つながれたこじらせ

鵜川 龍史

つながれたこじらせ

 自販機でフレーバーティを買っていると、同僚たちが次々と帰っていくのが見えた。定時だが、保護者面談の時間にはまだ間がある。お疲れ様と手を振りながら休憩室へ向かうと、中から声が二つ聞こえてきた。早く帰ればいいのに。

「中野部長、〈こじらせ〉で収容だって」

「入院だろ。収容って言うなよ」

 入口で思わず足が止まる。耳をそばだてた。

「あの人は、いつか入ると思ってたよ」

「C値、どのくらい行ったんだろ」

「八十越えてたらしいよ」

「マジで? 思春期でもそんな数値、行かないって」

 その言葉を聞いて、胸の奥にカビが広がるような息苦しさを覚えた。

 二十年前に施行された健全推進法の下、心の健康は常にモニタリングされている。C値は〈こじらせ〉の指標だ。二十以下が正常値、三十以下であれば健全の範囲内とされている。

「これ見て。矯正施設の映像」

「え。なんで? まずくない?」

「実は俺、監視員のボランティアやってんだよね」

「監視員って、入院患者の挙動をチェックして、コメントを書き込むってやつ?」

「そうなんだけどさ、この感じ、見おぼえない?」

「え。ちょっと待って。これ、マジで?」

「大マジ」

「ぼかし入ってる意味ないじゃん。知り合いだったら分かっちゃうでしょ」

「それな」

「ちょっと待って。これ、部長、なんでポーズとってんの?」

「さすが、八十オーバーは違うよな」

「こんな人、部長にしてたうちの会社も、大概だろ」

「体制批判やめとけって。C値、上がるぞ」

「やばいやばい」

 休憩室の中からはコーヒーの臭いが漂ってくる。ペットボトルのキャップをそっと回した。中野部長のことは知っている。直属の上司ではないが、同じフロアで働く姿は、度々目にしていた。

 外回りから戻ると、必要以上にネクタイを緩める。ノータイの時には、第二ボタンまで開けている。上着を着る時には、マントでも羽織るみたいに大げさに。部下を呼ぶときには、男女関係なくクンづけ。当然、片仮名の響きで。

 一方で、中野部長をこき下ろす二人の「やばいやばい」も冗談では済まない。スマホの社内モニターアプリをチェックすると、二人ともC値は五十近い。何しろ、窓際のブラインドに指を突っ込んで外を眺めているのだ。張り込み中の刑事かよ。その仕草のこじらせに気付いていないなら、それは確かに「やばい」。

 先週見たネットニュースでは、C値オーバー四十の中年男性のうち、実に六割以上が、仕事中の午後三時以降にC値の急上昇を経験しているという。これが六十を超えると、行動監視プログラムの対象になる。そこで意識的に改善できればいいが、こじらせの自覚がなければ、数値は一気に七十へ。矯正施設への入院が決定する。

「あれっ、西村さん。まだ仕事?」

 気付かれた。スマホをスリープモードにして、気まずさを笑顔で上書きする。

「違いますよお」

「息子さんのお迎え待ちかな」

「いやだあ、そんな年じゃありませんって」

「あれっ、そうだっけ?」

「もう、中学生ですよお」

「うわっ、思春期だ。男の子の思春期は大変だよね」

 言いながら、二人は休憩室からフェードアウトしていった。受け答えがちょっとイタかったかもと思い、C値をチェックするが、平常値の十七のままだ。女性は総じてC値が上がりにくい。助かる。リーダーアプリで、先月打ち切られた少年マンガの同人作品を開く。会社を出るまであと三十分。薄い本にはちょうどいい。


 面談を終えて家に帰ると、食卓の上には空っぽになったカップ麺が二つ。すっかり遅くなってしまった。飲み切れなかったペットボトルを冷蔵庫に入れる。

「明日から、放課後プログラムだって」

「うるせえ! ばばあ!」

 壁越しに、息子の部屋に向かって大声をぶつけると、壁を殴りつける音と一緒に怒鳴り声が返ってきた。テレビの横で水栽培しているサボテンが倒れそうになって、慌てて手を伸ばす。窓際に避難。

 思春期には多くの子供が〈こじらせ〉を経験するが、その許容範囲は決まっている。中学生の場合、C値が七十を超えると、自治体の矯正施設に通うことになる。八十を超えれば入院だが、これはかなりのレアケース。アプリを開いて家族モニターをチェックすると、七十三――今の刺激で少し跳ねたかも。

 学校で渡されたパンフレットを開くと、最初の見開きには矯正プログラムの概要が書かれている。曰く、こじらせの矯正は、〈さとし〉と〈さらし〉の二つに大別されるが、思春期の男子に〈さとし〉は効かない。それどころか、かえってC値を上昇させる危険すらある。だから、〈さらし〉がプログラムの主軸となる――。

 そんなことは、とうに知っている。オタク仲間が何人も矯正されてきたのだ。

 〈さらし〉に二種類あることも知っている。思春期の子供は、深夜にC値が跳ね上がる。その時の行動をログに残し、その様子を反省するのが〈自さらし〉だ。イタい自分を冷静な目で見つめ、その様子を克明に文章化する。これを喰らった友人の絵師は、「黒歴史」という言葉に反応して半狂乱になり、半年もの間、黒ベタメインの絵が描けなくなった。

 もう一つは〈さらされ〉で、成人の場合、入院中の様子をさらされる。相手は、カメラの向こうのボランティア監視員であり、同じプログラムを受ける思春期の子供たちだ。成人の側は、監視のまなざしに同化することを求められ、子供たちは突き付けられた失敗を避けるべく教育される。

 息子は初矯なので〈さらされ〉だろう。

 最悪の気分だ。


「母さん、今日、すげえイタいおやじ、見た」

 母さん? そんな呼び方、アニメでしか聞いたことがない。C値が改善に向かっても、使用語彙は思春期用辞書のままだ。

「さらされてんのに、カメラに向かって目線、キメてんの。シャツのボタン、めっちゃ開けてるし。胸毛、渦巻いてたし。さすがに、あれはない」

 言いながら麦茶をがぶ飲みする。早くも〈さらされ〉の効果が出ているのだろう。自らの土台が崩れる時、体は熱くなるし、喉は激しく渇く。

 その日から一週間、夕食時の彼の饒舌ぶりは苛烈を極めた。「おやじ」を嘲笑するコトバを聞きながら、その内のいくつかには同意の頷きを返しつつも、「それはキミだよ」と心の中でツッコミを入れることがほとんどだった。

 そんなある日のこと。プログラムから帰ってくるなり、息子はこう漏らした。

「俺、狂ってんのかも」

 玄関で立ち尽くしたまま、黒のスニーカーの上に、ぽつりぽつりと深淵のような染みが広がり、鞄を背負った肩が、細かく震えた。何も言わずにタオルを差し出すと、私の目をはばかることなく、その中に顔をうずめて嗚咽した。こんな姿を見るのはいつ以来だろう。台所に戻ろうとすると、息子は再び口を開いた。

「おやじ、いるじゃん?」

 一瞬、文脈が飛んだ。施設からついに戻れなかった父親のことを言っているのかと思った。そんなはずがないのに。

「あいつの前にグラスがあって、水が入ってたんだ。ただの水。たぶん」

 タオルのせいで声がくぐもって聞こえる。水の中にいるみたいだ。

「それをさ、あのおやじ、ワインでも持ってるみたいにグラス回して、色を見て、香りを嗅いだんだ。水なのに。その時、グラス越しのあいつの顔がさ……」

 消え入りそうな声を、迷わず遮った。

「分かってる。大丈夫。別におかしくないよ。キミは狂ってなんかいない」

 肩を叩くと、息子はそのまま膝からくずおれ、床に突っ伏した。やりすぎだよ。こじらせすぎだよ。家族モニターを開くと、C値は六十七。彼は、本気でこの男に惹かれている。

「明日、そのおじさんに話しかけてみたら」

「無理。話なんて、させてくれない」

「向こうからキミのことは見えるんでしょ。だったら、紙にメッセージを書いてみるとか」

 私の言葉に息子は身もだえした。うなずきだったのかもしれないし、首を振っていたのかもしれない。私は、台所に行き、水をがぶ飲みした。そんなことをしても、繋がってしまった血が薄まることはないのに。


 自治体に矯正プログラムの報告を求めると、活動の所見と一緒に、カメラリンクとパスコードが送信されてきた。ボランティア監視員に配布されているものと同じだ。仕事を休んだ後ろめたさを、セカンドフラッシュのダージリンの香りで掻き消す。

 リンクをタップしてコードを入力すると、ガラス張りの部屋を外から捉えた映像が開いた。長く伸びた髪をいじりながら、ハードカバーの分厚い本をめくる男の姿が見える。フレームの外からは、背中を丸めた子どもが近づいてくる。男と同じく、顔の部分にぼかしが入っているが、息子であることは一目瞭然だ。

 彼の存在に気付いた男は、机に本を置いて立ち上がると、こちらに向かって――息子ではなく、この私に向かって、人差し指を突き立てた。見えているわけではない。見えているはずがない。そこにあるのは、小さなカメラだ。

 息子の肩は強張っている。脇の下にはスケッチブック。昨日のことを思い出し、紅茶を口に運んだ。濃密な香りが胸を満たしていく。突然、中野部長の姿が頭をよぎった。この男とは似ても似つかない。中野部長はスタイルがよく、きざな仕草も板についていた。一方、画面の男はむさくるしい風体。それなのに、私も息子も、その姿から目を離せない。

 大丈夫。

 私は画面の中の息子に呼びかける。

 彼をカッコイイと思うことは、罪じゃない。子どもの頃はみんな、そういう存在を心の中に持っていたはずなんだ。

 息子は、躊躇いがちにスケッチブックをめくると、男に向けて掲げた。ぼかしの向こうで黄色い歯が鈍く光ったかと思うと、カメラに向かって拳を突き出した。監視という役割を隠れ蓑に、欲望を押し殺している私たちに向かって。彼らの蛮勇を否定するフリをしながらも、そこにしびれ、あこがれている私たちに向かって。

 私たちは、彼らのことをずっと応援してきたのだ。

 そう、彼らのような、ヒーローのことを。

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つながれたこじらせ 鵜川 龍史 @julie_hanekawa

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