暗がりに見えた形
「全員いるな」
陽の昇りはじめた空の下、新兵は修練場に集合した。その中にはしっかりと賢の姿もある。
「今日からバジリスクの隊員として訓練を行っていく。午前中は体力、午後は実践といった感じでわけていくぞ。さあ、走って来い。走るエリアは自由に決めていいぞ」
ざわざわと話し声が飛び交い、1人、2人と抜け、最終的に孝を先頭にした大きな集団が走り始めた。そんな中、賢と美香の2人はその場から動いていなかった。
賢は変わらず下を向き、美香は声をかけることを躊躇しているように見える。大吾は美香の考えを察してか、賢へと歩み寄った。
「立花、昨日のことは辛いだろう。一日も経っていないのにこの場にでてこれたことは素直に称賛する。……だが、今は訓練の時間だ。お前がどんな思いや考えを抱いているのかはわからないが訓練位出てきた以上は、体を動かせ。
西園寺、こいつとはしってやってくれ。コースはお前が決めていい」
「わ、わかりました」
賢から視線を外し、大吾は周囲へと目を向けた。全力で走るのか、ランニングのように走るのか、どれだけの距離を走るのか、それらは彼らの性格を知るうえで一つの情報となる。
修練場の真ん中で仁王立ちし、目を光らせる大吾。その腕が引かれ、直後に彼の背筋に粟が立った。刺々しい《とげとげしい》空気を背に感じながら、大吾は声を出した。
「どうした、立花。走って来い」
「……今日の訓練のあと、話がある」
「立花君、走りましょー」
走り去っていく賢の背中を、大吾は驚きの表情で見つめていた。
――時刻は21時。新兵が自由に行動できる時間は残り1時間。そのタイミングで扉が叩かれた。
「立花です」
「入れ」
白シャツ短パンの賢が入室する。大吾は読んでいた本を閉じ、椅子を出した。賢の表情は訓練中に見た物と変わっていない。周囲を刺すような空気も相変わらず健在だ。椅子に座るなり賢は昨晩のことを話し始めた。
兄のこと、バジリスクのこと、自分のこと。涙は枯れたのだろうか、賢は淡々とまるで報告書でも読むように語り、暗い表情を大吾に向けた。
「……そうか。幸せになるために強くなる。別におかしな話ではないな。で、それがどうしたんだ?」
「どうしたっていうか……その、否定しないんだな」
「否定されたかったか? お前は目が見えないから強くなれない。必然的にヒトガミと戦うことすらままならない。訓練するだけ無駄だ」
大吾は優しい口ぶりで罵倒を口にし、煙草を咥えた。
「こんな言葉を言われたかったのか? 違うだろ。嘘くさい芝居はいらないから本当に聞きたいことを言え」
「……兄さんを殺したヒトガミは、何てヒトガミだ?」
暗かった賢の表情にさらに影が差し込んだ。殺意と憎悪が賢を中心として渦を巻いている。その渦に向けて煙を吐き出し、大吾は口を開いた。
「鳥型だ。お前も知っての通りヒトガミに固有名称はない。特徴は巨大な2対の翼に足の鉤爪、口内にある何重にも生え重なった歯だな。あ、あと腹部に裂け目がある。お前の兄さんがつけた傷だ」
「そうか、ありがとう」
賢の脳内ではそれが表す形をあまりうまくイメージできずにいたが、溢れる殺意の向けどころは確定した。姿の朧げな、生涯見ることのできない敵。賢は拳を強く握った。
「それだけか?」
「ああ。十分だ」
「そうか」
賢は椅子から立ち上がり、一礼した。部屋を出る際、賢は大吾に一度振り返った。
「そういえば教官は、俺がバジリスクを変えるって言っても止めようと思わないんだな」
「まあな。俺みたいな教官って立場にある奴はそいつの思想を強引に変えたりするってことはあまりしないようにって教育されてんだよ。まあ、20人も新人がいるんだ。意見の対立はあるから難しいがな」
そんなものか。もしかしたら大吾も自分と同じで組織や制度に対して反抗的なのではないか、そう期待したが、そんなことあるわけがない。多分この思いは同じ事を体験した奴でないと、わからない。
ドアノブに手をかけ、扉を閉める。その奥で
「あ、立花。目上の人には敬語を使え。俺らみたいな戦闘系を統括してるやつはそこまで気にしないが、内政系を統括してる奴らはそういうの厳しいぞ。慣習を壊すっていうならそれは内政寄りだ。日々の中で敬語を意識しろ」
大吾の声が聞こえた。賢は小さく返事をし、その場を去った。賢の退出した部屋で大吾はいつの間にか消えていた煙草を部屋を灯す火に喰わせた。
「あいつはヒトガミだけじゃなく、この組織も憎いだろうなあ。盲目と母親の不貞。自分ではどうしようもない理由で嫌われて。そのうえ盲目故の成績で兄弟を失って。……バジリスクは因習ごと変革し兄を殺した奴に復讐を、ね。
俺は同じ轍を踏まないように誘導することが精一杯だったが、もし水神だったら、どう言ってたかね?」
大吾は窓をのぞき込み、半透明の結界の外に広がる広大な森林に問いかけた。
「ようやく見えてきたな」
「だなー。いやあ今回の遠征は疲れたわー」
「誰のせいよ、誰の!」
「麻矢、落ち着いてください」
夜の鬱蒼とした森の中、暗い木々の合間からほんの僅かに見えたバジリスクに笑顔になる四人がいた。全員が黒いロングコートを纏い、左腕に青い腕章を巻き、神々しく輝く武具を持っている。
「とりあえずここで休憩にするか」
「りょー」
「そうだな」
腰に蒼剣を差し、眼を閉じた青年がリーダーなのか、間延びした声で指示を出した。黒髪ショートのザ・スポーツ女子が器用に木を登り、枝先で小さく丸まった。
「麻矢、警戒は僕がするから休んでいていいよ」
「うっさい! あんたに頼ってんのちょっと癪なのよ!」
「巌、引きずり降ろしてきてくんね?」
「俺、木登りできないんだが?」
「新海、頼んだ」
「はぁ。巌さんは、いい加減木登りを覚えてくださいね? 『フレイム』」
「ふぇあ!? ちょ、またぁ!? 『ウインド』」
慌てた様子の麻矢だったが、中空で体勢を立て直し、風の魔法で衝撃を相殺した。地面に華麗に着地し、麻矢はその眼を、火を放った真菜――ではなく、指示をだした青年へと向けた。
「なんでそんなに妨害するの」
不満そうに頬を膨らませ、子供のようなふくれっ面を披露する麻矢、笑い合う一同。しかし、すぐに空気は一変する。青年の瞼がピクリと動き、蒼剣を手元に出現させていた。他の三人も同様、麻矢は弓を、真菜は槍を、巌は盾を握っていた。
「麻矢」
「うん」
「南方向に蜘蛛型ヒトガミ。距離20。生体反応腹部に10、口内1。足14、前肢後肢ともに発達」
「了解。……敵、捕捉」
一瞬にして静寂に包まれた空間の中、青年の堅い言葉だけが響いた。それと同時、閃光のように矢が飛び、木々を貫き蜘蛛を射殺した。原核を貫かれたヒトガミの体から魔素が零れだし、大気へと溶けていく。子蜘蛛が腹部からわらわらと這い出るが、彼らは矢に付与された炎によって焼死した。
「ナイスです、麻矢」
「ホントお前そげkだけはうまいよなぁ」
「うるっさい。狙撃だけはとか言うな!」
「真菜、巌」
「はい(おう)」
「左右猿型各5。距離10。生体反応心臓に1。前歯、左腕、後脚発達」
「おーけー」
再び固い言葉が森を走り、真菜と巌が武器を構えた。
「キキキ」
異様に甲高い鳴き声に全員が上を向く。そこには犬歯が肉食獣のように伸び、手だけでなく足も長くなった猿がいた。全個体、左半身が異常に隆起している。
「巌、仕掛けないと時間の無駄だぞ」
「俺は盾だぞ? 前に行っても何もできねぇよ。それに、言うなら俺だけじゃなくて新海にも……」
「真菜ならもう片付け終わってるぞ」
「はぁ!? おま、いつの間に……」
「攻めてこようとしないのでフレイムサーペントで原核事燃やし尽くしましたわ」
「あ、そうかい。じゃあ俺もそうしとくわ。『ロックブラスト』」
呆れた表情のまま巌は盾を消し去った。それに騒ぎ立て、樹上から身を乗り出すヒトガミ。直後、5体の猿型ヒトガミの胸を地面から飛び出た岩石がぶち抜き、その体を霧散させた。
「おつかれさん」
「敵の接近に気づいてるならお前が殺しちまえよ、
「嫌だね。僕は楽に生きたいんだ。統括長が僕の教官だったから実力バレしちゃったけど、それがなければ今頃結界のなかでぬくぬくと……」
「はいはい、わかったわかった。でもまあ、優のおかげで順調に探索は進んでるからね。ウチとしては嬉しい限りよ」
そんな無駄話をしながら、青年はバジリスク本部へ顔を向けた。
「今年は、僕の代わりはいるかなぁ」
「そんなポンポンと優さんほどの実力者がでたらどれだけ探索が楽でしょうかね」
病魔の英雄 鋼の翼 @kaseteru2015
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