第6話 幽霊の正体見たり枯れ尾花

 「まず、戦況については(服部)半蔵殿から聞いておりまするゆえ、よしなに。ただ、聞くと行うは異なることも多いでしょうから、お気づきの事あらば、その都度、口を挟まれば宜しかろう」

 「あい、分かった」

 「では、参りますぞ。攻め落とせれば宜しいでしょうが、そう上手くいきますまい。ならば、戦況打破あるのみで御座いますよ。有利な状況で、再び戦いに挑める機会を得るために。ここは取り敢えず、仕切り直しをも含めて、有利な条件で和睦を取り付けるのが良策かと。豊臣断絶の願望は、その後かと存じます」

 「やはりそなたもそう思うか」

 「焦る気持ちも分かりましょう。しかし、事を焦っては思わぬ隙が出来、痛手を負うことにもなりますまいて。急がば回れですよ。事を急いでは、勝機も逃すものです。ここは我慢のしどころ。肉を斬らせて、骨を断つ、ですよ」


 優しい言葉の羅列の中に、力強さを感じさせる天海の口調だった。


 「肉を斬らせて、骨を断つ、か」 

 「その為には、我らが弱っている姿を見せてはなりませぬ」

 「戦況は相手が有利。ここで和睦など申し入れれば、敵に弱みを悟られるのが必至。ならば、どう、有利な和睦へと導くのじゃ」

 「ならば敢えてお尋ね申す。家康様が戦われているのはどなたか」

 「馬鹿にしておるのか、秀頼率いる豊臣方ではないか」

 「本当にそうでしょうか。ならばお尋ね申す。秀頼は戦いの表舞台に出て来ておりますでしょうか。表に出るは幸村なりで御座いまする」

 「確かに秀頼どころか、豊臣方の重鎮誰一人見ておらぬな」

 「もし、家康様が敵方ならどうなされまする」 

 「敵方の食料や疲れを調べさせ、弱ると見るや、一気に攻め落とす」

 「そうですな、それでこそ家康様。ならば、敵方も徳川軍の弱るのを心待ちにしておるとお考えか」

 「そうではないのか」

 「そうとは思えませぬ。やつら、打つ手を探し、迷走しておりまする」

 「確かに、籠城と言う優位さはあっても、何も仕掛けてこぬのも解せぬな。それは、豊臣方は一枚岩ではない証か」

 「そうですよ。所詮は浪人や関ヶ原の合戦での賊軍の衆。名高る武将も合戦は得意とするも、籠城での戦いは不慣れと見ておりまする。ならば、武力行使するはず。しかし、その気配はなし。では何故、動かぬか、いや動けぬのか」

 「勝機を見いだせないでおると言うことか」

 「そうです、手出しをしないのではなく、出せないのですよ」

 「烏合の衆では、その兵力に自信が持てなくても致し方なしか」

 「そうです、苦難に立つは徳川のみにあらず、ですよ」

 「何やら希望の灯りが見え始めてきたような」

 「いとも簡単に灯る行灯ですな」

 「茶化すではない」

 「ご無礼致しました。俯瞰で見れば、お互い、攻め倦んでおる、と言うことですよ。我らの敵は、この寒気で御座います。敵方は城の中、この寒気に気づきますまい。寧ろ、城の中と言う閉ざされた場所で逃げ場がない、食料が尽きる等の気苦労の方が大きかろうと存じます」

 「そなたと話しておると不思議と相手の様子が見えてくるような」

 「そうで御座いましょう。天海の妖術で御座います、くくくくく」

 「ほんに掴みどころのない男よ」

 「雲のような存在で御座いますからな」

 「まぁ、よい。我らが返り討ちを躊躇い攻倦むと同じく、いつ攻めて来るか分からない、いくさ経験の豊富な大軍が目前に広がり、包囲されている緊張感は、時が経つにつれ、言い知れぬ恐怖になると言うことか」

 「それでこそ、家康様。私が思う勝機は、その藪に潜んでおると存じます。幽霊の正体見たり枯れ尾花ですよ。いち早く、その藪の正体を知り、動くか、その藪の正体を見ずして怯えるか、それがこの戦いの結末を大きく左右させると、存じ上げまする」

 「幽霊の正体見たり枯れ尾花、か。疲れが増し、闇雲に責められぬ今、幽霊の力を借りろと言うか」

 「左様で御座います」

 「そなたの歩む道には、縁少なからずも、我らの道には縁遠いわ」

 「そうでしょうか、何事も見切りを付ければ、其れ迄。見切りを付けるのは早計で御座いますぞ。もっと簡単にお考えなされよ」

 「簡単にとな。う~ん、う~ん」 

 「唸っていても、いや、お待ちくだされ、もう少し唸ってくだされ」

 「またもや、からかうか」

 「そうでは御座いませぬ、正気で御座います、さぁ、続けて」


 そう言うと天海は、両手を目に押し当てて、家康に催促した。家康は、天海に促されるまま「う~ん、う~ん」と唸って見せた。天海の脳裏には、凍える兵たちの姿、天守閣から見える徳川軍の不気味さ、徳川方、豊臣方共から感じる緊張感が映し出されていた。

 徳川方の緊張感が、長引く戦況に衰えを見せるのに対し、いつ攻めて来るのか、と不安の増す豊臣方の緊張感を感じていた。しばらくして、目を覆っていた両手を解くと、薄笑いを天海は浮かべ、家康に問いかけた。


 「さて、一縷の光が見えましたぞ」

 「ほぉ~そうか、して、それは何ぞ」

 「その前に冒頭の問の答えを明かさねばなりませぬな」

 「冒頭の問?」

 「家康様の真の敵は、と言うもので御座います」

 「秀頼、豊臣重臣は蚊帳の外、幸村は豊臣に使える者、はてさて、真の敵と申しても、見当たらぬが」 

 「秀頼は何かと経験不足。重臣との関係も良好とは思えませぬ。ならば、今の豊臣軍に大きな影響を及ぼす者で御座います」

 「大きな影響力を持つ者…秀吉亡き後となれば…あっ」

 「お気づきですか」

 「ああ、淀殿か、あの気の強い」

 「ご明察」

 「あの、おなごなら、口出ししても、おかしくないわ」

 「半蔵殿からの知らせで、真田丸も、元はといえば、城内に築くはずの物を、浪人風情が豊臣に意見するとは何事か、と怒り、強く真田の申し出を拒んでの、出城となったと聞き及んでおります」

 「命を掛けて戦った事のないおなごが口出しすると、迷惑千万な話じゃ」

 「その通りで御座いますな」

 「とは言え、それが誠のことで御座います」

 「皆は反対しなかったのか」

 「重臣たちは優れた真田の意見に賛同する者もいた。秀頼もその一人だった。それを淀殿が母であり、秀吉の正室の立場を強く行使して、拒んだ。母思いの秀頼は、母がそれ程にも拒むならと、出城として築く事を許可した経緯」

 「結果として、それが我らの足止めに役立つことになるとわな」

 「城内に築いていれば、燻すのも火攻めにするのもできたろうに」

 「淀殿の我が儘が、不幸中の幸いか、最も攻め落とせる場所に、完璧なる出城を築かれることになるとは、時の運を持ったおなごじゃ」

 「真田丸の一件を知るに当たって、今の豊臣軍を動かすのは、秀頼ではなく、淀殿であることは明白では御座りませぬか」

 「そこで、攻め落とすは淀殿に的を絞り申しましょう」

 「城内の淀殿をどう攻めるんじゃ。見当もつかぬが」

 「そこですよ、そこに策略の緒があったのです」

 「もったいぶるな、早う言え」

 「短気は損気ですぞ、家康様」

 「…」

 「先ほど家康様が唸られた時、頭に両軍の苦しむ姿が見え申した。凍える徳川軍。豊臣軍の包囲された言い知れぬ緊張感と恐怖。そこに家康様のう~ん、う~んと言う唸り声が重なりましてな。それに怯える淀殿が見えたのですよ。野戦での夜間、獣の不気味な唸り声に肝を冷やした経験はおありでしょう。私も秀吉の中国大返しの知らせを聞いたとき、大軍の足音に幾度か眠れぬ夜を過ごしたことか」

 「私も命を狙われる経験は幾度かある、分かるぞ天海」

 「家康様と違い、私のは、もう、遠い昔の話で御座います」

 「そうか、そうだったのか」


 突然、家康は、天海の言いたいことが頭に浮かんできた。


 「そなたが言いたいのは、漆黒の闇に響き渡る獣の不気味な声。見えぬ相手だけに、その恐怖心は計り知れない。自らの心が萎えていれば、要らぬ思いが渦のように心を恐怖の闇に引き込むこと然り。それが、幽霊の正体見たり枯れ尾花か。正体が見えなければ、間合いが分からない。分からないゆえ、常に事に備えていなければならなくなる。これは、辛きものよ。それが、自分ではどうすることも出来ないおなごなら、効果覿面じゃな」 

 「お分かり頂けましたか。これが上手く行けば、いつ襲われる分からない恐怖心で不利な条件も、逃れたい一心で飲むことも濃厚ではないかと」

 「言いたいことは、分かった。それをどう形にする。幽霊を雇い入れるとでも言うのか、そなたの通じる陰陽道の術でも用いて地獄絵図でも描くか」

 「ほぉ、珍らしゅう御座いますな、お苛立ちのご様子」

 「分かったが術が思い浮かばぬ。これまでの戦術にないゆえにな」

 「心、沈めなされよ。幽霊とは幻覚のこと。心の隙に巣喰うもの。ならば、心の隙に漬け込み、増大させるのみで御座いますよ」

 「して、如何する」

 「淀殿を追い込みましょう」 

 「如何にして」

 「心を崩壊させましょう」

 「心とな」

 「地響きのような唸り声を兵たちに上げさせなされ」

 「唸り声か」

 「そうです、唸り声です。寝静まった刻限に四方八方から発しましょうか。同じ刻限に来る日も来る日も。時には、早め、時には、遅らせ、持て遊んでやりましょう」

 「それは、女狐を追い込むことができるのか」

 「寝込みを襲えば、浅い眠りになる。眠れぬ夜は、人の判断力を負の輪廻に追い込みまする。その苦悩から一日でも早く抜けたくなるのが、常で御座います。そこに豊臣方が最低限承諾の出来るものを突きつけましょう。その要件は、芋づる式に処理し、人海戦術で拡張すればいい。要は、相手の牙を如何に抜き取るかが、この戦いと致しましょう」

 「決着は先送りか、致し方なし、か」

 「急がば回れですよ。事を焦ってはなりませぬ」

 「…」

 「焦る気持ちは私も同じで御座います。お互い死を意識する年ですからな。しかし、だからこそ、時を大事に進めなければ、なりませぬ。後戻りが出来る時は、私たちには御座いませぬから」

 「分かっておるわ」

 「兵たちを見なされ。憔悴の色は隠せまいて。兵の損失を出さず、効果的に敵方を追い込む。大声を出させ、体の中から温めさせ、士気をも高める。そのような含みも御座います。期間は七日もあれば、宜しかろう。その間に、家康様は難攻不落の大坂城を骨抜きにする算段に取り組みなされるように、お願い申し上げまする」

 「そなたはどうする」

 「私は私なりに陰陽道に基づいた呪縛を淀殿に放つと致しましょう」

 「以前、不思議な体験を受けたあの方の力を借りると言うか」

 「そうで御座います。信じれば、必ずや花を咲かせましょうぞ」

 「大義じゃ」

 「のう、天海よ、何故、私は幸村に嫌われるのか」

 「勧誘工作は、苦労なされたが、日の目を見ませぬでしたな」

 「餌に食いつきおらんわ。腹を空かしているはずなのに」

 「幸村と言う人物が見えておりませぬな」

 「真田家自体は、真田家繁栄の為に傘を変えることに恥ずることなどないと見ます。過ぎた事を申すのは絵に描いた餅を食らうようですが、上田城の戦い後に傘下に引き入れておれば、今頃は、有能な武将として、家康様に仕えていたことでしょう。幸村の経緯を見るからには、家康憎しで立ち向かっているのではなく、武将として生きる上で、いつしか家康打倒が、生き甲斐と化したものと存じます。幸村自身、家康様への憎しみなどありますまい。好敵手そのもの。その好敵手と手を組むことは、今の幸村自ら、己の存在感を、生き甲斐を奪うようなもの。幸村が生きる糧として、家康様と言う好敵手に挑んでいる、私にはそう思えます。地位、名誉を得るための戦いではなく、生ける証としての戦い。幸村に対しては、どの武将より、警戒の目を光らせることです。急須猫を噛む、を好んで選ぶだろう幸村を軽んじては、命の尽きるを早めまするぞ、お気をつけなされよ」

 「生き甲斐、か。ならば、どのような勧誘工作も無駄だと言うことか」

 「今は無理で御座いましょうな。幸村自身が、新たな生き甲斐を見出すか、家康様が与えるか、でなければ難しいでしょうな」

 「やつにどのような生き甲斐を与えようと言うのじゃ」

 「分かりませぬ。幸村という男、相当の頑固者のようですからな」

 「ならば、私は幸村という生霊に怯えねばならぬのか」

 「それが宿命かと」

 「欲しても手に入らぬか」 

 「権力、金数では無理で御座いましょうな」 

 「…」

 「良き方に思いましょう。気を付けるは、幸村のみ。そう思えば、少しは楽になりますでしょう。家康様にとっての幽霊の正体は見えているわけですから」

 「…」

 「さぁ、四方山話もそろそろ緞帳を下ろしませぬと」 

 「そうじゃな、やるべきをやって、天命を待つか」

 「何を弱気な。天命も強い意志で引き寄せてこそ命運。仕掛けて、仕掛けて、仕掛けて、精根尽きるまで、ですぞ」

 「この老体に鞭打つはそなただけじゃぞ」

 「自慢ではありませぬが私めも、その老体。しかし、肉体は衰えようと、強い意志は、より強固になり申す」

 「分かった、分かった、そう攻めるな。儂とて時に弱気を吐きたいわ」

 「吐かれよ、吐きなされ。それを私目が蹴散らして、進ぜましょう」

 「小憎らしいは。しかし、不思議とやる気が沸いて出てくる、ほんに、不思議ぞ、そなたといると」

 「それが私目の妖術で御座います、くくくくく」


 そう言うと天海は、帯に刺した扇子を素早く取り出し、大きく広げ、パタパタと仰ぎながら、後ろすり足でその場から、消え去った。


 「大砲の件、江戸の町づくりはお任せあれ。家康様は、幽霊を味方に豊臣を追い込みなされよ。天下泰平は、もうすぐ前に見えておりまするぞ」


 天海の声だけが、座敷に響き渡っていた。


 「おもろき、男よ、天海は。さぁ、儂も仕事をするか」


 しばし、天海との時間を過ごすと家康は、武将の長としての職務に戻った。家康の姿を見た重臣たちは、我先に家康の元に駆け寄った。口火を切ったのは、藤堂高虎だった。


 「家康様、お話を」

 「分かっておる。皆の言いたいことはな」


 それを受けて、落ち着き払った本多正純が続いた。


 「では、如何なる手立てを。食料も先が見え始めております。いや、食料は何とか工面しましょう、しかし、寒さは」

 「そうですとも、暖を取る術に限界が来ております。武具を納める箱までも、燃やさざるを得ない、この有り様」 


 家康は、不安がる重臣たちを前に落ち着き払って言った。


 「皆の苦労、この家康、我が身のように感じておる」


 その言葉が終えるやいなや、間髪入れずに高虎は言った。


 「もうこれ以上、兵の疲労を重ねるは、いざという時の足枷となりましょうぞ。ここは、一気に攻め入り、終息させるのが策かと」

 「そう、焦るな」

 「しかし…」

 「攻め入って、事が終息するならば既にそうしておる。しかし、そうしないでいるのは皆も分かっておるであろう」

 「ほほぉ~そう言いなさるは、お考えありと存ずる、して、そのお考えを皆の者にお聞かせ下され。のぉ~高虎、家康様のお考えを聞こうではないか」 


 家康には重臣たちの焦り、苛立ち、不満が突き刺さる思いだった。負の力により沈滞する重い空気を払拭するために、家康は、語気を強め言い放った。


 「皆の者、聞くがよい、我ら魍魎の力を借りて、必ずや豊臣家を黙らせて見せようぞ」

 「…」

 「魍魎の…力…」


 重臣たちは心の中で家康、血迷ったか、と呆気に取られていた。策の無さに焦り、寒気に怯える兵たちの気持ちを代弁するように危機感を感じた重臣たちは、家康の魍魎の力を借りると聞き、戸惑いを隠せないでいた。


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