いているのだと分かる。


「な、泣くってお前………………そんなんで逃げられると思うなよ」


 男の目つきが変わった。

 とても嫌な予感がする。


「女はいつだって困ったら泣くんだ。それで事が済むと思ってやがる。くだらねぇくだらねぇなぁ‼ まじでふざけんなよ。大人を舐めるのも大概にしろ」


 男は強引に琴歌の腕を引っ張り、正面からその顔をのぞき込む。


「やめて、やめてってば!」


 首をひねって琴歌は必死に避けようとする。

 彼女が後ろを向いた時、僕と目があった。

 僕が走り出す理由はそれだけで十分だった。


「やめろおおおおおおおおおお‼」


 叫びながら全力で駆ける。

 男の腕に飛びつき、琴歌から引きはがそうとするも男は離れまいとさらに力を加えた。


「いたっ!」


 琴歌が悲痛に顔をしかめる。


「離せって言ってるだろ!」


 思いきり、食いちぎるつもりで僕は男の腕に嚙みついた。


「いってぇ‼」


 男はようやく琴歌から手を離す。同時に僕を身体ごと振り払い、橋の柵に叩きつける。


「――ぁっ!」


 肺にあった空気が全て吐き出され、コンマ数秒の間息が吸えなかった。


「はぁ! はぁ! はぁ!」


 頭が痛くなるほど息が荒れる。一切身動きの取れない中、男は僕の胸ぐらを掴んで無理やり立ち上がらせた。


「お前、自分が何をしたか分かってるんだよなぁ‼」


 男の目は完全に血走っていて、僕がこの後どうなるかも簡単に予想できる。

 だから僕は、不敵な笑みを浮かべてこう言った。


「振られたくせに、いつまでも琴歌に付きまとってるからだよ」

「このガキがぁぁぁぁぁ‼」


 僕の身体は軽々と橋の柵を超え、そのまま宙に放り投げられた。

 高さは二メートルないぐらいなので死にはしないだろう。


 橋から落とされた僕の身体は、下に流れる小川へとダイブした。


「悠太っ!」


 その刹那、僕は自分の目を疑った。

 琴歌が僕の名前を呼んで、橋の上から飛び込んできたのだ。

 しかし一瞬にして視界はぼやける。水の中では何もかも歪んで見えた。

 次いで後頭部に激痛が走る。どうやら落ちた時に運悪くぶつけてしまったらしい。

 意識が遠のいていく中で川の水がぐわりとうねる。

 よく見えないけど、琴歌の髪が頬を撫でたような気がする。

 唇に柔らかい何かが当たって僕の意識は途絶えた。



 目を覚ますと見慣れない天井が広がっていた。すぐに激しい頭痛が襲い掛かる。


「――っ!」

「悠太!」


 左から琴歌の声がした。


「よかった……よかった……っ!」


 彼女は僕の顔を抱きかかえ、その身体を静かに震わせる。


「琴歌……ごめん」


 僕もゆっくりと彼女の背中に腕をまわす。


「昨日のこと。僕が悪かった」

「違う、違うの。私が悪かったの。好きだったのに、悠太のこと」


 ぽつぽつと頭の上に雫が落ちた。


「そっか。僕は今でも好きだよ。琴歌のこと」


 精一杯口を動かすも、いい加減頭がグラグラして身体の力がフッと抜ける。


「ゆ、悠太⁉」

「大丈夫。ちょっと痛めただけだから。それより――」


 自然と瞼が閉じ、意識にモヤがかかっていく。


「答えを教えて」


 気が遠くなっていくのを感じながら、それでも僕は確かにその答えを受け取った。

 目には見えなくとも身体が覚えている。




 僕の唇に琴歌の唇が重なった。

 それが彼女の答えだった。

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5分で読める物語『キミを好きなことがバレた』 あお @aoaomidori

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