侃諤忌を迎えましたので

王子

第1話

裏井 群青(うらい ぐんじょう)は図書館にいた。

図書館とは言っても、老若男女問わず沢山の人が押し寄せ様々なジャンルの本を楽しめる、と言った一般的に想像される図書館ではない。

僕はついさっきまで、獣が歩いた跡すら無い、道なき道を一時間以上歩いていた。もうとっくに日は落ちている。頼りになるのは懐中電灯と月の明かり、そして方位磁石だけ。僕はそれでここにたどり着いた。

 なぜこんな事をしているのか、理由はちゃんとある。僕はどうも昔から、恐怖という感情に対する興味や関心が人一倍薄かった。こう言う事を言うと周りには「恐怖への関心なんて私も無いよ。だって怖いの嫌じゃん」などと言われるのだが、そうでは無い。皆、少なからず多少の関心があるから怖がるのだと僕は思う。「恐怖」と言う理解しがたい、それなのに殆ど産まれたときからまとわりついてくるその感情に、誰もが未だ慣れる事なく飽きる事なく怖がっているのはそう言う事だ。理解できないと切り捨てる訳でもなく、人間はみな素直に怖がっている。僕はそれが羨ましかった。作り物の怪物や映画、時にはただ「光が差さない」と言うだけの状況にすら恐怖を感じる。それがどう言うものなのか、僕には分からない。分からなくて、感じてみたくて、こうして大学生になる頃には、すっかり心霊スポット巡りが趣味になっていた。

 恐怖を追い求めて心霊スポット巡り、と言うのは実に理にかなっていると思うが、案の定、僕は今日までそれには出会えなかった。幽霊が出ると噂のトンネルとか、昔からある大きな墓地とか、つい最近人が殺されたばかりのマンションとか、自殺があった学校とか、ネットで検索すれば上位に出てくるようなところは大体周りつくした。

 そうしてもはや諦め半分でこの趣味を遂行している僕だが、今日は一味違う。

風の便りで聞いた。「風の便り」と言うのは、本当に字の如く、出どころも分からなければ検索しても出てこない。そんな話だった。人間、不透明なものにはとりわけ恐怖を感じやすい。だから今回は期待値がかなり高かった。

 聞いた話、まあこれすらも不確かな情報だが、■■■山の奥深く、ちょうど北緯■■度と東経■■度が交わるところに、一軒の図書館があるらしい。そして、その図書館はたった一人の男がその死の間際に作り上げたものだと言うのだ。

 その男の素性や生い立ちは何一つとして分かっていないが、死ぬ間際にやることが図書館の建設なのだから余程の読書家なのだろうと思う。

 そして、図書館は実際にあった。僕は今この目で見ているのだから間違いない。実在したのだ。

「意外と、綺麗だな」

 誰がいるわけでもないのに一人でにそう呟いていた。外見は魔女が好んで住んでいそうなボロボロのお城という感じだったが、中に入ると驚く。

 入り口から向こうの壁際まで、床一面、美しいワインレッドのカーペット。一歩踏み行った途端に自動で明かりがついて全貌が見えたのだ。人感センサーだと思うが、充電式だとしても未だに作動するという事は、想像より最近に作られた建物なのかも知れない。

 そしてさらに驚くべきは、その蔵書数だった。

 建物の大きさは普通の一軒家くらい。いや、普通よりは少し大きい。具体的に言うなら、■■■の■■とかに住んでる一部の金持ちの一軒家くらいの大きさだ。

 その建物内に、とても一人の人間が集めたとは思えないほどの量の本がある。無駄のない大きな部屋、二階は吹き抜けになっていて玄関から斜め上を向けば既に見えるが、どこにも「壁」がない。正確に言えば壁自体はあるのだろうが、全て本棚とそこに詰まった本によって埋め尽くされており見えない。

 さらに、床にも、おそらく本棚に入りきらなかったのであろう本たちが足の踏み場もないほど大量に積み上がっている。こんな光景を、昔■■■■■の美術館で見たような気がする。あれは何をテーマにした絵画だったか。

 本を足でどかしながら、図書館の中に立ち入る。棚に詰まった本に指をそわせながら部屋の奥へと歩いている最中、ふと、違和感を覚えた。

 僕は昔から勤勉だった。教師から言われたことは大抵吸収している。なので、教科書に乗っている物語とか、学校の図書室に置いてあった課題図書とか、そう言うのは把握しているはずだ。■■■なんかは、冒頭ページを暗記している。

 なのに、さっきから一つも知っている本がない。その背表紙全てが全く見覚えのないものばかりなのだ。

 僕は首を傾げながらなんとなく一冊、手に取ってみた。

『僕の映画館 霊界堂 侃諤(れいかいどう かんがく)』

 黒い表紙に白抜きの文字でそう書かれている。変わったペンネームだ。

 初めて知る作家に多少の興味が湧いた。だが裏表紙やそでを見ても、あらすじが書いていない。作者の略歴も何もない。

 仕方なく最初の一ページをめくる。さすがに一冊丸々は読めないが、初めを数ページ読めば大方どんな話か分かるだろうと思っていた。

『君たちはだだっ広い部屋一面にゴキブリの寄り付く隙もないほどに敷き詰められた電子回路を見たことがあるか?』

 ところが始まりの一文がこれだ。僕には合わないタイプの小説らしい。

 「僕の映画館」を本棚に戻し、すぐ隣の本を手に取る。

『クフクフ、楽 REIKAIDOU KANNGAKU』

 妙なタイトルの本だが、それよりもペンネームの方が気になる。ローマ字表記ではあるが、先ほどの「僕の映画館」と同じ名前だ。

 僕は「クフクフ、楽」を棚に戻し、壁一面にある本からランダムに数冊を手に取った。

『ショートケーキの考察 れいかいどう かんがく』

『眇 reikaidou kanngaku』

『愛初潮 レイカイドウ カンガク』

 どれも、名前の表記のしかたこそ違えど同一人物によって書かれた本だった。僕は無意識のうちにそれらの本を投げ捨て、床に散らばる本を漁るように手に取っていた。

 案の定、どれも「霊界堂 侃諤」という人物によって書かれている。

部屋一面の本、本、本、本本本本本本。

これほどの本を、一人の人間が一生のうちに書けるものなのだろうか。

 僕はまた、ゴミ溜のように無造作に積み重なる本から一冊を手に取り、裏表紙を開いた。

普通なら出版社や初稿年月日が書かれているところだ。カメムシのような色のページをめくると、そこに書かれているはずのものは何も書かれていなかった。

 ただ一つ、薄い鉛筆で、ミミズが這ったようなヘロヘロの文字が書かれている。僕は顔を近づけ、なんとかその文字を解読しようとした。だが、あまりに汚い上に擦れて消えかけているその文字はとても読めなかった。

 僕の中に、一つの仮説が浮かび上がる。

 この図書館を建てたのは「レイカイドウ カンガク」自身なのではないだろうか。彼は、自分で書き個人的に製本した生涯全ての本を保管するため、この図書館を作ったのではないだろうか。もし、本当にそうだとしたらとんでもない話だが、それ以外に何も思いつかない。出版社を通していない個人制作の、それでいて同じ作者の本がこんなに沢山。

 僕は床に散らばる本を踏みつぶすことも厭わず、部屋の真反対にある階段まで突っ切った。階段を見上げると、そこも一段一段に絶妙なバランスで大量の本が積み上がっている。少しでもバランスを崩したら、見上げるほどに高い階段の一番上から全ての本が崩れ落ちてくるのだろう。そんなことになったら僕は圧死してしまう。

 慎重に、手すりをしっかりと握りながら上に進む。階段はわずかに軋む。二階にたどり着いても景色はなんら変わらない。視界には本が映るのみ。

 僕は今度は、無造作にではなく一つの考えを持って本を手に取ってみた。二階の一番手前にある本棚、その一番下の段の一番端。そこにある一冊を手に取る。

 もう幾度となくページがめくられたのだろう。手に触れただけで紙がパリパリと音を立てる。

『僕と対話をする本 霊界堂 侃諤』

 


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