4
「ねえ、母さんに繋いで」
「かしこまりました」
あの騒動の次の日の朝。私はふと母と話をしたくなった。
「あら、なんか久しぶりね。メッセージ、既読マークがついても返事くれないから心配してたのよ」
「ごめんごめん。お姉ちゃんとはよく会って話してるんだけど」
「ああ、聞いてるわよ。あなたコンビニ弁当ばっか食べてるでしょ! 自動調理器は使ってないの?」
そんな他愛のない会話をしながら、なんだか実家にいた頃を思い出す。メッセージでもいつもは適当に返して切り上げたくなるようなやり取りも、今日はなんかぐだぐだと続けたくなってしまう。
「でさ、再来週の週末から少し仕事のお休みをとって帰ろうと思ってさ」
「そうなの。久しぶりに帰ってくるのね。お父さんもあなたの顔見たがってたのよ。じゃあ肉じゃがを作るわね。久しぶりに手作りしようかしら」
「あ、どうせなら私にも教えてくれない?」
「あら。まあいいけど。まずは自動調理器でも料理する習慣ぐらいはつけなさいよ」
「いいの。ただ作り方教わりたいだけだから。うちのレシピ、教えてよ」
大家さんから部屋のシステムのメンテナンスが可能な連絡が入り、家を出るならと私はそのタイミングでと仕事の休みを取り、久しぶりに実家に帰ることにした。
実家に帰るのは何年ぶりだろうか。どうせ電車で1時間ぐらいの距離だし、いつでも会えると思ってここ最近は全然帰ってはいなかった。
「じゃあまた。寒いからコートでも着て暖かくしてきなさいよ」
母との久しぶりの通話を切り、部屋の中を見渡す。改めていい部屋だと思う。私の生活に最適化されたスマートホーム、というだけではなかったけど。値段は安いし。それに何か暖かいものがずっと積もって残っている気もする。
「えっと、ありがとうございます」
ふと自然と感謝の言葉が口から溢れた。別にこの家や亡霊が何かしてくれたわけではないのだけど。ちょっとセンチメンタルになっているのかもしれない。
「ありがとうございます。私は皆さんの生活を豊かにするのが仕事です」
天井からいつものあの機械的な声が代わりに返事をしてくれた。
「別にあんたに感謝したわけではないけどね」
ちょっとだけ部屋に悪態をついてしまったけど、私の顔は少し笑っていたはずだ。
実家に帰る日の朝。最近あまり着ていなかったコートをタンスから出す。少し前にデザインが気に入り、お洒落かもと思って買った、紺色のトレンチコート。ちょっとホコリを被っているけど、それを丁寧に落として、羽織る。なんでだろうか、今日はちょっとだけ、身なりに気を付けてみようと、私にしては珍しく思った。2年ぶりに私の姿を見せることになるし。少し身が引き締まる。ちょっと緊張しているのかも。変な感じだ。
着替えとお土産をパンパンに詰めたスーツケースを転がし、玄関の前で振り返る。
休暇から帰ってくる頃には、きっとお婆さんと守谷さんのデータも全てきれいに消えてしまうのだろう。亡霊はちゃんといなくなる。そう考えると、望んていたことなのにどこか寂しい感じもする。そんなことを考えて、いつもはかけない言葉を出してみたくなった。
私はもう一つの帰る場所に向かうために、もう一つの帰る場所にできるだけ優しい声で挨拶をする。
「いってきます。また帰ってくるよ」
振り向き玄関のドアを空ける。
背を押す優しい声が後ろから聞こえた気がした。
<了>
誰かが待ってる ~2030年の事故物件事情~ 蒼井どんぐり @kiyossy
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます