第9話 かりっとから揚げネギ塩たれがけ
いちょう並木の下を自転車で走る。見上げると、夕日のオレンジ色が葉っぱの間から見えた。秋には黄色く染まるこの道も、初夏は緑一色だからなんだか不思議だ。
部活前に食べたおにぎりがいい感じに腹にたまっていたおかげで、午後からの部活も目いっぱい動けた。食べ終わると次々おにぎりを渡してくれる金剛寺先輩と菊さんの真剣な表情を思い出してちょっと笑ってしまいそうになる。
笑ってしまうといえば、石蕗邸を出る前に金剛寺先輩に渡された小さな保存容器、中身を見て少し驚いた。たぶんまた渡すものを間違えたのだろうけど、本当は何を渡したかったのだろうか。
しばらく土手を走っていると、いつもの帰り道に工事中の看板が立ち、ヘルメットを被った男性が通行人に説明をしているのが見える。どうやら通れそうにない。回り道をするしかないようだ。
いつもの道を右に曲がり、細い路地に入る。なんとなくで曲がってみたけど、この道は金剛寺家に続いているのだろうか。
まあ、わかなくなったら地図アプリでも開けば良いし、ゆっくり帰るかとそのまま自転車を走らせていると、どこからかにんにくの良い香りがする。
醤油の香りもするし、どこかのお宅の夕飯がから揚げなのだろうか。良いな…すっかりおにぎりも消化してしまった部活後のすきっ腹には辛い、おいしそうな香りだ。
なんとなく香りがする方向を見てみると、見覚えのある人が初めて見る格好で店先に立っている、気がする。たぶん、そうだ。
「げ」
やっぱり、エプロンをつけた
「なんなんだよお前。この道通るな」
「すみません。いつもの道が工事中で通れなくて」
自転車をとめると、盛大に舌打ちされた。
店の看板には、『
「バイト中ですか」
「は?私んちだよここ。花、って入ってるだろうが」
花菖蒲先輩がめんどくさそうに後ろを指す。なるほど。花菖蒲、の花で『肉花』なのか。美味そうなから揚げの香りも、ここからのようだった。
花菖蒲先輩は、俺のことが嫌いだからかイラついている。頭に付けた三角巾を取ると、後ろを向いて店の方へ歩き出した。
「さっさと帰れ、そして今見たことは忘れろ」
「今見たことというのは」
「今!この状況!全部忘れろ!」
「それは無理」
ああ⁉と振り返った花菖蒲先輩の目線は、一度俺を見てから、だいぶ下に下がる。
今、俺は返事をしていない。それは無理、と言った声の主は、いつのまにか俺のすぐ横に立っていた、金剛寺先輩だった。
「先輩、どうしたんですか」
「コウくんこそ」
「俺は道が工事中で…」
「おい、私抜きで話を進めるな」
何故ここに金剛寺先輩がいるのかわからないのは、俺も花菖蒲先輩も同じで、突然のことに驚いてはいる。だが、金剛寺先輩はそれ以上に驚いていたらしい。手に持っていた大きめのタッパーを持つ手が震えて、今にも落としそうだった。思わず下から片手で支える。
「夕飯、から揚げにしようと思って。あと、ユリにおすそわけ」
「あ、いつものか」
いつもの、と花菖蒲先輩が言うと、金剛寺先輩は小さく頷いた。
「あと、コウくん、ごめんなさい」
金剛寺先輩が申し訳なさそうに両手で小さく四角をつくるジェスチャーをする。花菖蒲先輩はわからない、という顔をしているが、なんとなくジェスチャーでわかった。
「これのことですか」
リュックのチャックを開けて、小さい包みを取り出すと、部活前、先輩から渡された小さな保存容器のふたを開ける。同時に、金剛寺先輩が持ってきたタッパーの蓋を開ける。
中身はどちらも同じで、みじん切りのネギがごま油かなにかと混ぜ合わせてあるたれのようなもの。
「ユリにあげようと思って間違えちゃった」
「なるほど」
「今持ってきたのはは追加分」
本当は、リンゴの切ったやつ渡したかったんだけど、と金剛寺先輩が下を向く。良かった。ネギだれをそのまま食え、ということではなくて。本当に食べなくて良かった。
「え、お前今日部活にネギだれだけ持たされて行ったの」
「そうなりますね」
「休憩中蓋開けたら?」
「ネギだれだけ入っていたので蓋を閉じて持ち帰りました」
花菖蒲先輩が苦しそうにおなか辺りを抑えている。これは、笑っているのだろうか。たまに、おまえ…そんな…とか、うそだろ…とか苦しそうに言っているのが聞こえる。隣の金剛寺先輩を見ると、申し訳なそうにこちらを見ている。飼い主に怒られた柴犬みたいだ。
「あー、笑った。お前、そんな真顔でさあ、かわいそうなやつ」
ひとしきり笑い終わったらしい花菖蒲先輩は、目に涙を浮かべながら店の奥へ消えていった。帰ってしまうのか、と背中を見送っていると、手にから揚げを持って戻ってきた。あたりにさっき嗅いだにんにくの良い香りが広がる。
「ほんとはそれ、これにかけるんだよ」
かしてみ、と俺の手からネギだれを持ち上げると、スプーンでから揚げの上にかける。揚げたてであろう、湯気の立つから揚げに、ネギがたっぷりと落ちていく。
「ネギが特売だったときは、すみれがこれ作って持ってきてくれんの。食べてみ」
ほれ、と差し出されたから揚げを、刺してある爪楊枝で持ち上げて食べてみる。
サクサクの衣の中はジューシーなもも肉で、みじん切りのネギとごま油のさっぱりしたネギだれとよく合う。から揚げのかじった面でねぎだれを掬いとり、たっぷりつけて二口で食べた。
「美味しいです」
「当然」
花菖蒲先輩が、さっきとは違う笑顔を浮かべた。
「これ、鶏ガラスープの素とごま油あればできる」
「じゃあ今度俺も手伝います」
金剛寺先輩が思い切り縦に首を振る。勢いが良すぎて、首が取れないかと心配になるほどだった。
「まあ、お前かわいそうだし、今のところは許してやろうかな」
「? ありがとうございます」
「わかってないだろ」
2つ目のから揚げに手を伸ばそうとしていたところで、花菖蒲先輩が言った。なんだかわからないが、許されたらしい。
ふと金剛寺先輩を見ると、爪楊枝の先にあるあつあつのから揚げを、一生懸命ふーふーと冷ましているところだった。それを見て、夕暮れの中、花菖蒲先輩がまた笑ったのが見えた。
金剛寺先輩のレシピ 蔵 @kura_18
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