第三十三話 線香 下

 今では珍しい燐寸を擦り、俺は蝋燭に火を点けた。

 焼香を済ませ、仏壇りんを鳴らす。激変してしまったこんな世界でも、死者を弔う作法は特段変わっていない。

 正座したまま戦死した男の位牌に手を合わせ、俺は深々と頭を下げた。

 雨が吹き荒れ、窓を激しく鳴らす。天候はこれからますます崩れるようだ。

 佐伯俊夫の実家は臨時首都の置かれている名古屋郊外、無数に立ち並ぶ疎開団地内にあった。

 かつては京都で暮らしを営んでいたらしいが、【幻霊】の大規模襲撃を受け、父親が行方不明に。その後、当時被害を免れ、臨時首都とされていた横浜へ疎開。

 そこで、再び【幻霊】の襲撃に遭遇したと履歴書には記載されていた。

 俺は数十秒間、頭を下げた後、後方で正座されている佐伯俊夫少佐の御遺族――母親と妹さんに向き直り、再び頭を深々と下げた。

 何十回経験しても慣れるものじゃなく、言葉も出て来やしない。

 それでも辛うじて詫びる。


「……………この度は、大変……大変申し訳ありませんでした。佐伯少佐を戦死させてしまったのは、私、風倉樹の責任です」


 頭を下げている為、二人がどういう表情なのかは分からない。

 退院前から手紙を書き、今日ようやくこの場に来れはしたものの……恨まれていて当然だ。

 佐伯は、俺を庇って死んだのだから。


「――……風倉さん、御顔を上げてください」


 母親の毅然とした声が耳朶を打った。

 俺はゆっくりと顔を上げ、視線を合わせる――白髪の目立つ母親と、十代半ばに見える、黒髪をポニーテールにしている妹さんの瞳には大粒の涙。 


「どうか……どうか、謝らないで。あの子は、俊夫は、貴方と共に飛ぶことを念願していました。滅多に来ない手紙にも、貴方のことばかり。『風倉教官は本当に凄い人なんだ!』『防衛軍を抜け、教官職に就いたことに後悔は一切ない』と」

「佐伯が……」


 正直言って、俺と佐伯はそこまで親しい間柄だったわけではない。

 同僚として学生達の教育方針について話すことはあったが……共に【幻霊】と戦ったのは、先日の襲撃時だけ。そこまで、想われる覚えはない。

 すると、制服姿の妹さんが涙を拭い、左手を自分の胸に押し付けた。


「……お兄ちゃんと私は京都で。私は横浜でも、貴方に救われたんです。私達を守る為に決して退かず、傷つき、はっきりと見えるくらい血を流しながらも無数の怪物達に立ち向かった貴方に。……お兄ちゃんは何時も言っていました。『璃子りこ、俺は絶対に防衛軍へ入る。入って、あの人を今度は助けるんだ!』って。【A.G】を発現させた時なんか、飛び上がるくらい喜んで…………風倉少佐」


 妹さんの真摯な視線が俺を貫く。十代半ばの少女のする目じゃない。

 ――嗚呼。この世界は余りにも、余りにも、血が流れ過ぎたんだな。


「どうか――……どうか謝らないでください。お兄ちゃんは…………兄は、本懐を遂げたんだと思います。貴方がいなければ、私達は京都で間違いなく死んでいました。あの時……貴方は逃げられた筈なのに逃げず、化け物を倒し、剰え! 私達を安全な場所まで運んでくれました。しかも、御自身はすぐさま戦場に戻られて。横浜でもそうでしたね? 私、こう聞いたのを覚えているんですよ? 『お兄ちゃんは一緒に行かないのって?』」

「………………」


 朧気に思い出す。確かに、幼女からそんな問いを投げかけられた。

 横浜攻防戦は京都と並ぶ、字義通りの地獄だった。


 無数とも思える【幻霊】。足りない【A.G】使い。統合本部の指揮命令の混乱。


 様々な要因が重なり合い……信じられない数の人が死んだ。

 地獄の中、俺自身は仲間達を指揮しながら戦場を飛び回り、可能な限りの人を救い続けた。

 妹さんが涙を零しながら、無理矢理微笑む。


「そうしたら――貴方はこう言ったんです。『まだ、助けられる人がたくさんいるから』って。兄は防衛軍に入った後、貴方のことを調べて手紙で教えてくれました。『璃子、この国で風倉少佐に救われた人は数えきれない。けど、あの人はそのことを決して誇られていないし、偉い連中も理解していない。だから、俺は決めた! いざ、という時は、俺があの人を、俺達を救った英雄を守ってみせる!!』」

「…………馬鹿なっ。そんなこと、そんなことをする必要はなかったんだ…………あいつは、あいつには、未来が…………」


 俺は絶句し、言葉を喪う。

 かつて、コレットに投げかけられた言葉を思い出す。イツキ、貴方は自分を『英雄』じゃないって言う。でもね? 『英雄』って、他の人が決めることだと思うわよ?

 妹さんが頭を振り、左手を更に強く握りしめた。

 ――微かな魔力。

 まさか!?


「……兄の気持ち、私にも痛い程分かります。『人に命を救われる』。それって、そんなに軽いことじゃないと思うんです。私も、この前の検査で【A.G】の適正有り、という診断を受けました。情勢落ち着き次第、【戦技習得学校】への進学を希望しています」

「っ! それは……いや、通らない筈です。確かに【戦乙女】の数は足りない。けれど、親族内で戦死者を出し、かつ、それが最後の子息だった場合、軍配属とはなりません」

「兄の名前を使います。それに、その規則の補足事項には『強い希望ある場合は個別に対処す』とあります。母も納得済みです」

「…………」


 俺は沈黙を余儀なくされ、母親の顔を見た。

 かつてよりも格段に戦死率は下がっているとはいえ、【門】を抱えるこの国の【戦乙女】達はいつ何時、死んでもおかしくはないのだ。

 すると、先に愛息を喪った母親はゆっくりと頭を振った。


「…………私には、あの時、京都にも横浜にもいなかった私には止められません。風倉さん、貴方は教官を務めておいで、とお聞きしています。どうか、私の娘をよろしくお願い致します」

「い、いえ、私は……」

「お願いしますっ!」

「…………」


 母娘に深々と頭を下げられ、俺は往生した。……どうしたもんか。

 強い風が吹き、窓硝子をガタガタと鳴らす。

 まるで、佐伯が『辞めないでください』と言っていやがるようだ。

 俺が返答しようとした――その時だった。

 携帯がけたたましい音を発し、緊急事態を報せる。

 発信主は『九条刀護』。

 不安そうな二人へ左手で合図し、俺は通話ボタンを押した。


「風倉だ」

『先輩っ、緊急事態ですっ! 【門】が再活性しましたっ!!! 関東の各部隊に緊急動員令がかかっています。急ぎ、白鯨島へ帰還してくださいっ! まだ、退役された、とは聞いていませんよっ!!!』

「……確かにそうだが、『足』が」


 ないぞ、と言う前に疎開団地全体が震えた。

 慌てて窓を見やると、軍用ヘリが無理矢理空き地に着陸しようとしている。

 乗っているのは厳しい顔をした山縣さんだ。

 刀護が叫ぶ。


『権力を使って用意させました――飛べなくてもいいんですっ! 貴方がいるだけで、僕達は安心して戦えるっ! 島で全般指揮をっ!! 統合本部は【亡霊】部隊の出撃を承認しましたが……嫌な、とても嫌な予感がするんです。お願いします。今回も【死神】を殺してくださいっ!!!!!』


 

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戦乙女の雑用係―Amazing Grace&Common curse 七野りく @yukinagi

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