メタバースの死神

もげ

メタバースの死神

 朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。

 ロイはため息をついてスイッチを切ると、上着を羽織って部屋を出た。外は別に暑くも寒くもない。ただ、持ち物の枠が増えるから上着を着ているだけだ。上着のポケットに入った通信端末をなんとなく指先で弄びながら、昨日と同じ道を辿る。

 街は相変わらず閑散としていた。綺麗に区画を区切られた街並み。完璧に舗装された道路。一片の染みもない街路樹の白い花。時折無人の車が通るが、通りを往来する人影はない。それもそのはず、住民達はすでに次のワールドへ移行しており、ここに残されているのはNPC(ノンプレイヤーキャラクター)のみのはずだからだ。

 ここ、『コポス』は、メタバース、つまり仮想空間上にあるもうひとつの世界だ。人々は自らの分身であるアバターを作り、コポスの中でもうひとつの人生を楽しんでいる。

 神経接続をしているので、意識をしないと仮想空間だということを忘れてしまうほど、ここでの感覚はリアルだ。現在はサービス終了に伴い、季節感の演出は行われていないが、本来であれば今ごろは歯を打ち鳴らす程の寒さを感じていたはずだった。


 ロイは街外れのレトロな一軒家の前に立つと、ベルを鳴らした。

『はい』

 少しの間のあと、か細い女性の声がインターフォン越しに応答する。

「エレオノラさん、ロイです。今日も少しお時間いただけますか」

 インターフォン越しに苦笑する気配があって、続いて解錠の音がする。

『どうぞ、入ってきてくださいな。なにもお構いできませんが』

「もちろん結構です。ではお邪魔しますよ」

 ロイは上着を脱いで腕に掛けると、ドアを開けて家の中へと入った。

 エントランスを抜けて部屋に足を踏み入れると、エレオノラと二人の子どもが遊んでいた。エレオノラが二人に耳打ちすると、子ども達は笑いながら階段を駆け上がって二階の部屋に消える。

「団欒のところすみませんね」

「構いませんよ。お茶でも淹れましょうか?」

 手で示されたソファに腰掛けて、ロイは首を横に振った。

「お構いなく。元気な子ども達ですね」

 エレオノラは少し寂しそうに笑って、自身も向かいのソファに座る。

「お話は昨日の続きかしら?」

 ロイは頷いて身を乗り出す。

「昨日もお話しましたが、『コポス』はあと七日で閉鎖されます。通常であればサービスが終了しても強制ログアウトされるだけですが、貴女は『アストラリアン』だ」

 エレオノラは「ええ」と笑って、脇に置いてあった編み途中のマフラーを手に取り、手慰みに編み始める。

「サービス終了までに貴女のアストラルデータを他のワールドに転送しないと、この世界ごと貴女の存在は消されてしまいます」

 エレオノラは特に心を動かされた様子もなく、慣れた手でマフラーを編み進めていく。

「自殺をするおつもりなのですか?」

 手元を見つめたままほほ笑む彼女の様子を見て、ロイはため息をつく。

 『アストラリアン』は、肉体を捨て仮想空間で存在する人々を指す通称だ。大規模なメタバースの発展に伴い、不自由な肉体を捨てて仮想世界に移住した人は少なくない。彼女もその一人で、アストラルデータ――精神情報を核とする存在だ。

 通常肉体を持つ人間であれば、仮想現実の世界が失われても精神は現実世界の肉体に帰るのみだが、精神情報のみに存在を依存するアストラリアンにとって、ワールドの消滅は現実世界の消滅に等しい。そのため、ワールドが閉鎖される際などには、あらかじめ別のワールドへアストラルデータの転送を行うことが必須となる。実際、エレオノラ以外のアストラリアンはひと月も前に既に転送を完了させていた。

「叶うことならば、貴女を新たなワールドへ強制転送させたいところです。貴女のパスワードさえわかれば」

 アストラリアンを別の世界に転送させることは、実はできないことではない。個人のパスワードがわかれば、管理者権限を持つロイには強制転送を行う手段がある。しかし、本人の同意なしに行う第三者による強制転送は法律で厳しく制限されている。誰かの気まぐれでしょっちゅう異世界転生させられてはかなわないからだ。それに、意思に反する強制転送は精神抵抗がデータの破損を招くとして推奨されていなかった。そのため、ロイは彼女の同意を得るためにここに派遣されてきていた。

「それが貴方のお仕事だということはわかっているけれど、私は家族を置いて一人だけ別の世界に行くことなんてできないわ」

 二階にいる子どもたちを見つめるように天井を見上げて、エレオノラはきっぱりと言った。

 ロイは複雑な気持ちになった。彼女が言う『家族』――夫と二人の子どもたち、はNPCだということを知っているからだ。NPCは転送することはできない。そもそも精神がないからだ。独立AIが組み込まれているが、所詮プログラムに過ぎない。

「頭がおかしいと思っているんでしょう?人形相手にそんな感情を抱くなんて。でも、私は彼らを愛しているの。狂ってしまったって精神的寿命の診断を下してくれていいのよ。貴方がそう診断すれば、この世界の管理者が私ごとこの世界を閉じてしまうことは合法になるもの」

 ロイは唇を噛んだ。実際、『コポス』の管理者からはそう言われていた。『期限までに説得して転送するか、精神的寿命の診断を下してくれればいい。アストラリアンには肉体的寿命がない。増える一方でサーバーの負荷になってかなわん』と。

 アストラリアンをワールドに残したまま回線を切ってしまうことは刑事罰の対象となる。そのためエレオノラがここにいる限り管理者はコポスを閉鎖することができない。だが、サービス終了日程を延長し、サーバーを維持するには莫大な経費がかかるため、管理者は何としても期日までにけりをつけたい意向だった。

 ロイはそこで派遣された精神診断士だった。精神診断士はアストラリアンの『精神的寿命』の診断を下すことができる唯一の職能だ。アストラリアンには肉体の寿命がない。そのため半永久的に存在することができる。増え続けるアストラリアン人口はサーバーを圧迫し、社会問題にも発展していた。そこで、長く生きすぎて精神を摩耗し、正常な思考を行えなくなったアストラリアンに『精神的寿命』の診断を下し、データ破棄を合法化させられる存在が精神診断士だった。

「確かに、私が貴方に精神的寿命の診断を下せば、管理者はこのままこのサーバーを閉じてしまっても違法にはなりません。ですが、私には貴女が狂っているようには見えません。このまま診断を下せば、私は貴女の存在を消すことに加担した殺人者になってしまいます」

 エレオノラは困ったように微笑んだ。

「私がそれを望んでいても、ですか?」

「自死の責任を私にも負わせないでください。それに……貴女も死にたいわけではないのでしょう?家族と離れたくないだけで。で、あれば、貴女のご家族の行動学習データを次の世界のNPCに引き継がせるよう手配しますから……」

 NPC、という言葉にエレオノラはぴくりと表情をこわばらせた。ロイはしまった、と思った。彼女の家族がNPCということはお互い周知の事実ではあったが、その名称を意図的に避けていることに気づいていないわけではなかった。彼女の顔からさっと笑顔が消える。

「馬鹿げてると思うでしょうけど。私は本当に彼らを愛しているの。たとえ転送先のNPCが今の彼らと同じ振る舞いをしたとしても、私には彼らが同じ存在だとは思えないのよ。申し訳ないけど私は転送に応じる気はないわ。どうしてもというならここで彼らと一緒に死ぬ。私たちは家族なんですもの」

 ロイは心の中で頭を抱えた。せっかく近付きかけた彼女の心がまた遠くなってしまった。

「失礼なことを言ったことを謝ります。貴女がご家族を大切に思う気持ちをきちんと理解していなかったようだ。本当に愛しているのですね」

「そう……愛しているのよ……」

 思わずきつい口調になったことを恥じるように、エレオノラは眉を下げて頷いた。

「私もむきになったことを謝るわ。でも、分かってほしいの。私はこの世界で生きているの。この世界の、この体が私のものなの。この世界で手を握って抱きしめた存在が私の家族なのよ。NPCに魂は無いと貴方はおっしゃるかもしれないけど、それを言ったら私たちアストラリアンだって同じようなものだわ。データ化された存在に魂の根拠はあるの?この思考だって単なるプログラムかもしれない。肉体を捨てた瞬間に魂は失われてしまったかもしれない。ただ、魂があるかのようにふるまっているだけで……。でも肉体がある貴方たちだって、結局他人の魂のありかなんてわかりはしないんだわ。だから……相手の存在が真実かどうかなんて関係ないのよ」

 エレオノラは一息でそうまくしたてると、はたと顔を伏せて、「わけのわからないことを言ったわね。忘れてちょうだい」と消え入りそうな声で言った。

「……少し……わかるような気がします。もし貴女がよければ、少し私の昔話を聞いてもらえませんか?」

 エレオノラは怪訝な顔をしつつも頷いた。

 こんな話をするつもりではなかったが、なぜか話してみたい気になった。ロイはゆっくりと話し始めた。


 私にはかつてイェシーという恋人がいました。

 大学で出会って、卒業したら結婚をするつもりだった。若かったけど、本気だったんです。

 でも、大学四年の冬に彼女は倒れて、余命半年を宣告されました。私は彼女とそのまま別れてしまうことに耐えられなかった。

 両親を説得し、彼女の命が尽きる前に、彼女をアストラリアンにすることを勧めました。

 その頃はまだ今ほどアストラリアンは一般的ではなかったけれど、このまま死んでしまうよりはと本人も両親も乗り気になってくれて、余命宣告から四か月後にはアストラリアンになる手続きを行いました。

 私が大学を卒業した時、彼女の葬式ではなく、ワールドで結婚式の真似事のようなことができたことはとても幸せでした。まだその時はアストラリアンに関わる法律が整備されていなかったので、入籍をすることはできなかったけれど。

 ……でも、だんだんと私たちの関係に歪みが生じてきました。日中は仕事で現実世界を、夜はワールドにダイブして彼女のもとへ。私は二重生活を送っていたけど、彼女は違った。ワールドだけが彼女の世界になった。少しずつ、ほんの少しずつすれ違いが積み重なっていって、だんだん、彼女はおかしくなっていってしまった。

 思えば、きっと抱き合えば解消するくらいのほんの些細なすれ違いだった。でも、私たちは本当の意味で触れ合えなかった。肉体を持つ者と持たざる者、彼女と私の世界は少しずつずれていって、ガラス一枚隔てたこちら側と向こう側のような存在になってしまった。

 彼女は時折、私にもアストラリアンになるように仄めかしてきた。でも、健康な肉体を捨てるには想像以上の勇気が必要だった。私はなんやかんやとはぐらかして、そのままの生活を続けていた。ひどい話ですよね。彼女をアストラリアンにしたのは私だというのに。

 彼女はきっと私の愛情を疑っていたのだと思います。現実世界に別の恋人がいるのではないかとも。

 その頃は私も仕事が忙しくて、真摯に向き合えない部分もありました。正直に言うと、イェシーの存在を重荷に感じる時もありました。本当に身勝手だった。嫌になるな。

 ……そんな時、事件が起きました。

 彼女がシステムにハッキングして、私をログアウトできないようにしたのです。

 「手続きは全て私がやっておいたわ。一、二週間もすれば貴方の肉体は滅び、貴方もアストラリアンになれる。これで私たちはずっと一緒ね」と。 

 ぞっとしました。

 自分のことは棚に上げて、私は彼女の狂気を責めました。思えば、イェシーなりの脅しだったんだと思います。この時きちんと話をして、抱きしめれば何か変わっていたかもしれない。

 でも私は、彼女と向き合うことを拒絶してしまった。

 ほどなく、ハッキングがシステム管理者の知るところとなり、イェシーは管理当局に連行されてしまった。ほんの少しの罰で済むと思っていた。でも、彼女は二度と戻らなかった。

 恐らく、ハッキングは世界システムを脅かしかねないと判断されたのだろう。管理当局は手配した精神診断士に金を積んで、精神的寿命の診断を下させた。

 彼女のアストラルデータは削除され、私たちの元には何一つ戻ってこなかった。

 何もかも後悔しました。彼女をアストラリアンにするべきではなかった。あの時、彼女の肉体の死を受け入れ、残りの時間を謳歌し、彼女を見送るべきだったと。

 そして恨んだ。人の生死を左右するという自覚のない、腐った精神診断士のことを。

 

「それなのに精神診断士の道へ?」

 全てを話し終えると、エレオノラがそう聞いた。

「エゴだというのはわかっているんです。でも、これが私なりの罪滅ぼしだった。一人でも多くのアストラリアンに正しい診断を下す。一部の人間はアストラリアンを見下しています。彼らの生死をモノのように扱う人も少なくない。でも、私はアストラリアンと正しく共存したいんです。どう向き合うべきか未だに答えは見つかっていませんが……」

 プライベートなことを話しすぎたなと、ロイは後悔した。つい口が滑ってしまったのは、今日が彼女の命日だったからかもしれない。

「長居しました。今日はお暇しましょう。明日また伺っても?」

「駄目と言っても来るんでしょう」

「その通りです。私は私の為に貴女を正しく診断しなくてはなりませんから」

 ロイが眉を上げておどけて見せると、エレオノラはくすりと笑った。

「ええ、分かったわ。明日はお茶をお出ししましょう。今度は私の話を聞かせてあげるわ」



 ロイは『コポス』との神経接続を切ると、深く息を吐いた。そのまま椅子の背を大きく倒して目を瞑る。握りこぶしを額に強く押し当てると、目の奥がつんと痛んだ。

 イェシーのことを思い出すと今でも苦しい。今日はイェシーのこちら側の世界での命日だ。任務を早く切り上げて墓参りに行くつもりだった。

 しばらく椅子に横たわっていたが、ややあってのろのろと立ち上がり、黒のスーツに着替え、家を出た。

 外に出ると身を切るような寒さが全身を襲った。厚く黒い雲は今にも雪でも降りそうだ。ロイは口を開けて大きく息を吸い込み、肺に鋭利な空気を送り込む。鋭い痛みがこの身体が今ここにあることを実感させる。あまりの寒さに目の端に涙がにじんだ。ワールドから戻ってきたときは、いつも無意識に痛みを求めてしまう。肉体があることを確認したいのかもしれない。

 敷地に止めてある車に乗り込むと、エンジンをかけてカーステレオのボリュームを上げる。生きているとは何だろう。魂の在処とは。場違いに陽気な音楽に合わせて、鼻歌を歌う。どこかで花を買わなくては。とりとめのない思考がぐるぐると回る。

 『肉体を捨てた瞬間に魂は失われてしまったかもしれない。ただ、魂があるかのようにふるまっているだけで』エレオノラの声が耳の中に響く。もしそうだったなら、自分の罪は少しは軽くなるだろうか?いや、そんなことはない。彼女の言葉を借りるならば、『相手の存在が真実かどうかなんて関係ない』のだ。裏切ったと感じたのは自分。自らが課した責任に誠実でいられなかったことが罪なのだ。

 イェシーには謝らなければならない。今日も、これからもずっと。

 ロイはアクセルを踏み込むと、彼女の墓地へと向かった。



『鍵は開いていますからそのままどうぞ』

 翌日、ロイは約束通りエレオノラの家を訪ねた。今日は子ども達の声がしない。学校か、よそにやっているのかもしれない。

 中に入ると、昨日宣言した通りエレオノラがお茶を運んでやってきた。

「どうぞお座りください」と言って、テーブルに茶器を並べ、優雅な手つきで給仕していく。

「必要ないことであっても、やっぱり、飲食がないと味気ないわよね。クッキーもあるわよ。甘い香りがするの」

 まるでおままごとみたいに(いや、実際にままごとなのか)、彼女は無邪気にテーブルをセッティングする。

「さぁ召し上がって。考えてみたら誰かをおもてなしするなんてとっても久しぶり。今日は子どもたちを預けてるからゆっくりいいわよ」

 今日の彼女は妙に明るく口数が多い。緊張しているのかもしれなかった。

 茶器を運んできたお盆を片付けると、エレオノラは昨日と同じ、ロイの目の前のソファに腰かけた。

「さぁ、今日は私の番ね。どこから話そうかしら……」

 ロイが口を挟む間もなく、彼女は語り始めた。


 私がまだアストラリアンになる前の話よ。私には、今と同じで夫と二人の息子がいたの。

 夫は忙しい人だったけれど、たまの休みには家族でキャンプに出掛けたり、息子たちとキャッチボールをしたりしていたわ。

 息子たちも優しくて、料理を手伝ってくれたりして。とても幸せだった……。

 でもある日、家族みんなで海に行こうって車を出した先で、私たちは事故に遭ったの。

 ブレーキが壊れていて、海沿いのカーブで曲がり切れず、ガードレールを飛び出してそのまま……。

 目が覚めたら病院だった。夫と息子たちは即死だったって聞いたわ。私は命だけは助かったけど、体はぼろぼろだった。

 絶望だったわ。一瞬にして私の幸せは失われてしまった。死ぬことすらままならない。二度と思うように動けない体。毎日ただ天井を見上げて泣いていた……。

 そんな時、古い友人がお見舞いに来てくれて、アストラリアンの存在を教えてくれたの。

 魅力的に思えたわ。何もかも違う世界で、家族を弔いながら静かに暮らしていけるかもと思った。

 正直、入院代だってままならなかったから、私はその友人の助けを借りてアストラリアンになったの。

 しばらくはここで一人で暮らしていたのだけれど、駄目ね、寂しくなってしまって。夫と息子たちの似姿を作って、ままごとのような生活を始めたのよ。

 そうして生活していくうちに、私は彼らを愛するようになっていった。本物ではないとわかっていながらも。我ながら弱い心よね。 

 ――後で知ったんだけど、その古い友人はどうやら私をアストラリアン化したあと、私の体の臓器を売買していたらしいわ。

 事故とか病気とか聞くと飛んで行って、アストラリアンになるよう唆して。そして空っぽになった体を商売にしていたみたい。

 やんなっちゃうわ。私騙されたの。


「そんなことが……」

 ロイは言葉を失った。

「だからもういいのよ。このまま生き永らえても虚しいだけ。あの時は私だけ助かってしまって家族と離れ離れになってしまったけど、今回は家族みんなで逝ける。思えばそれが私の望みだったのかも。ずっと、自分だけ残ってしまったことを悔やんでいたから」

 でも、ここにいる家族は偽物ですよ、とは言えなかった。”真実かどうかなんて関係ない”のだ。彼女は彼女自身の魂の浄化のためにやり直したがっている。

「それが貴女の一番幸せな道ですか」

「ええ、多分」

 ロイはこぶしで額を強く押した。心を平常に保つための彼のクセだったが、痛みはなく、何の慰みにもならなかった。

「最終日の朝にまたこちらに来ましょう。診断書を用意しておきます。気が変わったらその時転送を行います。パスワードのご準備を」

「ありがとう、貴方が天使に見えるわ」

「死神の間違いでしょう。……あと、差し支えなければその”古い友人”のことも教えてください。人身売買は犯罪だ。これ以上不幸な人を増やしたくない」

「探してくれるのね。わかった。私が知っていることを教えるわ」

 しばらく事務的な会話を交わした後、お茶とクッキーを頂いてロイはエレオノラの家を後にした。

 何が正しいのか。まだまだアストラリアンに関する法律は整備され切っていない。現状、彼らの死については精神診断士の裁量によるものが大きい。

 そもそも一人の責任とするところが間違っている。アストラリアンの死が人間の死より軽んじられている証拠だ。裁判のように複数人が徹底的に議論して決めるべきことではないのか。アストラリアンを人間と同等と見る者にはひとりで背負うには重すぎる。逆に軽んじる者は容易に買収に流される。社会システムが悪いのだ。

 コポスで与えられた自室に戻り椅子に腰かけると、ロイは深いため息をついた。目を閉じて端末を操作する。一刻も早く肉体に還りたかった。


 そして迎えた最終日。

「エレオノラさん、やはり気持ちは変わりませんか」

「ええ」

「……残念です。私は貴女と良い友人になれる気がしていました」

 ふふ、とエレオノラはほほ笑んだ。

「貴方はこの仕事をするには相手に感情移入しすぎではないかしら?辛くなるわよ」

「性分なんです」

 ロイは無理やり笑って見せた。

「ひとつ、いいニュースがあります。あの後、アレン……貴女の古い友人の行方を追って、彼を警察に突き出すことができました。余罪は何十件とあるようでした」

「まぁ、もう捕まえたの?貴方は優秀な探偵でもあるのね」

「貴女の情報のおかげです」

 エレオノラは目を丸くして、そして明るく笑った。

「ありがとう。これで本当に心残りは無くなったわ。きっとこの日に間に合わせるために頑張ってくれたのね」

 ロイは俯いた。それが自分にできる精一杯の彼女への誠意だった。

「どうか私の死を自分の責任だと思わないでね。もっと、貴方のような人が辛くない世の中になるように祈っているわ」

 ふわり、とエレオノラはロイにハグをした。ぬくもりは感じられないが、ほんの少し魂が触れ合った気がした。

「さようなら」

「……さようなら」

 別れを告げ、ロイはコポスとの通信を切った。

 すぐに診断書の送付手続きとコポス管理当局への報告書作成に取り掛かる。

 ふと窓の外を見ると、白い綿雪があらゆる音を飲み込んでしんしんと降り積もっていた。

(おわり)

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