第7話 苦肉の心理戦
「そうであろう、私も天海から聞いた時は、そう思った故にな。今から話す策について、今までの戦場では有り得ない奇天烈さ。その奇天烈さに自身、口元が自ずと緩んだ」
家康様が笑っている…これは自信か、気がふれたか…重臣たちは、家康の次なる言葉を固唾を飲んで待った。
「皆が驚くのも分かる、しかし、黙して最後まで聞いてくれぬか」
恫喝の後の嘆願。重臣たちは、その落ち着きに平常を取り戻した。
「大儀じゃ、まぁ、聞くがよい。それで皆の考えをも聞くゆえ」
「承知致しました。で、その策とは何事で御座いましょう」
「ふむ、心して聞いてくれ。無闇に攻め入っては真田丸の二の舞。元忠(南条元忠)の内通も敵方に発覚し、惜しい命を落とさせた。高虎にも済まぬと思っておる」
(南条元忠は藤堂高虎の叔父と知り合いだった。伯耆一国を条件に豊臣家への裏切りを約束させる。元忠は塀柱の根を切り、そこから東軍を招き入れることにした。それを
家康にしては珍しい内通者への気遣い。これには高虎だけでなく、重臣たちも驚かされた。これは家康なりの家臣掌握の術だった。内通者にも気を配る家康は、凍える兵をも、気遣ってると。静まり返ったその場に、語り部のように淡々と家康は話し始めた。
「この戦いに思いを馳せれば、我らの敵は豊臣秀頼にあらず、それに私は気づいた」
「ならば、敵は何処の者と申されますか」
「敵は本能寺にあり。あはははは」
重臣たちは呆気に囚れた。
「まるであの光秀の兵たちと同じ気持ちじゃろうて…。本当の敵は、西軍大将・秀頼でなく、その母である淀殿にあり」
「淀殿…ですか」
「そうよ、秀頼は私も充分に知っておる。やつは、戦うより和睦を優先させる温厚な気質。それを妨げるのは気性の荒い淀殿よ。戦場の恐ろしさを知らぬは秀頼。ましてや、秀吉の威光の傘下で威厳を放つ、あのおなごにとって、戦場で血を流す兵の気持ちなど分かるはずもない。ゆえに強気に出てくる。ならば、戦場の恐ろしさを心ゆくまで味あわせてやろうぞ。さすれば、怯えに耐え切れず、必ず我らの和睦を飲むに違いない。寒気がなお厳しくなる前に、早期にこの戦いを収め、事を先送りにし、時を稼ぐ事が良策と思う、如何かな」
「余りにも奇想天外の策…上手くいきますかな」
「本音を言えば、分からん。しかし、他に良案がなければ試す価値はあると思う。試す期間は七ヶ日間とする。それで効果が見られない場合は、突入も致し方なしとする」
重臣たちは、家康の策に疑心暗鬼も、強行突入の無謀さも思い知らされた苦い経験が過っていた。
「承知致しました。他に術なき今、試すに値しましょう」
「我ら軍の痛手はない試み、ここは是非とも成し遂げましょうぞ」
思いもよらぬ策に戸惑いながらも、重臣たちは自軍に戻り、家臣に策の詳細を伝え聞かせた。家康からの注文は以下の通りだった。
一、真田丸の正面を除く、北、東、西に隊を終結させる。
一、丑三つ時に、時を変えて、二方向から行うこと。
一、日のある時は、当番でない隊は、武器等の手入れ、隊列の確認、突
入の準備を大袈裟に行うこと。
たったこれだけだった。半信半疑だったが、早速、実行に移した。昼間に武器の手入れ、隊列の配備を賑やかに見せつけた。
「徳川軍の動きが激しくなりましたな」
「奴等、ついに痺れを切らせたか。急ぎ、奇襲に備えよ」
にわかに豊臣軍は騒がしくなった。しかし、待てども、奇襲は愚か、小競り合いも起きなかった。
「ふざけよって、こ蹴落としか」
日が落ち、辺はすっかり闇に包まれ、静寂を取り戻していた。丑三つ時、静寂は異変を如実に浮き彫りにした。
「うぉ~おおおお、うぉ~おおおお」
地響きのような唸り声が、静寂を重く不気味に引き裂いた。
「な、何事か…」
異変に気づいた豊臣の兵達が、安眠を打ち砕かれた。城内は見る見る内に慌ただしくなり、淀殿の耳にも伝えられた。家康の仕掛けた策が実行に移され、安眠を引き裂かれた豊臣軍の兵や下女達は、奇襲の恐怖に包まれていた。
「何事ぞ」
淀殿は驚き側近に導かれ、天守閣に登った。闇に包まれる城外。見渡せば東側のみが明るかった。松明が不規則にまたは規則的に蠢くのが確認できた。
「攻撃の準備はこのためか」
淀殿が天守閣に辿り着くとそこには、既に秀頼と重臣たちも、徳川の動向を知るために、集まっていた。
「家康が仕掛けてくるのか」
淀殿は落ち着かない面持ちで、秀頼に問いかけた。
「分かりませぬ。…万が一を思い、我らも迎え撃つ準備を致しましょう」
「そうなされよ」
準備に取り掛かると東側の松明は少しづつ、消え去っていった。
「闇に隠れて攻めて来るのか、ならばなぜ、松明を」
秀頼や重臣たちは徳川の動きが読めないでいた。その夜は、結局、何事も起こらず、夜明けを迎えた。家康から指示を受けた本多正純は、家康の策を有効に活かす術を練り、実行に移していた。
二日目、家康と重臣たちは和睦の条件を練っていた。その夜、城の灯りが消え始めて一刻程が過ぎた頃、
「わぁ~ああああ、わぁ~ああああ」
と、威勢の良い叫び声が聞こえた。眠りにつき始めた豊臣軍は、慌てふためいて目を覚ました。闇夜には、何一つ、異変を感じなかった。昨夜、蠢いた松明さへも見えなかった。
「昨夜と違い、動きは見えませぬな」
「油断させて置いて、その隙を突く狙いでは」
「ふむ、何とも言えぬな」
「忍びの者を向かわせますか」
「それで良かろう」
直様、忍びが城外に放たれた。しかし、二度とその忍びは戻ってくることはなかった。その夜、丑三つ時にまたもや唸り声が闇夜を引き裂いた。
「うぉ~おおおお、うぉ~おおおお」
天守閣には見張りの者を常備させていた。直様、秀頼に昨夜と異なり、西側から声がするとの報告が入った。秀頼も天守閣に出向いた。それを追うように淀殿も天守閣に現れた。
「この度は西側か」
「そのようで御座いますな」
しばらくして、またもや唸り声がした。
「今度はどこからじゃ」
「北側のようで御座います」
「しかし、松明などは見られませぬな」
「家康め、何を狙っておるのじゃ」
「定かではありませぬな」
「小憎らしい」
「油断は出来ませぬ、備えはしておきましょう」
「そうしておくれ、おちおち眠る事も出来ぬゆえに」
その夜も何事もなく、過ぎ去った。徳川軍は、松明そのものにも困っていた。限りある松明を有効に使える策を本多正純は思案していた。そこで妙案を思いついた。
やつらは、暗闇で詳細は分からずじまい。ならば、正直に兵一人を一体と数える必要はないのでは。ならば、ならばですぞ、闇にまみれて、一人で数体を演ずるは如何なものか、そう、それじゃ、それでこの場を凌ぎ申そう。
本多正純は自問自答の中、滑稽とも思える策を見出した。三日目、徳川軍に動きがあった。兵たちが蠢き、何かを作っている様子が天守閣から確認できた。
「何をこしらえておるのでしょうか」
「わからぬは」
「今夜でも、攻め入るつもりか」
「わかりませぬな」
「直様、調べさせよ」
「とは言え、城内から送り出した密偵は誰一人、戻って来ておりませぬ。悪戯に兵力を減らすのは避けねばなりませぬ」
「悪戯とは何事ぞ」
「申し訳御座りませぬ」
秀頼は、蟻も這い出せぬ鉄壁の徳川の包囲に苦汁を舐めていた。
「秀頼様、唯一、突破口が御座いまする」
「ほぉ~言うてみい」
「南方、真田丸より密偵隊を送り出すのは如何なものでしょう」
「ふむ、真田丸からか、あああ、如何、如何」
「如何に」
「そのようなこと母上に知られれば、どのようなお叱りを受けるや」
「しかし…」
「ええい、黙れ、黙るがよい。我らにとって真田丸は禁句じゃ」
東西南北、包囲された大坂城。唯一、弱点とされた南方に築かれた真田丸。秀頼ら豊臣軍の重臣たちの中には、田舎侍の幸村を認める訳にはいかなかった。それでなくても、幸村の提案する徳川攻略の術は、従来の豊臣勢には目を見張るものがあった。そんな現状で、真田丸を借りることは、城内に真田丸に、意義を申し立てた重臣たちを愚弄するほかなかった。決して一枚岩でない豊臣軍において、幸村に助けを乞う真似は、烏合の衆を付け上がらせる要因とも成り兼ねない一大事と重臣たちは捉えていた。
その最も象徴的な存在が淀殿だった。誇り高い淀殿は、烏合の衆を単なる使い捨ての駒としか見ておらず、その者が豊臣に意見するなど、誇りが許さないでいた。それでも、徳川の動きは気にかかる。そこで、今、一度、真田丸以外の方角から密偵を送り出した。しかし、予想通り、誰一人、報告に戻る者はいなかった。
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