第8話 奇跡の砲弾

 「口惜しい…これでは闇雲に敵の襲来を受けねばならぬのか」

 「仕方ありますまい。敵の動きの真意を探り切れぬのでは」 

 「何を弱気なことを。この戦い、我らが有利なことは明白」

 「そうで御座います。ここは相手の動きを注視することに努めましょう」 

 「そう、そうするしかないわ」


 松明の工面に試行錯誤していた本多正純が思いついた妙案とは子供だましのようなものだった。それは、一人の兵に一本の棒を担がせ、その棒の肩幅毎に、松明がわりに廃材に藁を巻きつけた簡易なものだった。簡易ながら、闇夜に紛れて、幽霊を複数作り出すのに充分だった。

 これによって、一人が四人に化けて見えるものだった。その作業を、遠くの天守閣から見て、豊臣方は、徳川の奇襲に備えた作業と取り越し苦労していた。三日目の深夜、同時刻にまたもや唸り声が聞こえてきた。


 「三日目にもなると、驚きもせぬな」

 「御意」

 「しかし、昼間の作業は何故のことだったのであろうか」

 「秀頼様、あああ、あれを」

 「如何致した」 

 「反対側に大軍が集結し、蠢いておりまする」

 「何と…」


 秀頼ら重臣は、報告のあった反対側に急ぎ、移動した。そこで見たものは、整列した大軍の蠢く様子だった。


 「おのれ、家康め、遂に痺れを切らしたか」

 「おおおおお」


 その大軍が大挙して城へと近づいてきたのだ。


 「皆の者、徳川の襲来である、大戦準備を」 


 そう重臣が命じると、即座に城内は騒然となった。床についていた者も、浅い眠りをかき消し、大軍が蠢く西側に集結し徳川軍の進入に備えた。煌々と立ち上る炎と煙だけが闇夜を切り裂いていた。待てども、待てども、西門への突入はなかった。四日目、昼


 「昨夜の騒動は何事か」

 「母上、ご安心なされよ、あれは徳川の戯れで御座います」

 「戯れとな、そのようなことで、私は眠れないでいるのか」

 「狸親父のやること、お気になさらぬように」 

 「誠にそうなのか」 

 「ご安心なされませ」

 「そなたが、そのように言うならば、信じましょう」

 「今宵からは、少々騒がしくても、気になさらずに」


 一方、幸村は、徳川の動きを推し量っていた。


 「若様、あの徳川の動きを何と読まれる」

 「そうさな、鹿威し、と言ったところか」 

 「まさに、そうで御座いますな」

 「家康も攻め倦み、苦肉の策と私は思う」

 「左様で。困っておりますのでしょう、笑えてきますな」

 「笑っておる場合じゃないぞ、今が攻め頃とも言える」 

 「ほお~、それはどういうことで」

 「挑発に乗りやすいと言うことだ」

 「なら、何か仕掛けますか」

 「仕掛けたいが、秀頼ら重臣が重い腰を上げまい」

 「秀頼らは飽くまで持久戦を望んでおりますからな」

 「それも、ひとつの手立て。持久戦は我らの有利」

 「では、我らは我らで、家康を討ち取る術を練りますか」

 「今はそうするしかあるまい。ここで出しゃばり、意見を申せば、要らぬ敵を作り兼ねぬからな」

 「城に胡座をかいている者は、相手にせぬことですな」

 「左様、この戦いは、豊臣、徳川の戦いであり、我ら真田家との戦いでもある」

 「ならば、我らは我らの戦いを全うするだけですな」


 幸村は真田丸から、大坂城に向けて放たれる徳川からの挨拶程度の砲弾に、この戦いの行く末を思っていた。四日目、深夜 いつもと変わらない時刻に、徳川の唸り声がした。


 「またですな、放っておきましょう」


 秀頼ら重臣は、後ろ手に手を組み、花火を見物するように穏やかに徳川の姑息な手を、楽しむようになっていた。


 「た、た、大変御座います」

 「また、火種が城に近づいて来たとでも言うか」

 「その通りで御座います。東門を壊さんばかりに、攻められておりまする。このままでは時間の問題かと」

 「小憎らしい家康め。直ちに東門を固めよ、急げ」


 豊臣軍は、鉄砲隊を東門に向け、徳川軍の突入に備えた。城内は臨戦態勢に入り、右往左往の騒ぎとなった。


 「何事ぞ」

 「申し上げまする、徳川軍、東門より進入を試みておるのこと」

 「つ、遂に、攻めてきよったか、言わぬことではないは」


 淀殿は、寝不足と苛立ちでの疲労蓄積が、限界を迎えていた。

 直様、その怒りの矛先を秀頼にぶつけに行った。


 「秀頼、そなたが言う通りに気を許しておるとこの様ではないか」

 「母上、お叱りの言葉なら後で充分、お聞きします故、ここは危害が及ばぬ所へ参られよ、お願い致す」

 「危害が及ぶとは何事か。秀吉公が作られたこの城が落ちるとでも申されるか、何と情けないことを」 

 「お怒りは充分に…誰か母上をお連れ致せ」 


 怒りが治まらない淀殿を付き人たちが、恐る恐る重臣と共にその場から遠ざけた。しかし、一刻もすれば東門の騒動は収まった。その気が緩むまもなく、今度は西門で同じことが起こった。豊臣軍は、東門の警備と西門の警備に、戦力を分散された。ここでもまた、一刻もすれば静寂を迎え、朝陽を迎えた。

 五日目、昼 明け方まで続いた騒動は、豊臣軍の兵たちに、多大な疲労度を与えるのに充分な成果を導き出していた。淀殿の心中は穏やかにあらず、寝不足もあり、疑心暗鬼や被害妄想の傾向が顕著に現れ始めていた。

昼間から何かに怯え、布団を頭から被り、馬耳雑言を口走り、付き人に当り散らす醜態を見せていた。


 「母上の心情を思えば、この戦、早急に幕を引くことが望ましい」

 「ならば、城外で一戦をなさると申されるか」

 「それはなりませぬ、なりませぬぞ」

 「そうですとも、籠城してこその我らの勝利。城外の戦など、徳川の思う壷で御座いましょう」

 「そのような事、百も承知。ならば、この場の打開策はあるのか」

 「それは…」 


 豊臣方の重臣たちは、沈黙の殻を破ることはなかった。口火を切ったのは、真田幸村だった。


 「お恐れながら、ご意見、申し上げても宜しいか」

 「申すがよい」

 「徳川が鹿威しを仕掛けている間に、密かに我が軍を城外に」 

 「どのようにして」 

 「真田丸には、徳川は手出ししない。故に警戒は少ない。そこを付き申す。真田丸の盛り土の一部に密かに抜け穴を設け、夜毎、兵を城外に送り出す。兵は家康の居る陣営を挟み撃ちするように待機する。陣営が整えば、一斉に襲い、家康を討つ。簡略に申せばですが」


 幸村の提案は、豊臣の重臣たちの度肝を抜いた。


 「それは余りにも危険。もし、敵方にばれれば、袋の鼠」

 「いやいや、下手を打たねば、鹿威しで気が緩んでる最中であれば、目論見を成就させられることも有り得るのではないか」

 「あり得るではないか、などあってはなりませぬ。籠城の利を自ら捨て、敢えて危険な賭けにでる必要がどこにあると申される」

 「ならば、幸村殿の策以外に、何かこの場を打破する術がおありか、あるなら、ぜひお聞かせくだされ。無いなら、幸村殿の策に同意を頂き申す」

 「…」

 

 豊臣軍は、籠城と奇襲の二派に別れ、論戦に熱を帯びた。結論が出ぬまま、夜を迎えた。秀頼は、熱を覚まさせるため、結論を翌日に持ち越させた。幸村は真田丸に戻り、家臣たちに議論の結果を報告した。


 「やはり、腰抜け共の意は決しませぬか、情けない」

 「仕方あるまい、態々、危険を犯せと言っているようなもの」

 「戦に、危険は付き物。その危険を如何に軽減するかで、勝敗が決するのに、哀れなことですな、戦国武将とは豊臣にはおらぬのか」

 「そう言うな、もし、我らの提案が反古にされた暁には」

 「そうですな、我らだけで行いましょう」

 「そう致しましょう。天下に真田家ありを見せてやりましょうか」

 「そうだな」


 すっかり、真田軍は奇襲作戦に酔っていた。幸村は、兄・信之のことを思うと、心、穏やかではなかった。しかし、兄弟が敵味方に分かれる際、何れかが生き残り、真田家を維持する約束を糧に、幸村は、決断の意思を固めてた。

 五日目、夜 いつもの時刻に豊臣軍は、緊張の度合いを増していた。今日こそは、攻め入ってくるのでは…その思いが眠れぬ夜に忍び寄る不気味な影を落としていた。その思いを嘲り笑うように、その夜は何事もなく過ぎ去った。六日目、昼 徳川からの使者が大坂城の門を叩いた。しかし、豊臣軍は和議に答えられぬと使者を追い返した。

 徳川秀忠は一気に攻め落とそうと、家康に進言するも「戦わずして勝利を収めよ」と、襲撃を認めず、心理戦を成就させる当初の戦略を推した。

 家康は、購入していた異国の大砲と、堺の職人に作らせてた国産の大砲で、大坂城を脅かした。直接、届くことなく、鉄球の砲弾は破壊力はあるものの、爆発するものではなかった。その砲弾の一発が、風に乗り、奇跡的に本丸にまで届いた。


 「おお、当たりよったわ。もしかして、天海殿の陰陽道の術とやらで神風でも起こしたか…、まさかな、あははははは」


 砲弾は御殿に命中し、淀殿の侍女八人が、犠牲になった。 


 「うわぁぁぁ、何てことよ…何てことよ」

 「落ち着きなされよ、落ち着きなされよ」

 「何を落ちるけるか、難攻不落の城も宙を飛んでくる砲弾には、太刀打ち出来ぬではないか、恐ろしや恐ろしや」


 この偶然の出来事が、豊臣家の実質最高権力者であった淀殿を窮地の底に落とし込んだ。豊臣方は、兵糧不足や大砲で櫓・陣屋殿も被害を受け、将兵の疲労も限界を迎えようとしていた。


 「難攻不落の大阪城に籠れば小細工など使わずとも敵を退けられる」


という考えが豊臣側にはあった。その自信が、一発の砲弾で崩壊した。

 淀殿は、交渉を受け入れる意思を徳川に印した。折しも、朝廷から後陽成上皇の命により、17日に広橋兼勝と三条西実条を使者として家康に和議を勧告してきた。家康はこれらを拒否し、あくまで徳川主導での交渉を目論んだ。


 「若様、豊臣が徳川との和解を申し出たそうです」

 「そうか」

 「やはり、名ばかりの腰抜けども目が、恥を知れ」

 「まぁ、そう言うな、これも戦よ」

 「ああ、この腹だしさを何処へぶつければいいのか」

 「くそ~」


 幸村一行は、思いがけない終結に落胆の色を隠せないでいた。


 一方、徳川方は、念には念を入れ、終結までは砲弾の数を増やし、豊臣方の完全戦意喪失を狙っていた。豊臣方、特に淀殿が耐え切れず、和議の申し立てを徳川へ打診し、翌18日にその運びとなった。

 交渉は、徳川方の京極忠高の陣において、家康側近の本多正純、阿茶局あちゃのつぼねと、豊臣方の使者として派遣された淀殿の妹である常高院との間で行われた。

 交渉の運びとなっても家康は、砲撃を緩めることはしなかった。翌日には講和条件が合意。20日に誓書が交換され和平が成立した。同日、家康・秀忠は、諸将の砲撃をやっと停止させた。

 講和内容は豊臣側の条件として本丸を残して二の丸、三の丸を破壊し、外堀を埋めること。淀殿を人質としない。その替わりに大野治長、織田有楽斎のふたりは、息子を人質として差し出すこと。が、徳川家に提出された。これに対し徳川家は、秀頼の身の安全と本領の安堵。豊臣軍の譜代・浪人問わず処罰しないこと。を約束することで、和議は成立した。これで幕引きを見たかのように思われた。

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赤き流星・真田幸村《大坂冬の陣》2/3部作目 龍玄 @amuro117ryugen

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