涙の色
橋本頼
涙の色
あなたへ
あなたは今、何をして、誰を愛しているのでしょうか。
私は、あなたの持つ、実際のものより何倍もある海を眺めて、淡く、純粋な恋心を抱いたのです。ですがあなたは、私以外の人に、私と同じ感情を持っていました。しかしそれが、とても曖昧で、良好でない関係だったのです。私は泣けない性格をしていましたから、泣きはしませんでしたが、落ち込みはしました。しかし、その落ち込みも、すぐに解消されたのです。解消してくれたのは、紛れもなくあなたでした。私は、振られてからも、あなたを手放すことができなかったのです。振ってもなお、関係を続けようとしている私を、あなたはどう思っていたのでしょうか。そこから、私とあなたの曖昧な関係が始まりました。私は、あなたに対して、説明のできないなにかを感じていました。それは、他の人には感じたことのないものでした。ですがそれは、恋心のようなものではないのです。なぜなら、そのとき私は、あなたへ対するなにかはあっても、あなたを私のものにしたいという独占欲はなかったからです。私は、独占欲のないものなどを、恋だとは思いません。恋仲でないものの、友達とも呼べないような。曖昧だがとても良好で、ベストな関係だったと思います。それはいわば、不安定的安定を保っていました。お互いの不安や、不満を言い合い、好みに共感し、生産性のない話をする。そんな時間が、とても楽しく、嬉しく思えていました。私は、そのために生きていました。その時間がなければ、私は、あの大嫌いで、憂鬱な高校生活を生きることはできなかったでしょう。私は、自分のことがとてつもなく大嫌いです。ですがそのとき、あなたへ現実逃避してる自分が、すこし好ましく思えていたのです。あなたもそのときから私を、好ましく思え始めていてくれたのかもしれません。あなたにとって私は、なんだったのでしょう。もう、あなたに憧れて開けたマディソンも外してしまいました。
あれはいつのことだったでしょう。赤ちゃんは可愛らしいが、殺してしまいそうで怖いということを、初めて共感してくれたこと。私の、初めての小説を書いて見せたとき、言葉選びが先輩らしいと言ってくれたこと。私が、将来は自殺をすると言ったことから始まった、どのくらい本気なのか分からない心中の約束。あなたはどれくらい本気だったのでしょうか。
それが続くと思っていたあの日、あなたは、気になる人はいないのかという質問に、いないと言ったら嘘になると言った。このとき私は、あなたを私のものにすることなど、もうできないと諦めていたので、ごく普通のように、前の人を捨てたことと、新しく恋心を寄せる人を見つけたことのふたつに納得しました。ただ悲しくないわけではありませんでした。それは、ただの嫉妬心ではなく、もし彼女が、その気になる人と付き合うことにでもなっては、この関係が終わってしまうのではないかと思ったのです。あなたは、ひとつ年下ということもあって、妹を持っていかれるような。妹を持ったことはありませんが。私は、あなたが可愛らしくて仕方がなかった。
ですが、そんな私にも福が来ました。あなたは、電話の最後にこう言ってすぐに切ってしまった。「先輩ですよ」と。私は、数秒ほど動けなくなりました。私は、本当の、本当の嬉しかった。
私はこのころから、あなたへの独占欲が湧き出しました。そしてそれらが合わさり、正真正銘の恋心になりました。私はあなたにゾッコンでした。私は、あなたに付き合ってくれと言いました。あなたは「分かった」と一言。
私とあなたは、眠る直前まで話をしました。あのときの会話の内容を、私はたいして覚えてはいない。ですが、本当に幸せだったのは覚えています。私は、どんなに眠くてもあなたと話し、あなたへの思いをどんどん大きくしていきました。どんなに憂鬱な夜でも、あなたの声を聞けば、全てが報われた。私は、あなたに依存していました。
走馬灯というものはあるのでしょうか。もし、あるならば、私の走馬灯に、あなたは出てくるのでしょうか。あなたが今、幸せならば、あなたの笑顔が見たい。
そして、その幸せな時間が、二週間ほど過ぎたとき、私はやっと気が付いたのです。私は、あなたと付き合っていたころから、何らかの不安を抱いていたのです。私は、あなたとの関係はそう長くは続かないと分かっていたのです。ですが私は、無意識に目を逸らしていたのです。嫌な予感や、違和感というものは、大体当たるものです。
十月二十一日。朝七時ごろ。学校へ行く電車を待っている間。半ば強引にあなたに話しかけた。あなたの顔をちゃんと見られたのは、それが最後でしたね。
この遺書は、あなたのことばかりになっていました。ですが私の死に、あなたが責任を感じる必要はない。あるわけがない。私は、ただ毎日の退屈、憂鬱さに耐えられなくなっただけなのですから。ただあなたに、私の人生はあなたのおかげで幸せだったと、知ってほしかっただけなのです。これは私の遺書ですが、私からあなたへのラブレターでもあるのです。あなたがこれまで泣いた、何倍もの幸せを強く願います。私は、ラベンダー色に包まれ、美しく泣く、涙の似合ってしまうあなたが、唯一嫌いだった。いいえ、ラベンダーは私ですね。
あなたが読むのはここまでです。ありがとう。バイバイ。あなたとの最後の会話もこれでしたね。
誰かへ
私はこの文章を、誰が読むのか分からない。母か、友か、先生か、彼女以外であれば誰でも構わない。そこで首に縄をかけ眠っている、本当の私をみてほしい。
私は、初めは彼女に単純な恋心を抱いていたわけではありませんでした。恋といえば恋なのだろうが、すこし歪な独占欲を持っていました。彼女は、私の見た女という生き物の中で、圧倒的なまでの異彩を放っていました。たった一言の色では言い表せない色です。濃く濃い青のような、淡い紫のような、それらに見とれていると、ふっと出てくる、純粋な透明の水のような色。この色を、一言で何色と表す言葉は、この世にはないでしょう。私は、彼女をモデルにして小説を書きたかった。彼女の全てを、私の文章として残したかった。そのために彼女に近寄ったのです。あの、魅力の内に秘めた寂しさを、どうしても、
私が、書き切りたかったのです。私は、彼女を、小説を通して私のものにしたかったのです。これが、初めに持った歪な独占欲の正体です。私は彼女の小説を書き切るまでは、絶対に死ねない。もっと言えば、書き終えてすぐに死にたい。いいや、もう皮を被る必要は無いでしょう。小説を書き終え、彼女に殺されたかった。とても歪な恋ということは分かっていました。ですが無視することを、私の貪欲で強引な好奇心が許さなかったのです。彼女の全てを、飲み込んで、溺れさせたかったのです。ですが、あのときの私に、彼女を溺れさせることはできませんでした。
彼女は今、なにをして、誰かを愛しているのでしょうか。
私は彼女の持つ、実際のものより何倍も深い海を眺めて、酷く青い恋心を抱いたのです。ですが彼女は、私以外の人に私と同じ感情を持っていました。一度目の告白をしたときはとても落ち込みました。ですが私は、彼女との関係を切ることはできませんでした。今思うと、切らなくて本当によかった。私は学校という現実から、彼女へ現実逃避していたのです。彼女にとって私はなんだったのでしょう。前の人を忘れるためだけだったのかもしれません。ですが私は、それでもよかった。本当は今、この文章を書くという行為がとても苦しく、辛いのですが、書かずにはいられないのです。あのときの関係が続けばよかった。もう、どこにピアスを開けたなどの報告をすることも、されることも、死に方を言い合うことも、誕生日を祝うことも、あの川を散歩することもできません。もう、彼女に憧れて開けたマディソンも外してしまいました。ですが、どうしても、舌ピは外すことはできなせん。初めての小説を書いて見せたとき、言葉選びが先輩らしいと言ってくれたこと、本当に嬉しかった。友と、好きな女性像、いわゆるタイプの話をしても、私は彼女の特徴をあげるばかり。私が、将来は自殺をする言ったことから始まった、どのくらい本気か分からない心中の約束。今だから言える結構本気だったこと。こんなにも未練を抱えているのも私だけでしょう。
そんな曖昧な関係が続くと思っていた。あの日彼女は気になる人はいないのかという質問に、いないと言ったら嘘になると言った。私は、彼女との関係が終わってしまうことを恐れた。
ですが、そんな私にも福が来ました。彼女は、電話の最後に言いました。「先輩ですよ」と。本当に幸せでした。しかし、幸せというのは不幸の始まりでもあるのです。私はこのころから、彼女への独占欲が湧き出しました。そしてそれらは、正真正銘の恋となりました。ですが私は、すぐに彼女に付き合ってくれと切り出すことはしなかったのです。それは、なにかを企んでいるわけでもなく、彼女は私のものになるのではないかという安堵にひたっていたのです。
私は彼女にゾッコンでした。私は彼女の持つ、実際のものより何倍も大きく、深い海へと飲み込まれ、溺れていったのです。ここで、いままで築いてきた、私という人間は溺死したのです。私は彼女を感じるたびに、海へと溺れる感覚になるのです。いや、溶けて海の一部となるような。クラゲの死骸のように。クラゲの死骸といっても、そもそもクラゲが生きているものなのか分かりませんが。脳や心臓もなく、フワフワと体全体で心臓をして、最低限のものだけを持つ。ですが私は、時々思うのです。脳と感情は別なのではないかと。私はときに高揚し、ときに病む。そのようなときは無性に生きている意味を求め、つまらなさに絶望し、できもしない楽な死に方を探す。死にたいというよりは、生きたくない、消えたいといった方が正しいでしょう。要するに虚しくなるのです。虚しいとは、感情の中で一番厄介なものです。虚しさの理由が分からないことがほとんどだからです。さらには、虚しさがなんなのかも、私には分かりません。そういうときは寝るのが一番なのですが、私は寝るのも嫌になるのです。寝るよりも、消えたいのですから。また、その虚しさを無視してはいけない気がするのです。ですが、クラゲはそれができるのでしょう。クラゲが寝る理由とはこういうことなのではないでしょうか。
私が彼女の持つ海の底についたころ。私は、彼女に付き合ってくれと言いました。彼女は「分かった」と一言。ですが私は、すこしここに、疑問を覚えたのです。あまり嬉しそうではない様な気がしたのです。いい反応を期待していた私が傲慢といえばそうなのですが。私は、彼女の前の人を忘れるためだけにすぎなかったのかもしれない。いかし、当時の私がそうだと知っていても、彼女の海から抜け出すことはできなかったでしょう。彼女を好きで、好きで、たまらなかったのですから。そして、いまでも抜け出せていないのですから。
私は、ほぼ毎日彼女と話した。ほぼ毎日というのも、彼女は時々、理由のない涙を流し、そのときは、私と話すのも嫌になるのです。いわゆる鬱というものなのでしょうか。私には分かりません。おそらく彼女自身も分からないのでしょう。私はそれが心配でしかたがなかった。彼女のためになにかしてやりたかった。いいえ、私のためでしょうか。私は彼女に、全体重をかけ、依存していたのです。彼女の負担はとても大きいものだったでしょう。そんなことも知らずに、私は無責任なエゴの愛を育てていきました。依存とは、私の幸せはあなたにかかっていますという、とても無責任なものなのです。彼女のために生きているなど、彼女のためなら死んでもいいと思っていましたが、事実は逆でした。彼女が私のために身を削っていてくれて、私はただ、それに依存していただけだったのです。なんとたちの悪いエゴイストでしょう。恋は盲目と言いますが、私は一番大切な彼女にも盲目になっていました。もし、この首に縄をかけようとしている私に、次というものがあるならば、彼女に謝罪と感謝をし、私が、彼女を幸せにしてやりたい。彼女を傷つけておいて、なんと傲慢な願いでしょう。
走馬灯というものはあるのだろうか。もしあるならば、私の走馬灯は彼女でいっぱいになってしまう。彼女が私を呼ぶ声。話が途切れると決まって言うあの言葉。寝たときの吐息。このような未練というのも、いつかは時間が解決してくれるかもしれません。とてもありがたく、悲しいものです。私は、彼女のいない非日常が、日常へと変わっていくのがとても怖い。
そして彼女と付き合い、二週間ほど過ぎたとき。私はやっと気がついたのです。私は、彼女と付き合っていたころから、何らか不安を抱いていたのです。彼女と深く関わっていくほど、その不安は大きくなっていったのです。その不安とは、彼女との関係はそう長く続かないだろうということです。これはほぼ確信と言ってもいいほどでした。ですが私は、当時生きている中で、彼女と離れるのが一番嫌なことでしたから、無意識に目を逸らしていたのです。いや、全力で見ないようにしていました。ですが、嫌な予感や、違和感というものは大体当たるものです。
十月二十一日。朝七時ころ。学校へ行く電車を待っている間、私は半ば強引に彼女に話しかけた。私は、逃げていたことが全て、目に見える形で、一番思い知らされる形で気づかされた。それは私の、目に写った、彼女の、目元にある、涙の、跡。
私は電車に乗り、十分ほどしたところで、彼女とは違う電車に乗り変えた。そのタイミングで私は、彼女へ別れのメッセージを入れた。泣いた。涙は電車の床へ置いた私のリュックへ落下した。私は耐えきれずに窓の外を向き、片腕を窓へもたれかけて、世界から隠れるように泣いた。マスクを濡らし、拭った腕を濡らした。電車は、降りる駅についた。三十分ほどの道のりを、倍以上もかけて、泣きながら学校へ行き、保健室へ駆け込んだ。一日中、泣きながらテストを受けた。どうしても止まらなかった。今でも、夜になり感傷的になると、涙をこぼしてしまう。彼女と出会う前までは、涙などほとんど流したことがなかったのだけれど。自分の情けなさ、愚かさ、かっこの悪さに笑けてくる。こんなにも面白いのに、涙が止まらないのはなぜでしょう。この涙は、彼女へ対する、すまないという気持ちであり、彼女を傷つけた自分への憎悪であり、自分の人生から彼女が消えてしまった悲しみしょう。消えてしまったというのも自業自得というものです。そして、私の、貪欲で強引な好奇心の最後の足掻きでもあるのかもしれません。私は、彼女の表面的なことしか知ろうとしていなかった。彼女の魅力の内に秘めた、悲しみ、儚さには、どれほどの涙があるのでしょうか。私の好奇心が、今でもうずくのです。
付き合っていたころの私と彼女は、距離などないほど近すぎる存在であったのに、今では通り過ぎて、もしかしたら一番遠い存在かもしれません。学生の私には、彼女と別れたあと、何度居酒屋で泣いたとも、タバコの本数が増えたとも、表すことができません。学生の私だってそれらに頼りたいときがあるのです。私はなにに縋って、なにに頼って生きていけばいいのでしょう。ただ、私の人生に彼女がいてくれればよかった。ですが、それが一番無理な願いで、とても無責任なことでしょう。
私は、彼女がいなくては生きていけないのではなく、彼女なしで生きている自分が嫌なのです。
そしてこれから、彼女には、魅力の内に秘めた寂しさを隠して生きてほしい。彼女が、幸せになったら、その寂しさは消えてしまうのだろうか。それだけは駄目だ。彼女に幸せになってほしくないわけではないのですが。よく、身近な人の死を経験した人は、その人の分まで強く生きるというようなことを言いますが、私は、そんなことは言ってほしくない。私はいつ、墓に埋められるのだろうか。死んでもなお、私は、私の墓の周りに、たくさんのラベンダーを咲かせてしまうでしょう。
あれから半年ほどたった。
私は生きている。あの遺書を書いたあと、学校をやめた。当然、彼女が戻ることはなかった。ラベンダーを咲かせてもすぐに枯れてしまうだろう。いまだに、黄色いスイセンが咲くことを待ってはいるのだが。
ただ、死ななかった、死ねなかったのではない。あの遺書は、私にとってまだ遺書なのである。いや、これから遺書になる。あんなにも可愛らしく、美しく、儚く、愛おしい女性を見つけてしまったんだ。小説のひとつやふたつ書いておかないと、勿体ない。先に、違う誰かにかかれては、嫉妬や未練どころではない。ただ私は、彼女を書き切ったら死ぬつもりだ。
涙の色 橋本頼 @rai622
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