ウィツィロポチトリ

 ウィツィロポチトリ(huizilopochitli)は軍神、メシカ人の部族神です。テノチティトランの主神で、メシカ人(テノチティトラン)がアステカに覇を唱えてからアステカ神話の主要な神々の中に加えられました。名前は「ハチドリの左」という意味を持ちます。メシカ人によるプロパガンダのため、非戦闘員である女性、子供、老人も含めた膨大な数の生贄が捧げられ、現代でも新たな生贄が数百人単位で見つかっています。テノチティトランにある双子神殿(テンプロ・マヨール)で雨の神トラロックとともに祀られていました。メシカ人は他の都市にも信仰を強制したようですが、浸透しなかったようです。そのため、スペイン人到来後は崇拝されることはなくなりました。


 アステカ神話でトップクラスの情け容赦のない性格をしており、フィレンツェ絵文書では姉のコヨルシャウキをバラバラにして四百人の兄センツォンウィツナワ達を殺害しています。チマルパイン文書では性格が悪かった姉マリナルショチトルを寝ている間に置き去りにし、仕返しにやってきたその息子コピルも斬首して心臓をえぐり取りました。母コヨルシャウキと四百人の叔父センツォンウィツナワ達も旅の途中にコアテペック山に留まろうとしたため球技場で殺害、心臓をえぐり取って食べています。

 また、同チマルパイン文書で、トルテカ族の族長アチトメトルの娘を「ヤオシワトル神にするから譲ってくれ」と貰い受けたメシカ人に対し、すぐ生贄にするよう命じています。その皮を纏って神官が踊っていたところ、それに気付いたアチトメトル王は恐怖の叫び声をあげて戦争に発展しました。

 絵によるメキシコ人の歴史では、メシカ人を導き、ケツァルコアトル王が去った後にトルテカ人を虐殺しています。

 神話の中では誰かを殺しているか殺害命令を出していることがほとんどなウィツィロポチトリですが、歌を作って踊ることもありました。メシカ人による描写の中では勇敢さと神秘的な誕生が肯定的に捉えられている気がします。

 テスカトリポカとは友人関係にあったという記述があります。血縁関係もありますが。

 フィレンツェ絵文書ではテスカトリポカとトラカウェパンと共に呪術師として現れ、小さくなってトラカウェパンの手の上で踊り人々を圧死させ、テスカトリポカによって扇動された民衆に殺害されています。

 太陽の伝説という資料では速攻で生贄になって死ぬので出番はないです。その場合、メシカ人はどういう経緯でテノチティトランに来たのでしょうか。


 外見は青色と黄色の横縞のフェイスペイントで、模様はテスカトリポカに似ています。ボルボニクス絵文書では、目の周りを黒で塗っています。体も青色で塗っていることが多く、脚だけ青と白、あるいは青と黄色の縦縞模様が付いていたりします。ウィツィロポチトリはその権威を増すために他の神々の逸話や装束を取り込んでいるので、これをテスカトリポカの要素なのではないかと考える人もいます。左足が羽になっていることもあります。青のテスカトリポカ(詳細不明)と色が似通っていますが、別存在です。


 装飾品は、ハチドリを模した被り物に他の神々と同様ケツァールの羽を付け、メキシコルリカザリドリの耳飾りをしています。頭に黒曜石の鏡、足に鈴、首からは貝でできた円形の飾りを下げているところはテスカトリポカと共通しているといえます。しかし違う時もあり、ティソックの石に刻まれたウィツィロポチトリの扮装を見ると、火の神シウテクトリと同じ階段状のものを身に付けています。たまに装備しているものは、ケツァールの羽でできた戦闘用の羽毛冠ケツァラパネカヨトルがあります。


 持ち物は火の蛇シウコアトルと、羽毛の玉が五つ(パンケツァリストリの祭りのときは七つ)付いた盾です。神々がシウコアトルを持つとき、背中から下げる蛇の仮面シウコアナワリはウィツィロポチトリは身に着けないようです。征服後の資料だと所持していることが多いのですが、征服前のボルボニクス絵文書では、テスカトリポカとシウテクトリがシウコアナワリを装備する中、ウィツィロポチトリはしていませんでした。

 神々は基本的にマクアウィトル(黒曜石の刃が埋め込まれた木剣)は持たないのですが、画角の都合によりターコイズ色のマクアウィトルを持っていたこともあります。


 テツァウィトル(恐怖)と呼ばれることがあり、またチマルパイン文書では天の魔物ツィツィミメのうちの一人(単数形はツィツィミトル)とされています。どちらも征服後に呼ばれた名前で、ウィツィロポチトリのエピソードを聞いたスペイン人と、その記録を見た後世の学者がそう呼んだようです。


 ウィツィロポチトリの祭祀はミッカイルウィトントリ/トラショチマコとパンケツァリストリが挙げられます。メシカ以外の都市ではテスカトリポカを祀っていました。

 シウポワリ九月のミッカイルウィトントリの祭りでは花が神殿に捧げられ、若い男女が踊り、七面鳥や犬の肉入りの蒸しパンが作られました。珍しく誰も生贄に捧げられませんでした。

 シウポワリ十五月、冬至にあたるパンケツァリストリの祭りでは、日の出とともにウィツィロポチトリの使者パイナル神に扮した者がまず神殿で四人を殺害し、トラテロルコ、トラコパン、コヨアカンなどの都市で次々に生贄を捧げます。その間にテノチティトランのテンプロ・マヨールでは貴族と平民の若者が二手に分かれて殺し合いをしていました。パイナル神に扮した男が戻ってくるのをみとめると、殺し合いは中止となり、儀式は終わりへと向かいました。

 


 ウィツィロポチトリの誕生譚は、絵によるメキシコ人の歴史とフィレンツェ絵文書に記されています。

 フィレンツェ絵文書から書きます。テスカトリポカの五人の娘のうちの一人、コアトリクエ(蛇のスカートの女)がコアテペック山で掃除をしていたところ、羽毛の塊を見つけました。羽毛の塊はコアトリクエの懐に入ると消え、コアトリクエはウィツィロポチトリを妊娠しました。コアトリクエの娘コヨルシャウキ及び、その兄弟である四百人のセンツォンウィツナワは未亡人の母が妊娠したことを不吉だとし、コアトリクエを殺そうと目論みます。すると腹の中からウィツィロポチトリが「恐れることはない」とコアトリクエに呼びかけ、完全武装して腹を突き破って爆誕します。シウコアトルによってコアトリクエをバラバラ死体に変えたウィツィロポチトリは、叔父達もそのほとんどを滅ぼしました。


 絵によるメキシコ人の歴史ではトナカテクトリとトナカシワトルの四人の息子の末子で、誕生から六百年後に完全体となり、ケツァルコアトルと共同で太陽を作ります。その後にコアトリクエに宿り直しました。こちらでは一人っ子で、コヨルシャウキはいません。センツォンウィツナワ達はコアトリクエの兄弟で、彼女同様テスカトリポカに創造されました。コアトリクエは未婚で、処女懐胎でウィツィロポチトリが生まれます。センツォンウィツナワが殲滅されるのは変わりません。


 メシカ人エリート層による熱狂的な信仰は、彼らのキリスト教改宗によりすぐに廃れてしまいましたが、ウィツィロポチトリの伝承は現在のメキシコ国旗に姿を留めています。アストランという地から最後に旅立ったメシカ人は、ウィツィロポチトリの「蛇を咥えた鷲がサボテンにとまっている場所に都を建てよ」という神託に従って都市を造りました。そこに建設された水上都市がテノチティトラン、現在のメキシコシティということです。メキシコ国旗の中央に描かれた図像は、まさにこの鷲です。

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創作に使えそうな神話・神々 久守 龍司 @Lusignan

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