第27話

 昼の寮も朝の寮も、寮であることは変わらない。

 でも、夜の帳がおり、光が闇に変わると空気が変わってしまう。昼と同じ寮なのに、消灯時間が過ぎた寮は夏でも背筋が冷えそうな空気が漂っている。


 きっと暗いと怖いは、見えない鎖で繋がれている。

 闇の奥には人ならざるものが潜んでいるに違いないし、実体のないなにかがうずくまり、人の足を引っ張ろうと待ち構えているに違いない。


 寮の薄暗い廊下は、そんなおどろおどろしい雰囲気に包まれている。


 自室から廊下を見ていた私は扉を閉めて、闇を遮断する。

 振り返れば薄暗い廊下とは違う明るい部屋の中、唄乃と先輩二人が仲良くベッドに座っている。


「こういうの、ドキドキするね」


 奥枝先輩が内緒話をするように小さな声で話す。


「寮母さんに見つかっても知らないよ」


 三輪先輩が呆れたように言ってため息をつき、唄乃が表情のない顔で二人を見つめる。


「かなたちゃん、大丈夫だって。もう点呼も最後の見回りも終わったし」

「あんまり大丈夫じゃないと思うけど。とりあえず、見つかったらひなたのせいだから」

「見つからないから大丈夫」


 奥枝ひなたと三輪かなた。


 下の名前はよく似ているが性格は似ていない二人の先輩は仲がいいけれど、こうして意見が食い違うことがある。


 でも、奥枝先輩が言うように、寮母さんの最後の見回りは終わっているから肝試しが見つかるようなことはないはずだ。騒がなければ、寮母さんがわざわざ確認にきたりはしないと思う。


「ほんとにするんですか?」


 唄乃の感情のない声が聞こえてくる。


「するよ!」


 奥枝先輩が楽しそうに言う。


「唄乃。奥枝先輩も三輪先輩も肝試しやるって言ったんだから、約束通り最後まで付き合って」


 私は明らかにやる気がない唄乃に声をかける。


「そうそう。もうやるって決まったんだから、田中さんも楽しもう! ここから一人ずつ出発して廊下を歩くだけだし、すぐに終わるよ」


 え、一人ずつ?


 そんな話ではなかったはずだ。

 私は思わず発言の主である奥枝先輩を見る。


「一人ずつ? ひなた、それ勝手に決めたよね? 私、そんな話聞いてないし、何人で行くかまだ決めてないはずだけど」

「うん。今、決めた」

「一人でなんて危ないじゃん。みんなで行くよ」


 三輪先輩が怖い顔をして奥枝先輩に詰め寄っているが、私も三輪先輩の意見に賛成だ。

 一人ずつなんて暗いし、危ないし、良くない。


「そうですよ、奥枝先輩。みんなで行きましょうよ」

「えー、みんなで行ったらつまんないでしょ。肝試しなんだし、一人ずつにしようよ」

「それでいいので、私から行きます。さっさとやって早く終わらせましょう」


 表情筋が死んでいる唄乃が真面目な声で言って、立ち上がろうとするから、私は彼女の肩を押さえてベッドに座らせた。


「ちょっと。唄乃、待って」

「なに?」

「一人はやめようよ」

「……もしかして音瀬、怖いの?」

「そういうわけじゃないけどさ」


 怖くはない。

 別に、少しも、怖くはない。

 ただ、人よりも、この世のものではないものの存在を信じているだけだ。


 だから、怖いわけではなく、そういうものがでてきたらどうしようかと心配しているだけで、怖がっていたりはしない。絶対にしない。


「肝試ししたいって言ったの音瀬なんだから、本望でしょ」

「危ないから四人で」


 私は唄乃に縋るように言って、祈るように奥枝先輩を見る。


「倉橋さん、一人が駄目ならペアにしようよ」

「奥枝先輩、四人のほうが安全です」

「倉橋さん、根性ないなあ。肝試しなんだから度胸見せようよ」

「倉橋、度胸なんて見せる必要ないから。ひなたの言うことなんて聞かなくていい。大体、私、肝試ししたかったわけじゃないし、もうこんな馬鹿みたいなことやめよう」


 すうっと三輪先輩という助け船がやってきて頼もしいことを言ってくれるが、肝試しを止められるのも困る。


 はっきり言うと、夏休みのイベントを中止されたくない。


 どうせなら映画に行ったり、プールに行ったり、もっと明るいイベントが良かったが、唄乃は良いと言わなかった。一か八かで口にした“肝試し”という言葉だけが彼女を動かしたのだから、気が進まなくてもやるしかない。


「三輪先輩、やりたくなかったんだったら最初から断ってください。そうしたら、肝試しなんてしなくてすんだのに」

「田中、文句があるならひなたに言って。やりたいってうるさかったの、ひなただから」

「まあまあ、いいじゃない。どうしても四人がいいなら四人でいいから行こうよ。しゅっぱーつ!」


 奥枝先輩が能天気と言ってもいいくらい明るい声で言うと、三輪先輩が呆れたようにため息をつく。そして、唄乃が「早く終わらせましょう」と諦めたような声を出し、部屋着を着た私たちは明るい部屋から暗い廊下へ出た。


 奥枝先輩、私、三輪先輩、唄乃。

 横一列に並んで歩く。

 昼間なら邪魔になると怒られそうだけれど、肝試しをするようなこの時間なら心配はいらない。


「倉橋さん、三階と四階を端から端まで歩いてトイレをチェックすればいいんだっけ?」


 そろりそろりと足音がしないように廊下を歩きながら奥枝先輩が言う。


「そうですけど、三階のトイレだけで終わりにしませんか?」


 私は奥枝先輩の隣にいるけれど、顔を見ずに答える。先輩は窓側を歩いているから、顔を向けると窓を見ることになる。

 怖くはないが見たくない。

 窓の向こうは外で、暗闇の中になにがいてもおかしくない。


「え、三階? それじゃすぐ終わっちゃうよ」


 三輪先輩と唄乃のほうを見ながら「……ですよね」と返す。


 トイレになにかあるというわけではないが、怖そうな場所としてトイレを選んだ結果、私はトイレに辿り着く前から後悔している。夏休みで生徒がほとんどいない寮は、四人で廊下を歩いているだけでも気味が悪い。


 でも、奥枝先輩と唄乃は気にならないらしく、ずんずんと廊下を進んでいく。私と三輪先輩も両端の二人が進んでいくから歩くしかなく、無理矢理足を動かす。そして、階段を上って三階に辿り着いて廊下を少し歩いたところで、二歩先を進んでいた奥枝先輩が足を止めてこっちを見た。


「倉橋さん。今、なんかいなかった?」

「……変なこと言わないでください」

「音瀬、なんかいた」


 いつも感情がない声を出す唄乃が私を見て、真剣な声で言う。


「……いたってなにが?」


 怖い。

 怖すぎて体が動かない。

 それなのに奥枝先輩がやけに真面目な顔をして近づいてきて、私の耳元に口を寄せてくる。


「倉橋さん、うしろ」

「うしろって――」

「あっ」


 奥枝先輩がなにかを見つけたように言い、次の瞬間、お尻になにかが当たって息が止まる。

 怖くて声がでない。

 口を開くことすらできずにいると今度は肩になにかが当たり、反射的に振り向いたところで三輪先輩の声が廊下に響いた。


「うわああああっ」

「ひゃー!」


 つられるように私も叫ぶ。

 そして、唄乃と奥枝先輩の押し殺したような笑い声が廊下に響いた。


「ごめんね。倉橋さんを叩いたの、私」


 奥枝先輩がくすくすと笑いながら言う。


「奥枝先輩、酷いです」

「田中、地獄に落とされたいの」


 どうやら三輪先輩は、私が奥枝先輩にされたことと同じことを唄乃にされたようで、棘だらけの声を唄乃に向けている。


「三輪先輩、すみません」

「すみませんじゃない。死ぬかと思った」

「かなたちゃん、寮にお化けなんているわけないと思うよ」

「いたらどうするの」

「そうですよ。なにかいるかもしれないじゃないですか」


 私は力強く三輪先輩に同意する。


「倉橋さん、なにかってなに?」

「こう、なんか、黒くてずるずるした感じで、ヤバい雰囲気の――」

「ちょ、ちょっ、倉橋。ストップ。それ以上喋ったら置いてく。絶対にここに置いてく。って言うか、帰るよ」


 三輪先輩が怖い声で言うと、唄乃を引きずるようにして来た道をドタドタと戻りだして、それ以上喋っていないのに私は置いていかれそうになる。


 こんなところで悪戯好きの奥枝先輩と二人きりにはなりたくない。


 私は奥枝先輩の手を握って、慌てて三輪先輩を追う。


「かなたちゃんって怖がりだよね」

「うるさい。ひなた、さっさと歩いて」


 私たちは四階まで行くことなく、バタバタと階段を下り、ズンズンと廊下を歩く。肝試しは結局、この世のものではないものが乱入することなく終わり、私の部屋に戻ってくることになった。


「面白かったね」


 奥枝先輩の明るい声が響き、三輪先輩が即座に「もう絶対に肝試しはしないから。寿命が縮まった」と文句を言う。


「なにもでなかったし、解散ですね」


 唄乃があっさり言って、部屋から出て行こうとする。


「唄乃、ストップ」

「なに?」

「……もう少しここにいて」


 私はドアを半分開けた唄乃の腕を思いっきり掴んだ。

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学年一××が上手い女の子が首を絞めてくる 羽田宇佐 @hanedausa

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