冒険者ギルド『アルトリアン』の午後のお茶会について

コトリノことり(旧こやま ことり)

第1話 「もっと人を疑えよ」

 アルフレイム大陸、ブルライト地方はマカジャハット王国。

 そのマカジャハット王国には、少し変わった都市があった。


 幾多の神の神殿が集まりし、都市アインツェル。


 本来、神殿同士というものは、表立ってではなくとも、必ずしも仲がいいとはいえないもの。

 しかしこの都市では珍しく、神殿たちが協力し合い、都市の発展にいそしんでいる。

 都市の中心部には白亜の神殿が並び立つ。

 始祖神ライフォスをはじめとして、小神である風と雨の女神フルシルや鉄道王ストラスフォードの神殿も、美麗な宮殿の如く鎮座している。

 アインツェルにいけば、どんな神の巡礼もかなう、とはよく言われているものだ。


 さて。そんな都市アインツェルでは、芸術が盛んなお国柄にふさわしく、今日も大通りでは音楽家や絵描きでにぎわい、大小さまざまな劇場や美術館が建ち並んでいる。まるで小さな縁日が開かれているようだ。



 しかし、そんな喧騒とは無縁とばかりに、細い路地の奥に、ひとけの少ないギルドがひっそりと建っている。

 建物は古く立派であるというのに、閑古鳥とはまさにこのこと。

 そのギルドの名前は――『アルトリアン』。


 時刻はまだ昼にはかからない、という頃。

 アルトリアンのギルドマスターの部屋で、一人の少年がため息をついた。

 この零細ギルド『アルトリアン』のギルドマスター、シャリオ・アルトメイアである。


 まだ齢14歳という若い少年であり、立派な執務机に座っていると、よりいっそう小柄な体躯がひきたってしまう。

 なにせ彼は成人前の子どもであるから、大人用の――先代ギルドマスターから引き継いだ執務机と彼の身長の大きさが噛み合っていないのは、仕方ないのことなのだけれども。

 疲れをにじませた顔で赤髪をかきあげ、目の前に積まれた書類にシャリオは溜息をついた。


「はあ……。必要な手紙の返事はこんなところか。ええっと次は…運営会議の準備と……ああ、そのために先月の収支報告書の確認をすませないと」


 郵便物の仕分けは、夜勤番を終える前のギルド職員であるラケッタがしてくれている。そんな些細なことでもシャリオにとってはありがたい。


 なにせ、ギルドマスターとなればたかが手紙と侮れない。

 例えば神殿とのやりとりだけでも――先日のクエストの礼状、内容の報告と確認、正式なアルトリアンの功績として認める追認状、今後のクエスト依頼受領についての日程や報酬授受の承認等――ざっとあげるだけでもこれくらい書類をかわし合う必要がある。

 それに加えて、他の冒険者ギルドとの近隣の魔物情報の共有、会合の誘いであったり、魔術師ギルドや商人ギルドとの渉外もある。


 いずれも粗末に扱えば、こんな零細ギルドが立ち行かなくなるような案件であり、ギルドマスターの承認が必要なものばかり。

 そのため、シャリオの仕事は基本、朝、ラケッタから郵便物を受け取り、その返事や必要な手紙を書くことに午前中の時間をついやす。


 今日の手紙の処理を終え、シャリオが未決済の箱から収支報告書を取り出そうとしたとき。

 コンコンコン、と扉がノックされた。


「失礼。ギルマス、店の会計記録と来月の運営計画を持ってきたんだが……」

「ああ、ヒンメルさん。ありがとうございます」


 ギルドマスターの部屋にはいってきたのは、街を歩けば10人中10人が目をひくしまうような眉目秀麗な青年だった。

 背中にかかる黒髪をひとつに束ね、細い眼鏡をかけた姿は彼の知性を際立たせている。ほっそりとした体つきは、一見荒事とは無縁そうだが、見る人が見ればきちんと鍛え上げられていることがわかるだろう。


 誰もが認める端正な容姿を持っているのに、どこか近寄りがたいのは銀縁の眼鏡ごしに見えるまなざしが鋭いからか、笑みを浮かべる時ですら冷笑か嘲笑まじりのものが多いからか。

 ――そうはいっても、最近はその表情も、かなり柔らかくなったようだけれども。


 彼、ヒンメル・シュテルンはこのギルドの道具屋を請け負ってくれている商人だ。

 ヒンメルはギルドの職員ではない。あくまで現在使われていない――冒険者ギルドとして運営できていなかったため無用の長物となってしまっていた――ギルドカウンターのスペースをアルトリアンから借りて商売をしている。いわば店主と店子の関係だ。


 ヒンメルにとっては行商人のような不安定な商売をせず、自分の拠点を持てること。ギルドとしては使用用途がなかった部屋の賃料をとることで収益がでる。お互いにとってメリットのある契約だった。

 ちなみに。彼が契約している間取りは最初はカウンターと小さな倉庫だけだったが、今では使用していない部屋や保管庫の半分はヒンメルが借り受けて、商品の置き場となっている。


 そしてヒンメルの商才は確かなもので、貴族相手にもコネを持ち商売をしているようだが、『冒険者ギルドの商店』であることを誰よりも自覚している。

 現在、少しずつ『冒険者ギルド』らしいクエストができるようになったが、彼が道具だけにととまらず、冒険者たちが求める装備や道具をすぐに用意してくるのは、ギルドとしてありがたい。


 そんなやり手の商人であるヒンメルがシャリオの机の様子を一瞥し、真一文字にむすばれていた唇のはしをあげて、苦笑する。


「すまん、間が悪かったか。次の運営会議の準備か?」

「いえ、ヒンメルさんの仕事の速さに僕が追いつけてないだけですから。それにそちらの資料も必要になりますし」

「こっちの事務仕事は一区切りついたからな、そちらの月次決算を手伝おうか。今回は設備改善の特別会計もあっただろう?」

「ですが、ヒンメルさんにはいつも手伝ってもらってばかりですし……」

「ギルドマスターの手が早くあいて、冒険者たちの仕事を早く回してくれるようになってくれたら、結果的にオレの店も儲かるから助かるんだが?」


 にやり、と意地悪く持ちあげて笑うヒンメル。

 次はシャリオが苦笑する番だった。


 本来ギルド職員ではないヒンメルにギルドの会計書類を見せることはあり得ないことだが、特別に『顧問会計士』という外部から招いた形としての役職を渡しているから、契約上は問題ない。

 ただ、仕事にみあった報酬を渡せていない現状では『顧問会計士』とは名ばかりで、頼りすぎることに躊躇してしまうだけで。

 けれど、そのためらいも見通されて、『冒険者のため』と『ヒンメルの店の利益』という大義名分をわざわざ掲げられたら、お手上げだ。


 はあ、と困ったような、安心したような溜息をひとつついてシャリオは頷いた。


「ほんとに……ヒンメルさんにはかないませんね。お願いします」

「利用できるものはなんでも使え。ソレが年上の性悪商人だろうがな」


 露悪的に笑ってから、ヒンメルがヒラリと未決済の籠から書類の束をとる。銀縁の眼鏡のつるに指をかけ、「ふむ」と頷きながら中身を確認していく。


「おおかたのところは大丈夫そうだな。大浴場施設の再開で特別支出もあったが……収支は赤字になってない」

「ええ、大浴場の設備再開が無事にできてよかったです。……ヒンメルさん伝いに頂いた、奇特な”寄付”のおかげですね」


 半年間、ほぼ運営機能を停止していたギルド。再開できたのはここ数か月、しかもそれは神殿からの特別依頼のみであり、ギルドとして所属している冒険者はひとつのパーティーしかいない。

 そんなわけで、相変わらず弱小ギルドであり、ろくにクエストの数もこなせていない――正直に言えば、お金がない。


 だが、冒険者たちがクエストを誠実に、そして確実に遂行してくれているおかげでギルドの施設運営に回す費用が捻出できた。

 その一つが、直近では半年間休止していた大浴場なのだが――。


 ”寄付”の話を持ち出すと、ヒンメルがおかしそうに肩を震わせた。


「ああ、本当に、まったく奇特でな……唐突に、いかにもクエストを終えたばかり、という姿の小柄なドワーフが『一万G預けるから、ギルドのために好きに使え』と押しつけてきてな。さらに能天気な顔をしたやつまでポンと似たように…まったく、オレが自分の懐にしまい込んで悪用するかもしれないというのに……」


 はぁ、とヒンメルはわざとらしくため息をついて、困ったように顔に手を当てる。

 ヒンメルがこんな風に表情を崩すのを見せるようになったのも、ここ数か月のことだ。それも嬉しいが、”奇特な人物”の心当たりが誰かがシャリオもわかっていて、思わず笑みがこぼれる。きっとシャリオ本人に渡せば、シャリオが気に病んでしまうと予想して、わざわざヒンメルに渡したのだろう。

 その気づかいを思えば、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。


「アイツらは人を疑うっていうことを一から学んだほうがいいんじゃないのか?」

「そうですか? みんなちゃんと人のことを見る目があるかたがだ、と僕は思っていますが。だからヒンメルさんにお金を預けたんでしょう?」

「はぁぁぁぁ……お前もたいがいだな、ギルマス」


 話しながらでも帳簿で足りていないところ、計算の合っていない部分をサラリと修正したヒンメルが、肩をすくめながらシャリオに帳簿を手渡す。


「お前にまっすぐ育ってほしいというのはギルドの

――先代の意思だろうし、昔からこのギルドにいるヤツらの願いだろうが――

お前は組織のリーダーとしてもっと人を疑うことも、人の善良さを信用しすぎる危険性も覚えるべきだと思うがな」


 まっすぐ瞳を射貫くヒンメルの言葉にシャリオは――思わず、笑ってしまった。

 いけないとわかっていながらも、こらえきれず、ふふっと声を出してしまう。

 笑ったシャリオに対してヒンメルの眉間の皺が深くなる。申し訳ない、と思いながらも止められなかった。


 だって、以前のヒンメルならこんなこと、絶対に言わなかっただろう。

 数か月前までは、あくまで『仕事上のつきあい』『間借りしている店子』という一線を引かれていた。互いに私生活やプライベートに干渉することは、まずなかった。

 それはシャリオがヒンメルより年下で、ギルドマスターになる前はほぼ接点がなく、ギルドマスターと店子の関係になっても事務的に書類や報告相談をするくらいだった。


 それがこんな風に、『ギルドマスター』としての自分ではなく、『シャリオ』としての自分に対しての言葉を向けてくれている。

 子ども扱いをしているわけではなく、対等の人間として接してくれているからこそ、”あの”ヒンメルがこんなことを言うのも理解している。

 そんな小さな、けれど確かな変化がわかる行為に思わず嬉しくなるのは仕方がないだろう。

 もっといえば、ヒンメルのその変化が、自分が選んだ冒険者が理由だろうということも併せたら、なおさら。


 シャリオは一通りその嬉しさを噛み締めてから、きっと真剣な表情にきりかえた。


「……もちろん、善良なひとばかりではない、ということはわかっています。ヒトの悪意を、少なからず見ながら生きてきたほうでしょうし。ヒンメルさんもご存じでしょう?

 僕がギルドにきたばかりのころは、周りから受け入れられることはありませんでした。いえ、今もですね」


 ヒトは簡単に周りとは『違う』ものを見つけて、攻撃し、排除する。

 シャリオは先代のギルドマスターと血はつながっていない。

 先代のギルドマスターが――義父に引き取られて、幼いころにこのギルドにやってきた。

 そして、周りの子どもたちとの『違い』の理由はことかかなかった。


 義父は人間であるのに、自分は違う種族のメリアであること。

 義父とは似ても似つかぬ赤髪であること。

 義父に連れてこられる前は、魔物の住む森で暮らしていたこと。


 同年代の子どもたちから何度も馬鹿にされ嘲られ蔑まれてきた。そしてそれは子どもだけではなく、親である大人たちも同じだった。


『どうせ拾われた子』『魔物がいる森でただの子どもが生きていられるわけがない』『ほんとうにアイツはヒトなのか?』


 実際に魔物の住む森――森の賢者であるエントレットに守られながら、実親の顔も名前も故郷も知らずに生きていたのは事実だ。

 だがエントレットは人を積極的に害することのない、穏やかな性格であるという事実も都合よく忘れられてしまうのが、余所者を排斥しようとする同調圧力が持つ事実だ。


 いまだに何度も投げられてきた冷たい言葉たちを思い出せば、悔しさと悲しみが今日の出来事のように思い出せる。

 何度、義父と同じ黒髪じゃなかったのかと苦しみに囚われただろう。憎々しい赤い髪を自ら切り落とそうとしたこともある。

 今ですら。引き取られたばかりの小さな子どもではなくなったのに。自身がメリアという、珍しい種族であることを隠すために――せめて少しだけでも義父との違いをあらわにしないために――襟詰めの服を着て、胸元にある花を隠している。


 さらに、半年以上前。行った先のクエストから帰ってこなかった先代のかわりにギルドマスターという地位を引き継いでから、冷たい目はひと際増えた。


 だから。昔は周りが怖かった。信じられなかった。

 でも。


「けど、だからこそ――今、このギルドにいるみんなのことは、逆に信じられるんです」


 『子どものギルドマスターなんて信じられない』といって去っていったひとたち。

 それも仕方ない、とわかっている。冒険者としての命をまだ成人前の子どもに預けることも、生活を任せることも難しいに決まっている。

 だけど。今ここに残っているメンバーはそうじゃない。

 新しく来てくれた冒険者たちも、そうじゃない。


 まだ不甲斐ないギルドマスターであることを承知して、ギルドにいてくれる。


 それを思えば、知らず知らずのうちに、ふわりと笑みが浮かんでしまう。

 そんな風に微笑むシャリオに、ヒンメルはさらに苦々しい顔をする。

 けどその苦々しさには決して冷たいものは混ざっていない。心配の感情が見え隠れしている。


「ったく……。だからお前はもっと疑うようになれ、って言ってんだろうが。まぁ……周りを疑ってばっかのトップについていきたいってやつもいないけどな」


 呆れたように髪をかき上げながら、諦めたように溜息をヒンメルが吐いたとき。

 また、部屋のドアがノックされた。

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