第3話 謎の男

今日は土曜日

悪夢のような1日が終わり、今日は学校も休みだ。

相変わらず、今日も朝から酷い暑さだ。

ただ有難いことに部屋のエアコンがゴーという強い音をたてて心地良い冷たい空気を吐き出してくれる。

部屋の中は真夏の暑さを忘れられる安全な場所、そう安全な場所だ。


ふと耳をすますと、ベランダにかけてある風鈴が爽やかな音をたてている。テレビから流れてくる陽気な人々の声、穏やかないつもの平和な光景…


明子は冷蔵庫から冷たい麦茶を取り出して

それぞれのコップに勢いよくゴポゴポっと音を立てて注いだ。私達は冷たい麦茶を喉に一気に流し込み、一呼吸置いてから、明子が話を始めた。


「これから、どうする…?もしあの黒木さんに出会ったら、また襲われるのかな…?」


明子は不安そうに眉を顰めて、私と先輩の目を交互に見た。


三人とも昨日の出来事の恐怖から眠れずに、

お互い同じ部屋で、語り合いながら一睡もせずに一夜を過ごした。


鮫島先輩が私の目を見つめながら言った。


「なぁ…吉崎くんが初めに彼女を…いや彼女が落ちた現場には行ったことはあるのか?」


そう言えば、私は彼女の遺体を屋上から眺めただけで、怖くなってすぐに家へ帰ったため、確認はしていなかった。


「なぁ現場にもう一度行ってみないか?それでなにか掴めるかも知れない。無理はしなくてもいい、俺だけでも……」


私と明子は無言で同時に頷いた。

もちろん私達も一緒に行くという意味の頷きだった。


私達は、まず彼女が落ちた学校のA棟の庭に向かった。

そこにはいつも通りの、これといって何も無い光景が広がっていて、なにも手がかりらしき物は見つからなかった。


私達は、次に屋上へと向かった。

長い階段を上がって私達は小さな屋上に着いた…老朽化により、あまり使われていない寂れたA棟だ。

この学校が初期の頃に使われていたためか、屋上には、所々柵が無く、人が誤って落ちてもおかしくない状態だった。

夏の蒸し暑い湿気を帯びたネットリとした生暖かい風が肌に纏わりついた。

屋上から怖々下を覗き込んだが何も見えなかった。何も無い事が私達を逆に安心させていたが…


私は屋上へと上がる階段の側で、ふと何気なく屋上のドアを見たが、ドアの鍵が無いのに気付いた。


私は急に思い出した。

あの時…

黒木玲子に襲われて逃げようとした時、確かに、このドアノブを回した。

しかしドアは開かず施錠されていて…

その後私は……彼女が落ちた後、階段を駆け降りて…


全身にザワワワワと鳥肌が立った。身体が自然と身震いするのを感じた。


何故あの時開かなかったドアが、彼女を殺した後、開いていたんだろうか?

私は、その時、階段を駆け降りた時に嗅いだ鼻についた煙草のような煙たい匂いを思い出した。


あの時、私がこのドアを開けようとした時、ドアの反対側に誰かがいた!?


カタカタと震えている私に、先輩が声をかけた。明子も心配そうな表情で私を見ている。


私は無言で、大丈夫だと二人を手の動きで制して、目まぐるしく頭を回転させた。


あの時、鍵の無いこのドアが開かなかったって事は、扉の反対側に誰かがいて、内側からドアを押さえていたに違いない…

そして、それはきっと煙草を吸う人物…

扉を押さえる力からして、男性の可能性が高い…


そんな考えが、次々に頭をよぎる…


そして、やがて私の頭の中に一人の男の姿が浮かんだ。


""火葬場にいた男""


白衣を着たガタイの大きい、目つきの悪い小太りの怪しい男…

そう、あの男はきっと黒木玲子と関係があるに違いない。なぜだかは分からないが、私は確信していた。


ただ、一つの可能性に気付くことはできたものの、この場所では、なんの手がかりも見つけ出せず、私達はやむを得ず、いったん明子の家に帰る事にした。


話す話題も無く、トボトボと歩いていると明子がふと口を開いた。


「それにしても…彼女は、一体何者なんだろう…?死んでも死んでも…生き返る。…ふ…不死身…?なのかな…」


黒木玲子について、各々がいろいろと想像をめぐらせながら、横断歩道の手前で信号が変わるのを待っていた時だった。

いつの間にか信号が青に代わっていたのだが、三人とも気づかなかった。 

そのうち、チカチカと点滅する青信号に気付いた明子が走り出しながら言った。


「っ…あ…!信号変わっちゃうよ!早く渡ろうっ!!」


ーーーその時だった。


トラックが物凄いスピードで明子目掛けて突っ込んできた。


「危ないっ!あきーっ!!」


私が明子に手を伸ばし叫んだが、もう間に合わない…


次の瞬間、止める間もなく鮫島先輩がいきなり、明子を庇うように横断歩道に飛び出した…

グワーン…グシャッ…ッと大きな鈍い音が響き渡った。


ーーーー""轢かれた""。


トラックは横断歩道の少し先で急停止し、白い煙を吐き出していた。


私は、時間が止まってしまったかのような錯覚を覚えた。

私は、ただ茫然として、横断歩道に横たわり

倒れたままの二人を見下ろしていた。


「ぁ……あ………ぁあぁあぁぁぁ…」


その時、いきなり悲鳴とも違う異様な声が上がった。

声を上げたのは私でも倒れている二人でもなかった

トラックの背後、白い煙の奥から一人の人間らしい影が現れた。

不気味な甲高い唸り声を上げながら、頭を押さえてこちらに歩いてくる。

黒く長い髪を振り乱しユラユラと歩いてくる姿は紛れもない…彼女…


""ーーー黒木玲子ーーー""だった。


彼女は私などお構いなしに、明子を庇い覆いかぶさるようにして倒れている鮫島先輩に近づくと、その身体を揺さぶりながら声を掛けた。


「ぁ……ぁあ…ぁぁ…ま…正輝君…どうして…こ…んな事に…っ…」


先ほどの悲鳴とは真逆の、彼女の声とも思えないほど低く掠れた声…

ふと私が、彼女の身体を見下ろすと、彼女の皮膚の色は妙な色にくすんでおり、まるで人間の肌とは思えないガサガサした肌のように思えた。

また、更によく見ると彼女の肌に黒い穴のようなものが幾つもあるのに気付いた。


やはり、彼女は何かおかしい…


私は今までに感じた事のない、訳が分からない不気味さを感じた。


彼女…黒木玲子はぐったりした鮫島先輩を抱いたまま泣き続けている。


どのくらい経っただろうか…彼女はいきなり泣くのを止めて立ち上がると、今度は隣に倒れている明子を見て、ワナワナと身体を震わせ叫び出した。


「ぅ…うぁぁぁ…ぎゃぁあっ…ぁぁあっっあ!!!」


次に彼女は鮫島先輩を放し、まるで壊れたロボットのように、ぎこちなく動き出したかと思うと、突然、倒れて意識のないままの明子に馬乗りになって明子の首を絞め始めた。

それもただ首を絞めるのではなく、首を掴むと上下に振り回すようにブンブンと動かし始めたのだった。


恐怖に震えていた私だったが、これ以上、このまま見ている訳にはいかなかった。


私は彼女に気づかれないように背後に近づくと、地面に落ちていた手のひらほどの石を掴み、彼女の頭を目掛けて振り下ろした。


彼女は、背後に迫る私の影に気がつくと、一瞬 振り向こうとしたが、私の動きの方が早かった。


ゴンッ!!!


鈍い音がして、私の手に持った石が黒木玲子の後頭部を捉えた。


血は出なかったが、彼女はその一撃でグラグラと身体を揺らし、明子の身体の上へと倒れた。


「っ…はぁ…ぁ…ぁあ…はぁ…」


呼吸が荒くなり、息がつまったようになった私もその場に座り込んだ。


手に持った石を手から離そうとするが、力一杯握りしめていたせいか、なかなか離れなかった。身体の震えが止まらない…


大きな交通事故が発生したにも関わらず、不思議となんの騒ぎにもならず、ミンミンと鳴く蝉の声と煩い私の心臓の音だけが聞こえていた。まるで、この場所だけ時間が止まってしまったかのように…


私が茫然としていると、いきなりトラックのドアが静かに開くのが見え、少し小太りの白衣を着た男性が降りてきた。


その男性は、こちらにゆっくりと歩いてくるとボソッと呟いた…


「あーあぁ…壊れてしまった…か…」


気怠そうな感情の無い声…


私は力の抜けた身体を必死に起こして、その男から逃げようとしたが、身体がうまく動かせない。


「……君は……」


少しの時間、男は私の姿を舐めるように観察していたが、腰のポケットからなにやら黒い物体を取り出し、さらに私に近づいてきた。


「え……?っっ!!?」


私は気がついた…それは紛れもなく、ドラマや映画で見たことのある"スタンガン"だった。


男は、いきなり私の口を手で押さえると、そのスタンガンを躊躇なく私の身体に押し付けた。

ビリビリと身体が痺れ、身体中を電気が伝うのを一瞬感じたが、私はそのまま意識を失った。


「………君は使える…」


男が何かを呟くのが聞こえたが、私の耳にはもはや届かなかった。

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