長野県伊那市で仙人に出会った話
物語の創作にあたって、必要なのは熱意。想像力。創意工夫。
加えて、これまでの人生の経験や価値や趣味嗜好、創作の端緒となる少しばかりの不思議な体験や、邂逅、疑問、怒りや悲しみといった感情などなど。
感動したり悔しくて涙を禁じえなかったあの想いも作品のスパイスになるし。
怒りに震えて腹の底から煮えくり返ったり、砂を食んだ辛い時期の苦労や心労なども創作の原動力となり得る訳で。
プロアマ問わず、作家の皆さんも同様に、自分の中にある『何か』が創作の端緒になっているのだろうとは推察される。
まぁ、私もいろいろな経験や体験を基に、今の自分という『自我』が形成されていき、それがさらに社会経験というオッサンならではの通過儀礼を経て、作品に投影されている訳だけども。
その中で、霊感ゼロの鈍感のくせに職場の空気察知力は長けていてメンタル弱めという困った自分でも、いくつか不思議な体験というのをしている。
ひとつはこのエッセイで以前も書いた通り、母の通夜の式に居て会話もしたはずなのに、どこの親戚の子でも無かったという謎の小学生低学年くらいの男の子。
https://kakuyomu.jp/works/16816927860106739970/episodes/16816927863275261618
そしてもうひとつが、二十年くらい前に深夜のテレビで観た珍妙な通販番組。
これは『ムダ毛を食べるカタツムリ』というタイトルで、セミフィクションの体裁でくだらない短編にしております。
https://kakuyomu.jp/works/16816927861324024489/episodes/16816927861324145981
もうひとつが、表題の仙人との出会いだ。
あれも今から二十年くらい前、2001年頃か。
長野県伊那市と言えば、ゆうきまさみ先生『究極超人あ~る』の聖地だ。
コミックスはOVAとしてアニメ化・発売され(後にDVD化もされる)、まさに作品世界にリアルの街をモチーフにした風景が登場するという、今で言う聖地巡礼の『元祖』的なもの。
退屈、卑屈、モラトリアム、怠惰で横着な文系大学生だった私とサークルの仲間はすぐにこの『内向きな文科系サークルの独特の内輪ノリ』作品にハマり、夏休みにはバイト代を貯めてレンタカーで長野を周遊した。
とはいえ今とは違う時給千円もしないバイトで稼ぐ大学生のビンボー旅行だ。
今ほど安全管理にうるさくなかった時代なので、道の駅や鉄道の無人駅で野宿をしながらの旅をしていた。
そんで伊那市に到着した我々は、昼飯を求めて駅前にレンタカーを止めて散策してたんだね。
看板に吸い込まれるように入ったのが、小さな町の定食屋『鍋焼城』だ。
実際なんとお読みするのかも知れないが、我々は便宜上『なべやきじょう』と呼んでいた。
息子さんか娘さんのご夫婦だか、お子らが厨房に立つ食堂。
昭和レトロな雰囲気だが、ここ伊那市では食事をするところも少ないのだろう。
いくらかはロケで寄ったと思われる芸能人のサインも掲げられていた。
大旦那と思われるおじいちゃんはレジ脇に座っていた。
その時でおそらく70歳代後半くらいかと思われる。
普段はテレビか新聞を見たり、店内のラジオを聞いてる風だったが、料理ができたら給仕・配膳をする、という具合だ。
他の客たちは食事と会計を終えて帰っていった。
我々も『美味いね』と、ごく普通の良い定食屋に入れたな、くらいの感覚だった。
そして会計のためレジに向かった大旦那に僕は言われる。
「あんた、コーヒーやめなさい」
最初は何を言われてるのか咄嗟にわかんなくて、失礼ながら距離感の不適切なアブないおじいさんかなと思ってニコニコはにかみながら、無難にやり過ごすつもりだったんだけど。
同行した友人たちの方が色めき立つ。
わたくしめ、この旅の数か月前からコーヒーにハマってた。
缶コーヒーなら、無糖、微糖、甘いやつとなんでも飲んじゃう。
バイトや大学の休日にはコーヒーが美味いという噂の喫茶店に自転車で繰り出す。
ついぞハマったばかりのコーヒーを狂ったように飲んでいた。
だからこの旅でも缶コーヒーを常備していたが、もちろん店に入った時にコーヒーをオーダーしたとか、缶コーヒーを直前に飲んだとか、コーヒーの話題をしていた訳ではない。
だが、僕の顔を見るなり単刀直入に「コーヒーやめなさい」という。
他の連れの友人達は、
「あんたは血圧が低いから根菜類をもっと摂りなさい」
「あんたは体温が低いからナスやキュウリは控えなさい」
という塩梅だったが、僕の時だけは血相変えて語気を強めて、
「とにかく、あんたはすぐにコーヒーをやめるんだ」
と言われたんだな。
シャツを剥かれて後頭部や鼠径部を指でコツコツ叩かれたりもしたよ。
「うん。大丈夫だ。今なら間に合う。助かりたいならコーヒーやめなさい」
大旦那、そのあとはドヤ顔でいろいろお話してくれましたよ。
「山菜を取りに、いつも毎朝5時には近所の山を何百メートルも登ってる」って。
定食屋『鍋焼城』を出た僕は、顔を蒼ざめさせて備蓄の缶コーヒーを連れの友人に配布しました。
以来、コーヒーを一切断った。
商談や仕事の席など、どうしても断れないコーヒーもあったけど。
出来る限りはお茶やアイスティーに切り替えた。
『出されたコーヒーも飲めないなんて』と思われたとしても、仙人のご託宣を最優先して少し口をつけるくらいで辞めた。
もちろんコーヒーフレーバー的なもの、甘味のコーヒーゼリーも全て断った。
時を経て2010年。
ちょうどその時の会社を辞めて時間があったので、日本中を車でブラブラしてた私は、再び長野県伊那市に降り立った。
叶うならば、仙人に再会して、あの時の話を詳しく聞きたかったのだが。
しかし『鍋焼城』は閉店していた。
悶々と街中を歩き、強引に伊那市駅付近で宿を押さえた私は、線路を挟んだ南側の街の居酒屋に入った。
そこで女将に聞いてみたんだ。
「街の北側にあった『鍋焼城』って定食屋、ご存知ですか? もう閉まってるんですけどどうなっちゃったんでしょうか?」
さすが、地方の街。
女将はある程度の事情を承知していた。
「あぁ、『鍋焼城』ね。ご主人が亡くなってそのまま閉めたみたいよ」
あぁ、大旦那もとい仙人は既に鬼籍の人、あるいは神よろしく登仙されたのか。
当時であのお歳だもんね。
この8年程度の間に、やはり亡くなっていたのだ。
これで『コーヒーやめなさい』の真相も、辞めたその後の自分も永遠に謎のままになってしまった。
以降はあくまで『ご近所さん』としての話ではあるが。
仙人の評価は近所で二分していたそうである。
「あぁ、またあそこのおじいちゃん、妙な事言ってる」と訝しがる人。
仙人の『診察』を期待して、店に何度も足繁く通うファン。
どちらの評判もあったそうだ。
あのまま仙人の言い付けを守らず、コーヒーを飲んでたら今どうなっていたのか、もはや真相や闇の中。
それでもコーヒーはもう辞めて20年以上。
もしくは酒かタバコやめなさいって言ってくれてたらなぁ、と思わなくもない時もあるのだが、仙人からのお墨付きがある以上、今も離さず付き合ってしまっている。
コーヒーを続けてたら早世してたかもしれない。
信じない人には単なるおじいさんの出鱈目だったのかもしれない。
でも、逆にそれがこうして伸びた寿命で数年前から執筆を趣味にして投稿できてるかもしれないし、オマケにこうやってエッセイのひとネタになるんだから、やっぱり生きてるだけで丸儲けなんですね。
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