第5話 気骨とは、欲に塗れぬ者
幸村の勧誘工作は、冬の陣直前から行われていた。それは、父・昌幸があってのことで、幸村に興味があった訳ではなかった。しかし、今は違う。幸村自体に家康の興味は、注がれていた。
勧誘の責任者に選ばれたのは、本多正純だった。直接交渉は、幸村の叔父で徳川方の大坂陣中目付役であった
それは、徳川方の交渉最高責任者である本多正純が、幸村の父・昌幸と正純の父・正信と親交があったことと、その正信らが、関ヶ原の合戦の戦後処理で、家康の昌幸と幸村を処刑せよとの決断を思い止まらせ、九度山へ幽閉させたと言う、恩義を感じてのことだった。
戦いの中、兄・信之が徳川方にいるだけに直接、徳川方の使者に会うのは憚れた。幸村は内通者の汚名を着する危険を冒しても、要望に応じた。それが、真田幸村という男だった。
幸村にしてみれば、父親同士の信頼関係が正純に受け継がれた想いで要望に応えた。家康が昌幸を恐れ、また武勇を認めた時、正信の申し立てを受け、幽閉を解き、赦免していれば、幸村は兄・信之と共に、家康の傘下にあったかも知れない。
真田丸の激戦から7日後、幸村は、真田丸にいた。ここでなら豊臣方の目をさほど気にせず、接見できた。これは、豊臣方が真田丸に興味がなかったことを指す。内密に徳川方の使者である幸村の叔父である真田信尹を真田丸に招き入れていた。勿論、箝口令が引かれ、極秘に行われていた。
「幸村よ、健吾であったか」
「叔父上もお変わりなく」
「さて、よもやま話はさて置き、家康の意向をお伝え申そう」
幸村は、叔父の真田信尹の話を聞く以前に決意を固めていた。
「…」
幸村は、じっと信尹の目を貫くように見、微動だにしなかった。その気迫に、並ならぬ決意を信尹は感じ、交渉の熱を失っていた。
「そなたが徳川方に就けば、十万石の領地を与えると申しておる」
「…」
「どうだ、聞けば城内に砦を作る事を提言したにも関わらず、受け入れられず、この出城となったと聞く、徳川方に就けば、そなたの功績は充分に受け入れられるであろう、どうだ」
「有り難き幸せ。なれど、私たちは牢人として、高野で乞食同然の暮らしをしておりました。にも関わらず、秀頼様は私を召抱え、曲輪の大将にまで命じて下さりました。このこと、私は、有り難く幸せなことだと受け止めておりまする。よって、ここを離れることは到底できますまい」
「そなたの申すことは解る。今更と吐き捨てる気持ちも解らないでもない。しかしの~、私がこうして出向くのは、改めて家康がそなたの力量を思い、認めた証なるぞ、時、既に遅しと言うことはあるまい」
「ならば、叔父上、家康にお伝え下され。この幸村、和睦が成立すれば、その時に例え千石でもご奉公致しますると。今日は、これにてお帰り下され」
幸村の返答は、信尹の面子を考えての社交辞令だった。それは信尹にも充分に伝わっていた。
「そうか、今一度、じっくり考えるが良い、では」
「御足労をお掛け申しました」
幸村は毅然とした態度で、真田信尹を見送った。信尹は、幸村との交渉の経緯を本多正純に伝えた。正純は、幸村の意思が硬いことを痛感し、前田利常の家老である本多政重に対し、指示をした。
「政重、幸村の勧誘は難しき案件なるや、しいては、信尹と良く協力して、なんとしても幸村を徳川方に引き入れるよう、しかと、申し付ける」
「は・はぁ」
「勧誘の暁は、幸村の身柄はこの正純が預かる。これにより、幸村も安堵の色を増すであろうて」
「御意」
正純の指示を受け、信尹に詳細を聴くにあたって、幸村の決意が揺るぎないことを、政重は知ることとなった。
「難攻不落は大坂城のみならずか…して、如何致そうか」
「私には、幸村の決意を打ち砕く手立ては見当たりませぬ」
「何を弱気な…と言いたい所だが、それが今の有り様か」
「家康様直々のご指示。無下にもできず、ほとほと困りましたな」
「家康様もお分かりになっている、勧誘が容易くないのを」
「そうよな、十万石も与えれば、容易に寝返ると高をくくっていた。それをあっさり、あやつ、断り寄った。敵の足元を見て、欲を掻き寄ったかと、更なる条件提示」
「ああ、あれには拙者も驚いた。信濃一国に十万石であろう」
「もし、これで幸村が寝返れば、自軍の武将の妬み、不満が噴出し、それこそ、徳川の求心力を弱める結果になるやも知れず」
「増してや、その領地と石高をどう用意されるのか…家康様の思惑に、正直、霹靂と致しますな」
「なれど、信濃一国は手立てとして有効かと」
「ほう、それは如何にしてそう思われる」
「信之から聞いた話だが、徳川・豊臣と袂を分かつ時、幸村が言ったそうな。私には城がない。父の後を受け、上田城を欲しいと」
「武将としては当たり前の願い。然らば、信濃一国は勧誘工作の妙案にとなるやも知れませぬ」
「そうであれば宜しかろうに」
「戦う前に戦意を喪失してどうなさるか」
「これは、面目ない。根が正直者で御座いましてな」
「あはははは」
本多政重と真田信尹は、難問の往くすえに一途の光明を無理からに見出した思いで、情けなくも、笑えてきた。再び、家康の意向を胸中に秘め、信尹は、幸村に接見を申し込んだ。幸村は、「お会いしても、志は不偏なり」と、信尹の申し入れを拒んだが、面目を立たせて欲しいと懇願され、渋々ながら、申し出を受け入れた。
「忝ない、当方の事でそなたに手間を取らせて」
「お気になさるな。徳川に就けとのご依頼は、応じかねまするぞ」
「これでは如何かな。そなたの願望である城を築ける領地を用意すると申したら。家康様が申されるには、そなたに信濃一国と十万石を任せようと申しておる。さらに、身柄は、本多正純殿が預かるゆえ、ご安堵なされよ」
それを聞いて幸村の顔相が見る見る険悪になっていった。
「1万石では不忠者にならぬが、一国では不忠者になるとお思いか」
と、顔を紅潮させ、言い放った。あまりの怒りにように信尹も、思わず腰が引ける思いがした。
「いい加減になされよ。叔父上と恩義ある方の申し入れと思いお会い致したが、幾ら良き待遇をなされようと、この幸村の志は、変わりようが御座りませぬ。この話、これまでににて、ご勘弁願いまする。さぁ、もうお話致す事は御座りませぬ。お引取りくだされ」
そう言い放つと、幸村は信尹を退けた。その報告を家康は、本多正純から聞き及んだ。家康は、無言で遠くの空を眺めていた。その姿は、怒りより、潔しの清々しさに満たされていた。
「と、言う具合よ」
家康は、真田幸村の勧誘工作の経緯を天海に伝えた。
「流石に幸村で御座いますな。芯が太く、志を支えておりますな」
「そうよな…しかし、惜しい、何とも惜しい男よ」
「作用で御座いますな。これで、家康様の枕はまた、低くなり申されましたな」
「本当に口が減らぬの~、そなたは」
「お褒めに預かり、忝く…」
「褒めておらぬわ」
「あはははは…」
「まぁ、良い、こうして馬鹿話をしてると、心が休まるゆえ」
「そうで御座いましょう。それを分かって悪役を演じておりますゆえ」
「自ら言うことではないわ」
「そうでしたな、くくくくく」
「話は変わるが、そなたに聞きたいことがあったのじゃ」
「何で御座いましょう、改まって」
「思い出したくはなかろうが気になると、堪らなく知りたくなるゆえ」
「気遣いは無用ですぞ」
「それでは聞くが、そなたが光秀であった頃の話じゃ」
「それはまた、昔の話で御座いますなぁ」
「良いか」
「お気使いはいりませぬ」
「では…本能寺で信長を討った後、秀吉が毛利から一目散で戻ってきよった中国大返しのことよ」
「あれには、私も驚きました。今しばらく時があると思い、動いておりましたが、詰が甘かったと言えば、甘かったのですが」
「私も大軍を預かる身。だから分かる。あれが如何に無理なことか。それを成し遂げた裏に何があるのか、それが知りたいのじゃ」
「それですよ、私も不思議に思ってました。三条河原付近で、敵は本能寺の信長と告げたのが初めてのこと。事前に誰とも相談などしておりませぬでしたからな。しかし、幾ら隠しても、見る者が見れば、やはり不穏な動きに見えたのでしょう。ただ、私が考えるのは少し違います」
「どのようにじゃ」
「茶会ですよ、茶会」
「茶会がどうした」
「秀吉は、中国地区の毛利に出向きながら、情報網を行き届かせていた。優秀な忍びたちですよ。その忍びから、家康暗殺のための茶会。それを秀吉は知った。家康様に怪しまれぬように、信長自らも警護を手薄な状態に身を置いた。秀吉の中に不穏な空気が流れた。もし、家康様が信長の家康暗殺を事前に知り、騙された振りをし、大軍を密かに引率し、信長を返り討ちにするのではないか…その不安が秀吉を突き動かした。万が一に備えて、石田三成に街道、宿場町に大量の飲料、食料を急遽、用意させた。三成にその才覚があったとは思えませぬが、家臣の尽力で成し遂げたのでしょう。道は、毛利に向かう過程で舗装していた。そこに信長討たれるの知らせが届く。秀吉が事前に予測していなければ、大事によって、交渉など置いていち早く、戻ったはず。しかし、秀吉はそれをしなかった」
「確かに」
「秀吉が、感じた尋常でない虫の知らせ。自らの感覚を信じ、秀吉は動いた。信長討たれるを知り、虫の知らせが誠になった。しかし、秀吉は信長の死を伏せ、毛利との和議を取り付けた。秀吉の計算高さ。交渉している時に、三成に指示した食料調達を可能にした。武器類等の重い荷は、捨てた。交渉の目鼻が付いた時点で、先行隊に道の整備をさせる。それを交渉を終えた本隊が追う。武器、装備品は、京都に用意させた。こうして、中国大返しを可能にした。秀吉は驚いたはずですよ、信長を討ったのが私だと知って。信長を討つ者は、家康に違いないと思っていただしょうから。信長も驚いていましたから。万が一が起きた、とね。それで言えば、私の策は見事に的を獲たと言っていいのではないでしょうか。秀吉の抜け目なさを除いてはね」
「事前に対応したゆえの中国大返しであったか」
「大雑把な信長に対し、綿密な秀吉の性分が功を奏したのでは。後に秀吉は、武術より算術に長けた者を重宝する。貿易商だった小西行長を抜擢したのも、その現れかと」
「としても、早すぎるのでは」
「そこは私にも分かりませぬ。あの世で秀吉に会えば、是非、お聞きくだされ」
「死に急がせるな、まだまだやるべきことがあるわ」
「ならば、深く考えなさいますな。真偽の程は当事者のみ知る、ですよ」
「あの茶会には、信長を疑うことなく出向くところじゃった。疑うどころか、時の権力者に認められた。警護を外して会う、親密感を覚えていたのが今は懐かしいわ」
「まぁ、本能寺の変があっての、私と家康様の関係が生まれた」
「そうじゃったな、越後忠兵衛なる謎めいた人物に会い、幾多の危機を逃れてきたの~」
「はい、不思議な人物で御座います、忠兵衛と言う男は」
「そうじゃな」
「あっ、そうそう、忠兵衛で思い出しましたが、より遠くに飛ばせる大砲は職人たちの力を借り、着実に進めておりまする」
「大儀じゃ、早い仕上がりを心待ちにしておるぞ」
「今しばらく、耐え忍んでくだされ。さて、少しは心が安らぎましたかな」
「ああ、とは言え、この寒さに長期戦は、我らの不利。天海よ、妙案はないか、それを聞きこうと、そなた呼んだ」
「そうで御座いましたか」
「正攻法に挑めば、我らの被害が悪戯に膨らみよるわ、ど~したものか…思案に事尽きておる」
「仕掛けられた罠に人海戦術で挑むのは愚かしいことですな」
「我らの不利な立場をそなたが上塗りするな、腹が立ってくるわ」
「これはこれは、ご無礼致しました」
「そこよそこ。ほんに、私を苛立たせる達人じゃ、天海は」
「まぁまぁ、こうして腹割って話されるのも、多少の気休めになりましょうぞ。精魂詰めれば、見えるものも見えますまいて。ここはこの天海が導き致すゆえ、何事も整理なされるが宜しいかと」
「それで私は何をすればよい」
「この天海との質疑応答で闇を照らす明かりを見つけられれば宜しかろうて。では、早速、参りますぞ」
「まな板の上の鯉じゃ、何なりと問いかけよ」
難攻不落の大坂城、隙のない出城とも言える真田丸、寒気が容赦なく兵の士気を削ぎ落そうかと言う状況を打破する為、家康は、天海との密会に、一縷の光を見出そうとしていた。
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