プラスチック・ガール

@omuzig

出会いと別れと、出会いと彼女

少女は走っていた。



混沌とよどめくように人がごった返し、眩しいくらい色鮮やかネオンが光り輝くこの街の中を。



メイン通りのすぐ脇の路地裏には、居場所を無くしたゴミたちが色褪せ、絶望と諦めを体全身からは発しながら、横たわるだけだ。



少女はその打ちひしがれたゴミたちを見ては、顔をしかめた。



この街では、どこに行っても少女にとっての安息の地はない。



ただただ、走って、このとてつもない空腹を紛らわすしかなかった。



少女は走った。



真新しいローファは彼女が走るのには向いていなかった。



けれども、彼女は走る以外のなにかを知らなかったので、足の痛みに耐えながら暗闇の出口を探した。



宛もなく、ただ真っ暗な夜の闇の中を。






僕が彼女を見つけたのは、公園のベンチの上だった。



人気が無いしんと静まり返ったその場所で、少女はお腹を抱えて横になっていた。



僕は警察に電話をしようと手にしていた携帯電話を操作し始めたが、すぐに「やめて・・・」と力を振り絞るようなかすれた声で彼女は言った。



何か訳ありなのは百も承知だが、まさか一般男性の家にこの女子高生の服装をした未成年と思われる少女を連れていくわけにはいかない。



それでも彼女をこのままここに置いていくわけにもいかず、彼女が必死に「私を、隠して」というので、致し方なく僕の入れに招き入れることにした。






彼女の顔は非常に成端で、一度も日の光を浴びたことが無いかのように白く透き通った肌をしていて、少し人間離れしているようにも思えた。



それ以外を除けば、彼女はどこにでもいる普通の女子高生で、赤のリボンとチェックのスカート、オフホワイトのベストがよく似合う少女だった。



栗色の髪の毛は、肩につくくらいの長さで切りそろえられ、毛先は綺麗に内側にカールをしていた。



手にはなぜか包帯を巻いており、この時点で意味ありの雰囲気を感じた。



僕は帰りにコンビニで水とおにぎりを彼女に買ってあげたが、彼女は水が入ったペットボトルだけ受け取って、少し嬉しそうな顔をした。



彼女の水の飲み方は独特で、言葉を選ばずに言えば少々下品だった。



ペットボトルの縁を食べているかのようにカチカチと音を鳴らしながら嚙みながら飲んでいた。



でも僕はそんなことは気にならなかった。



それよりも、彼女がその水以外口にしないこと、なぜ僕の家に来たのか、どうして公園でひとりでいたのか、そちらの方が気になって仕方がなかった。



男くさい整理されていないワンルームの一室に、彼女と僕だけがいる、そんな不思議な空気を感じていた。






勇気をもって訳を聞いてみると「今は言えない」とただそれだけ言われた。



僕は何においても無理強いをするのが好きではなかったので、「言いたくなったら教えて」と伝え、「こんな部屋だけどゆっくりしていって」と加えた。



彼女は「ありがとう」と一言言って、その日は寝てしまった。





そして、これから女子高生一人と、社会人の僕一人という不思議な共同生活が始まった。



彼女は学校をずる休みしているのか、外出することもなく、一日中部屋で過ごし、時折シャワーを浴びては、テレビを見たり、僕の漫画を読んだり、パソコンを使ったりと過ごしていた。



若さ溢れる女子高生との胸弾む憧れの生活だったが、僕は大学卒業時の就職活動戦線に敗れ、アルバイトの掛け持ちで生計を立てるフリーターであったので、正社員への転職活動だったり、大手に就職した動機への焦りの方が大きく、あまり彼女へ対する欲だったり、そういったものは不思議と湧かなかった。



それでも、家に帰ると、誰かが僕を待っていて、「おかえり」と出迎えてくれるのは、決して悪いものではなかった。






彼女は部屋の掃除が好きらしく、同棲を始めてから僕の部屋からゴミがキレイになくなっていった。



テーブルの上に置きっぱなしにしていたカップラーメンの空や空いたペットボトル、コンビニ弁当の空き箱など、きれいさっぱりなくなっていた。



僕自身、部屋の掃除が苦手だったので、大変ありがたいものだった。



彼女がいれば、こんな風な毎日なのかなと、想像することもあった。







ひとつ気がかりだったのは、彼女が決して僕の前でごはんを食べないことだった。



「恥ずかしいから」「歯並びが悪いから」「育ちが良くないから」とあらゆる理由を並べては、拒否していた。



しかし、歯並びはむしろ僕の方が悪かったし、育ちについても誰がどう見ても、僕の方が歯磨きを忘れたり、女性に気を遣えなかったり、彼女の前で普通に下着姿になるので、よいとは言えないだろう。



彼女は自分の下着と僕の下着を分けて洗うし、お風呂上りには髪をしっかり乾かすし、寝相も僕よりもずっといい。



でも、ごはんは食べなかった。



そんな彼女だが、僕が外出しているときに、お腹が空いたら食べているようで、冷蔵庫にある牛乳は減っているし、何よりも元気そうなので特に心配はしていなかった。



公園で行き倒れていたくらいだ。



何か訳ありなのは、そうなのだろう。






事件が起こったのは、彼女が僕の家に来てからひと月経った日のことだった。



僕のせめてもの慰めで、なけなしの貯金で購入した美少女アニメのキャラクターのスケールフィギュアがある日忽然消えたのだ。



毎朝そのフィギュアを見て元気をもらい、アルバイト先に行っていたので、確実に朝まではあった。



しかし、夕方帰宅すると、忽然と消えていた。



まるで、フィギュアがひとりでに歩き出して、どこかに行ってしまったかのように。



僕はいやいやながらも、彼女に尋ねてみた。



その日も一日中家にいたはずの彼女であれば、何か知っているかもしれない。



彼女は明らかに動揺をしており、僕の目を見ずに、ずっとどこか焦点も合わさずに、きょろきょろと目を動かしていた。



「君を疑っているわけではないよ。どこに行ったかが知りたいんだ」



彼女がお金欲しさに転売したのなら、買い直せばいい。



限定品であるがゆえに、購入価格の1.5倍のプレミアム価格が今はついているが、先月の残業代で買い直すくらいの余裕はある。



壊れていても、僕はそのフィギュアがあれば満足できるので、例え腕が一本なくても全く問題はない。



存在さえすればいいのだ。



彼女は俯きながら言葉を選ぶように「・・・猫」と一言だけつぶやいたので、僕は「猫か、猫ならしょうがないね」と安堵したように返した。



最近このアパートの周りで子猫が出没しているのを実際に見たことがあり、築40年のこのおんぼろアパートでは猫が部屋に侵入していyたずらするもの納得である。



僕は少し落胆したものの、フィギュアならまた別のもっといいものを正社員になってボーバスで買おうと心に決めた。



この件は終わりだ、と思った瞬間だった。



彼女が顔を真っ赤にして、その目からぽろぽろと滝のように大粒の涙を流し始めたのだ。



思わず僕はぎょっとしてしまい、まじまじと彼女の顔を見ることになった。



どこか日本人離れしたその顔立ちは美しく、白いバラの中にふたひらの赤い花びらが咲くようなそんな美しい顔だった。



目は大きく、二重の幅はまっすぐに平行線を描き、茶色味が強い目は、海のように深くそれでいて澄んでいた。



よくよく見ると口許には小さな小さな黒子がひとつだけ彼女の肌に申し訳程度についていた。



「どうして、泣いているの」



僕はオロオロと行き場を失った手を空中で浮遊させた。



「ごめんなさい」



「いいんだよ。猫が悪いんだから、君は謝ることはないよ」



「ごめんなさい。猫にも、あなたにも。せっかく私を守ってくれたのに」



彼女の涙は止まらずに、ずっと彼女のその細い輪郭を撫でるだけだった。




「私なの。私が、あなたの大切なものを」



まさかとは思ったが、そうだったらしい。



でも、僕はもうとうにそのフィギュアへの固執はなくなっていたので「もう大丈夫だよ。今度新しいものを買おうと思っていたところだから」と言った。



ごめんなさい、ごめんなさいと彼女は続ける。



そして、何かを決意したかのような目で僕を真っ直ぐ見ると、こう言ったのだ。



「私が、食べたの。あまりにも美味しそうで、ずっと我慢していたのに、我慢できなくて」



「食べた?食べたってどういうこと?」



「それは…」と彼女は何故か頬を赤らめて、ポケットから何かを取り出して、その並びのいい前歯でカリッと噛んだ。



「こういうこと」



彼女が噛んだのは、僕の大切にしている美少女フィギュアの右足のようだった。



美味しそうに顔を高揚させる彼女の口からは、先ほど噛み切った右足の太腿が覗いていた。



「美味しかった。ごめんなさい」



彼女と出会って一番長く会話したのが、この瞬間だと僕はふと感じた。







オンボロアパートの1kの一室に、お互い正座をし合っていた。



彼女の衝撃的な発言は僕の心を動かすわけでもなく、むしろ1ヶ月一緒に生活をしていたのに、彼女のことを知ろうともしなかった自分ことを恥じるようになった。



だって、僕は彼女の名前さえ知らない。



彼女も僕の名前さえ知らない。



そこで僕たちは遅かれながら、お互いのことを話すことにした。



「君のことを聞かせて」とお願いし、「それだけでいいよ、フィギュアのことはそれで許せるから」と彼女の心を少しでも軽くできるような言葉も追加した。



彼女は本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれて、「イペ、私の名前」と自己紹介をしてくれた。



「私、君たちの世界でいうところのゴミを食べて生きている。私の大好物の担当はプラスティック。特にペットボトルだけれども、あなたの部屋のあの小さな女の子が特に美味しかった」



「え、ちょっと待って、ちょっと待って。ついていけてない。ひとつずつ、ゆっくり説明して」



「私の名前はイペ。私の大好物はプラスティックで…」



「いやいや、そうじゃなくて、いや、そうなんだけど」



僕はどこから彼女、イペの話を聞いたらいいのか分からなかった。



僕はそこから一つずつ、イペの言うことについて質問をしながら、僕の足りない頭で理解を深めていった。



けれども、イペの話は、僕には理解できないことばかりだった。



それは僕が就職戦線に破れた落ちこぼれだからなのか、そもそもイペの話がありえないのか、それとも両方か、はたまたそうではないのか、それはどっちでもよかった。







彼女、イペと名乗る少女は、どこからどう見ても、どこにでもいる女子高生にしか見えないが、実は年齢がまだ四歳のウミガメだと言う。



もともとはオーストラリアの生まれであるが、海中に漂うプラスティックの釣り網に口と首を絡め、瀕死のところを現地の漁師に拾われたらしい。



自分達が放った網が命を奪いそうになっているのに、その張本人たちから命を救われるというのは、何とも矛盾している。



その後、イペは介抱の甲斐もなく息を引き取ったはずだったのだが、次の瞬間彼女が目覚めたのは天国でも地獄でもなく、どこかの研究所の痛いくらいの白熱灯だったようだ。



そして目覚めた彼女の体からは硬い甲羅がなくなり、頑丈な皮膚は柔らかく白いものとなり、カメから人間の姿になっていた。



その次に彼女が意識をしたのは、強烈な空腹だったそうだ。



彼女は口を釣り網に絡められていたこともあり、何日も食べ物を口にしていたかった。



死因は餓死だったのだろう。



彼女は無機質なコンクリートで固められた研究所の中で食べ物を探した。



「おいしい、おいしい!」と口から出るよだれを止められずに食べていたのは、自分を死に追いやった釣り網だった。



さらに、彼女はたまたまそこにあったペットボトルまでも丸々一本食べ切っていた。



イペはカメから人間に変わり、そしてゴミを食べるようになった。



それも、プラスティックが特に、だ。



それからイペはどこか知らない島に連れて行かれたのだという。



そこには同じように別の場所から連れてこられた人がいて、野生の感覚からイペと同じように昔は人間ではなかった物たちの匂いがしたのだとか。



イペは自分を苦しめたゴミを食べて生きるなんて、絶対に嫌だと思っていたが、迫りくる空腹に耐えられなかった。



そしてある日、空腹が理性を凌駕した日、イペは島のゴミをほとんど一人で食べ切ってしまったのだ。



イペの体にも変化が起きて、まだ小さい幼女の姿だったはずなのに、いつの間にか小学生くらいの少女に成長していた。



イペは急に成長した自らの体の変化に耐えきれずに、そのストレスを食事で満たした。



よく朝、島のゴミはすっかり空になり、島は見違えるように美しい森と海を持つ世界でも有数の観光地になった。



僕はその島の名前を知っていたし、大学生の卒業旅行で訪れる観光名所だということも理解していた。



その場所は彼女がゴミを食べることで、成立したのはにわかには信じ難かった。



そのあとも、彼女は荒れ果てたゴミ溜めと呼ばれる誰も立ち寄らないような場所に連れて行かれては、ゴミがなくなるまで食べ尽くした。



その中で、イペは自分と同じように体をいじられた仲間と仲良くなり、ある人は石油担当だとか、ある人は放射能担当だとか、そんな話を聞いた。



その人たちとは、二度と会わなかった。



今どうしているのかを考えてもどうしようもないので、彼女は自分のこの運命を受け入れていこうとだけ、考えた。




彼女にとってゴミはご馳走であり、美しい塵ひとつない場所は全く魅力ないものにしか見えない。



そして、次に連れてこられたのは、僕が住むこの街だった。



この街、もといこの国は先進国として地球の資源を思うがままに我が物顔で蝕んでいくような国だ。



どこに行ってもゴミが溢れ、綺麗な場所なんて山奥の僻地くらいしかない。



彼女にとって、この国は宝の山なのだ。



しかし、彼女は逃げ出した。



自分がゴミを食べなければ生きてはいけないこと、美しいものが嫌いなこと、食べるとその分成長してしまうこと、全てが受け入れられずに思い切って研究所から脱走をしてみた。



脱走は思いの外簡単で、追っても来ずに成功することができた。



しかし彼女は、この体がすでに解剖されており、どこにいるかなんて常に感知と監視をされているのだと悟り、研究所にとっては私の必死の脱走は、犬の散歩くらいにしか思っていないのだと感じた。



それであれば、このままお腹を空かせて死んでしまおうと決めた。



あのサンゴが色鮮やかに咲く南国の美しい海で、カメのまま死にたかった。



そういえば自分の母も父も、たくさんの兄弟たちも、自分がいまこうして生きる糧にしている人間が作ったゴミで命を奪われたことを思い出した。



彼女は死を決心して、公園に横たわっているとき、僕が現れたのだ。



もしも僕が警察に電話をすると、研究所に引き渡され、このまま死ぬことすら許されない。



それであれば、いっそ迷惑をかけても、自分の選んだ人生で死のうと、僕を利用したのだと言われた。



しかし、彼女は僕のスケールフィギュアを見たり、猫という尊い生き物を見たり、この世界に興味を持ってしまい、死ぬのが怖くなったのだという。



(冷蔵庫から牛乳が減っていたのは、自分が飲むのではなく、猫にあげていたのだ。



さらに言えば、生活ゴミは彼女が食事にしていたため、常に家庭ゴミがない家になっていたようだった)



そして、空腹に耐えきれずに、僕のお気に入りのフィギュアを食べたのだ。



「隠していて、ごめんなさい」



彼女は言った。



「教えてくれて、ありがとう。辛かったね」



僕がそういうと、彼女は今まで止めていたものが壊れたかのように涙を流し続けた。



それは、まるで海ができるかのように、とめどなく、彼女の目から溢れては、落ちた。








「このあと、イペはどうしたい」



すっかり日が落ち、夕日が注ぐオレンジ色の部屋の中で、僕は尋ねた。



「外の世界をもっと見たい、そして死にたい」



僕は彼女のせめてもの願いを叶えてあげたいと思った。



何も成し遂げられない僕だけれども、この彼女の願いだけは叶えられそうな自信があった。



その翌日から、僕たちはいろいろなところに行った。



イペに美しい世界を思い出して欲しいと思い、水族館にいった。



彼女は水槽の中で泳ぐカメを不思議そうに見ていた。



そして涙を流しながら「あなたは、カメのまま亡くなってね」とぽつりと呟いていたのが聞こえた。



ある日は、動物園に行ったり、遊園地に行ったり、紅葉狩りに行ったり、海水浴にも行った。



彼女はどこも楽しいと言ってくれたが、彼女がいちばん興味を持っていたのは、道中で目に入るゴミ捨て場だったり、ときおりすれ違うゴミ収集車だった。



そうして過ごしている中でも、彼女は食事を最低気で続けていた。



どうやら、彼女の体は人間でいうところの4歳ずつ成長するらしく、僕と出会ったときには16歳、いまや20歳の素敵な女性になっている。



成長の速度はゴミを食べる量で決まるらしく、ご飯の量が多いと速いし、少ないと遅い。



それでも、どんなにがんばっても半年で4歳は歳をとってしまう。



さらに不思議なことに、彼女の体は歳をとるごとに小さくなっていったのだ。



それも、60歳を過ぎたあたりから、身長が低くなるというよりも、体自体が縮んでくようなそんな変化だった。



このままだと、彼女は僕の目から見えなくなり、どんな粒子よりも小さくなってしまいそうなくらいだった。



小人に近づく彼女を僕はどうしようもできなかった。



ただ、残酷に時間だけは過ぎて、あっという間に彼女は僕の年齢を越して、僕の上司の年齢を越して、僕の両親の年齢を越して、彼女が掌に乗るくらいの大きさになって足腰が悪くなって来た頃に、もう遠出をすることを辞めた。



「近場でゆっくり過ごしたい」それが彼女の願いだ。



僕はありままの彼女を受け入れ、家の中で過ごすことにした。



ある日ベランダで日光浴をしていると、鳥が彼女を餌だと思って啄みに来たことがあり、ずっと家の中にいまはいる。



彼女がおそらく80歳を超えたあたりから、体の収縮が加速度的に早くなり、いまでは人差し指に乗るくらいの大きさになった。



彼女の声さえも小さすぎて聞こえにくくなり、耳元でゆっくり話してもらうと、ようやく分かることだった。



その微かな声で聞こえたのは、こうだった。



「私はもう少しでいなくなる。文字通り、無くなる。でも、残るものがある。それを大切な人に渡して欲しい。それが最後のお願い事。いままでありがとう」



僕はその言葉が最後の言葉だと本能的に感じた。



そしてその予感は的中し、彼女はもう二度と言葉を発しなくなり、一日中眠るようになった。



醤油皿の小さな陶器の器にティッシュペーパーを何枚か重ねた上で彼女は丸くなって寝続けた。



大好物のスケールフィギュアの髪の毛の部分を僕はちぎって、彼女の脇に置いた。



彼女はしわくちゃになったその顔をさらにしわくちゃにして、「ありがとう」と口をぱくぱくさせて眠りについた。



「イペ、おやすみ」



僕はいつもように彼女に言葉をかけて、寝た。







翌日、おそらく彼女は亡くなった。



おそらくというのが、結論なのだが、彼女が眠っていただである場所に、彼女の姿がなったからだ。



もしかすると、自分一人でどこかに歩いて行ったのかもしれないが、もう歩くことすらままならないほど、足を痛めていので、その可能性は低い。



猫か害虫が連れて行ったしまった可能性も考えた。



昨晩までの彼女は、もうハエがついても振り払えないほどに老衰していたので、ありえそうだ。



しかし僕は頭の中で、その考えは否定した。



ひとつは、僕がちぎったフィギュアの髪の毛が少しだけ噛み切られていたこと、ふたつめは、醤油皿の畳んだティッシュペーパーの上に、小さく光り輝くものがあったからだ。



その小さく光り輝くものは、僕の小指の爪くらいの大きさもないが、光をたくさん取り込んで、今まで見たどの宝石よりも光を放っていた。



それは、ダイヤモンドのような真珠のようなルビーのようなエメラルドのような、角度や時間によって輝きの色が変わる不思議な宝石だった。



もしかしたら、彼女は宝石になったのかもしれない。



数々の人間が出したゴミを食べて、こんなに素敵なものに生まれ変わったのかもしれない。



それは、無理やりカメから人間になった彼女へのせめてもの救いだったと思う。



僕はその小さすぎる宝石をなくさないように胸に抱いて、その日一日中泣いた。







一通り泣き終えたときに、彼女の願い事を思い出した。



「私はもう少しでいなくなる。文字通り、無くなる。でも、残るものがある。それを大切な人に渡して欲しい。それが最後のお願い事。いままでありがとう」



この宝石を、大切な人に渡す。



そうだ、まだ僕は彼女の願い事を叶えていない。



無力な自分ができる、たったひとつのこと。



僕は急いで支度をして、家を飛び出した。







僕がついたのは、家からほど近くのファミリーレストランだった。



息を切らしながら、店内を探し、僕は目当ての人を探した。



その人は店内の一番奥の席に座って、窓の外の景色を眺めていた。



「ごめん、遅くなった」



荒く切れる息を整える間もなく、僕は椅子に腰かける彼女に声をかけた。



そして、彼女の向かいに座るや否やこう切り出した。



「僕と一緒に生きてくれないか」



そのつぎに僕は手に握りしめていた小さな小さな宝石を彼女に差し出した。



「これを君に」



彼女は何も言わずににっこりと微笑んでくれた。



鎖骨ほどの長さがある栗色の髪がさらりと揺れ、毛先が内側に流れた。



雪のように真っ白な肌に花が咲いたような淡い色の唇、そしてその下には申し訳程度に小さな黒子がひとつ、彼女の顔のアクセントのようについていた。



「ありがとう」



そう彼女は言った。



包帯が巻かれた手を差し出して、その宝石を受け取った。



カラン、と彼女が飲んでいたアイスコーヒーの氷が溶けて音を鳴らした。

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