第1章

 僕は、これまで夜のお祈りを欠かしたことはない。

仕事をサボった事もないし、食べ物への感謝も忘れたことがない。

僕は、常に正しくあり続けている。


 1


「それじゃぁ僕は行ってくるからね」

 優しく告げた。母はもう随分前からあの調子で部屋から出てこない。だからいつも家を出る前にはこうして一度部屋の様子を見るようにしている。普段の休日ならこのまま母と過ごすところなのだが、今日に限ってはそうでない。特段済ませなくてはいけない用事があるのだ。

 母の部屋の扉をそっと閉じると僕は、着替えを済ませ普段使いしているカバンを持ってリビングへと向かった。昨日までのうちに必要なものは、全て揃えて机の上に並べておいた。だから僕は、それらを丁寧に元の中身と詰め替えた。

 髭も剃った。

 シャツにアイロンもかかっている。

 メガネケースに予備のメガネも入っているか確かめた。

 あまり休日に出かけることがないから妙な高揚感もある。


――小休止


 ふと机のすみ見遣みやると付箋が付いていた。

「祝杯を忘れるな」

 そうであった。普段と違う事をすると、うっかりすることが多い。現に昨晩、飲み物を冷やしておいたことをもう忘れている。

 僕は、勢いよく付箋を剥がす。

 冷えた飲み物は、カバンの中で結露して周囲を濡らしてしまう。だからタオルにくるんだ。しかし、それだけでは直ぐにぬるくなってしまう。それで、保冷バッグを使うことにした。

 お弁当箱を入れる保冷バッグは、冷蔵庫の横にあったはずだ。社食が導入される以前は、毎朝キッチンに立っていた。だから物の配置も薄々検討がついた。

 キッチンに立つと、それに誘発されて当時の記憶に火が灯る。

 辺りが暗いうちから起きて食事の支度することは、容易ではなかった。目覚ましが母の機嫌を損ねるから母に気づかれないように毎晩、気を張っていた――

 それでも僕は、お弁当も料理も嫌いではなかった。

 空気が白み出してそれからゆっくりと部屋が明るくなってくることや、吐いた息が白くなること。ストーブをつける時、コンロをつける時、電気が弾ける音も調理していると次第に部屋が温まってくることも好きだった。

 何かと文句の多い母だったが、僕が朝ごはんを振る舞った時は文句を言わなかった。それどころか味を褒めたり、たまには感謝の言葉さえくれたりした。そしてその度、僕は誰かの役に立てていること実感し、喜び、安心した。   

 そんな朝ごはんももう作らない。

 母がああなってしまってからは、料理すらしていない。だから、あの暖かかったキッチンも今は、色褪いろあせてしまった。ここはもう息をしていない。

 それにしても僕は、キッチンの勝手すら忘れてしまったらしい。保冷バッグが一向に見つからないのだ。仕方ないからキッチンの奥の棚にしまってある予備を引っ張り出した。数が以前より減っている気がした。きっと誰かが使ったのだろう。

 早速、例の飲み物を保冷バッグへ詰めた。手提げカバンを二つ持ち歩くのが嫌だったので、少し嵩張かさばってしまうが保冷バッグを丸めてカバンの中へ突っ込んだ。


 そうこうしていれば朝にはぐっと冷え込んでいたはずの空気がもう温い。それでもって辺りの人も大体が出払ったような時間。だからだろうか。動きを止めただけでそらに舞った何かが足下へゆっくりと沈澱してゆく。

 家の鍵も、車の鍵も、玄関前の棚の上においている。夜には冷えるかもしれないからジャケットをもった。

 家の鍵を閉めるときも、エンジンをかけるときも、鍵を一度刺し損なった。今日は、鍵と相性が悪いらしい。

 朝には真っ白だった雲も端の方から薄暗い色に染められる。天候のせいか、ヤツのせいか。これからお気に入りの場所へ向かおうと言うのに、近づけば近づくだけ高揚感が溢れ出し相対した薄暗いアンニュイで染められていった。


 隣町の繁華街から伸びる17階建のビル。

 僕が初めてそこを訪れたのは、3年前の夏。ここらで一番高い建物に登りたくてこのビルへ忍び込んだ。小綺麗な内装をくぐり抜けエレベーターで最上階へ。そこから更に階段を上がったところにある小さな扉をもう一度くぐるとそこがこの街の頂点だ。

 屋上からの眺めは素晴らしかった。

 近くに建つビルやアパートも遠く僕には及ばない。遠くに見える山でさえも僕と同等の高さに思えた。まるで表彰台のてっぺんに立った感覚。

 時々吹く強い風に命のともしびが煽られる事でさえ気に入った。

 文字通り命をかけてこの街の頂点に立っている。

 僕は、まるでヒーローだった。きっと神様もそれを認めてくれている。だって僕をここへ連れて来たのはきっと神様なのだから。それが嬉しかった。やはり僕は常に正しい事をしていた。きっと神様は、僕をゆるしてくれたのだ。

 それからと言うもの僕は、ここへ足繁く通った。神様に触れるため、ヒーローになるため、赦されるため。ここでお祈りもした。

 しかしどこかで抜かったらしい。そのうち入り口に鍵がかけられた。かんぬきを南京錠で止めているだけの簡素な作りだったからこのまま鍵を壊してやろうかとも思った。けれども、これは神様の試練だと思い、とどまった。壊せばもっと厳重に警戒されてしまう。もっと上手くやらなければ。さもなくば、もう、神様に触れられなくなる。

 壊すことは、許されていない。 壊すことは、許されていない。壊すことは……

 いい案がないか、模索した。が何も浮かばなかった。あまり長く留まるのも住人に怪しまれると思った。僕は、渋々、南京錠の型番を控えて帰る事にした。

 帰路の道すがら、僕は途方に暮れていた。何度考えても南京錠を壊すか閂を壊すかの二択浮かんでこない。壊さずに開けるなど到底無理なのだ。しかし、それと同時に疑問も生まれた。もし家の鍵を無くしてしまったらどうやって家に入るのか。家に到着するとすぐにパソコンを開いて検索した。

「家の鍵 なくした」検索。

 ウェブページを開くたびに「鍵開けならお任せ」と広告が出てきた。なんとも物騒な広告だ。鬱陶しかったがそれで確信した。鍵は開けれる。そういえば、学生の頃、友達も自転車の鍵を部屋ピンで開けていた。だから同じ型番の南京錠を用意して部屋ピンで開ける練習をしようと思った。

 同じ型番の南京錠は、すぐに見つかった。いくつか買いだめして早速練習に取り掛かる。しかし上手くいかない。練習に鍵は必要ないのでまとめて仕舞っていた。しかし、本当に開くのか気になってもう一度取り出してその鍵で全ての南京錠を試しにひねった。そして気付いた。

 練習は、必要なかった。

 幸運な事にあの南京錠も練習で買ったこの南京錠も同じ型番なら鍵も同じと言う粗悪品だったのだ。これでまたあの場所へ行ける。

 気づいた瞬間から胸の高鳴りがまなかった。大家がケチったかヘマしたかなのだろうがそのお陰で僕は、堂々と屋上へ入れる。なんてったって僕は、鍵を持っている。

 やはりこれは、神様の試練だった。ぼんやりと思っていたそれが確信に変わった。そして、それを乗り越えた僕は、再びヒーローに選ばれた。

 その後、僕は、青いビニールのジャンパーと、同じ色の帽子を購入した。それをスーツの上から着込んでいると住人も、何からの作業員だと勘違いしてくれると思ったからだ。それから頻繁にき過ぎても住人に不審がられるだろうから、ここへ訪れることも月一回ほどに節制することにした。神様から頂いたこの場所を僕は、とても大切にしていた。

 だけどもう、ここへは来れなくなる。今日が最後なのだ。

 なぜなら、ここで儀式を行うから。

 なぜなら、ヒーローでありたいから。

 ここは聖域となり、僕は、真のヒーローとなる。

 嬉しい。それでも神様と僕の場所を奪うヤツのことは憎い。


 平日の昼前だからだろうか。街には車が少なかった。僕は、ビルの側にゆっくり車を止め、深呼吸をする。いつもの車、いつもの場所、いつもの格好。ただ違っているのは、今日が最後のこと。

 エンジンを止めると僕は、儀式の準備に取り掛かった。スーツの上からビニール製のジャンパーをはおり、帽子を被る。ニトリル製の医療用手袋をカバンから取り出して手を通すと、更に作業用の軍手をその上から被せた。これで格好の準備は万全だ。

 車から降りて後部のトランクを目指す。扉を跳ね上げ、トランクを開ける。台車を地面に広げ、配達員さながら段ボールを乗せる。段ボールは、僕一人で持ち上げるとなると骨の折れるような代物だった。それでも体を上手く使えば、なんとか移動できた。

 トランクを閉め、台車を押して運転席の前まで戻る。そこでカバンを取って、車に鍵をかける。初めてのことだったが、思ったよりもスムーズにできた。あとは、屋上を目指すだけ。

 台車を使うと、さっきほんの数メートル移動させるのに苦労した荷物が、嘘のように軽くなった。ビルの駐車場に入り床がなめらかになると更に軽くなる。

 監視カメラがあるから正面玄関からは入れない。裏口から抜けてロビーを潜る。エレベーターは、すぐに来た。

 最上階のボタンを押し、少しるとアナウンスが流れる。

「ドアが閉まります」

 扉が閉まれば、もうこのエレベーターは最上階まで止まらない。

 アナウンスと同時にドアが閉まりだす。

 そして完全にドアが閉まる。

 ここは僕だけの空間となった。


 このエレベーターに監視カメラはない。僕は、段ボールを封じてあるガムテープを勢い良く剥がした。そしてそのまま段ボールを足で押すようにして蹴り倒してやった。エレベーター内にガシャンと言うけたたましい音と同時に段ボールからの鈍く重たい音が響く。

2階、3階、4階。

 揺れで止まるかと思ったが、エレベーターは止まらない。

5階、6階。

「ううう……」

 倒れた段ボールの中から唸るような声と共に痩せ型の男が伸びてくる。

 髪は、肩より少し短いほどの長さで薄い茶髪。パーマなのか髪を遊ばせている。シワの少ないワイシャツ、耳には、いくつかのピアス。腕まくりした左手からは、無数の生々しい傷跡を覗かせていた。

「あああ……」

 男は、音を立てながら、それでもって、ゆっくり呼吸をしながら這い出てくる。

「はぁ……はぁ……」

 ヤツの息は、口から白い煙を出しそうなほど重たかった。

9、10…………

 それでもまだウダウダしている。

12、13

 痺れを切らした僕は、ヤツの背後から胸ぐらに手を回し、起こし上げてやった。

 こんなクズでも生きている。蜘蛛くもの糸の犍陀多かんだたでさえ蜘蛛に情けをかけたのだから、ヒーローの僕が優しくしないはずがない。

 僕に引き起こされ、ヤツは勢い良く反転する。その衝撃で目が覚めたのだろう。薄く開いていたヤツの目が、短い息を吸うと同時にかっ開いた。

「……!」

 ヤツは、咄嗟のことで声が出ないらしい。僕の手を振り払い、息を早めながら壁の方へ後退りして行く。もしかすると怯えているのかもしれない。僕は、ヤツをなだめようと微笑ほほえんだ。 しかしヤツの表情は、僕の意に反して引き攣った。

「ピンポン、17階です。ドアが開きます」

 ドアが開いた。音につられて首をドアの方へひねる。

 誰もいない。エレベーターの出口付近には、ヤツの入っていた段ボールと台車が無造作に倒れたままになっている。そのままもう一度ヤツに顔を戻すが、相変わらず引き攣ったまま体が硬直していた。


――沈黙


「ドアが閉まります」

 音声と同時にドアが閉まり出す。僕は、彼の目を見たまま倒れた荷台と段ボールの方を指差して微笑んだ。

 ヤツは、更に顔を歪め、肩を壁に押し当てる。

 きっとヤツはまだ怯えている。だから、これ以上ヤツを怯えさせないように優しい声で「片付けて」と言った。

 それでもヤツは、凍りついている。

 微笑むだけではだめなのかと思い今度は、ニコッと笑ってみせた。するとヤツは突然、僕の目を見ながら何度も、何度も頷き始めた。やはり慈愛の心は、大切なのだなと思った。

 ヤツは、壁につけた背中を起こして床に手をつき、そのまま四つん這いで段ボールまで進んでゆく。それから膝立ちにになって倒れた段ボールを起こす。小刻みに震える手で手すりを掴み、それを頼りにゆらゆらと立ち上がる。

 どうやらヤツのところだけ足元が安定しないらしい。ヤツの足が覚束ない。エレベーターとは、箱を糸で吊るしているだけの乗り物だ。つまり僕たちは今、宙に浮いているのと同じ。きっとそのせいで安定しないのだろう。

 先程起こした段ボールを避けてよろめきながら台車の元まで行くと、また膝立ちになって台車を起こした。あとは、段ボールを台車に乗せるだけだ。しかしそれが難しいらしい。ヤツは、空になった段ボールを両手で掴んではよろけを何度か繰り返している。余りにも足が覚束ないので、代わりに台車の上へ置いてやった。

 ヤツは、そのまま座り込んでしまった。

 まだ脳が寝ているに違いない。だから僕は、ヤツに少し運動をさせた。

 四つん這いでエレベーターの中を何周か歩かせたり、手すりを使って歩かせたりしてあげた。それが功を奏したのだろう。エレベーターを降りようとする頃には、ヤツも少しはまともに歩けるようになっていた。

 このようなクズにも親切にする僕は、やはりヒーローなのだと思えた。

「最上階で扉開けてくれる?」

 僕が彼に言うとヤツは、17階と開けるボタンを押してくれた。指示がすんなり通る。

 今回は、音もなく扉が開いた。僕は、台車を押しながらヤツの後に続いてエレベーターを降りる。台車も段ボールも邪魔なので、カバンだけ持って残りは、エレベーター脇の陰に置いた。


 僕達の目的地は、屋上。そこで儀式を行う。

 屋上に出るには、あと一階分、階段を登って鍵を開けるだけ。僕は、ヤツを押しながら階段を登る。踊り場を抜けてもう一度上がるとそこが屋上への入り口。

 カバンから鍵を取り出す。

 そういえば、今日は鍵との相性が悪い。家の鍵も車の鍵も刺し損なった。ヤツの前で下手に手こずりたくない。だから、ヤツに鍵を渡して開けさせた。

 屋上は、少し肌寒かった。

 ヤツの顔は、もともと青ざめていたが寒さがに拍車をかけたらしい。顔色がいっそう悪くなり、また足元がふらつきだした。仕方ないから僕が屋上のすみまで運んでやると、ついには震えだした。そしてそのままへたり込んでしまった。

 顔は土色、唇も体も震えているのに、ヤツの目だけ、陽の光を浴びてギラギラと光っている。

 今日のために準備してきたのだ。僕は早速、儀式の準備に取り掛かる。

 カバンから束ねられたロープを取り出して輪っかを作る。輪っかは大きめにとり、釣りのルアーをくくりつけるように縛った。

「い……いのちだけは……」

 震えたか細い声が聞こえた。ここまできてヤツがガタガタ、ゴネだした。

「どうか……かんべんしてください……」

 構わずにヤツの首へロープをかけてやった。するとヤツが泣き出した。

「どうか、お願いします。お願いします。なんでもします。だから……」

 ロープが顎から抜けないように輪っかを締める。まだガタガタ言ってる。

 さっきよりもハイライトの多い目がこちらを見ながずっと震えている。可哀想だと思った。だから、今日の祝杯用だった缶中ハイを保冷バッグから取り出して飲ませてやった。

 ヤツは、一口も余さずに一気に飲んだ。それから「これでいいですか?」かと言ってきた。

 どうやら僕の優しさを命令と勘違いしてしまったようだ。

 やはり可哀想だ。

「どうか許してください……どうかお願いします……どうが……おでがいっ――」

 薬と酒の相性は悪い。

 ヤツは、話すたびに呂律が回らなくなってゆく。

「どうが……チャンスをくだはい……だんでぼじばふがら……」

 余計に可哀想に思えた。まるで僕が弱い物いじめをしている感覚だ。僕はヒーロー。そんなこと、してはいけない。しかし、赦そうにも僕にそんな権利はない。罪を赦すのは、神様の領分だ。僕ではない。だから神様に伺ってみることにした。

 僕は、ヤツの首からロープを外しカバンにしまう。ヤツの顔が少し晴れたような気がした。

「そこのふちに立て」

 僕は、屋上の端、平均台のようにまっすく伸びた縁を指差しそう言った。右側は、踏み外せば、そのまま地上まで真っ逆さま。

「この縁をこっちの端からあっちの端まで歩いてみろ。どちら側にも落ちずに歩けたら、神様が赦したと解釈してお前を助けてやる」

 ヤツは、それを聴くと、虚な目でこちらに何度も頷く。そして、さらに覚束なくなった足取りで縁へ上がり、両手を広げて歩きだす。さっきの酒が回ってきたのか歩みを進める度に千鳥足になってゆく。しかし、それでも着実に歩みを進めてゆく。

 犍陀多かんだたでさえある程度は登った。だからヤツも良いところまではいけると思い、見守った。

 ちょうどヤツが、真ん中まできた頃だろうか。下で何人かがこちらを見始めていることに気づいた。やはり僕は間違っていなかった。神様は、この方法に賛同してくれた。そしてこれは、神様がヤツに与えた試練だ。そう確信した。

「急がないと時間切れになるぞ」

 僕がそう言うとヤツは、途端に焦りだした。ただでさえ覚束ない歩みが前にも増してふらつく。常人ならなんの心配もなくほんの数秒で渡れる距離をふらつきながら危なげにわたる。その様は、まるでヤツの業そのものを表しているようだった。

 ヤツは、フラつきながらも波のようにスタスタと歩みを進めては、戻ってを何度か繰り返す。不思議なことに前後にはふらつくが、左右にはあまりふらついていなかった。回転するコマは、紐の上ですら安定するらしい。それと同じようにヤツも歩みを止めていないから安定しているのだろう。

 そうして、ついには渡り切った。

 ヤツは、嬉しそうな表情でこちらを見る。

 僕は、渡りきれないと踏んでいた。だから、神様の意思を疑った。神様はなぜヤツを渡り切らせたのか。

 相変わらずヤツは、笑いながらこっちを見ている。

 胸の内にクソが湧く。ヤツを哀れんだが助かるのは、気に食わない。蓮池のほとりを散歩していたお釈迦様ですらきっとそうだ。神様がなぜあんな社会のゴミクズの命を救うのか理解できなかった。だから、僕は、神様の意思に背いて、ヤツを蹴り落としてやろうと思った。

 笑顔でこちらを見るヤツに拍手を送りながら笑顔で近づいてゆく。

 10メートル、5メートル、あと数メートル。

 もう少しで足が届いてヤツを蹴落とせるところまで来る。あと二歩近づいてヤツが手を伸ばしたところを蹴落としてやろう。すると、神様が僕の思惑を察してか、歩みを止めるかのような突風が吹いた。

 やはり神様はいる。

 突風は、僕を止めるだけでなく、ヤツの笑顔も吹き飛ばした。煽られた反動でヤツのバランスも大きく崩れている。体を前後にくねらせ二度、三度耐え忍ぶ。それでも四度目の足を踏み外した。

「はっ」

 ヤツが息を呑んだ声ともいえない音が聞こえたと思うともうヤツの姿はなかった。


――落ちた。

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チェーンメイル 白圡 昊 @shiradosora

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