みちくさ水族館

ちろ

みちくさ水族館

 町外れで見かけたポスター。黄ばんだ紙面に、でかでかと『みちくさ水族館』の文字。かすれた字だが、主張は激しい。

 中央には、可愛いんだか不細工なんだか分からない、魚のキャラクター。口から飛び出したフキダシには、「入場無料、鑑賞自由!」の一文。


 よく見ると、ポスターの隅には水族館への道順が記載されているようだ。手書きで読みにくい、大雑把すぎる地図。

 ついでに、肝心の展示内容は不明。

 ……胡散臭い。


「この辺りに、水族館なんてあったっけ?

「行ってみようかな。

「道順、一応書いてあるし」


 道順に沿って、歩き出す。

 それにしても、読みづらい。一体、何十年間あそこに放置されていたポスターなのか。今にも風化してしまいそう。


 複雑な路地を通過して、歩く。

 歩く。歩く。歩く。


 見覚えの無い道。

 こんなに暗い路地があっただろうか。

 普段は目に留まらない、知らない街角。気を抜くと、すぐに迷ってしまう、


 ふと真上を向くと、ちょうど雲が形を変えるところだった。うろこ雲、というんだったか。理科は苦手だ。

 うーん。うろこ雲とは、あんなに綺麗なものなのか。キラキラ光って反射して、本物の魚の鱗みたいに。


 空を飛ぶ魚もいるんだったか。

 トビウオ?

 よく、知らないけれど。


「たぶん、気のせいだね。

「魚は、雲の中を泳いだりしない。

「そのはずだ」


 何度か路地を曲がる。たまに、突き当たりに辿り着く。行ったり来たりを繰り返す。

 石造りの路地だ。人の気配は無い。せまく、薄暗い。今は、昼間のはずだが。


 途中で、猫が横切った。口に、小魚をくわえている。


「鮮魚店から盗んできたのかな?

「どろぼう猫、か……。

「捕まえたほうがいいかな?」


 途中で、魚も横切った。口に、子猫を咥えている。


「あれ……? ペット店から盗んできたのかな?

「これも、どろぼう猫?」


 途中で、ネコザメも横切った。口に、ネコザメを咥えている。


「……どっちだろう。

「どろぼう猫? どろぼう鮫?」


 せまい路地を抜けると、鮮魚店。

 猫やらネコザメやらは、ここから来たのだろう。


 新鮮な魚が、ズラリ。美味そうなヤツ。不味まずそうなヤツ。不気味なヤツ。人面のヤツ。


 「買ってくかい」と声をかけられた。

 店主も魚だ。マーメイド? 違う。半魚人だ。上半身はマグロで、下半身は人間。立派な半魚人。


 魚が魚を売っている。

 魚の世界も、奥が深い。


「いいえ、結構です。

「目的地まで、時間がかかりそうなので。

「買っても、腐っちゃうかも」


 鮮魚店を通り過ぎれば、ペット店。

 小さなペット店だ。

 看板には、「巨大魚専門店」の文字。

 店頭の水槽には、クジラやサメが遊泳中。元気良く泳いでいる。


 ……こんな小さな水槽で、どうやって。

 メダカしか飼えないような、小さな水槽で。

 一体、どうやって。


 店番をしているのは、重力に逆らって浮かぶクジラ。風船みたいにプカプカ浮遊して、朗らかに笑っている。バランスボールみたいだ――乗ってみたい。


「あたしゃ、店員じゃないよ」クジラが言う。「あたしも商品。ペットさ。買ってくかい? あたしみたいに活きの良いタコ、他にはいないよ」


 店番ではなかったようだ。

 クジラでもなかったらしい。

巨大魚専門、というのも嘘かも。


「遠慮しておきます。

「エサ代、高そうだし。

「飼い方、分からないし」


 「なら、裏の釣り堀でも見ていくかい?」――そう案内されたのは、ペット店の裏手。


 小さな釣り堀。少し濁った水質。

 でも、潮の香り。ウミネコの鳴く声。波の気配。海を感じる。

 真夏の太陽に照らされている……今は、秋だというのに。


 客は、半魚人ばかり。ボーッと釣り糸の先を見つめて、物思いに耽っている。


「釣れるのかな?

「あのー、釣れますか?

「……聞こえていないみたい。

「釣り竿、借りてみようかな」


 釣り糸を垂らす。エサに、少しずつ魚が集まってくる。

 ……よく見ると、水中にいるのも半魚人。彼らも、水面の向こう側から釣り糸を垂らしている。


 不意に、目の前に50円玉が現れた。穴には、糸が結ばれている。糸を目で追えば……その先は、水中だ。

 彼らも、何かを釣ろうとしているのかもしれない。

 を。


「やーめた。

「釣れないし。

「なんか……怖いし」


 竿は、受付の半魚人に返却する決まりらしい。

 受付の中を覗けば、魚拓がいっぱい。

 見たこともない魚たちのシルエット。釣り堀よりデカい魚拓もある。


 どうやって釣ったのか。誰が釣ったのか。そもそも、ここは本当に釣り堀なのか。

 分からない。


 釣り堀を出て、先へ。

 大通りに出る。


 本屋が見えた。生きたヤドカリ――巨大なヤドカリの、書店。たまにヤドカリが顔を出す。首を引っ込めているうちに、入店。


 ちょっと生臭い。本は、昆布やワカメ。海藻類を寄せ集めた、書籍の山。


「……全然読めない。

「これ、なんて読むんですか?」


 店員が教えてくれた。



『初めての半魚人料理指南』――半魚人料理の作り方が掲載されている。

『サンゴとの縁談が決まったら』――サンゴと結婚する場合、婚姻届は不要のようだ。

『今のマグロはコレを着る!』――ファッション雑誌。魚のオシャレの最先端、らしい。

『ミシシッピアカミミガメ運転免許Ⅱ型、取得マニュアル』――カメを運転する際は、資格が必要なのだとか。



 どれもこれも、生活では役に立ちそうにない。手がヌルヌルする。昆布のぬめり気だ。


 店員に案内してもらいながら、一冊だけ本を買うことにした。


「これ、ください。

「そして、袋に入れてください。

「ずっと素手で持つの、嫌なので」


 購入したのは、『誰でも簡単、昆布料理! この本を調理するだけ!』というタイトル。ヌルヌルは嫌いだが、海藻料理は好きだから。


 学べて、食材にもなる。

 これが、エコか。

 ……やっぱり、内容は読めないけれど。


 ヤドカリの住処を出て、外へ。

 大通りを更に奥へと進む。


 しばらくして視界に飛び込んできたのは、明滅するパレード。色とりどりの派手な電灯がチカチカ光る。寂れた町には、いかにも不釣り合いだ。


 電飾も、生きている。魚卵だ。魚卵たちが、飛び跳ねながら踊っている。

 イクラ、かずのこ、キャビアにタラコ。カラスミや、筋子まで。


 個は集。

 集は個。


 集まったり離れたりを繰り返しながら、卵たちは何かを表現しようとしている。

 いわば、『魚卵ショー』。

 命の躍動感を感じる……気がする。


 パレードの中心では、半魚人たちが手と手を――いや、ヒレとヒレを取り合って、ダンスを披露している。

 サンバと思えば、タンゴ。社交ダンス……と思いきや、フラメンコ。


 目まぐるしいステップ。

 激しいエラ呼吸。

 輝くウロコ。


 今更だが、なぜ彼らは呼吸が出来るのか……水もないのに。

 いや、半魚人だからこそ、かもしれない。人間と魚のハーフ&ハーフ。呼吸法だって、ハーフ&ハーフ。そういうこと、なのかもしれない。


 パレードをけて、更に先へ。

 たぶん、水族館はもうすぐ。


 と、思ったが……加工場に迷い込んでしまったらしい。

 カマボコやちくわ、はんぺんたちが元気良く駆け回っている。その隣では、多種多様な缶詰たちがこれまた威勢良く転がっている。


 彼ら魚は、加工されても生きているのだ。

 これから、どこへ輸送されるのか。どんな店に並ぶのか。どんなヒトの胃の中へ飛び込むのか。

 彼らはまだ、知らないのだろう。


 工場長らしき半魚人に、「キミもカマボコになってみるかい?」と誘われたが、遠慮しておいた。すり身になって練られるのは、気が進まない。


 彼に、水族館の場所を聞いた。

 知っている、らしい。


 案内されるがまま付いていくと、辿り着いたのは工場の地下。所狭しと並んだ生けには、奇妙な形をした魚たち。その空間こそが水族館のように見えたが、そうではないらしい。


 工場長曰く、彼らは「カマボコ志望者」だそうだ。今は、生け簀で待機中。これからの面接に備えている、とのことだ。

 カマボコになるためにも、面接が要るとは。

 世知辛い世の中だ。


 地下を奥へ奥へ、深く深く進む。


 まもなく見えてきたのは、古ぼけたエレベーター。横に掲げられたカマボコ板には、雑に「水族館行き」と彫られている。お手製の案内板だ。


 コレに乗るように、と工場長は言った。

 おそるおそる、乗り込む。

 彼は乗らない――まだ仕事が残っているそうだ。


 エレベーターは、上る。

 さらに深く潜るのかと思ったが、違った。


 ゆっくりゆっくり。

 上る上る。


 途中で、チラリと工場の製造ラインが見えた。

 半魚人たちが必死で作業をしているのかと思いきや――そうではない。

 

 視線。

 視線、視線、視線。

 視線視線視線視線視線。

 視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視視。


 作業員の半魚人たちは、ジーッとこちらを見つめていた。無感情無表情に、しかし、食い入るように。

 そんなに、水族館に行く人間が珍しいのだろうか。


 半魚人たちの感性とは、分からない。

 たぶん、一生。


 何時間か上り続けたエレベーターは停止し、開いた。閉塞的な空間だったが、不思議と不快感は無い。深海にいるみたいに、静かな時間だった。


 とはいえ、開放感。

 新鮮な空気に、肺が喜んでいる。


「……あれ?

「ここ、知ってる」


 見えた風景は、近所の公園。人っ子ひとりいない、忘れられた遊び場。見捨てられた遊具。振り返れば、公衆トイレ。先ほどのエレベーターは、ここに通じていたようだ。


 あまりにも現実感の無い旅路だった。何だったのだろうか? 幻想、夢、魚たちの空想世界――しかし、この昆布の本は、確かにココにある。


 やはり、魚とは。

 分からない。


 さて、いつもの公園に違和感が一つ。

 中央に、小さな青いテント。

 大人ひとりが入るには、きっと窮屈だ。


 テントの側面には、変色した古新聞。そこに、マジックで文字が書かれている。子供っぽい字面で……とてつもなく読みにくいが、おそらく『みちくさ水族館』。


 ……ここが、目的地。

 ひとまず、身をかがめて入ってみる。

 みすぼらしくても、きっと水族館なのだろう。


 テントの中には、プラスチック製のちっぽけな水槽。虫カゴと大差ない、懐かしい大きさ。子供の頃の虫取りを思い出す。無味無臭だが、懐古的。コポコポコポ……という水音が、虚しく響く。


 泳いでいるのは、真っ赤な金魚が一匹だけ。

 お祭りの出店『金魚すくい』でお目にかかるような、小さな小さな金魚。


 元気に泳いでいる。

 ただ一匹、元気に。


「これだけ?

「……うん。まあ、いっか。

「道中、楽しかったし」


 近くに置いてあったエサを手に取り、水槽の中へバラ撒く。

 金魚が食いつく。

 とても、美味しそうに。


「それじゃ、またね。

「……帰ろ」


 テントを出て、家を目指す。

 迷うことはない。

 帰路は、一本道だった。

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