第17話
特務9課の狭い部屋の中に、コーヒーの良い香りが充満していた。
ライハインが淹れたコーヒーの香りだ。
コーヒーカップを片手に、アレッツとライハインの二人は窓の外を眺めていた。
夜の深い霧が嘘のように、晴れやかな青空が広がっている。
あの後は警察の他の課に引き継ぎ、特務9課は一度警察署へ戻ってきていたのだった。
「なぁ……。あんたは部長といつ出会ったんだ?」
「2年前。塾の帰りに、野良フォッグを追いかけている部長と遭遇しました。その時に『神器』の適正があると言われて武器を渡されたのですが――。その時はまだ、妻は襲われていませんでした」
「そういうことか……」
昨夜ライハインが言っていた時系列に少し引っ掛かりを覚えていたのだが、それなら納得がいく。
確かに特務9課は『フォッグに大切な人を奪われた人間の集まり』であると聞かされていたが、全員がアレッツのように『奪われてから』スカウトされたわけでもないのだろう。
「当時のフォッグも、人間の姿に成り代わる手段を模索していたのでしょうね。それまで殺された人間にしか姿を変えていなかったフォッグが、初めて生きたまま取り込もうとした人間が……」
ライハインの妻だった――。
だがそのやり方は、フォッグの方にも絶大な負荷がかかる方法だった。
それゆえに、しばらくの間それを模すフォッグが出ていなかったのだろう。
「やぁやぁ。お二人ともお疲れさまー」
いつものように陽気な声で部屋に入ってきたのはリービット。
リービットの手には新聞が握られている。
今日はいつもと違い戦場に向かう傭兵のような恰好をしているが、頭にあるネコ耳カチューシャのせいで、ただの怪しい人になってしまっていた。
アレッツは密かに彼の脇腹に視線を送る。
あの日の怪我はもう大丈夫なのだろうか。
何となく、彼なら既に治していそうな気もするが。
「リービット部長。お疲れ様です」
「……さまっす」
初めて挨拶したアレッツに対し、リービットは「おやぁ」と思わず顔を緩める。
だがあえてそこにはツッコまなかった。
指摘すると、アレッツがへそを曲げる性格だと見抜いているからだろう。
「いやぁ。それにしても大変なことになってしまったね~」
新聞を広げながら軽い口調で言うリービット。
一面には【運送会社従業員、社長と共に謎の失踪】【ミルザレオスの流通大混乱】の見出しが大きく踊っている。
「なんで他人事みたいに言うんですか……」
「だって、僕は現場に言ってないしー」
「この後の事後処理は部長もやるんですよ……」
「…………」
「遠い目をして現実逃避しても無駄ですからね」
ライハインの言う通り、さすがにこの事件でフォッグの存在は明るみになってしまうだろう。
無用な混乱を避けるため市民に公表してこなかったが、そんなことを言っていられない状況になっていくはずだ。
「もう、わかってるよ~。ただ、今だけは考えるのをやめてご飯にしない?」
リービットが言い終えると同時に、特務9課の扉が可哀相になるほど『バーン!』と大きな音を立てて開いた。
「おう! ひとまず飯食おうぜ! 飯!」
大きな声でやって来たゼノの両手には、肉料理が載った皿がある。
「君はいちいち大きな音を立てないと歩けないのか?」
ゼノに苦言を呈しながら、ウィステルも続けてやってきた。
やはり彼の両手にも料理が載った皿がある。
「ウィステルが作ったんだぜこれ!」
「……言わなくていい」
照れくさいのか、いつも以上にぶっきらぼうに言い放つウィステル。
アレッツとライハインは匂いにつられ、思わず近付いていた。
「へぇ。これは美味しそうですね」
「次からは俺も手伝おう」
元・食堂の従業員として刺激されたのか、アレッツがぼそりと呟く。
そんな彼を見て、ライハインは笑みを浮かべた。
「まだあるから、お前らも運ぶの手伝えよな!」
「何で君が仕切るんだ」
「わかりました。行きましょうアレッツ君」
「あ、僕も行くよー」
途端に賑やかになる特務9課の中。
確かにこれから大変になるだろうが、リービットの言う通り今だけはゆっくりしても罰は当たらないだろう。
部屋を出て歩きながらアレッツは考える。
自ら汚してしまった手。
もう普通の生活には戻れないだろう。
だが、後悔はまったくなかった。
(……俺はここで生きていくよ、グレッド。ここの大人たちは、スラムにいた連中と違ってちょっとは信用できそうだから、さ)
アレッツは4人の顔を見ながら、心の中で亡き兄に話しかけるのだった。
序章・終
ミルザレオス特務9課 福山陽士 @piyorin92
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