絵画革命
過去に絵画の作成、購買、全てが禁止された国、ペリアネッラ。しかし首都スカレスコでは絵画の裏取引が絶えず行われていた。唯一の次期国王候補である王子は行方不明、しかしこの法のせいで誰もその容姿が分からず、見つけることすらできなかったのである――――
「今日の市場はどうだった?」
古びた家屋の椅子に腰掛け、とある青年が少女に訊く。彼の名はアンドレア。どこにでもいるような爽やかな性格の好青年だ。しかしその外見の美しさは常軌を逸しており、その輝く空色の瞳はまさに宝石のようである。
「ええ、素晴らしかったわ。ほとんどの絵は高すぎて手が出ないけれど」
そしてそれに応える少女はマリアという。彼女はいっぱいに膨れた布の包みの中から画材を取り出し、机に広げる。
「僕にはまだ見に行く勇気すらないよ」
アンドレアはそう言っては絵の具やら筆やらを手に取りじっくりと見つめる。その色白で長い手指は、労働の痛み一つ知らないであろう傷一つない陶器のような肌で覆われていた。
「迷い込んでしまったんですって誤魔化せばいいのよ」
彼女は椅子に座り、その絵具を分類しまとめていく。
「それにまだ私だって見つかったことはないもの」
「見つかってからじゃあ遅いんだけれどね……」
家出したという彼は居候として彼女の家に居座り始めてしばらくが経っていた。偶然にも町中で出会い、お節介なマリアがそのまま家に連れてきたというわけだ。
「そうだ、あなたはどこにも行かないの? なにかしたいことはないの?」
「僕は……」
アンドレアは言い淀む。それを見た彼女は言いたくないのか、それとも言うことがないのかは分からなかったけれど、とにかく深堀りしないほうがいいかと判断した。
「私は画家になりたい」
当時のスカレスコには絵画の闇市ですら女性画家は存在しなかった。それゆえ彼女の夢は法の壁、そして性別の壁が立ちはだかるという極めて困難なものであった。
「こっそりと絵を描いて、誰にも見てもらわないままにしていることなんてできないわ」
しかしマリアは芯の強い少女であった。屋根裏の隠し部屋の中に山のように積まれたキャンバスたちはそんな生みの親を慕っていたことだろう。風景画、肖像画、抽象画。彼女はそのいずれも愛し、いずれも楽しみながら描いた。それだけに、彼女は彼女の愛し子たちに日の目を見てほしいという思いが誰よりも強かったのである。
「ああ、もしこの法が変わってくれたのなら……いいえ、むしろ、私が変えてしまいたいくらいだわ」
「……君には、その勇気があるのかい?」
アンドレアは深く深呼吸をしてそう訊いた。
「もしできるのならそうするわ、今すぐにでも。だけれど私が訴えかけたって首を落とされるだけ、もしくは一生獄中ね」
冗談っぽくマリアは言う、が、彼の表情は硬いままであった。
「僕に、あてがあるのだけれど」
真剣な表情のまま、アンドレアはマリアに耳打ちをした。それはあまりにも大胆な計画であったという。
「着いたよ」
そう、そこは王宮であった。王宮に控える兵士たちは皆アンドレアを見ては何も言わずに中へ通す。マリアはさすがに違和感を抱き……そして、思い至った。
「――――あ」
王子、ヴィアレノ。行方不明になっているけれど絵画が禁止されているせいで誰もその容姿を知らず、ただ知られていることは――――類稀なる美貌の持ち主であるということのみ。その特徴は、彼、アンドレアに当てはまるものではなかったか? 外に出ようとしなかったのは、誰かに見つからないようにするためではなかったのか?
マリアはそこでようやく、自分が匿っていた人物の正体にたどり着いた。
「まさか……」
「黙っていてごめんね」
そうしていると玉座の間にたどり着いた。やはり庶民というには気品のありすぎる、異常に美しい青年――――王子。王宮を背景とする彼は絵にしたくなるほどに美しかったという。
「ヴィアレノ、只今戻りました。迷惑をかけてしまい申し訳ありません」
彼はそう言って玉座の前に跪いた。王は何も言わずただそれを見つめている。
「私はこの国の実態を知りたいと――――絵画というものを知りたいと思ったのです」
そうして彼は王に問うた。なぜ絵画は禁止されているのか、このように人々の娯楽として何がいけないのかと。
その後静かに国王の話した事の真相はただ一つ、……醜い国王が、自らの肖像画を描かせないために法を作ったということであった。若くして亡くなったただ一人の愛する王妃に言われたのだという。貴方は醜いと。ああ、だからといってもそれはひどく自己中心的で、それでいて……
「父上、お言葉ですが――――貴方は臆病です」
そう、臆病であった。彼は父に歯向かっているのではなく、ただ、静かに諭す。
「自らの醜さが露呈するのを恐れるあまりに善良な市民達の娯楽を規制するなど、言語両断でございます」
「ヴィアレノ……」
王はその顔を歪めた。眉間に刻まれた皺はより深くその苦しみを顕す。王子はマリアを見、そして合図をするように頷いた。君の気持ちを、民衆の気持ちを伝えるのだ、と。
「わたくしは――――」
いくら勇敢でまっすぐな彼女であろうともこの厳格な王を前にして声が震えてしまうのは仕方がないことだろう。しかし彼女は退かない。逃げることなどない。自らの夢を、民衆の楽しみを、光の差す場所に取り戻すための戦いであるからだ。
彼女は息を整え、はっきりと言い放つ。
「わたくしは、国王様の肖像画を描かせていただきたく存じます」
「なっ……」
まさかそんなことを言うなど予想だにしていなかったのか、隣に跪くヴィアレノでさえ動揺が隠せなかった。王はそれを黙ったまま見ている。顔色は変わらない。
「それをもって絵画の解放を宣言させていただきたいのです」
その場に沈黙が広がった。周囲に控える兵士たちですら空気がひりつくのを感じた。しばらくそのまま、国王が深くため息をついて声を発するまで緊迫した状況が続いた。
「……分かった」
ざわ、と一瞬で周囲がざわめく。マリアも言葉を失った。ここまで来たとはいえそう簡単に承諾が得られるわけがないと覚悟はしていたからである。
「い、今すぐにでも取り掛からせていただけますでしょうか!」
声が裏返りつつも彼女はそう言い切った。王は画材を取りに戻ることを許可し、王宮騎士による送迎の下迅速に回収。その後すぐに作業は開始されたという。
「では、そのまま座っていていただけますか。なるべく姿勢は変えないでください」
「……いつまでこうしておればよい」
「わたくしがこの肖像画を描き申し上げるまで、でございます」
そう答えると国王は深くため息をつき、諦めたかのように動きを固めた。マリアは筆を執り手元のキャンバスに色を広げていく。大胆に、かつ丁寧に。これまで誰にも見せず屋根裏でこそこそと描いてきた彼女の作風は、彼女によく似てまっすぐでおおらかで、そして密かに繊細だったという。
しばらく筆を走らせる音のみが王宮内に響き、人々は息を呑んだ。王を怒らせないか、などということを考えているものももちろんいただろうが、ほとんどの人物がマリア自身を見ていた。楽しそうにいきいきと描いていたからだ。その姿に王宮の役人たちも心動かされたことだろう。
「できました」
かたり、と筆を置く音とともに絵は完成した。それは醜くなどない無骨な国王の姿であった。そして不器用な一人の父としての姿でもあった。深みのある色彩は彼の人格を良くも悪くもはっきりと映し出し、それでいて――――ああ、これが国王の威厳だと、そう言える絵であった。
その絵はすぐに写しが作られ国中に広がり、現在でもペリアネッラ第四代国王肖像画として有名な絵画となった。それと共に絵画の解放が宣言され、後の著名な画家たちが誕生したという。しかし他のマリア自身の絵は現在ほとんど現存されておらず、見つかっているいくつかの作品は修復中である。
――――後に新国王となったヴィアレノと婚姻を結び王妃となった彼女は、後世において「絵画の聖女」と呼ばれる偉人となり彼と共に幸福な人生を送ったと言い伝えられている。
人は物語でできている。 冷田かるぼ @meimumei
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