木組みの宇宙船
Mondyon Nohant 紋屋ノアン
息子の誕生日を自宅で祝いたい。そう言って僕の帰宅を願い出た両親に、病院はたった一泊だけの一時退院を許可した。
ハッピーバースデートゥユーを家族が歌った後、僕はバースデーケーキに立てた十本の蠟燭の灯を消した。
「誕生日おめでとう」と言って拍手をしたきり、誰も話さない。十一回目の誕生日は来ないだろうと、両親も、そして僕も思っていたからだ。
気まずい雰囲気を何とかしようと思ったのか父は、
「そうだ親父、いつもの奴をやってくれよ」と、祖父に助けを求めた。
「そうだな。じゃあ、ひとつ歌わせてもらうか」
祝い事のとき祖父はいつも
祖父のよく通る声が、家の屋根を抜けて晩秋の夜空に響いた。
「おい、起きろ」
祖父の工房で僕は目を覚ました。屋内は真っ暗だったが、木の匂いで今自分のいる場所がわかった。祖父は寝ている僕を負ぶってここまで連れてきたのだろう。僕はパジャマ姿のままだった。
「父さんと母さんは?」
宮大工だった祖父の工房は家から歩いて五分のところにある。
真夜中に家の外に出るなんてもってのほかだ。両親に知られたら、ただじゃすまない。
「二人とも朝まで絶対に起きねえ。心配するな」
睡眠薬でものませたんじゃないかと、少し心配になった。
「見ろ、誕生日のプレゼントだ」
祖父は電灯を点けた。
長さ三メートルくらいの白木のオブジェが、光を浴びて暗闇の中に浮かび上がった。
「宇宙船?」
遊園地の飛行塔にぶら下がっているゴンドラのような、デルタ翼の上に丸っこい機体をのせた宇宙船だ。
宇宙飛行士になりたいという僕を喜ばせようと、祖父は宇宙船を作ってくれたのだ。木の宇宙船が飛ぶわけがない。でも、僕は嬉しくて素直に喜んだ。
祖父は「木組みの神様」と呼ばれていた。祖父は釘を一本も使わない。
宇宙船も、
「ほら、宇宙服とヘルメットの代わりだ」
僕は祖父から
祖父に教えてもらい、僕は手拭を頭に巻き、鉢巻にした。
「これでお
いや、職人じゃなくて宇宙飛行士に見えないと…
「乗ってみろ」
祖父はキャノピーを後ろにスライドさせた。
僕はコックピットに乗り込み、操縦席に座った。
「ケツが痛かったら、座布団があるぞ」
操縦席は僕の体にぴったりと合うバケットシートだった。ケツは痛くない。
祖父は、何故か一升瓶をもって宇宙船に乗り込んだ。
「お風呂の匂いがする」と僕は言った。
「ああ、
「シートベルトを締めろ」
木のピースをブルドーザーのキャタピラーみたいにつないだシートベルトだ。祖父の木組みへの
「
僕は操縦桿をゆっくりと引いた。
「えっ?」
僕はびっくりした。機首が持ち上がり機体が上を向いたからだ。
航空シミュレータのような大掛かりな仕組みを祖父は作ったのだ。試しに操縦桿を左に回すと、機体は左に傾いた。
機首を真上に向けろと祖父は言った。僕は操縦桿をさらに引き、宇宙船を垂直に立たせた。
「じゃあ行くぞ」
祖父がダッシュボードのボタンを押すと、工房の
「じゅう、く、はち、なな」
祝儀袋に書く難しい漢字のような秒読みを祖父は始めた。
「参、弐、壱、出発進行」
…電車かい。
背中が操縦席の背もたれに押し付けられた。
光が空から降りてきた。
その光に包まれ、僕らが乗った宇宙船は天空に昇っていく。
僕は振り向いて、後ろを見た。垂直尾翼の向こうに、みるみる小さくなっていく町の夜景が見えた。
…本当に飛んでいる。
これは絶対夢だ。僕はそう自分に言いきかせ冷静を保とうとした。僕は一応病人だ。びっくりしたり、叫んだりは、体によくない。
「そのボタンを押せ」
「自動運転」という文字が彫刻されたボタンを僕は押した。
…自動操縦だろうよ。
星が迫って来た。宇宙船は加速を続けている。
いま、僕らはどこを飛んでいるんだろう。成層圏、対流圏、中間圏、熱圏…図鑑で見た写真が次々と頭に浮かんだ。普通の人工衛星なら、そろそろ
「これから地球の周りをまわるの?」
「いや、遠回りしねえで、真っ
「クマコウ?」
「俺の
祖父はどこかの宇宙ステーションに滞在している熊五郎みたいな名前の宇宙飛行士に会いにいく。その人は昔、祖父の弟子だった…と
「おっ、熊公の
何かがキラリと光った。僕らが近づくにつれその光は大きくなり、やがて、銀色に輝く巨大な物体が姿を現した。
麦わら帽子型のUFO🛸だった。…夢なら、何でもありだ。
僕らの宇宙船は大きくカーブし、麦わら帽子の下に開いた円い入り口から、その中に入った。
宇宙船はUFOの中心部に向かう
僕らの宇宙船は参道を抜けると
…夢なら、何でもありだ。
UFOの中に神社がある不可解など、僕はもう気にしなくなっていた。
祖父と僕は宇宙船から降り、拝殿の階段を登って、二人並んで
祖父は拝殿を見上げ、「いい仕事してやがる。俺が熊公に教える
「
熊さんが現れた。
「よぉ、熊、
祖父は熊さんとハグしあった後、彼に僕を紹介した。熊さんも自己紹介をした。
名前は熊五郎。祖父につけてもらった地球名だと彼は言った。名前からはガタイのいい
「棟梁、
「あれっぽっちのことを教えたくれえで、
「ちぇっ、棟梁らしいぜ。こんなこたあ、俺っちにしてみりゃ
熊さんは僕を
「終わったら
熊さんがカプセルの蓋を閉めると、ブーンという小さな音がした。
祖父の
十分ほどして、カプセルの蓋が開いた。気分爽快だった。きっと宇宙人の熊さんは僕の病気を治してくれたのだ。たぶん夢だろうけど。
「早かったな」
祖父がカプセルから出た僕に言った。十分しか
「俺たちはここで飲んでるから、あっちで
紅い顔をした熊さんが指さしたドアには、宇宙人が宙に浮いているアイコンが描いてあった。
僕は
時々、軽く壁を蹴って
「そろそろ
祖父が僕を呼んだ。
「熊公、すまねえ、この通りだ」
祖父が熊五郎さんに頭を下げていた。
「棟梁、頼むから気に
熊さんの身に何か
「奴ら、俺に今すぐ
泣いている宇宙人を見たのは初めてだった。
僕たちも熊さんに別れを告げた。地球に戻る途中、祖父は「熊公、すまねえ。
「おもしろい夢だったな」
きっと神様が
その日の午前中に、僕は病室に戻った。
翌日の夕方、僕の主治医は父と母を診察室に呼んだ。
「息子さんの病気は
奇跡ってやつですかね、と主治医は苦笑いをした。
「あれは夢なんかじゃねえ」
十年後、成人した僕と酒を
「お前は、熊公に恩を返さなきゃならねえ。どうやって恩返しするかは自分で考えろ」
僕は宇宙飛行士にはならなかった。大学の建築科を出てすぐ祖父に弟子入りし十五年修行した後、
祖父は百歳まで生きた。死ぬ前日まで現役の宮大工として元気に働いていた。
「俺の
「宇宙船もね」
これが、僕と祖父の最後の会話だった。
(了)
木組みの宇宙船 Mondyon Nohant 紋屋ノアン @mtake
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