足りないもの

 「なあ、お前の身体俺にくれねー?」

 学校からの帰り道、隣を歩くカズマがコンビニで買ったぶっといフランクフルトを喰い千切りながらそう言ったせいで、俺は今しがた吸い上げた野菜ジュースを思いっ切り噴き出した。びちゃっと飛び散ったそれが、まるで事件現場みたいに、アスファルトに血痕のようなシミを作る。いや、まるでというか、俺にとっては充分に事件なんだけれど。

 俺はガバッと顔を上げて隣を見た。

「うーわ、きちゃね」

 カズマはこともあろうに糞でも見たみたいな顔を俺に向けてそう言い放った。いや、誰のせいだよ、と理不尽な犯人に憤りを覚えたが、先の言葉に面食らっていた俺には、ただ目を丸くすることしかできなかった。

「いや……お前、何言ってんの?」

 制服のシャツを引っ張って、ジュースが飛び散っていないか確認しながらチラリと視線を向けると、カズマはきょとんとした顔をして、一口分短くなったフランクフルトの串をくるくると指で弄んだ。

「何って、何が?」

「いや、だから、なんか今お前、変なこと言ったろ」

「変なこと?」

 何のことやらさっぱり分からないとでも言いたげなリアクション。俺が痺れを切らして「だからあ」と核心に触れようとすると、「あ」とカズマが呟いて俺を指差した。不意を突かれて反射的に身構える。その指が、俺の左胸の辺りに触れた。

「ついてる」

 見ると胸ポケットに紫色のシミがついていた。ああ、やっぱり汚しちゃってたか、なんて落胆する余裕は無かった。さっきから心臓が煩いくらい跳ねて落ち着かないのだ。

「別に変なことなんて言ってないじゃん。お前の身長分けてくれ、って冗談で言ってるだけなのに」

「……は? 身長?」

「うん」

 カズマはそう言うと、また一口フランクフルトを齧って呑気に頷いた。……へ……は……。たかぶった俺の身体から、言葉にならない息が漏れた。だんだん整理がついてきて、ようやくはっきり理解すると、俺の心は口を抑える手を離したゴム風船みたいにしゅるしゅると勢い良くしぼんでいった。

「……そういうこと……。ややこし……」

 気が抜けると一気に疲れが襲ってきて、俺は肩を落としてよろよろと歩き出した。カズマが後ろからちょこちょこと早足で追ってきて、また二人横並びになる。

「タカアキ? どうかした?」

「どうもしない」

 顔を覗き込んでくるカズマとは目を合わせずに、パックを潰しながらストローを荒っぽく吸い上げる。

「理由、聞かねえの?」

「別に。興味ないし」

「え、何でだよ。いつもこういうこと言うとさ、何があったんだってしつこく聞いてくるくせに」

「どうせ、ヤマシタ辺りに何か言われたんだろ」

 うぐっ。カズマが露骨に狼狽うろたえた。図星か。相変わらず分かりやすくて助かる。

「な、何で分かんの」

 分かっちゃうんですよ。なんでだろうね。胸のうちで呟いて、俺は遠くの空で今にも夜に滑り落ちそうになっている夕陽を見つめた。

「知ってるか。人の悩みって、一説じゃ殆ど人間関係のことらしいぞ」

「へえ……。え、だから何?」

 話が見えなくてモヤモヤしたのか、カズマが続きを促す。俺は敢えてすぐには返事をせず、またストローを咥えた。残りが少ないのか、吸うとズゴゴと下品な音が鳴った。構わず飲み切って、ぷはーと息を吐いてから、漸く俺は答えてやった。

「お前は面の皮が厚いから、いっつもうざいくらい自信過剰だし、どうでもいい奴に何か言われたぐらいで悩むような奴じゃない。そんなお前が身長にコンプレックスを感じたってことは、気になる奴に直接指摘されたか、間接的に好みと違うことを知っちゃったか。まあそんなとこかなって」

 ビンゴ? そう言って俺がにやりと笑いかけると、呆気に取られて固まっていたカズマがハッと我に返った。

「う、うぜー。なんか色々余計だろ。面の皮厚いとか自信過剰とか」

「でも事実だろ?」さらに揶揄からかうと、カズマが笑いながら握り締めた拳を顔の前に掲げた。やべ。俺は危険を察知して駆け出したが、時すでに遅し。キックに切り替えたカズマの左足が尻にヒットして、鈍い痛みが走った。

「なんだよ、違うなら暴力じゃなくて言葉で反論しろー」

「うるせえ」

 人気の無い道を、二人ケタケタ笑いながら駆け回る。

夕陽に染められたカズマを見ながら、俺の萎んだ心はまたゆっくりと膨らんでいった。

 

 一頻りやり合って疲れ果てると、俺たちはまた自然と、馴染んだ横並びのポジションに戻って歩き出した。

「今日さ、女子達がサカイの席に集まって好きなアイドルについてあーだこーだ喋ってたんだよ」

 さっきまでのテンションが嘘みたいに、カズマは静かに切り出した。うん。俺は小さく相槌を打つ。

「そん中にヤマシタもいてさ。別に盗み聞きするつもりじゃなかったけど、席近かったから話全部聞こえててさあ」

 言っている内に思い出して気分が萎えたのか、カズマが俯く。その顔を横目で見下ろして、俺も足元に視線を向けた。

「そしたら誰かが、オノマサが好きって言い出してさ」

「オノマサって、あのジャミューズの?」

「そうそう」

 俺はオノマサと呼ばれている男の姿を思い浮かべた。こんもりとした丸っこい髪型に甘い中性的なルックス。確か、今人気のアイドルグループのセンターだったはずだ。全く興味はなかったけれど、最近よくテレビにも出ているから、さすがに知っていた。

「そんでさ、みんなが『あー分かるー』とか『かっこ可愛いって感じだよねー』とか色々言ってて。で、ヤマシタはどう思うかって振られててさ。そしたらヤマシタ、苦笑いしながら言ったんだよ」

 女子達の表情や口ぶりをご丁寧に真似しながら、カズマはそこで一呼吸置いて、言った。

「んー身長がなあ、って……」

 うわあああああああああ。絶望に打ちひしがれるように絶叫して、カズマが頭を抱えた。大袈裟なその仕種をまた横目に見ながら、俺は呆れて笑った。

「なんだよ、そんだけ?」

「そんだけってなんだよ、大事おおごとだろ!」

「芸能人はまた別なんじゃねえの? 推しと実際付き合いたいタイプって違うとか言うじゃん」

 俺にも昔好きだった俳優がいた。親に隠れて、夜な夜なネットで情報を検索したりしたものだ。その人はクールで背も高くて、大人っぽかった。隣の男とは、まるで正反対だ。

「でもチビがヤマシタにとって減点対象なのは確かだろ?」

「それは……まあ、そうかもな」

 ほらあ。そう言ってカズマはまた項垂うなだれた。俺は笑ってその小ぶりな背をポンポンと叩いてやった。

「元気出せってー。俺はそのまんまのお前がいいと思うよ。お前がデカかったら、なんか違うし」

 すると出し抜けにカズマがこちらを向いた。細めた目で、じっと俺を見る。え……何かまずった? 俺は咄嗟に自分の言葉を反芻して確かめた。普通にフォローしたつもりだったけれど、変に聞こえただろうか。

「なに」平静を装って尋ねると、カズマは不貞腐れたような顔になって溜め息をついた。

「お前に気に入られたってしょうがないじゃん」

 思わず、立ち止まった。やられた。まるで心臓を矢で射抜かれたみたいだった。一瞬で心が冷えて、途方もない虚しさに襲われた。

「そりゃ残念」

 俺はただ、笑った。急に重くなった足で、また静かに歩き出す。

「はーあ。神様って意地悪だよなー」

 いつもの調子でカズマは嘆いた。何も返さなかったけれど、その意見には、完全に同意だった。

 見上げると、夕陽は完全に夜に落っこちて、もう見えなくなっていた。

「お前はいいよなあ。背高いし、まあ俺ほどじゃないけど、そこそこ顔も良いし? 口は悪いけどなんだかんだ言って優しいし。コンプレックスとか、無さそう」

「は?」悪気のない言葉が、癪に触った。思いがけず険のある言い方になって、しまったと思ったけれど、カズマは気にしていないようだった。

「え、あんの?」

「そりゃあ」

「え、例えば?」

「例えば……」

背が高いところとか。そこそこ顔が良いところとか。口が悪いけど、なんだかんだ優しいところとか。あと……性別とか?

「一緒に帰る相手が、お前しかいないこと」

「はあ?」

 それのどこがコンプレックスなんだよ。寧ろ栄誉だろ。誇れよ。カズマは俺の回答にまたぎゃあぎゃあと文句を垂れた。近所迷惑だぞとたしなめながら、俺はポケットのシミを気にするフリをして、痛む胸を押し付けるように掴んだ。


「あーあ、お前のせいで腹減った」

「なんで俺のせいなんだよ。お前さっき馬鹿みたいなサイズのフランクフルト食ってたろ」

「全然足りねえ」

 

 やっぱり前言撤回だ。そのままのお前がいいなんて、今は思わない。お前が、そんなじゃなきゃ良かった。そんな顔じゃなきゃ。そんな声じゃなきゃ。そんな性格じゃなきゃ。馬鹿で、一途で、真っ直ぐで……俺の親友じゃなきゃ。


 お前が、お前じゃなきゃよかったのに。

 

 等閑なおざりに手を振って、夜の紺色に混ざってゆくカズマの背中を見ながら、俺はそんなことを考えていた。

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時雨心地 ᴛᴏᴋɪ☔︎ @shigure_gokochi

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