第4話 負の連鎖

頭のズキズキする痛みで私は目を覚ました。

ゆっくりと目を開けたが、眩暈が酷く、目の前が歪んで見えるほどだった。

身体を動かそうとしたが、力が上手く入らず、身体が全く言う事を聞かない。

それもそのはずだった…ふと全身を見渡すと身体は至る所ベルトのようなもので固定されており、特に手足や胴体に至っては分厚い革のようなもので頑丈に固定されていた。

唯一動かせる箇所は頭だけだった。

私は動かせる範囲で頭を動かし、辺りを見渡した。

周辺の壁は白く、扉は見当たらない。

普段嗅ぎ慣れない金属のような鉄の匂いがした。

しかし、何よりも私を驚かせたのは、部屋の周囲には、なにやら金属とガラスでできた筒がいくつも立っており、緑色の液体の中でブクブクと泡が立っていた。

まるで、それはSF映画に出てくる実験室や研究室のような風景だった。

異様すぎて、まるで現実味のない光景に吐き気さえ覚えた。


「っ…っうぇ…っ…ぁ…ここ…は…どこ…ぉっ…おぇ…」


私は言葉を喋ろうとしたが、込み上げてくる吐き気を押さえる事ができず、胃の中の物を全て吐き出した。

朝から殆ど何も食べていなかったため私が吐き出した吐瀉物は胃液のような黄色みがかった液体だけだった。


その時、ガチャリと遠くで金属の重たい扉が開くような音が聞こえ、誰かが近づいてくるのが分かった…思わず身体が震えた。


カツカツ…カツンカツン…


靴の音が部屋の中に反響し、やがて階段を降りるような音が聞こえてきた。


やがて、近くで重たい扉を開け閉めする音が聞こえ、聞いたことのある男の声が耳元から聞こえてきた。


「……ぁ…ぁあ…ん?お!起きたねぇ…」


男は片手に缶コーヒーを持ちながら、動けないままの私を笑顔で見下ろすと、気持ちの悪いくらい落ち着いた態度で言った。


「ぁあ…汚しちゃって…仕方ないな」


男は、嘔吐物で汚れた私の身体に気がつくと、壁にかけてあるキッチンペーパーを数枚雑に取り出し、丁寧に拭き始めた。


「ぁ…貴方は、だ…だれなの…っ……」


私は恐怖に震えながら精一杯声を出したが、聞こえていないのか、そんな私をよそに男は無言で私の身体を拭き続けていた。


男は私の身体を拭いたキッチンペーパーを丸めて大きな金属のゴミ箱のような入れ物に放り込んだ。


そして今更のように、私の問いに対してゆっくりと話し出した。


「え…ぁあ…そうか、知らなくて当然だよね…自己紹介しておこう。私は…佐々木 芳雄と言います……お見知り置きを…あ…そう言えば確かどこかにまだ名刺があったな…」


佐々木…芳雄?私が、聞いたことも無い名前だった。


男は私の側から離れると、部屋の奥の埃まみれのデスクらしき引き出しの中から名刺を取り出してきて私に見せた。


そこには、こう書いてあった。


佐々木 芳雄(ササキ ヨシオ)

佐々木研究所 所長


「研究…所…?なんの…?」

私は好奇心から思わず聞いてみた。


「そうだね…表向きに簡単に言えば人間のDNAだったり、人間についての研究だね…」


私は男の"表向き"と言う言葉に眉を顰めた。


「本当はDNA研究なんてものより凄いものなんだよ。しかし、なかなか世間では認めてもらえなくてね…と言うのも、私の研究には人間の生きた実験体が最低限必要なんでね…

表向きは、こう言った実験は法律で禁止されているんだが、初めは多くの研究者が私に協力をしてくれていたんだよ…私の目指していたゴールに辿り着くためにね…

なんせ私の目指すゴールは人間の細胞を自ら作り出し、完全なコピーを生み出す研究だからね…」


男は目を輝かせて言った

私は男の言うことがほとんど理解できなかった…ただ、"実験体"、"コピー"と言う言葉だけが耳に残った。


「しかし単純にコピーと言っても、そんな簡単なものでは無い。私の目指しているのは"完全なる複製"だ。例えばだが、君が愛する人を失ったとする、君は一生涯、愛する人を失った苦しみ悲しみの中生きていかねばならん。

それは大変辛い事だ……

そこで私は画期的な発明をしたのだ…まさに人の"完全なる複製"を生み出す方法だよ…

まず複製したい人の遺体の脳細胞を分解して特殊な液体に溶かす。そして、その液体を遺体とは別の亡くなったばかりの人の遺体の脳の中に注入する…すると脳が再生されるとともに身体までもが再生し、完全なる複製が完成するという、まさに画期的な発明だ。

まぁ…外見までは一緒じゃ無いので、完全は言い過ぎかもしれないがね…

凄いだろ…実に難しい作業で、残念ながら沢山の犠牲もあったが、私は見事成し遂げたんだ」


「複製?に…人間を…分解…?っ…なにを言ってるの…?犠牲って…」


私は混乱し、現実離れした話に身を震わせた。

男は私が寝かされている台の隣にある椅子にゆっくり腰掛けると、私の寝ている左上を指差しながら言った。


「ぁ…あ…すぐに理解するのは難しいだろうね…あれが犠牲になってくれた人達から頂いた賜物だ…彼らは私の研究のために犠牲になってくれた、まさに名誉ある死だ」


私は恐る恐る男の指差した方へ目を動かした。そこにはズラーっと幾つもの緑色の液体の入った瓶が並べられており、瓶には一つずつ男女の顔写真が貼られていた。瓶の中の

緑色の液体の中には何かが浮かんでいた……


「分かるかい?瓶の中に浮いているのが人の脳細胞の一部だよ……凄いだろう?」


男は何でもないことのように、その瓶たちを眺めながら美味しそうに缶コーヒーを飲んでいる。

瓶に貼られた何十もの写真の人達は、一体どういう経緯で亡くなり、こんな液体にされてしまったのだろうか…


まさか…


私は恐ろしいことを想像し、男の狂気さに身が震え、全身に鳥肌が立つのを感じた。


「……ぁ…君が知りたいのは、私の実験や研究よりも…彼女の事だろうね」


男は、飲み終わって空になった缶コーヒーをゴミ箱に放り投げ、どこからか同じ缶コーヒーを持ってきて、慣れた手つきで片手で蓋を開けると、再び飲みながら話を続けた。


「まずは、彼女にご登場頂こうか…」


男が、ポケットからリモコンのような物を取り出し赤いボタンを押すと、天井が開き、鎖で人形のように吊り下げられた彼女…そう黒木玲子がゆっくり降りてきた。


「っ…!?」

私は驚きで小さな悲鳴を上げた。


黒木玲子の全身は裸で、首や背中、腹など至る所に黒いコードのようなものが繋がれていた。


「流石に驚くよね…でももう大丈夫だよ…

彼女は、もう君に危害を加えたりはしない…と言うかできないよ…」


男は私を安心させるためなのか、検討違いの説明をしたが、私の頭は連続する恐怖で混乱していた。


「黒木玲子…はぁ…美しいが脆く壊れやすかった…でも、私の最高傑作だったんだよ」


男は黒木玲子を、うっとりと見つめながら、また話し始めた。


「彼女は…217番目の私の実験体だった。私の研究の実験体として協力してくれた人の多くは自殺希望者だった。私が自らネットで集めた人達だよ…警察の手がつかないように私が作った絶対ハッキングが不可能なサイトから募集したんだ…

有難いことに、何人もの人が研究のために犠牲になってくれた…成果が出るまで月日のかかる研究だったからね…

初めは大した研究成果も出せずに何年もの月日が経った。

そしてある日の事だった…

あれは、雨が降る日の事だったよ…

私はある公園の片隅で、全く研究成果が出せず落ち込んでいたんだ。

雨が降り始めて、公園で遊んでいた子供達も皆、家に帰り、一人ぼっちで雨に濡れながら考えに耽っていた。

すると、ふと雨が止んだように感じ、上を見上げると、一人の少女が私に傘を差しかけ、身を乗り出すように立っていた。


「……濡れると風邪ひきますよ?」


びしょびしょに濡れた黒髪をかきあげる姿は、セーラー服を着たとびきり美しい少女だった…それが、この黒木玲子だった。


雨が強くなってくる中、雨を避け、二人は公園の土管の中でお互いの話をした。


彼女に話を聞くと、小さな頃から好きな人がいて、自分とは不釣り合いだから、自分磨きのために散々お金をかけたけれど、やがてお金が足りなくなり、内緒のバイトもバレて家出をしたとのことだった。

彼女は、小さい頃に両親を亡くしたため、知り合いの叔母さんの家で暮らしていたとのことだったが、ほとんど学校には行かず、年齢を偽り夜の仕事をして働き、お金を稼いでは整形を繰り返していた。


「……もぅ…死にたい……っ…」

そう言って泣く、彼女に私は言った。


「そうか…辛かったな。ちょうど部屋なら空いてる。よかったら私の家に来ないか…?」


そんな優しい言葉を彼女にかけた気がする。


彼女は素直に私の家について来た。

だが、地下の研究所に連れて行くと、不安に思ったのか、いきなり泣いて暴れ出した。


…はぁ…ぁ…。反省してるが、いきなりは無理だったのかな〜


私は、しょうがなく彼女を殺した。

抵抗し暴れる彼女の頭を、あそこの緑色の大きな筒の中へ押し込んだんだ。

死は一瞬だった…

初めはかなり暴れていた彼女だったが、直ぐに溺死したよ。

まぁ似たような事を何度もやってきたからね…もう数えきれない…慣れたもんだよ…


私は死んだ彼女の身体を急いで、今、君が寝ている台の上に運び、ポケットから録音機を取り出して、こう録音した…今でも覚えている


ただいま…2月の8日…0:47分、実験者、佐々木芳雄、実験体…黒木玲子…死亡確認。これより217回目の実験を開始する……


そして、実験は成功した。

遂に217回目で、私は、せ…成功したのだ…………


新鮮な彼女の遺体に、脳細胞の一部を移行し、しばらくして彼女は永遠の眠りから目覚めた。そう…息を吹き返したのだ」


男は話終えると黒木玲子に近づいて行くと、彼女の髪を愛おしそうに撫でながら、私の方を見て自慢そうに言い終わった。


「………っ…狂ってる…」

私はそれしか言えなかった。


「もう君にも分かっていると思うけど、ここにいるのは…黒木玲子であって…実は黒木玲子でないんだよ…。言っただろう、この研究の目的…君は知らないだろうが、ここにいるのは…"美月"だ…」


男は愛おしそうに力無く目を瞑ったままの黒木玲子を抱きしめて言った。


「これは"佐々木 美月"だ…私の"妻"だよ…」


妻…?佐々木美月…


「妻…って…貴方の奥さん……?」


「その通り、移植した脳細胞は私の妻のものなんだ…さっき説明しただろう?

実は、この研究は私の愛する人の死から始まった。私の妻を再び生き返らせるための研究だ。今までこの研究の事を研究仲間に話した事もあったが、馬鹿馬鹿しいと相手にされず、幾度も冷たい目で見られてきた。


だが、どうだ?今、まさにここにいるのは、黒木玲子の身体だが、中身は私の妻なのだよ。

彼女は、私の妻の完全なる複製として生きている。まぁ心臓は動いていないがね…」


「……心臓が…動いて…ない」


「そう…まぁそんなことは、どうでもいい。私は、君の事を巻き込んでしまって悪いと思っているんだ。

君にこんな事を聞かせるのは申し訳ないけで、何度死んでも生き返れる訳では無いんだ…元々の身体が死んでいるからね。

それに、再生には金がかかるんだよ。一部直すにしても、皮膚を移植するのは案外コスパが悪いんだ…

また、美月の核となる精神が不安定でね…

実験は成功し、愛する妻との再会は喜ばしいものだったんだが、移植した後の身体には副作用があってね…」


男は、私の顔をじっと見ながら話を続けた。


「黒木玲子特有のものなのかもしれないが…

始まりは、小さな事だった…

ある日、私と散歩していた美月は、美月の横を通り過ぎた男に、突然、それこそ異常なまでに反応した。

その後、私が必死になって調べたところ、そのヒントは黒木玲子が死んだ日に持っていた鞄の中にあった。

彼女の鞄には、数えきれないほどの男の隠し撮り写真があった

それが、美月が反応した男だった。

君も知っている男だ…その男の名は………」


「さ…さめじ…ま…先輩?」

男の言葉よりも先に声が出てしまった。


「あぁ…その通りだよ。鮫島正輝だ。彼の存在が大きく美月の身体や心に副作用を引き起こしてしまった。


彼女は実質心臓を持たないから、何度殺されようとも生き返る。だが想像もしていなかったことだが、生き返る度に副作用はさらに強く現れるようになっていった。鮫島正輝を手に入れようとする力が、大きな波のように溢れ出し、やがて私にも止められなくなってしまった。


彼女を生かし続けるためには、副作用を抑えこむ必要があったが、無理やり押さえ込もうとすれば、彼女が壊れてしまう可能性があった。

だが問題はさらに大きくなっていった。

彼女は鮫島正輝を自分のモノにするため、更に暴走を始めた。

彼女は…自分の目的の邪魔とみなした人間を次々に殺そうとし始めた…そう、君やお友達のように…」


「………え…それって私が屋上で突き飛ばされた…みたいに…って事?」


「その通りだよ…鮫島正輝に好意を持って近づいた女…付き合っていると噂された女…彼女に疑われた者は皆…死んだ。この死の連鎖から抜け出せたのは君と、お友達だけだよ…とても興味深い」


最近この街で続いていた女子高生の連続自殺…まさか、その全てが黒木玲子に殺されたと者いう事なのだろうか?

恐怖のあまり、私は叫び出した。


「っ…離してっ!私をここから出してっ!!!誰か、助けてっ!きゃぁあっ…っぁあっ!!!」


私はこの場から何とか逃げ出そうと、再び身体を精一杯の力で動かしてみたが、身体を固定しているベルトはビクともせず、叫んで助けを求めるくらいしかできなかった。


「無駄だよ…ここは地下室…外には決して声は届かないんだ。さてと、そろそろ本題に入ろうか…」


男は叫び続けている私に構いもせずに、私に背を向けて何かをカチャカチャと準備し始めた。


「……おじさんね…君の事をずっと見ていて気がついたんだ…君は、私がずっと理想としていた女性だよ。私は確信したんだ…君こそ、この黒木玲子を超える器だと…」


男はそい言い終わると、私の方に振り返った…その手には、右手に光るメス、左手には大きな注射器が握られていた。


「っ!きゃぁあっ!?!っ!!!」

私は思わず叫んだ。


男はゆっくりと私の方に近づいてくる。


「慌てないで…まだ、これからだよ…大丈夫…痛くしないからね…ちょっと待ってて…」


男は手に持ったメスと注射器を私の寝かされている台の端にそっと置くと、再び何かを取りに行った。


男がこれから何をしようとしているのか、嫌でも分かった私は更に叫び、暴れたが、どうしようも無い…もはや私には絶望感しかなかった。


男が再び手に大事そうに何かを持って戻ってきた…手にしているのは高価そうな小さな瓶に入った緑色の液体だった。


男は嬉しそうに言った。


「この中に入っているのは、私の妻、美月だ…どうだい?綺麗な緑色だろう…残念だがもう僅かな分しか無いんだ…

この液体をこれから君の脳に注入する…

ごめんよ…黒木玲子の器はもう壊れてしまってね…もう使えないんだ…

壊れた原因は…君にも責任があるだろう?

痛くないさ…少しの間君には死んでもらうだけだ…

君には美月が入るための器になってもらう…

でも大丈夫、君の身体は生き続けるし、ずっとこれから私が大事にするからねっ…」


男はニッコリ笑うと、暴れる私の腕を押さえつけるようにして、ゆっくりと傍らの注射器を取り上げた。


この男、笑っている…狂っている…


もう悲鳴さえ、私の口からは出なかった…


まさに私の身体に注射器の中の液体がゆっくりと注入され始めた…その時だった…


「うがぁっ!?!」

男が悲鳴をあげ、いきなり後頭部を抱えて倒れた。


それと同時に声が聞こえた…聞き覚えのある声だった。


「おいっ!大丈夫か?俺の声、聞こえるか!!?」


「え…ぇ…せ…んぱ…ぃ…?」 


少し注入された薬のせいなのか、私の目にボンヤリと映ったのは先輩…驚いたことに鮫島先輩の姿だった。


先輩は倒れた男の手元から素早くメスを奪い取ると、私の身体を拘束していたベルトを切りはじめた。


「しっかりしろ…っ…!!!今、俺が助けるからな!!!」


数分経っただろうか、やっと全ての拘束具が外れ、私は自由になった。

先輩に背負われながら、私はボーッとする頭で聞いた。


「……ぁ…あ…明子は……?」


先輩は私の問いには答えず、俯き涙を溜めながら呟くように答えた。


「分からないんだ…俺が目が覚めたのはこの部屋の隣の部屋だった。側に明子はいなかった…。俺も君みたいにベルトに繋がれてたんだけど、なんとか引きちぎって、部屋から抜け出したんだ…で、出口を探してたらお前がここに…っ…早くしねぇと、こいつが起きる…っ…行こう!」


先輩が私をおぶって部屋から抜け出そうと歩き出した時、いきなり後ろから叫び声が聞こえた。


「っあっーーっぁぁあ!!!」


先輩に後頭部を殴られて倒れていた男が、いきなり立ち上がり、先輩に襲いかかったのだ。


「っ……っ!!!逃げろっ!!!」


先輩の叫ぶ声が聞こえた。

薬のせいか私は、まだ頭がボンヤリとしていたが、よく見ると先輩が床に倒れ、男が先輩に馬乗りになって首に手をかけ絞めようとしていた。先輩は何とか男から逃れようと暴れていた。

私は先輩を助けたいのに、なかなか近づけずにいたが、ふと床にあの注射器が転がっているのに気がついた。

私は床に落ちていたその注射器を拾い、背後からそっと近づくと男の首に突き刺し、中の液体を注入した。


「っ…ぁ…あ…っ!!?」


男は一瞬、首に刺さった注射器を取ろうと身悶えたが、身体がいきなり痙攣したかと思うと、そのまま意識を失ったようだった。


「先輩っ…早くっ!!!」


それから私達は急いで部屋の出口を見つけると、無我夢中で地下通路を走った。

電球がチカチカと点滅しているだけの暗い通路を抜け、地上へ上がる階段を見つけ、なんとか地上へ戻る事ができた。


その後、私と先輩は、なんとか自力で街へと辿り着き、すぐに警察に駆け込んだ。

初めはなかなか私達の話を信じてくれなかった警察だったが数日後、明子の捜索願いが正式に家族から出されたこともあり、警察が例の家の地下室を調べることになった。


結果だけを言うと、あの地下室は既に空っぽだった。

男の姿はどこにも無く、男が何か研究をしていたようだということだけは分かったようだが、黒木玲子やあの怪しげな研究の痕跡も全く無かったとのことだった。

警察は男がおらず、証拠不十分ということで、その後の捜査を断念した。

明子は未だに行方不明…明子の失踪は、ただの家出という事で済まされてしまった。

その後、私達が、何度警察に取り合っても、信じてはもらえなかった。


明子はやはり殺されてしまったのだ…黒木玲子…いや…あの男…佐々木芳雄に。


それから月日が流れた16年後のこと…


「綺麗な部屋ね〜高かったでしょう?」


私、真紀は沖縄の海の見えるホテルの一室にいた。

ホテルの名は「ビーチサイドホテル」

超高級とまではいかないが、沖縄でも高級と名がつくホテルだった。

ベランダに出ると、すぐ近くにエメラルドグリーン色の海が陽の光を浴びて輝いていた。


「少しくらいはセレブ感味わったっていいでだろ?それにしても潮風って気持ちいいよな〜」

主人が笑いながら答えた。


私が26歳の時、鮫島先輩と結婚した。

今は32歳、息子もいる。

先輩とはあの事件から、互いに心を支え合う仲となり、やがて自然と恋愛感情が芽生え結婚することになった。

今は、家族三人、平凡な家庭だが、とても幸せだ…


まだ5歳の息子が私の足にしがみついて抱っこをねだった。

あの事件がトラウマとなり、あれから時々、辛いこともあったが、子供の笑顔が何よりも私の救いとなった。


「だぁこっ…!」


「沖縄に来たかったのには理由があるのよ〜私のお父さん、あなたのおじいちゃんが沖縄に来たがってたからなのよ。ちゃんと、おじいちゃんのお写真持ってきたぁ〜?」


私がそう言うと、息子は小さな斜めがけの黄色いポシェットから得意そうに写真を取り出した。

私は息子を抱き上げると、一緒に海を見ながら言った。


「綺麗ねぇ〜おじいちゃんにも見せてあぜて〜」


私がそう言うと、息子は両手でしっかりとおじいちゃんの写真を海に向けた。


「じぃーちゃん!うみっ!うみです!」


私は、写真を持って嬉しそうに笑う息子を見ながら、家族三人で一緒にいられる幸せをしみじみ感じていた。


同じ頃、同じ沖縄の那覇空港に降り立った一人の女性がいた。

その女性は、目にはサングラス、麦わら帽子を深く被り、スマホを片手に誰かと会話しているようだった。


「…美月…そっちはどうだ?」


「……暑いのは嫌いよ…」


「そうか…今回はかなり時間がかかってしまったが…器は完璧だろう。だが、頼む。くれぐれも無理はするなよ…いいな?」


「大丈夫よ…もう慣れたから」


通話の相手の男は缶コーヒーを片手にしばらく話をしていたが、やがて通話を終えた。


女性はスマホを鞄にしまうと太陽がサンサンと輝く那覇空港の前で手を上げ、タクシーを呼ぶと、運転手に行き先のホテルの名を告げた。 


「ビーチサイドホテルへ…」


私達は、ホテルのロビーに立っていた。 


「こらこらっ!走っちゃダメよっ!」


息子がお気に入りのイルカのぬいぐるみを持ったまま走り回り始めたのを叱ったが、息子は言うことを聞かない。


「もぅ…」

ため息をついた私の頭をポンポンと主人が軽く叩いた。


「まぁまぁ…怒らない怒らない。まだ遊び盛りなんだから…ほら、俺がレストランの予約はしておくから、息子とホテルのショップでも見てこいよ」


「じゃあ…お願いするね。ほら〜お母さんといい物見に行こ〜う?」


私は主人に任せて、息子と手を繋ぐとホテルの土産などを扱っているショップへと歩いて行った。

いきなり息子がイルカのぬいぐるみを手に駆け出した。

ちょうどそこに、ショップから出てきた一人の女性がいた…キャリーバッグを片手に引きサングラスをかけた女性だったが、息子と出会い頭にぶつかってしまった。


「あらっ…ごめんね…痛かった?」


女性は転んで泣いている息子の頭を撫でながら言った。


「ごっ…ごめんなさいっ!!息子がすみませんっ…!!」


私は慌てて、息子を起き上がらせると、その女性に頭を下げて謝った。


「この子はお友達かしら?」


女性は床に落ちたイルカのぬいぐるみを拾い上げて息子に渡した。


「うんっ!」

息子は嬉しそうにぬいぐるみを受け取り頷いた。


「……ふふっ…なんだかそっくりね。」

女性は手を口に当ててふふっと笑った。


そして女性は顔を上げて、サングラスを取って、今度は私を見てニコッと笑った。


「え……?ぁ…あ…き…こ…?」


そう、目の前に立っていたのは紛れもないあの"明子"だった。


「偶然ね…こんな所で再会できるなんて。偶然って、本当にあるものなのね」

  

そう言いながら笑っている明子は昔のままだった。


しかし、私は素直に喜べなかった。

私は明子の姿に何か違和感を感じていた…


そう…昔と同じすぎる… あれから16年も経つのに


明子の姿は、確かに化粧はしているが、どう見ても最後に会った高校の頃の姿のままだった。

それに、この話し方は…あの明子ではない。

誰かの話し方と酷似している…

それを認めたくなくて、私は明子から目を逸らし息子の手を固く握った。


もう彼女に見透かされているかもしれない…そう思うと、冷や汗が止まらなかった。


「…明子…久しぶりね。こんな所で会えるなんて…嬉しいわ。ただ、わ…悪いけど、これから行く所があるから、また後で会えないかな?……ね?」


私は彼女の目を真っ直ぐ見ることができなかった。今直ぐ彼女との会話を終えて、この場から立ち去りたかった。

私は明子の返事を待たずに、嫌がる息子の手を引くと、彼女に背を向け歩き出した。


「……まーきっ」


そんな私の肩をグイッと彼女は掴んだ。

振り返ると、背後から異様なほど強い視線が突き刺さった。


「…っ離して…貴方に呼び捨てにされる筋合いはないわ…」

私はその手を振り払った。


「どうしたの?…真紀ったら」


明子の姿をした彼女は、笑みを浮かべながら下手な芝居を続けている。


私には分かる。分かる…彼女は……


「もうっ…遅いよ。待ちくたびれたぞ」

彼女の背後に主人が呆れた顔で立っているのが見えた。


「……ま…正輝…よね…会いたかった!」


主人に気づいた彼女は満面の笑みを浮かべると、振り返って、鮫島正輝…私の主人に駆け寄り、抱きついた


主人も私と同じく、彼女の顔を見ると、驚いて小さく声を上げた。


その後、主人も私と同じで、何かおかしいと思ったのか、彼女の手を無理やり振り払った。


「どうしたのよ…っ!私よ…明子。

正輝くん…は私の彼氏でしょ〜っ!」


「あ…きこ…?」


「そうよ…私は明子。正輝くん…ちょっと待っててね…」


彼女は主人にそう言うと、ゆっくり私の方に歩いてきた。


「負の連鎖って怖いわね…でも、どうしても止められないの…私にも抑えられない…っ…ねぇ…真紀さん?あなたなら分かるわよね」


彼女は黒く澱んだ目で私を見て片方の口角をググググっと不自然に引き上げて笑った。

それは普通の人間とは思えないほど奇怪な引き攣った顔だった。

あの女と同じ…見覚えのある顔…


彼女は鞄から何かを取り出し、更に私に近寄ると顔を近づけて言った。


「"" た だ い ま ""」

その声は確かに明子の声だったが、地獄の底から響いてくるような低くしゃがれた声で耳底に不気味に響いた。


その瞬間…鋭い痛みが腹を抉った。

目を下に落とすと、ナイフが腹に深く刺さっていた。


彼女は狂ったように私の血で濡れたナイフを振り回し叫んだ。


「きゃははっっ!!!死んだ!死んだっ!死んだぁぁあっ!!!」


私は、その声が周辺に響きわたる中、力無く地面に倒れた。

感じた事のない痛みが身体中を駆け巡り、声も出ない。

聞こえてくるのは息子が泣く声 ホテルの周辺にいた人々が逃げ惑い、叫ぶ声…


そして気がつくと、隣には、主人の正輝も倒れていた。彼女が振り回したナイフから息子を守ろうとして、身体を切り裂かれたようだった。

主人は身体を引き摺りながら、私に近づくと、倒れたままの状態で私を抱き寄せた。


「ま…き…っ…!!っ真紀!!!大丈夫だからな…すぐに助けが来るっ!」


痛みと震えでうまく動かせない手を精一杯、主人と息子に伸ばした。


耳元で、息子と主人が必死に私の名前を呼んでいるのが分かったが、私の意思は遠ざかりつつあり、痛みの感覚も次第に無くなってきた。

意識が薄れていく中、ホテルの従業員が警察を呼んだらしく、警察が到着したのが分かった。バタバタと何人もの警察官が彼女を取り押さえるのが霞んだ目に映った。


私が安堵した瞬間、猛烈な眩暈と眠気に襲われた…目の前が徐々に暗くなっていく…私はゆっくりと目を閉じた…


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連環  黒咲ゆう。 @YUMA048

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